↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
47/47

ローゼン侯爵。証拠がないとおっしゃいましたわね? ええ、半年前にはございませんでしたわ

湖畔の街ミルズから近衛騎士団の厳重な警護のもとで王都へ帰還した翌朝、貴族院の最高審問室には、かつてないほど張り詰めた空気が満ちていた。

 王太子エドワード殿下の緊急奏上を受け、国王陛下の勅命によって招集された『王室・貴族院合同特別査問会』である。

 正面の壇上には、国王陛下の名代を務める宰相閣下と法務尚書、そしてエドワード殿下が威厳ある礼装で並んでいる。左右の階段状の議席には、ハルシュタイン伯爵をはじめとする貴族院の主要議員たちが詰めかけ、二階の特別傍聴席には、イザベラやマーガレット、リリアナ、さらに参考人として招かれた商業ギルド長のハインツやクロエ、そして三十人の縫い子たちの代表としてエマが背筋を伸ばして座っていた。

 私は一階の証言席の隣で、夫のアレクシスとともに静かに正面を見据えていた。

 やがて重たい扉が開き、濃紺の礼装に身を包んだローゼン侯爵が、黒檀の杖を突きながら悠然と入場してきた。東部のガルシア商会が破綻し、私たちがミルズから急遽帰還したことは当然彼の耳にも入っているはずだが、その老練な顔には微塵の動揺も浮かんでいなかった。

「――これより、クライス公爵家ならびに王太子殿下より提起された、東部商流における不正資金流用および過去の不当営業妨害に関する特別査問を開始する」

 宰相閣下の重々しい宣言とともに、書記官が昨日ミルズの川港で見つかった『ガルシア商会の燃え残りの裏帳簿』の写しを議場に開示した。

「ローゼン侯爵。この焼け残った帳簿には、半年前にクライス公爵夫人の工房から三十名の縫い子を退職させるため、あなたの私領会計からガルシア商会を経由して関係荷主へ補填金が支払われた記録、および先月の東部春絹の強引な買い占めに資金が融通された記録が残っている。これについて弁明はあるか」

 議場の視線が一斉にローゼン侯爵へと集まった。

 侯爵はゆっくりと立ち上がると、驚くほど落ち着いた、むしろ深い憂いを帯びた声で口を開いた。

「宰相閣下、ならびに諸卿。まずは私の不徳の致すところにより、議会と王都の商業に多大なるお騒がせをいたしましたことを、心よりお詫び申し上げます」

 侯爵は深々と頭を下げた。そのあまりに潔い態度に、保守派や中立派の席から「ほう……」と困惑混じりのざわめきが漏れる。

「実は一昨日、東部のガルシア商会が支払いを停止して逃亡したとの報を受け、私自身も愕然として屋敷の会計を緊急に調べさせたのでございます。……その結果、誠に恥ずべきことに、長年私が信頼して私領の管理を任せていた筆頭家令が、ガルシア商会のガストン会頭と結託し、私の預かり知らぬところで私領の印を勝手に持ち出して不正な融資を行っていた事実が判明いたしました」

 私は机の下で、静かに指先を握りしめた。

 昨夜、湖畔の寝室でアレクシスと予測した一字一句そのままの『トカゲの尻尾切り』だった。

「家令とガストン会頭は、東部の商権を独占して私腹を肥やそうと暴走した挙げ句、クライス公爵夫人の工房にまで卑劣な圧力をかけていたようです。私は直ちに筆頭家令を解任して謹慎させ、逃亡したガストン会頭を捕らえて商業裁判所へ突き出すよう、昨日、配下の者を東部へ遣わしたばかりでございます」

 ローゼン侯爵はそこで顔を上げ、燃え残りの帳簿を冷ややかな目で見やった。

「ご覧の通り、その焼け残った紙片にあるのは家令の署名と私領の会計印のみで、私自身の直筆署名はどこにもございません。もちろん、使用人の監督を怠った道義的責任はすべて私にありますゆえ、商業ギルドへの過料なり謹慎なり、いかなる処分も甘んじて受けましょう。……ですが、私自身が違法な妨害を命じたかのような言いがかりだけは、どうかお控えいただきたい」

