↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/47

敵の商人に切り捨てられた職人でも、私たちの王国の大事な手ですわ

 王妃陛下の茶会で私たちの『天女の羽衣』が公式推奨夏衣に選ばれてから、二週間あまりが過ぎた。

 季節は六月に入り、王立学園が夏期休暇の入り口を迎えた週末、私たち一行を乗せた馬車は王都を離れ、東部へと続く緑豊かな街道を走っていた。

 今回の旅の目的地は、ハルシュタイン伯爵領とヴェルネ子爵領のちょうど境目に位置する、大河のほとりの美しい湖畔の街『ミルズ』である。そこにはハルシュタイン伯爵家が所有する夏の別荘があり、「法案成立と茶会の勝利のお祝いに、ぜひ皆様をご招待したい」という伯爵とマーガレット嬢の温かい申し出を受け、視察を兼ねた三日間の小旅行が実現したのだ。

 同行しているのは、私とアレクシス、イザベラとエドワード殿下、案内役のマーガレット嬢と学友のリリアナ、そして実務の確認を担うクロエと運送屋の親方である。

「まあ……っ、なんて涼しい風なのでしょう! お水があんなに透き通っておりますわ!」

 昼過ぎ、白樺の林を抜けて視界が一気に開けると、馬車の窓から湖面を見下ろしたイザベラが弾むような声を上げた。

 エメラルドグリーンに輝く広い湖と、そこから大河へと流れ出す水路。岸辺には白い石造りの別荘が佇み、少し離れた下流の川港には、東部三都市と王都を行き来する何十隻もの帆掛け川舟が係留されているのが見えた。

 別荘に到着し、旅装を解いた後の昼下がり。

 若い四人はさっそく湖畔の遊歩道へと散策に出かけ、私とアレクシスは、彼らを見下ろせる二階の広い石造りのバルコニーで、ハルシュタイン伯爵が用意してくれた冷たい白ワインのグラスを傾けていた。

「……こうして王都を離れて風にあたると、ここ数ヶ月の忙しさが嘘のようだな」

 白いシャツの襟元を少し緩めたアレクシスが、手すりに肘をつきながら穏やかに目を細めた。普段の隙のない公爵の顔ではなく、愛する妻と娘の前でだけ見せる、柔らかい夫の横顔だった。

「ええ。議会に園遊会、それに山間部の寄合い所と、ずっと走り続けてきましたもの。でも、見て、あなた。あの子たち、本当に楽しそうだわ」

 バルコニーの眼下、白い桟橋の上では、マーガレットとリリアナが水鳥にパンくずをやって笑い声を上げており、そこから少し離れた木陰のベンチ近くでは、エドワード殿下とイザベラが二人きりで並んで湖面を見つめていた。

 湖を渡る風にイザベラのプラチナブロンドの髪がふわりと揺れると、エドワード殿下が自分の指先で、イザベラの頬にかかった髪をそっと耳の後ろへかけてやるのが見えた。

 イザベラが驚いたように顔を上げ、耳まで真っ赤に染めながらも、逃げずにエドワード殿下の袖口をちょんとつまんで微笑み返す。エドワード殿下は、周囲に誰もいないのを確かめるように一歩近づくと、懐から小さな箱を取り出し、青いガラス細工の髪留めをイザベラの手のひらに乗せた。

『……王都を出る前、先日二人で歩いた商業地区の職人に頼んで作らせておいたんだ。君の瞳と、あの日の空の色に似ていると思ってな』

『まあ、エドワード様……! 一生の宝物にいたしますわ!』

 風に乗ってかすかに届いた二人のやり取りと、エドワード殿下がそのまま自分の手でイザベラの髪に青い髪留めを挿してやる睦まじい姿に、私は思わず胸の前で両手を合わせた。

「……すっかり恋人同士ね。お父様としては、今すぐあの桟橋へ飛んでいきたいところかしら?」

 私が茶化すように隣を見ると、アレクシスはグラスを口に運びながら、意外にも静かに苦笑した。

「いや。エドワード殿下がこの半年でどれほど誠実にイザベラと向き合い、自分の足で歩いてきたかは、私が一番よく見ている。あの男なら、私たちの娘を任せても不足はないさ」

