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悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


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14/25

お母様。私のドレスをほどいてください

「お母様。私のドレスを売ってください」

執務室の扉が開くなり、イザベラはそう言った。

私は手にしていたペンを止めた。

娘の腕には、一着のドレスが抱えられている。

淡い青の絹に銀糸の刺繍。王城の夜会で一度だけ袖を通した、最高級の礼装だ。

その後ろには侍女たちが並び、それぞれ何着ものドレスを抱えていた。

「……イザベラ?」

「全部、私のものです」

娘は少し緊張した顔で、それでも真っ直ぐ私を見た。

「売ってください」

どうやら、昨日の話をどこかで聞いていたらしい。

私は小さく息を吐いた。

「気持ちは嬉しいわ」

「では――」

「でも、駄目」

イザベラの表情が固まった。

「どうしてですか?」

「これはあなたの財産よ」

私は立ち上がった。

「私の事業が苦しいからといって、娘の財産を取り上げて穴埋めするわけにはいかないでしょう?」

「でも、お母様だってご自分の財産を――」

「……聞いていたのね?」

しまった、という顔をした。

分かりやすい。

「申し訳ありません。盗み聞きをするつもりでは……」

「怒っていないわ」

私は苦笑した。

「それに、あなたのお父様にも同じことを言われたところよ。経営者だけがすべてを犠牲にしていいわけではない、と」

「でしたら」

「だからこそ、あなたにも同じことをするつもりはないの」

私は娘が抱えるドレスへ触れた。

柔らかな絹。

細かな銀糸。

職人が何日もかけて縫い上げた刺繍。

「それに、あなたにとってドレスは単なる服ではないでしょう?」

イザベラが黙る。

「公爵令嬢として人前へ立つための鎧だった」

かつての娘なら、それを当然だと答えただろう。

公爵令嬢には公爵令嬢に相応しい装いがある。

平民とは違う。

自分は特別なのだから、と。

「だから、気持ちだけいただくわ」

そう言って背を向けようとした。

「違います」

声がした。

「え?」

「お金にするのではありません」

イザベラはドレスをソファへ置いた。

「服を、服にするのです」

意味が分からず、娘を見る。

イザベラはドレスの裾を大きく広げた。

「このドレスには、こんなに布が使われています」

幾重にも重なるスカート。

長い裾。

装飾のためだけに使われたレース。

背中には大きなリボン。

「ローゼン侯爵たちは、新しい布を買えないようにしたのでしょう?」

「ええ」

「でしたら」

娘の指が、絹の表面を撫でる。

「すでにある布を使えばいいのではありませんか?」

私は息を止めた。

「……イザベラ」

「私の衣装部屋には、ほとんど着ていないドレスが何十着もあります」

一度しか着ていないもの。

流行が変わったもの。

季節が合わなくなったもの。

成長して寸法が合わなくなったもの。

公爵令嬢として「必要だから」と作られ、役目を終えた途端に衣装部屋へ押し込められた服たち。

「全部ほどけば……」

イザベラが私を見る。

「何着分の服になりますか?」

頭の中で計算する。

ドレス一着に使われている布量は、私たちが売っている簡素な服とは比較にならない。

装飾部分を除いても相当量が取れる。

しかも素材は最高級。

「……何着どころではないわ」

思わず呟いた。

ただし問題もある。

裁断済みの布だから、すべてをそのまま再利用できるわけではない。

染色や傷み、縫い跡もある。

だが――使える。

少なくとも、何もしないより遥かに多くの服を作れる。

「でも」

私は娘を見る。

「本当にいいの?」

「はい」

答えは早かった。

早すぎた。

だから、もう一度聞く。

「本当に?」

イザベラの唇が止まった。

「……」

やはり。

私は何も言わずに待った。

やがて娘が、青いドレスへ視線を落とした。

「……少し」

小さな声だった。

「少しだけ、惜しいです」

胸が締めつけられる。

「このドレス……好きでした」

「ええ」

「初めて王城の大夜会に出たとき、お母様が選んでくださったものだから」

覚えている。

十三歳だった。

緊張で朝から何も食べられなくなった娘を宥めながら、一緒に選んだ。

「綺麗だと言っていただけて、嬉しかった」

イザベラが笑った。

少し寂しそうに。

「だから、捨てるのは嫌です」

「なら――」

「でも」

娘が顔を上げる。

「捨てるわけではないのでしょう?」

私は黙った。

「別の服になる」

「……ええ」

「別の誰かが着てくれる」

「そうね」

「その人が、その服を着て嬉しいと思ってくれるかもしれない」

「ええ」

イザベラはもう一度、ドレスを見た。

そして。

「だったら、その方がいいです」

今度の声には迷いがなかった。

「お母様が教えてくださったではありませんか」

「私が?」

「誰かが美しい服を着ても、私の価値が減るわけではないと」

あの日の言葉。

覚えていたのか。

「まだ……全部分かったとは言えません」

イザベラが正直に言った。