 保守派の議席から、「なるほど、使用人と悪徳商人が結託して主君の名を騙ったのか」「侯爵自身の署名がない以上、監督責任までしか問えまい」という安堵の囁きが広がった。

 侯爵は余裕を取り戻したように背筋を伸ばし、私の方を見て静かに微笑んだ。半年前、証拠のない私たちを上から見下ろしていたときとまったく同じ、傲慢な権力者の目だった。

「議長。発言をお許しいただけますか」

 私は立ち上がり、審問室の中央へと歩み出た。

「ローゼン侯爵。半年前にエマたち三十人の縫い子が、家族の職場を盾にした脅迫によって涙ながらに工房を去ったあの日……あなたは私にこうおっしゃいましたわね。『政治と法の世界では、証拠のない疑惑など存在しないも同じだ』と」

「ええ、申しましたな、公爵夫人。法を重んじるあなたなら、今なおその原則がお分かりのはずだ。どれほど疑わしく見えようとも、私が命じたという証拠はどこにもない」

「ええ。半年前には、確かにございませんでしたわ」

 私はローゼン侯爵の目をまっすぐに見つめ返し、凛とした声で続けた。

「そして、もし今日私たちがこの場へ持ってきたものが、川港の暖炉から拾い上げた『燃え残りの切れ端』だけだったなら、あなたのその見事なトカゲの尻尾切りは、今回も綺麗に成功していたことでしょうね」

 侯爵の片眉が、わずかにピクリと動いた。

「……どういう意味ですかな、公爵夫人」

「トカゲが自分の尻尾を切り落として逃げるなら、その尻尾が本当に息絶えたかどうか、最後までご自分の目で確かめるべきでしたわ。――特に、切り落とされた尻尾が『自分の鞄の中に、主人の直筆の命令書を大切にしまっていた』場合は、なおさらですわね」

 私が言葉を切ると同時に、壇上のエドワード殿下が右手を挙げた。

「近衛騎士団。証人と証拠物件をこれへ!」

 重たい審問室の扉が、外側から大きく開け放たれた。

 カツ、カツ、と規則正しい騎士たちの軍靴の音に挟まれて姿を現したのは、分厚い革鞄を胸に抱えたガルシア商会のガストン会頭と、その後ろで縄を打たれたローゼン侯爵家の家令補佐の男だった。

「なっ……!? ガストン……!? なぜ貴様がそこに……っ!」

 その瞬間、これまでどんな窮地でも決して声を荒らげなかったローゼン侯爵が、椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。杖を握る老いた手が激しく震え、その顔から一気に血の気が引いていく。

 昨日、旧水門の小屋で配下の男たちが革鞄を奪い取り、すでに商業裁判所の捕吏へ引き渡して口を封じたとばかり思い込んでいた男が、無傷の革鞄を抱えて王太子の証人として歩いてきたのだ。

「ローゼン侯爵様……! よくも、よくも長年お仕えした私を、こんな紙切れ一枚で使い捨てようとなさいましたね!」

 証言台に立ったガストン会頭は、震える手で懐から一枚の羊皮紙を取り出し、宰相閣下の前へ突き出した。

「こちらは昨日の朝、ミルズの旧水門の小屋において、そこにいる侯爵家の家令補佐が私に無理やり署名させようとした『偽の自白書』でございます! 侯爵様が先ほどおっしゃった『家令と私が独断で侯爵様の名を騙った』という筋書きが、最初から一字一句違わずに書かれております!」

 議場全体が、蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。

「偽の自白書だと!?」「では、今の侯爵の弁明は、最初から口裏を合わせた作り話だったのか!」

 ガストン会頭は、涙と汗にまみれた顔で革鞄の留め金を外し、中に収められていた書類の束をすべて机の上に広げた。

「私は馬鹿ではございません! 侯爵様のようなお方が、いざというときに商人にすべてを押しつけて切り捨てるおつもりなのは分かっておりました! ですから、これまで侯爵様から直接賜った秘密命令書と、裏金の出納を記録した本帳簿は、焼き捨てずにすべてこの鞄に保管していたのです!」

 私の隣でアレクシスが立ち上がり、法務尚書の手を経て開示されたその書類を、冷徹な声で読み上げた。

「読み上げるぞ、ローゼン侯爵。――『クライス公爵夫人の工房より縫い子を引き剥がすため、関係荷主二十七軒へ圧力をかけよ』『王妃主催の茶会までにクロエ商会の布供給を完全に断つため、東部の春絹を全量買い占めよ』。全六通、すべて筆頭家令の代筆ではなく、あなた自身の直筆の筆跡であり、ローゼン侯爵当主の実印が押されている。法務局の筆跡鑑定官も、すでに本物であると確認済みだ」

