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悪役令嬢の母ですが、娘が断罪されるまであと三年あるので王国ごと改革します  作者: 虹の箸


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12/25

王都から、布が消えました

南区画の工房には、今日も針を進める音が絶え間なく響いていた。

裁断台では型紙に合わせて次々と布が切り分けられ、その隣では縫い子たちが一斉に針を走らせている。裁断、縫製、仕上げ。それぞれの工程を分けることで、一人の職人が一着を最初から最後まで仕立てるより、はるかに早く服を作れるようになった。

壁には注文票がびっしりと貼られている。

セシリアが最初の一着を着て以来、注文は増え続けていた。

商売は順調。

むしろ、順調すぎるほどだった。

――だからこそ。

「……布が、入ってきません」

工房の奥に設けた小さな執務室で、クロエが一枚の紙を机へ置いた。

納品予定日も。

数量も。

価格も書かれていない。

白紙同然の納品書だった。

「王都の主要な生地問屋三軒すべてから、今後の取引を断られました」

「三軒とも?」

「はい」

私は眉を寄せた。

「支払いに問題はないでしょう?」

「もちろん。すべて期日前に支払っています。今後については前払いでもいいと伝えました。相場より高く買うとも」

「それでも?」

「売れない、と」

クロエが吐き捨てる。

「金の問題じゃありません」

その一言で察した。

「ローゼン侯爵ね」

「ええ」

クロエが拳を握る。

「『クライス公爵家の服飾事業へ布を卸した商会とは、今後一切取引しない』――保守派の貴族家が、王都中の問屋へ通達したそうです」

思わず息を吐いた。

「……そう来たの」

財務省による営業停止は失敗した。

ならば次は、営業そのものを止める必要などない。

服を作れなくすればいい。

貴族家は、膨大な量の布を消費する。

ドレス。

礼服。

カーテン。

寝具。

椅子やソファの張り地。

屋敷一つを維持するだけでも、毎年莫大な金が織物商へ流れていく。

その大口顧客を失うか。

それとも、私たち一つの新興事業を切るか。

問屋にとって、答えは残酷なほど明白だった。

「……事実上の経済封鎖ね」

今度の攻撃には、違法性すらない。

誰と取引するかは商人の自由。

貴族がどの商会から買うかも自由。

その「自由」を束ねれば、人一人を締め上げる縄になる。

厄介だ。

そして――上手い。

「一番取引の多かった問屋へ行くわ」

「奥様?」

「直接聞きたいの」

◇

王都最大級の生地問屋は、いつもと変わらず繁盛していた。

荷車から次々と布が降ろされ、店内には各地から集められた反物が積み上げられている。

――布はある。

ないのではない。

私たちにだけ、売れないのだ。

奥の商談室へ通される。

問屋の主人トーマスは、私を見るなり深く頭を下げた。

「クライス公爵夫人……」

声が震えていた。

目の下には濃い隈がある。

「本当に……申し訳ございません」

「顔を上げて」

「ですが」

「怒りに来たわけではないの」

トーマスが恐る恐る顔を上げる。

「事情を聞かせてちょうだい」

「……はい」

しばらく迷ったあと、彼は口を開いた。

「三日前です。長年お取引いただいている複数の貴族家から、同じ内容の通達が届きました」

「私たちと取引を続ければ、自分たちは手を引く?」

「……はい」

やはり。

「あなたのところでは、貴族相手の取引はどのくらい?」

「売上の七割ほどです」

想像以上だった。

「それを失えば?」

トーマスの顔が歪む。

「ひと月と持ちません」

そして、堪えていたものが切れたように頭を下げた。

「申し訳ありません!」

「トーマス」

「奥様の事業が素晴らしいことは分かっています! 新しい顧客も増えた。これから王都の商売そのものが変わるかもしれないと、私も期待していました!」

拳が震えている。

「でも……」

声が掠れた。

「うちには三十二人の従業員がいます」

私は黙って聞いた。

「その家族まで入れれば、百人近い人間の生活が、この店にかかっている。私一人なら……私一人なら、奥様に賭けてもいい。でも……」

「できないわね」

「……はい」

「してはいけないわ」

トーマスが顔を上げた。

「奥様……?」

「あなたは商人である前に、三十二人の雇用主でしょう?」

「……」

