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悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


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法律で縛れない商取引なら、もっと魅力的な「商いの道」で奪い取るまでですわ

 クロエ商会の視察から一夜明けた日曜日の午前、公爵邸の執務室には、東部の地図と何種類もの布の見本帳が広げられていた。

 机を囲んでいるのは、私とアレクシス、クロエと商業ギルド長のハインツ、そして王立学園の高等専攻科の休講日を利用して駆けつけてくれたエドワード殿下とイザベラである。前世の記憶を取り戻した秋の日から半年あまりが過ぎ、イザベラが卒業を迎える三年後の春までは、まだ二年半の歳月が残されている。けれど、私たちの服飾事業は今、これまでで最大の正念場を迎えていた。

「――昨日から今朝にかけて調べ直した、東部三都市の正確な状況を報告いたします」

 ハインツが地図の上の河川と街道を指し示しながら、重々しい口調で切り出した。

「先日の春の園遊会と王立劇場の舞台では、ハルシュタイン伯爵家の蔵に大切に保管されていた百年前の『古典薔薇レース』の保存反物を特別に使わせていただき、ベアトリス夫人の『模造品ではないか』という嫌味を王妃陛下の御前で完全に跳ね返すことができました。現在、ハルシュタイン領の村々では、新たにいただいた貴婦人方からのご注文に向けて、職人たちが手作業で次のレースを編み始めております」

「ええ。レースの供給は順調なのよね。問題は、ドレスの本体となる布地の方だわ」

 私が頷くと、クロエが悔しそうに唇を噛んで帳簿を開いた。

「はい、奥様。なぜ来月半ばの分まで急に布が足りなくなったのか、そのからくりが判明しました。東部三都市の市場を牛耳る筆頭問屋『ガルシア商会』――ローゼン侯爵家と長年深い繋がりを持つ大商会が、先週、東部の小規模な織り元たちが春に向けて織り上げていた完成済みの絹布と綿布を、資金力に物を言わせて市場から一斉に買い占めたのです」

「完成した布を、丸ごと買い占めたですって?」

「それだけではありません。ガルシア商会は、春の初めに織り元へ生糸や染料を貸し付ける『前貸し契約』を結んでおります。その契約にある優先買取権を盾にして、『今織り上がっている布をすべてうちに渡せ。もし一反でも王都のクロエ商会へ横流しすれば、来期からの生糸と染料は一切卸さないし、冬の間のつなぎ資金も貸さない』と通告して回ったのです」

 執務室に、重苦しい沈黙が落ちた。

 前話で懸念した通り、これは先日私たちが成立させた『不当な就労妨害の規制法』では取り締まることができない。誰かを脅して退職させたわけではなく、問屋が契約に基づいて商品を買い占め、取引条件を突きつけただけの「合法的な商取引」だからだ。

「……でも、お母様。もしわたくしたちが、ガルシア商会よりも高い適正な価格で、しかも前払いで買い取ると織り元の方々にお約束したらどうでしょうか?」

 イザベラが真剣な瞳で問いかけた。

 少し前までの彼女なら思いつきもしなかった商取引の提案だったが、ハインツは申し訳なさそうに首を横に振った。

「お嬢様のお考えはもっともなのですが、現地の小さな織り元にとっては、目先の代金だけでは動けない事情がございます。彼らがガルシア商会に逆らえない最大の理由は、生糸だけでなく、東部から王都へ荷を運ぶ『大河の川舟の積み荷枠』をガルシア商会に完全に握られているからなのです」

「川舟の積み荷枠、ですか?」

 エドワード殿下が地図の上の青い川筋に目を落とした。

「ええ。東部の三都市から王都へ大量の反物を運ぶには、これまで川舟を使うのが常識でした。もし織り元が今回の春物だけをクロエ商会へ高く売ってガルシア商会を怒らせれば、夏以降の川舟の枠から締め出され、秋には生糸も手に入らず、村ごと立ち行かなくなってしまいます。一回きりの好条件では、彼らも怖くて首を縦には振れないのです」