「ぐ……っ、うう……っ」

 ローゼン侯爵の喉から、呻くような音が漏れた。

 しかし、アレクシスはそこで手を止めなかった。彼は本帳簿の最後のページを開き、審問室の全員へ決定的な一撃を突きつけた。

「さらに重大なのは、この一連の違法な圧力工作と買い占めに使われた金貨の出所だ。ローゼン侯爵、あなたは自分が監督役を務める『東部街道の王室関税還付金』――本来なら街道の補修と宿場町の維持のために国庫から交付されるべき公金を、架空の工事名目で私領会計へ還流させ、そのままガルシア商会への裏金に流用していたな!」

「「王室関税の横領だと……!?」」

 その瞬間、保守派の議席に座っていた議員たちが、まるで疫病にでも触れたかのようにローゼン侯爵の周囲から一斉に身を引いた。

 商売上の強引な駆け引きや派閥争いなら、まだ政治の力で庇いようがあったかもしれない。しかし、王家の国庫から出る関税還付金を横領して私的な営業妨害に使い、さらには王妃陛下が推奨される事業を潰そうとしていたとなれば、それは王家に対する明白な背任・反逆行為である。ここで侯爵を擁護すれば、自分たちまで同罪として爵位を失いかねない。

「ソフィアの父である伯爵も、他の保守派の重鎮たちも、真っ青な顔で視線を逸らしているわ」

 私の呟きは、静まり返った議場に吸い込まれた。

 壇上のエドワード殿下が立ち上がり、氷のように澄んだ、しかし次代の王としての絶対的な威厳を帯びた声でローゼン侯爵を見下ろした。

「ローゼン侯爵。私の婚約者であるイザベラとクライス公爵夫人が、この半年、王国の働く人々と地方の産業を守るためにどれほど誠実に汗を流してきたか、私はすぐ隣で見てきた。それに対し、あなたは古い既得権益を守るためだけに国庫の金を盗み、罪のない三十人の女性たちの職場を脅し、最後には手足として使った商人さえも偽の自白書で葬ろうとした。……これでもまだ、あなたの知らないところで起きたことだとおっしゃいますか!」

 審問室のすべての光と視線が、ただ一人、議席の真ん中で立ち尽くす老侯爵を射抜いていた。

 一秒、二秒、三秒。

 ローゼン侯爵は、白くなった指先で黒檀の杖を握りしめたまま、ゆっくりと周囲を見渡した。かつて自分の言葉一つで動いていた議場は、今や完全に彼を見放している。二階の傍聴席からは、かつて彼が虫けらのように切り捨てた縫い子のエマや商人たちが、まっすぐな目で彼を見つめていた。

 やがて侯爵は、ふっと全身から力を抜き、深く椅子へと沈み込んだ。

 彼は取り乱して喚き散らすことはしなかった。ただ、すべてを悟った老いた政治家の乾いた声で、静かに天井を仰いだ。

「……見事な詰めですな、王太子殿下、クライス公爵。そして……エレオノーラ夫人」

 侯爵は目を閉じ、苦笑とも溜息ともつかない息を吐き出した。

「たかが婦人服の商い、たかが三十人の縫い子の退職と侮った私の目が、最初から曇っていたのでしょう。……もはや、弁明の言葉もございません。いかような処分も、このローゼンがすべてお受けいたします」

 長年、王国の保守派の頂点に君臨し、私たちの前に巨大な壁として立ちはだかり続けた宿敵が、ついに完全に膝を屈した瞬間だった。

「――これより、国王陛下の名において裁定を下す!」

 宰相閣下が立ち上がり、高らかに宣言した。

「ローゼン侯爵には、本日をもって貴族院議員の資格および東部街道監督官を含む一切の公職の剥奪を命じる! 不正に流用された王室関税についてはローゼン侯爵家の資産より二倍の額を国庫へ返納させ、不当な圧力工作に用いられた資金およびガルシア商会の没収資産については、被害を受けた東部の織り元・船頭、ならびに半年前に不当な退職を強いられた三十名の職人たちへの正式な賠償金へと充てるものとする! なお、ローゼン侯爵夫妻には、審問終了後ただちに王都の屋敷を引き払い、北方の私領にて無期限の謹慎を命じる!」