「自分の信念のために従業員を路頭に迷わせることを、勇気とは呼ばないわ」

私は立ち上がった。

「今は従業員を守りなさい」

「しかし――」

「それが、あなたの仕事よ」

トーマスの目が潤んだ。

「……申し訳、ありません」

「謝らなくていいの」

むしろ。

腹が立つとすれば、彼ではない。

選択肢を奪った人間たちの方だ。

扉へ向かう。

その背中へ。

「公爵夫人!」

呼び止められた。

振り返る。

トーマスは深く頭を下げていた。

「もし……」

声を震わせる。

「もし、また自由に商売ができる日が来たら」

私は待った。

「必ず、一番最初に奥様のところへ布を持っていきます」

少しだけ笑った。

「覚えておくわ」

◇

公爵邸へ戻ると、クロエが大きな地図を広げて待っていた。

「王都が駄目なら東部です」

「私も考えたわ」

クロエの商会は、王都だけでなく東部三都市にも流通網を持っている。

そこから直接仕入れれば、王都の問屋を通す必要はない。

「それで?」

「……駄目でした」

クロエが東部の主要都市へ印をつける。

「主要な織物組合にまで話が回っています」

「もう?」

「ローゼン侯爵本人だけじゃありません。保守派の貴族家は、何十年も織物産業へ資金を入れてきた。組合の幹部にも彼らと縁の深い人間が大勢います」

「つまり」

「王都だけじゃない」

クロエが私を見る。

「国内の主要な仕入れ先を、ほぼ全部押さえられました」

思わず椅子へ深く腰を下ろした。

これが。

本気になった権力者の力か。

財務省の監査とは違う。

役人一人を追い詰めれば終わる話ではない。

長い年月をかけて築かれた人脈。

商流。

利権。

貸し借り。

そのすべてが、一本の巨大な網になって私たちを締め上げている。

ローゼン侯爵は学習したのだ。

私を法で殴れば、法を使って殴り返される。

ならば――法の外側で殺せばいい。

「……クロエ」

「はい」

「国外からは?」

「今から商路を開拓すれば、間に合いません。輸送だけで数週間。それに、急ぎだと知られれば価格を吊り上げられます」

「そう」

机の上を見る。

積み上げられた注文票。

名前。

寸法。

希望する色。

一枚一枚の向こうに、私たちの服を待っている女性がいる。

ようやく「自分が着たいものを選んでいい」と知った人たちだ。

ここで店を閉じれば、ただ一つの事業が潰れるだけでは済まない。

――やっぱり無理だった。

――貴族に逆らえばこうなる。

――私たちが何かを選ぼうとすること自体、間違いだった。

そんな諦めだけが残る。

それこそが、相手の狙いだ。

私は注文票の一枚を手に取った。

まだ若い女性の名前。

代金の一部はすでに預かっている。

「現在受けている注文は?」

「何とか作れます」

クロエが答える。

「絶対に?」

「……色や生地を一部変更してもらう必要は出るかもしれません。でも、約束した分だけは何としても」

「分かったわ」

「ただし」

クロエの声が重くなる。

「それで在庫は、ほぼ空になります」

私は顔を上げた。

「新規注文は?」

「もう受けられません」

壁一面の注文票を見る。

あれほど嬉しかった紙の山が、今は砂時計の砂に見えた。

「生産を落とせば?」

「多少は延ばせます。でも、その分だけ納品が遅れる」

「通常通り続けた場合は?」

クロエは答えなかった。

「クロエ」

「……四日です」

「え?」

「あと四日」

彼女は唇を噛んだ。

「四日後には――」

時計の針が進む。

カチ。

カチ。

カチ。

「私たちの布は、一枚もなくなります」

私は何も答えられなかった。

財務省を退けたときのような策は、まだ浮かばない。

前世の知識を探っても。

公爵夫人として二十年培った人脈を思い返しても。

今すぐ、この包囲網を破る答えが見つからない。

初めてだった。

この世界に来て――いや、前世の記憶を取り戻してから初めて。

私は、はっきりと思った。

――まずい。

残された時間は、四日。

壁一面に貼られた注文票が、静かに私を見下ろしていた。

お読みいただきありがとうございました。

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次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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