↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/24

たかが一着の服に何を恐れているの?

翌朝、王都の空気が変わった。

仕掛けたのは、私たちだ。

朝一番に発行された新聞各紙には、昨夜のセシリア・ベルの姿が大きく取り上げられていた。

『大女優セシリア・ベル、舞台を降りて選んだ一着』

『貴族でも平民でもない。女性が自分で選ぶ、新しい服』

『南区画クロエ商会にて販売開始』

もちろん、偶然ではない。

記者にはあらかじめ声をかけていたし、セシリアが劇場から出てくる時間も伝えてあった。

記事に何を書くかまでは命じていない。

ただし――何を書けば読者が食いつくか、その材料は十分に用意した。

そして新聞のインクが乾くより早く、結果は出た。

昼前。

公爵邸へ飛び込んできたクロエは、挨拶もそこそこに私の執務机へ分厚い紙束を叩きつけた。

「奥様、とんでもないことになりました」

「売れなかった?」

「逆です!」

クロエが紙束を指差す。

「注文票です!」

「……全部?」

「全部です」

思わず数える気を失うほどの枚数だった。

「朝から店の前に列ができました。用意できた分はすぐ完売。試着用まで売ってくれと言い出す人が出る始末です」

「まあ」

「しかも、ほとんどの客が同じことを言うんですよ。『セシリアと同じ服が欲しい』って」

私は一枚の注文票を手に取った。

客の名前。

希望する大きさ。

受取予定日。

そして代金。

昨日まで、一着も売れなかった服だ。

商品は何も変わっていない。

変わったのは――意味だけ。

「皆、お金を持っていなかったわけじゃなかった」

クロエが呟く。

「買いたくなかったわけでもない。ただ、『自分が着てもいい』と言ってくれる誰かを待っていたんですね」

「ええ」

私は注文票を置いた。

「セシリアが、最初の一人になってくれた」

だから二人目は怖くない。

二人目が現れれば、三人目はもっと怖くない。

そして百人が着れば、それはもう「身分不相応」ではない。

――流行になる。

「問題はここからね」

「はい」

クロエの顔が商人のものへ変わった。

「作る人間が足りません」

やはり。

「注文に生産が追いついていない?」

「まったく。今の人数じゃ、せっかくの注文を逃します」

「孤児院の子供たちを働かせるのは論外よ」

「分かっています。あそこはまず教育です」

クロエが即答した。

「となると、縫製経験のある女性を集めるしかない」

「募集しましょう」

「賃金は?」

「相場より少し高く」

「利益率が落ちますよ」

「最初はそれでいいわ」

私は注文票の山を見る。

「技術を持った人間が集まれば、生産数を増やせる。生産数が増えれば一着あたりの費用を下げられる。何より――」

「何より?」

「『女が自分で稼いで服を買う』市場を作るのに、作っている女性を安く買い叩いていたら笑い話でしょう?」

一瞬の沈黙。

クロエが吹き出した。

「やっぱり奥様、商人には向いてませんね」

「あら?」

「普通の商人なら、まず人件費を削ります」

「では、あなたは?」

「……今回は奥様に乗ります」

「結構」

私たちは顔を見合わせて笑った。

事業としては、上々の滑り出しだった。

だからこそ――私は忘れていた。

何かを変えれば。

変えられることで困る人間も、必ず現れるということを。

◇

三日後。

王城のサロンで開かれる定例の茶会へ足を踏み入れた瞬間、私は悟った。

――なるほど。

こちらが本番ね。

普段なら華やかな笑い声が満ちているはずの部屋が、異様なほど静かだった。

高位貴族の夫人たちが一斉に私を見る。

笑顔はある。

ただし、目だけが笑っていない。

「クライス公爵夫人。ごきげんよう」

最初に声をかけてきたのは、ベアトリス・ローゼン侯爵夫人だった。

保守的な価値観で知られ、社交界でも大きな影響力を持つ女性だ。

「ごきげんよう、ベアトリス様」

私は何食わぬ顔で席についた。

「今日は随分と静かですこと」

「ええ」

ベアトリスは扇を開く。

「皆様、嘆いていらっしゃるのです」

「何を?」

「王都の風紀を」

来た。

私は紅茶へ口をつける。

「最近、妙な格好をした平民の娘が増えましたでしょう?」

「妙な?」

「貴族令嬢の真似事ですわ」

扇の向こうから、冷たい目が覗く。

「装飾こそ控えめですが、あの洗練された形。平民には不釣り合いです」

別の伯爵夫人が口を挟んだ。

「聞けば、クライス公爵夫人が関わっていらっしゃるとか」

「ええ」

私はカップを置いた。

「私の事業です」

ざわり。

空気が揺れた。

「やはり……」

「公爵夫人ともあろうお方が」

「平民相手の商売など……」

あちこちから囁きが漏れる。