 カーン、と木槌の音が審問室に響き渡った。

 事実上の、政界および社交界からの永久追放だった。

 二階の傍聴席を見上げると、エマが両手で顔を覆って肩を震わせて泣いており、その背中をクロエとイザベラが優しく撫でているのが見えた。

*

 特別査問会が閉会し、私とアレクシスが貴族院の正面階段を降りてくると、初夏の眩しい青空の下で、イザベラとエドワード殿下、そしてエマやハインツたちが私たちを待っていた。

「お母様、お父様……!」

 駆け寄ってきたイザベラの瞳は、誇らしさと安堵できらきらと輝いていた。

 その後ろから、目元を赤くしたエマが一歩進み出て、私とアレクシス、そしてイザベラとエドワード殿下の前で深々と頭を下げた。

「奥様、旦那様、お嬢様、殿下……。半年前のあの日、私たちが家族を守るために悔し涙を呑んで工房を出ていったとき、まさかこんなふうに、王国の議場が私たちのために怒り、悪事を働いた偉い貴族様に賠償と謝罪を命じてくださる日が来るなんて、夢にも思いませんでした……」

 エマは顔を上げ、涙の粒を光らせながら微笑んだ。

「さきほど、まだ工房へ戻れていなかった残りの仲間たちからも伝言が届きました。『相手の荷主様たちが正式に謝罪してくださり、来月からは三十人全員が、何の心配もなく奥様の工房や在宅のお仕事へ戻れることになった』と……! 本当に、本当にありがとうございました!」

「エマ……よかった。本当に、よかったわね……!」

 私はエマの両手を握りしめ、込み上げる涙を堪えることができなかった。

 第16話で三十人の縫い子たちの背中を見送り、「必ずまた働ける日を作る」と心に誓った約束が、半年という歳月を経て、今日ここに一点の曇りもなく果たされたのだ。

 少し離れた石畳の上では、エドワード殿下がイザベラの手を取り、晴れやかな笑顔で語りかけていた。

「終わったな、イザベラ。これで、君やクライス公爵家を不当に脅かす影は、王都からも東部からも一掃された」

「はい、エドワード様。……でも、わたくしにとっては、終わりではなくて新しい始まりでございますわ」

 イザベラは初夏の風にプラチナブロンドの髪を揺らし、王立学園の白い尖塔を見上げた。

「法律ができて、東部の織り元さんや船頭さんたちとも手が繋がって、これからもっとたくさんの女性が自分の生き方を選べるようになりますもの。わたくし、殿下の隣に立つ者として、もっともっと勉強して、この新しい王国に相応しい自分になりたいと思っておりますの」

「ああ。これからの二年半、学園でも、そしてその先の人生でも、ずっと一緒に歩んでいこう、イザベラ」

 眩しいほどに笑い合う若い二人を見つめながら、アレクシスが私の隣に並び、そっと私の手を握った。

「……やり遂げたな、エレオノーラ。君が最初に服飾事業を始めると言ったときには、まさか半年で王国の法律を変え、東部の商流を塗り替え、ローゼン侯爵まで退場させてしまうとは想像もしなかったぞ」

「ふふ、私だって、こんなにたくさんの頼もしい仲間ができるとは思っていなかったわ。全部、あなたとイザベラが私の隣にいてくれたおかげよ」

 私は夫の青い瞳を見上げ、心からの笑顔を返した。

 前世の記憶を取り戻したとき、私の目的はただ一つ、「三年後に悪役令嬢として断罪される娘を破滅から救うこと」だった。

 けれど今、ローゼン侯爵という最大の政治的脅威は去り、学園での嫌がらせの芽も摘まれ、イザベラはリリアナやマーガレットというかけがえのない友人と、エドワード殿下という生涯の伴侶の愛を手に入れた。そして何より、娘自身が他人の痛みに寄り添い、自分の足で幸せを選び取れる女性へと成長してくれた。

 貴族院の白い階段を吹き抜ける初夏の風が、私たちのドレスの裾を優しく揺らしていく。

 悪役令嬢の母による王国改革は、最大の試練を乗り越え、光り輝く未来へと向かって大きく花開いていた。

お読みいただきありがとうございました。

もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。