 そう言ってから、アレクシスはグラスをテーブルへ置き、私の背後からすっと腕を回して、私の背中を自分の胸元へと引き寄せた。

「きゃっ……あ、あなた? まだ日が高いわ、下から見えてしまうわよ」

「木陰になっているから見えはしない。それに、若い二人にばかりいい格好をさせておくのは業腹だからな」

 アレクシスの少し低い声が、私の耳朶をくすぐるように落ちた。

「ヴェルネ領から君が戻ってからというもの、王妃陛下の茶会の準備やら老舗との交渉やらで、屋敷でもゆっくり二人で過ごす時間がなかっただろう。……この三日間は、議会の書類も商会の帳簿も持ち込み禁止だ。今夜は、君を寝かせるつもりはないからな」

「っ、もう……あなたったら……」

 首筋に落とされた熱い吐息と、腰を包む確かな腕の力に、私の顔はイザベラ以上に真っ赤に染まった。結婚して二十年が経つというのに、今の彼から向けられる剥き出しの愛情には、どうしても心臓が追いつかない。

 私が恥ずかしさを紛らわせるように夫の胸に手を添えて湖の下流へ視線を逃がした、そのときだった。

「……あら? ねえ、あなた。あちらの川港の方、なんだか様子がおかしくなくて?」

 別荘から半里ほど離れた下流の川港で、何十隻もの川舟が帆を下ろしたまま一隻も動いておらず、桟橋の周りに大勢の男たちや荷馬車が集まって、怒号のような声を上げているのが見えたのである。

 私たちが気になった様子でバルコニーから見ていると、ちょうど街の様子を見て戻ってきたクロエと運送屋の親方が、険しい顔で庭園へ駆け込んできた。

「奥様、旦那様! 下流の川港で、大変な騒ぎが起きております!」

 三十分後、私とアレクシス、そして散策から戻ったエドワード殿下とイザベラたちは、別荘の応接室でクロエと親方からの報告を受けていた。さらに親方が港から連れてきた、二人の人物が部屋の下座で肩を震わせて座っていた。

 一人は、日焼けした顔に深い皺を刻んだ川舟組合の船頭頭(せんどうがしら)。もう一人は、東部三都市の平地で厚手の本絹を織っている織り元組合の代表の男だった。二人とも、つい先日まではローゼン侯爵系の筆頭問屋『ガルシア商会』の下で働いていたはずの人々である。

「――お休みのところ、このような身なりで押しかけまして申し訳ございません、クライス公爵閣下、奥様……」

 織り元組合の代表が、額を床に擦りつけんばかりに頭を下げた。

「実は昨日、ガルシア商会の本店が、私たち平地の織り元に対する春絹の買い取り残金の支払いを突然停止し、川港の倉庫をすべて閉鎖してしまいました!」

「支払いを停止したですって?」

 私は目を見張った。クロエがすぐに手元のメモを見ながら補足する。

「先月の王妃陛下の茶会で、奥様たちの『薄絹の夏衣』が王室公式推奨に選ばれ、御用達のオルバン商会までがガルシア商会と手を切ったことが決定打になったようです。ガルシア商会が私たちを潰すために東部の織り元から無理やり買い占めた大量の厚手の春絹は、季節外れでどこにも売れず、莫大な不良在庫となりました。しかもガルシア商会は、織り元たちから布を巻き上げる際、手付金として三割だけ払い、残りの七割は『王都の貴族へ売れてから払う』という手形で済ませていたのです」

「なんだと……? 無理やり独占で買い占めておきながら、売れなくなったからといって職人への代金を踏み倒したのか」

 エドワード殿下が憤りに眉をひそめた。

 隣に座る船頭頭も、太い拳を膝の上で握りしめて呻くように言った。

「私ら川舟の船頭も同じでございます! ガルシア商会が倉庫を閉めて荷を止めたせいで、三十隻以上の川舟が港で立ち往生し、今日の船賃も出なくなりました。……もちろん、これまでガルシア商会の言いなりになって、クロエ商会様の荷を締め出していた私らがどの面下げて、とは重々承知しております。ですが、このままでは平地の織り元も船頭も、何百人という家族が来月を待たずに路頭に迷ってしまうのです……!」