 なるほど、と私は息を吐いた。

 ローゼン侯爵とガルシア商会は、法律の網の目をくぐり抜けたうえで、現地の織り元たちが絶対に逆らえない「物流と来期の原料」という首根っこを完璧に押さえているのだ。

 正面から一級品の絹布を奪い合おうとすれば、資金力でも地元の支配力でもあちらに分がある。

「……クロエ。ガルシア商会が買い占めたという布以外に、東部の織り元さんの手元に残っている布は、本当に一反もないのかしら?」

「それが……まったくないわけではございません」

 クロエは足元に置いていた風呂敷包みを解き、一反の白い布を取り出して机の上に広げた。

「こちらは、東部の三都市からさらに奥へ入った山間部の村々で織られている布です。山間部は土地が痩せていて、平地のような太く均一な生糸が取れないため、細い生糸と上質な麻糸を交互に織り上げた、ごく薄い生地を作っております。ガルシア商会は、こうした薄手の布を『コシがなくて従来の夜会ドレスには使えない二級品』と見なし、裏地用の端値でしか引き取らずに放置しているのです」

 クロエの言葉を聞きながら、私はその白い布に指先を滑らせた。

 太陽の光にかざすと、向こう側の指の影がほんのりと透けるほど薄く、それでいて麻の張りがあるため、肌に張りつかずにさらりとした涼やかな手触りがある。

 その瞬間、私の脳裏に、前世の日本で夏場に愛用されていたオーガンジーやローン生地の記憶が鮮やかに蘇った。

「……クロエ。これを『二級品』だなんて、ガルシア商会の目は節穴ね」

「えっ……? 奥様?」

 私は布を持ったまま立ち上がり、窓から差し込む陽光のなかにその布をふわりと広げて見せた。

「考えてもみて。これまでの貴族のドレスは、鯨骨のコルセットの上に重たい錦織や厚手の絹を何枚も重ねて、像のように固めて見せるものだったわ。だからガルシア商会は、太い糸で織った分厚い布ばかりを一級品と呼んでいるのよ。けれど、これから迎える初夏の茶会や夜会で、私たちがご令嬢や奥様方に提案したいのはどんな服かしら?」

 イザベラがハッとして目を輝かせた。

「軽やかで、風を通し、それでいてハルシュタイン領の繊細な白レースが一番美しく映えるドレス……! お母様、この透けるように軽い布を二枚重ねにして仕立てたら、これまでの重苦しい夏服とは比べものにならないほど優美で涼やかなドレスになりますわ!」

「その通りよ、イザベラ! しかも、丁寧に湯通しをして風合いを整えれば、真珠のような上品な光沢が出るわ。ガルシア商会が『使い道のない二級品』として山間部の倉庫に眠らせているこの薄絹こそ、私たちの初夏の新作にとって最高の『特級品』になるのよ」

 部屋の空気が、一気に熱を帯びて変わった。

 エドワード殿下とアレクシスも、光に透ける美しい布地を見て感嘆の声を漏らす。

「だが、エレオノーラ。現地の山間部の織り元たちが、ガルシア商会の報復を恐れている点はどう解決する? 二級品とはいえ、無断で私たちの商会へ卸したと知られれば、川舟の枠や冬の資金で嫌がらせを受けるかもしれないぞ」

 アレクシスの的確な指摘に、私は待っていましたとばかりに微笑み、地図の上の赤い陸路――先日、委員会でも提示した街道ルートを指し示した。

「ええ。だからこそ、三つの手を同時に打つのよ。まず一つ目、輸送にはガルシア商会が握る川舟は一切使いません。私たちには、先日の試験運用で絆を結んだ『王都の運送業者の親方たちの定期荷馬車』があるわ。そもそもこの薄絹は従来の厚地の布の半分以下の重さしかないから、陸路の荷馬車でも一度に大量の反物を運ぶことができるの」

「おお……! 確かに、あの軽い布なら荷馬車一台でも相当な数を積めますし、川港を通らなければガルシア商会に荷を止められることもありませんな!」

 ハインツが膝を打った。

「そして二つ目。山間部の織り元さんたちが『一回きりの取引で捨てられるのではないか』と不安にならないよう、今回の春夏の買い取りだけでなく、秋冬にはその細い糸を束ねた『肌着や襟巻き用の柔らかい撚り糸』として買い取る、三年間の継続契約を結びます。さらに三つ目――ここはあなたとエドワード殿下のお力を借りたいのだけれど」