ベアトリスが扇を閉じた。

「なぜ、そのようなことを?」

「利益が出るからですわ」

静まり返った。

「……利益?」

「商売ですもの」

私は微笑む。

「欲しい人がいて、買える価格で商品を提供する。何かおかしなことが?」

「そういう問題ではありません!」

ベアトリスの声が響いた。

「身分には、身分に相応しい装いがあります!」

「なぜ?」

「なぜって……!」

「王国法で定められているのかしら?」

沈黙。

「平民がこの形の襟を着てはいけない。この丈のスカートを穿いてはいけない。そう定めた法律があるのでしたら、ぜひ教えてくださいませ」

誰も答えない。

当然だ。

特定の儀礼服や紋章、身分を示す装飾には規則がある。

だが、私たちが作った服はそのどれにも触れていない。

「法律の話をしているのではありません!」

ベアトリスの頬が紅潮する。

「節度の話です!」

「なるほど」

「平民には平民の装いがある。それを乱せば、身分秩序そのものが揺らぎます」

「たかが一着の服で?」

私は首を傾げた。

「……何ですって?」

「たかが一着の服で揺らぐほど、私たち貴族の立場とは脆いものなのですか?」

ベアトリスの顔が強張った。

「わ、私はそのような意味で――」

「では、何を恐れていらっしゃるの?」

今度こそ。

誰も言葉を発しなかった。

私はゆっくりとサロンを見回す。

宝石。

絹。

レース。

この場にいる女性たちが身につけているものだけで、平民一家が何年暮らせるだろう。

けれど――。

それらを取り上げられたら、私たちは何者なのだろう。

「私は、貴族の価値とは着ている服の値段ではないと思っています」

「……」

「まして、誰かに粗末な服を着せることで証明するものでもありません」

私はベアトリスを見る。

「領地を治めること。民を守ること。国を豊かにすること。その責任を果たすからこそ、私たちは特権を与えられている」

前世を思い出すまでもない。

二十年間、公爵夫人として生きてきた私自身が知っている。

権力には責任が伴う。

それを忘れた瞬間、特権はただの搾取になる。

「平民の女性が美しい服を着たくらいで失われる誇りなら――」

微笑む。

「最初から、大した誇りではありませんわ」

「……っ!」

何人かが息を呑んだ。

ベアトリスの顔は真っ赤だった。

さすがに言い過ぎたかしら。

まあ、いい。

「公爵夫人」

ベアトリスが震える声を絞り出した。

「あなたは……平民と貴族の境界を壊すおつもり?」

私は少し考えた。

「いいえ」

意外だったのだろう。

ベアトリスが瞬きをする。

「私は服を売っているだけですわ」

「な……」

「その結果、誰かが勝手に作った境界が壊れるのでしたら――」

私は紅茶を一口飲む。

「それは、その境界に壊れるだけの理由があったのでしょうね」

今度こそ、完全な沈黙が落ちた。

私は席を立った。

「とても有意義なお茶会でしたわ」

完璧なカーテシーをする。

「それでは皆様、ごきげんよう」

背中へ無数の視線が突き刺さる。

怒り。

侮蔑。

そして――恐怖。

構わない。

私が嫌われるだけなら、安いものだ。

三年後、イザベラを処刑台へ送る未来に比べれば。

◇

「――お母様!」

公爵邸へ戻るなり、聞き慣れた声が飛んできた。

イザベラだった。

「どうしたの?」

「どうしたの、ではありません!」

娘は珍しく顔を紅潮させている。

その手には、一通の封書。

嫌な予感がした。

「今日、ローゼン侯爵夫人からお手紙をいただきました」

私は足を止めた。

「……ベアトリス様から?」

「ええ」

イザベラは封書を握りしめる。

「お母様が、平民に貴族の真似をさせていると」

やはり。

自分ではなく――娘へ来たか。

「イザベラ」

「教えてください、お母様」

娘の青い瞳が揺れている。

怒っている。

けれど、それだけではない。

不安なのだ。

十五年間、正しいと教えられてきた世界を、母親が突然否定し始めたのだから。

「貴族と平民が同じ格好をするようになったら……」

イザベラは唇を噛んだ。

そして、私が最も聞きたくなかった言葉を口にした。

「私たち貴族は、何が特別なのですか?」

胸の奥が冷えた。

ベアトリスの言葉より。

茶会で浴びた敵意より。

その一言の方が、ずっと恐ろしかった。

なぜなら私は知っている。

この問いに間違った答えを与え続けた先に――。

娘が処刑される未来がある。

私はイザベラを見つめた。

どうやら次に変えなければならないのは、社交界でも、商売でもない。

――私の娘自身らしい。

お読みいただきありがとうございました。

もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。