 応接室に、重い沈黙が落ちた。

 運送屋の親方が腕を組み、「まったく、ガルシアの連中め、自分の蒔いた種を現場の職人に押しつけて逃げやがって」と吐き捨てたが、その目は同じ職人として目の前の二人を案じていた。

 イザベラが、痛ましそうに二人を見つめ、それから私を振り返った。

「お母様……。この方々は、つい先月まではガルシア商会の側について、わたくしたちの仕入れを止めていた方々かもしれません。けれど、織られた絹にも、舟を漕ぐ方々の手にも、何の罪もないのではございませんか?」

 私は娘のまっすぐな青い瞳を見つめ、ゆっくりと頷いた。

「ええ、イザベラのおっしゃる通りよ。敵の商人に利用されて切り捨てられたからといって、『自業自得だ』と見捨ててしまえば、私たちはローゼン侯爵たちと同じになってしまうわ。平地で本絹を織る職人さんも、大河で舟を操る船頭さんも、みんなこの王国を支える大切な手ですもの」

「お、奥様……!」

 織り元と船頭頭が、信じられないような顔で私を見上げた。

 だが、同情だけで何百人もの生活を支えることはできない。私は頭の中で、すぐさま経営者としてのソロバンを弾いた。

「問題は二つね。一つは、ガルシア商会の倉庫で眠っている大量の『厚手の春絹』をどう活かして、織り元さんたちへの未払い代金を作るか。もう一つは、私たちの陸路の荷馬車と、この大河の川舟の仕事をどう両立させるか、よ」

 そのとき、イザベラの隣に座っていたリリアナが、控えめに手を挙げた。

「あの……公爵夫人。私のような者が口を挟んで申し訳ないのですが、その平地の厚手の絹は、とても丈夫で熱を逃がさない生地なのですよね?」

「ええ。冬の夜会服や、冷え込む季節の室内着にはこれ以上ない一級品よ。ただ、今は初夏だから、誰も夏のドレスには欲しがらないの」

「でしたら……今すぐ夏服にするのではなく、王都の老舗のオルバン商会様と組んで、『今年の秋冬の王室・貴族向けのコートや冬ドレス、それに高級な寝具や室内着』として、今から染め直しと仕立てを始めることはできないでしょうか? 冬の衣装は生地が厚くて手縫いに何か月もかかりますから、本当に良いものを仕立てるお店は、夏のうちから生地を押さえて縫い始めると聞いたことがあります!」

 リリアナの言葉に、私とクロエは同時にハッとして顔を見合わせた。

「……そうよ、リリアナさん! なんて素晴らしい着眼点なの!」

 私は思わず立ち上がった。

「私たちが扱うヴェルネ領の『薄絹』は春夏には最高だけれど、これから半年後の冬場には、逆に寒すぎてドレスの表地には使えないわ。もし今、ガルシア商会が手放したがっている平地の『一級本絹』を、オルバン商会と私たちの共同出資で適正な値で引き取り、エマたちやオルバン商会の職人が夏の間から秋冬物の仕立てに入れば……私たちは一年を通して、春夏も秋冬も王都の市場を完全に満たすことができるわ!」

「なるほど!」とクロエの目が輝いた。

「オルバン商会の老当主様も、先日『ガルシア商会が抜けた後の冬の最上級絹をどう確保するか』と頭を悩ませておられました! 私たちが間に入って織り元さんへの未払い分を精算する形で倉庫の絹を引き取れば、オルバン商会も織り元さんも、そして冬物の仕事が増える私たちの工房も、三方すべてが救われます!」

 織り元組合の代表が、「あ、ありがとうございます……! これで村の織り機を止めずに済みます!」と涙を流して手を合わせた。

 私は続けて、船頭頭へと向き直った。

「そして船頭頭さん。あなた方の川舟にも、これから大切な役割をお願いしたいの」

「私どもの川舟に、でございますか? 奥様のところには、王都の親方衆の荷馬車がおありでしょうに……」

「ええ。けれど、すべての荷物を陸路の荷馬車だけで運ぶのは効率が悪いのよ」

 私はテーブルの上に広げた東部の地図を指し示した。

「ヴェルネ領の軽い薄絹やハルシュタイン領のレース、そして急ぎの仕立て服や『相談書簡の鉄箱』は、小回りが利いて速い親方たちの陸路の荷馬車が運ぶわ。けれど、今お話しした平地の重たい厚手の本絹や、大量の染料、さらにはこれから取引が増える東部の農産物や羊毛といった重くてかさばる荷物は、一度に何十トンも運べるあなた方の『川舟』で王都近くの水門まで運び、そこから親方たちの荷馬車へ積み替えるのが一番安くて確実なのよ」

