貴族のお遊びでしょう?
翌朝。
私はアレクシスの忠告通り、午前中に王都商業ギルドを訪れた。
「ク、クライス公爵夫人……!?」
私の姿を見た受付の青年が、椅子から転げ落ちそうになった。
無理もない。
王都南部の商業区画は、荷馬車がひっきりなしに行き交い、商人や職人の怒鳴り声が飛び交う場所だ。ドレス姿の公爵夫人が護衛二人だけを連れて歩いていれば、珍獣でも現れたような目で見られる。
けれど、嫌いではない。
香水と腹の探り合いばかりの貴族街より、金と商品が動いているこの場所の方が、よほど前世を思い出す。
「ギルド長のハインツ様にお会いしたいのだけれど」
「た、ただいま確認して参ります!」
青年は飛ぶように奥へ消えていった。
十分後。
私は商業ギルド長ハインツと向かい合っていた。
恰幅のいい五十代の男で、額には先ほどから汗が浮かんでいる。
「いやはや、クライス公爵夫人自らお越しになるとは……。先にお知らせいただければ、こちらから伺いましたものを」
「それでは意味がありませんの」
「は……?」
「今日は、商人を探しに来ました」
私が用件を説明すると、ハインツの表情が変わった。
南区画への服飾工房設立。
女性職人の雇用。
規格化した既製服の製造。
そして新たな流通網の構築。
最初は愛想笑いを浮かべていたハインツだったが、話が進むにつれ、その顔から笑みが消えていった。
「……なるほど。それなら一人、適任がおります」
「どなた?」
「クロエ商会のクロエという女です。まだ二十六ですが、平民から一代で商会を興した変わり者でしてな。地方都市への販路なら、古参商会にも負けません」
「女性なのね」
「ええ。ただし……」
ハインツが苦笑する。
「貴族が大嫌いです」
私は微笑んだ。
「最高じゃない」
「……はい?」
権力に媚びる人間など要らない。
私が欲しいのは、私が間違えたとき真正面から「違う」と言える人間だ。
こうして私は、その足でクロエ商会へ向かった。
◇
クロエ商会は、想像していたより小さかった。
しかし活気がある。
倉庫では若い男女が荷を運び、帳場では何人もの店員が数字を読み上げている。馬車が次々と裏口へ入り、商品を積んではまた出ていく。
規模ではなく、回転で稼ぐ商会。
(なるほど。面白いわ)
応接室へ通され、しばらくすると扉が勢いよく開いた。
現れたのは、燃えるような赤髪を後ろで一つに束ねた若い女性だった。
二十六歳。
クロエ。
平民の身から商会を興し、男社会の商業ギルドで急速に頭角を現している商人。
彼女は私を見るなり、形だけの礼をした。
「クライス公爵夫人ともあろうお方が、こんなむさ苦しい商会へ何の御用でしょう?」
琥珀色の瞳には、隠す気すらない警戒心が浮かんでいる。
「夜会用のドレスでしたら、西区画の老舗をおすすめしますよ。うちは平民相手の商売ですので」
なるほど。
噂以上だ。
「ドレスを買いに来たのではありませんわ」
「では?」
「あなたを買いに来ました」
クロエの眉が跳ね上がった。
「……私を?」
「正確には、あなたの商才と流通網を」
私は事業計画書をテーブルに置いた。
「私と商売をしませんか、クロエ会長」
クロエはしばらく私を見ていたが、やがて書類を手に取った。
一枚目。
二枚目。
そして――。
三枚目まで行く前に、ぱたんと閉じた。
「お断りします」
早い。
「理由を伺っても?」
「孤児院への支援。平民女性の雇用。ずいぶん立派なことが書いてありますけどね」
クロエは書類をテーブルへ放った。
「貴族のお遊びでしょう?」
護衛の騎士が一歩前へ出る。
「貴様、公爵夫人に向かって――」
「下がりなさい」
「ですが!」
「私は彼女と商談をしています」
騎士を制すると、クロエの目が僅かに細くなった。
「続けて」
「……よろしいので?」
「もちろん」
クロエは私を真っ直ぐ見据えた。
「こういう貴族を何人も見てきました。最初は『貧しい者を救いたい』『働く女性を応援したい』なんて綺麗事を言う。でも半年もしないうちに飽きる」
声から嘲りが消えた。
代わりに、怒りが滲んでいた。
「金が止まる。事業が潰れる。最後に路頭に迷うのは、いつだって平民です」
なるほど。
この女は貴族を嫌っているのではない。
――信用していないのだ。
「私は商人です。公爵夫人の暇潰しに付き合って、従業員の生活を危険に晒すつもりはありません」
「素晴らしいわ」
「……は?」
「あなたに頼んで正解でした」
クロエが怪訝そうな顔をする。
私は扇を閉じた。
「三ページ目を見てちょうだい」
「何です?」
「慈善事業ではない証拠です」
クロエは疑わしそうに書類を開いた。
そして――止まった。
「……原価計算?」
「ええ」
視線が走る。
「予想販売数……人件費……輸送費……損益分岐……」
先ほどまでとは明らかに読む速度が違う。
商人の顔になった。
「私は孤児を可哀想だから助けるのではありません」