「今でも、殿下がリリアナ様と笑っているのを見ると苦しいですし、平民の女性が私と同じものを持つことに、何も感じないと言えば嘘になります」

それでいい。

十五年間かけて覚えた価値観が、数日で全部消える方がおかしい。

「でも」

娘は胸へ手を当てた。

「前よりは、分かるようになりました」

「何が?」

「私が三か国語を話せることも。歴史を学んだことも。礼儀作法を身につけたことも」

少し照れたように笑う。

「全部、ここに残っています」

胸を指した。

「ドレスをほどいても、なくなりません」

――ああ。

危ない。

泣きそうだ。

「だから」

イザベラは青いドレスを私へ差し出した。

「お母様」

「……何?」

「私のドレスを、ほどいてください」

その言葉は。

ただ布をほどいてほしいという意味には聞こえなかった。

十五年間、娘を縛ってきたもの。

公爵令嬢なのだから。

王太子妃になるのだから。

平民とは違うのだから。

完璧でなければならない。

そんな無数の糸を――。

自分の手でほどこうとしている。

私はドレスを受け取った。

「分かったわ」

声が少し震えた。

「預からせてもらいます」

イザベラの顔が明るくなる。

「ありがとうございます!」

「でも、一つだけ」

「はい?」

「これは寄付ではありません」

娘が瞬く。

「事業へ提供する資材として、正式に買い取ります」

「お母様!」

「駄目です」

「でも私は――」

「あなた自身が言ったでしょう? これはあなたの財産だと」

「……」

「娘だからといって、無償で取り上げるつもりはありません」

私は微笑んだ。

「商売ですもの」

数秒。

イザベラも笑った。

「……分かりました」

「交渉成立ね」

そのときだった。

「ちょっと待ってください」

扉のところから声がした。

クロエだ。

いつからいたのだろう。

「聞いていたの?」

「最後の方だけです」

部屋へ入り、ソファのドレスを持ち上げる。

裏返し。

縫い目を見る。

裾を見る。

完全に商人の目だ。

「使えます」

「でしょう?」

「ただし、全部じゃない」

やはり。

「縫い跡が残る部分もありますし、裁断済みです。大きな型は取れない。刺繍の位置も邪魔になる」

「小さなパーツへ使えば?」

「いけます。襟、袖、切り替え、装飾……組み合わせればかなり作れる」

クロエの目が輝き始めた。

「それに」

「何?」

「面白いですよ、これ」

ドレスを広げる。

「王都の女性が憧れていた貴族のドレスを、解体して新しい服にする」

商人の顔になった。

「同じものは二度と作れない」

「……一点物」

私が呟く。

「ええ」

クロエが笑った。

「普通の既製服より、高く売れます」

「駄目よ」

「え?」

「高級品だけにしたら意味がないでしょう」

私はドレスを見る。

「一着のドレスから、できるだけ多くの人が着られる服を作る」

少し考える。

「ただし、端切れも捨てない」

「端切れ?」

「襟飾り。リボン。小物。髪飾り」

クロエが指を折る。

「なるほど」

「全部使うの」

一枚のドレスを、最後の一片まで。

貴族の衣装部屋で眠っていた布を、王都の女性たちの手へ戻す。

「……いける」

クロエが呟いた。

「少なくとも、時間は稼げます」

そう。

解決ではない。

イザベラの衣装だけで、今後ずっと続く生産を支えられるわけではない。

でも。

「四日は越えられる?」

「やってみます」

「違うわ」

クロエを見る。

「越えるのよ」

「……はい」

笑った。

そのとき。

「でも」

イザベラが呟いた。

私たちは娘を見る。

「私のドレスだけでは、足りないのでしょう?」

「ええ」

正直に答えた。

イザベラは考え込んだ。

「だったら」

「何?」

「集めればいいのではありませんか?」

「……どこから?」

イザベラが不思議そうに首を傾げた。

「皆様のお屋敷からです」

私とクロエは同時に固まった。

「私だけではありません」

イザベラが言う。

「貴族の令嬢なら、誰でも同じですわ。毎年新しいドレスを作って、少し流行が変わっただけで着なくなる」

確かに。

「衣装部屋に何十着も眠らせているのは、私だけではありません」

「でも、皆が譲ってくれるかしら」

「分かりません」

イザベラは即答した。

「だから、私がお願いします」

「あなたが?」

「はい」

娘が胸を張る。

「これは、お母様の事業でしょう?」

「ええ」

「でも」

少しだけ笑った。

「最初にドレスを出したのは、私です」

その表情は。

私が知っていた『悪役令嬢』のものではなかった。

ましてや、誰かに守られるだけの少女のものでもない。

「でしたら」

イザベラは言った。

「次は、私の仕事ですわ」

その日の午後。

王都の貴族令嬢たちのもとへ、一通ずつ手紙が届けられた。

差出人は――。

イザベラ・クライス。

そして翌朝。

王都の社交界を、誰も予想しなかった一つの言葉が駆け巡ることになる。

――『ドレスを、ほどきませんか?』

お読みいただきありがとうございました。

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次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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