 私はアレクシスとエドワード殿下を交互に見つめた。

「この山間部の村々を治めていらっしゃるのは、どなたかしら?」

「東部の北側に位置する、ヴェルネ子爵領だな」

 アレクシスが即座に答えた。

「ヴェルネ子爵は真面目な領主で、先日の貴族院本会議でも、ハルシュタイン伯爵の演説を聞いて私たちの法案に賛成票を投じてくれた穏健派の一人だ」

「やはりそうね! だったら、個別の織り元さんとこっそり取引するのではなく、ハルシュタイン伯爵領のレースと同じように、ヴェルネ子爵に『領地の新しい特産品としての公式契約』を持ちかけるのよ。一介の問屋にすぎないガルシア商会も、領主様が公式に後ろ盾となって王妃陛下の茶会へ納める特産品事業に、あからさまな妨害を仕掛けることはできないわ」

 エドワード殿下が、納得したように深く頷いた。

「見事な筋書きだ。ガルシア商会が一級品を買い占めて私たちの首を絞めたつもりが、かえって彼らが見捨てていた山間部の薄絹に光を当て、領主と織り元の双方をこちらの味方に変えてしまうわけだな」

「ええ。ただ、この極薄の生地には、一つだけ仕立て上の難点があるの」

 私は布の端を指先でつまんだ。

「糸が細くて目が軽いため、普通の厚手の布と同じように裁断して縫うと、縫い目から糸がほつれたり、縫い代が表に透けて見えたりしてしまうのよ。旧式の仕立て屋がこの布を嫌ったのは、手縫いで綺麗に仕上げるのに高度な技術がいるからでもあるわ」

 その日の午後、私はクロエとともに見本の反物を携え、さっそく工房のエマのもとを訪ねた。

 事情を聞いたエマは、作業机の上でその薄絹をしばらくためつすがめつ眺めていたが、やがて職人の誇りに満ちた笑顔で顔を上げた。

「奥様、これなら大丈夫です! 先日まで私が在宅でやらせていただいていた、古い子供服の補修のやり方がそのまま使えます!」

「補修のやり方が?」

「はい。生地が薄くなった古着を直すとき、普通に縫うと破れてしまうので、布の端を内側に二度折り込んで袋状に縫い包む『折り伏せ縫い』という細かい手仕事を使うのです。少し手間はかかりますが、うちの工房の縫い子たちの丁寧な針目なら、縫い代が透けて見えることも、ほつれることも絶対にありません。むしろ、表からも裏からも縫い目が見えない、羽衣みたいなドレスに仕上がりますよ!」

 私は思わずエマの両手を握りしめた。

 苦しい時期にエマたちが積み重ねた「古着を丁寧に直す技術」が、ここで誰にも真似できない最高級のドレスを仕立てる武器に変わったのだ。これなら、たとえ後からガルシア商会や旧式の仕立て屋が同じ薄絹に手を出そうとしても、私たちの工房と同じ品質のドレスを作ることはできない。

 ところが、エマたちが試作の一着に取り掛かろうとしたその夕刻、商業ギルドのハインツから急報が飛び込んできた。

「奥様、大変です! 私たちが山間部の薄絹を調べている動きを察知したのか、ガルシア商会の番頭が今日、ヴェルネ子爵領の村々へ乗り込みました! 『今後五年間、村で織るすべての布を二級品価格でガルシア商会に独占納入せよ。さもなくば今すぐ前貸し金を全額返済しろ』と、三日後の寄合いまでに判を押すよう迫っているそうです!」

 どこまでも抜け目のない相手だった。私たちがそちらへ逃げる道すら、先回りして塞ごうというのだ。

「三日後ね……。いいわ、エマ。明日の夜までに、この薄絹とハルシュタインのレースを組み合わせた最高の一着を縫い上げられるかしら?」

「はい、奥様! 復帰した仲間たちと手分けして、必ず仕上げてみせます!」

 私は凛と背筋を伸ばした。

「クロエ、運送屋の親方に一番足の速い荷馬車を用意してもらって。三日後の寄合いには、手紙ではなく、私たちがそのドレスを持って直接乗り込みますわ!」


お読みいただきありがとうございました。

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次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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