 運送屋の親方が、待ってましたとばかりに船頭頭の肩をバンと叩いた。

「そういうこった、船頭頭! 川と陸で喧嘩するんじゃねえ、重い荷はあんたたちの舟が川で運び、水門から王都の店々へは俺たちの馬車が配る。そうすりゃ馬も潰れねえし、あんたたちの舟も年中フル稼働だ!」

「親方……っ、奥様……! なんとお礼を申し上げればよいか……!」

 屈強な海の男にも似た船頭頭が、目頭を熱くして深く頭を下げた。

 ローゼン侯爵とガルシア商会が作り上げた「独占と支配の商流」が崩れた跡地に、山間部と平地、川舟と荷馬車が互いの強みを生かして支え合う、新しい東部の大動脈が生まれようとしていた。

 ところがその直後、船頭頭と織り元の代表が、周囲を窺うように声を潜めて懐から一冊の油紙に包まれた帳面を取り出したことで、部屋の空気は一変した。

「……奥様、そしてクライス公爵閣下。ここまでしていただいたご恩返しに、実はどうしてもお渡ししておきたいものがあるのです」

「これは……?」

 アレクシスが受け取って油紙を開くと、そこにはガルシア商会の焼き印が押された、川舟の『特別積荷控え』と『裏保証の覚書』の写しが綴じられていた。

「それは、昨日ガルシア商会の番頭たちが夜逃げ同然で川港の事務所を引き払った際、焼き捨て損ねて暖炉の奥に残していた裏帳簿の一部です。私どもが気になって拾い上げたのですが……」

 織り元の代表が、震える声で言った。

「なぜガルシア商会が、商売として無謀だと分かっていながら、あそこまで無理をして東部の春絹を全額買い占めたのか。その理由がそこに書いてありました。……ガルシア商会に買い占め資金の半分を裏で融通し、『もしクライス公爵夫人の商会を潰せなければ、東部の塩と鉄の専売権を取り上げる』と命じていたのは、ローゼン侯爵家の筆頭家令だったのです」

 私とアレクシス、そしてエドワード殿下の視線が、一斉にその帳面へと注がれた。

 アレクシスが素早くページをめくり、ある一行でピタリと指を止めた。その青い瞳に、かつてないほど鋭い政治家の光が宿る。

「……エレオノーラ、エドワード殿下。これを見ろ。今回の春絹の買い占めだけではないぞ」

「え……?」

「半年前の日付の欄だ。『王都の服飾工房の職人三十名の退職工作に伴う、関係取引先への補填金および口止め料』として、ローゼン侯爵家の私領の会計からガルシア商会を経由して、王都の荷主たちへ金貨が流れた記録と受領印がそのまま残っている……!」

 私は息を呑んだ。

 第16話で、エマたち三十人の縫い子が家族の職場を盾に圧力をかけられて工房を去ったあの日。クロエの調査でローゼン侯爵の人脈が関わっていることは分かっていながら、侯爵本人の関与を示す証拠だけはどうしても掴めず、私たちは悔し涙を呑んだ。

 それが今――私たちが敵側の職人と船頭たちを見捨てずに救い上げたことで、ついにローゼン侯爵の喉元へ届く『本物の証拠』となって、私たちの手の中へ飛び込んできたのだ。

「……まだこれ一冊では、侯爵が『家令とガルシア商会が勝手にやったことだ』とシラを切る余地が残っている。だが、この裏帳簿の原本を握るガルシア商会の会頭と筆頭家令を押さえれば、今度こそローゼン侯爵本人の違法な営業妨害と不正資金の全貌を白日の下に引きずり出せるぞ」

 アレクシスが静かに帳面を閉じ、立ち上がった。

 美しい湖畔の休日は、思いがけず、長きにわたったローゼン侯爵との因縁に完全な終止符を打つための、最後の戦いの幕開けとなったのだった。


お読みいただきありがとうございました。

もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。