クロエが顔を上げる。
「教育を受けた人間は、この国にとって財産になります。読み書きと計算を教え、本人が望めば職業訓練を受けられるようにする。職人になれる者には、相応の賃金を支払う」
「……相応の?」
「安く使い潰すつもりはありません」
私は微笑んだ。
「腕のいい職人に辞められる方が、よほど損でしょう?」
クロエが黙った。
「女性も同じです。働きたい者には仕事を与える。技術を身につけさせ、稼がせる。そして稼いだ者は消費者にもなる」
「……」
「服を買う。食べ物を買う。子供に教育を受けさせる。市場にお金が回れば商人が儲かり、税収も増える」
私は三ページ目を指で叩いた。
「善意だけでは、人は救えません」
クロエの瞳を真っ直ぐ見る。
「だから――儲けながら救うのです」
クロエの目が見開かれた。
「……面白いことを言いますね、公爵夫人」
「褒め言葉として受け取りますわ」
「まだ褒めてません」
「あら、残念」
クロエの口元が僅かに緩んだ。
ようやく一歩だ。
「商品は?」
「服です」
「それは読みました。どんな服を売るんです?」
「貴族の注文服ほど高価ではない。けれど平民が普段着ている服より美しく、品質もいいものを」
「そんな中途半端な服、誰が買うんです?」
「裕福になり始めた商人階級です」
クロエの笑みが消えた。
「現在、服は一人一人に合わせて仕立てるのが普通です。でも、それでは時間も費用もかかる」
私は用意していた別紙を広げた。
「そこで寸法をいくつかに分けます」
「寸法を?」
「ええ。大、中、小――実際にはもう少し細かくしますが、体格ごとに型紙を規格化する。そして裁断、縫製、仕上げを分業する」
クロエが紙を覗き込む。
「……同じ形の服を、何着も作る?」
「そうです」
「注文を受ける前に?」
「そうです」
「売れ残ったら?」
「損失です」
即答すると、クロエが目を丸くした。
「ですから、あなたが必要なの」
私は彼女を指した。
「何が、どこで、どれだけ売れるのか。私は知らない。でも、あなたは知っているでしょう?」
沈黙。
そして。
「……あは」
クロエが小さく笑った。
「あはははは!」
突然、大声で笑い出した。
「なるほど! そういうことですか!」
書類を掴み、数字を食い入るように見る。
「注文を待たずに先に作る。型を決めて大量に作るから、一着当たりの価格を落とせる。しかも狙うのは、貴族じゃなくて商人の女房や娘……!」
完全に商人の目になっていた。
「公爵夫人」
「何かしら?」
「あなた、相当えげつないですね」
「ありがとう」
「褒めてます」
今度は私も笑った。
「それで?」
クロエが身を乗り出す。
「公爵領を通すときの通行税は?」
「公爵家の正式事業として扱います。適法な範囲で輸送費を圧縮します」
「既存の仕立屋ギルドは確実に反発しますよ」
「でしょうね」
「潰されますよ?」
「だからあなたに相談しているの」
「は?」
「商業ギルドの事情は、あなたの方が詳しいでしょう?」
クロエが一瞬固まり――再び笑った。
「あははっ! 全部自分で解決してきたら、共同経営者なんて必要ないってことですか!」
「その通りです」
私は万能ではない。
前世の知識があったところで、この世界の商慣習をすべて知っているわけではない。
だからこそ、専門家を使う。
公爵夫人として二十年間生きてきて学んだことの一つだ。
「……いいですね」
クロエが呟いた。
「気に入りました」
そして彼女は右手を差し出した。
「ただし、まだ共同経営者にはなりません」
「あら」
「私は商人ですから」
琥珀色の瞳が獰猛に輝く。
「数字で証明してもらいます」
「何を?」
クロエは立ち上がり、応接室の窓を開けた。
眼下には商業区画が広がっている。
無数の店。
無数の人々。
そして無数の商品。
「七日」
「……七日?」
「七日以内に、試作品を一着作ってください」
クロエは私へ振り返った。
「それを私が、この商業区で売ります」
面白い。
「売れたら?」
「私の商会の流通網を提供します。王都だけじゃない。東部三都市まで運んでみせる」
「売れなかったら?」
「この話は終わりです」
クロエが笑った。
「公爵夫人。商売の世界じゃ、身分も理想も関係ない」
その指が、私の企画書を叩く。
「売れるか、売れないか。それだけです」
七日。
たった七日で、これまでこの国に存在しなかった既製服を作る。
普通なら無茶だろう。
だが――。
「いいでしょう」
私は立ち上がった。
「その勝負、受けます」
クロエの笑みが深くなる。
「楽しみにしてますよ、公爵夫人」
「ええ」
私も笑い返す。
「後悔させてあげるわ」
こうして。
娘の処刑まで、あと三年。
国を変えると決めた私に与えられた最初の試練は――。
七日間で、一着の服を売ることになった。
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