第8話 決意
「…………」
ソランは。
倒れた椅子を見下ろしていた。
つい先ほど。
二度も他人に殺されてたまるか。
絶対に生きてやる。
そう。
かなり格好よく決意した。
少なくとも。
本人としては。
そのつもりだった。
「…………」
床に倒れた椅子。
静かな部屋。
当然。
椅子は勝手には起きない。
「……はぁ」
ソランは小さく息を吐くと。
倒れた椅子を両手で起こした。
六歳の身体には。
少しだけ重い。
ズズッ。
床を擦る音がした。
「…………」
座る。
机へ向き直る。
先ほどまでの勢いが。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
どこかへ行った。
けれど。
決意そのものが消えたわけではない。
生きる。
それは。
もう決めた。
問題は。
「……で」
ソランは。
机の上に広げたノートを見る。
そこには。
自分で書いた。
『十八歳』
『処刑』
という。
まったく可愛げのない文字が並んでいる。
「どうすればいいのよ」
当然の疑問だった。
生きていたい。
できれば、
楽しい生活。
これからできるであろう友達や仲間と一緒に穏やかに暮らしたい。
無意識に
また。
気合が入る。
だが。
気合いだけで処刑を回避できるのであれば。
誰も苦労はしない。
必要なのは。
情報だ。
十二年後。
自分に何が起きるのか。
どうすれば。
それを避けられるのか。
幸い。
まったく何も知らないわけではない。
ソランはペンを持った。
そして。
ノートのページを1枚めくる。
ゆっくりと。
文字を書く。
『eternal story』
「…………」
見覚えのある名前。
いや。
当然だ。
斉藤優だった頃。
遊んでいた。
乙女ゲーム。
ローゼンベルク王国を舞台に。
王立学園へ入学したリリアというヒロインが、
レオンハルトをはじめとした男たちと出会い。
恋をして。
その中で。
ソラン・ヴァレンティアとも関わっていく。
ゲームの物語が本格的に始まるのは。
十三歳。
王立学園へ入学してから。
今の自分は。
六歳。
まだ。
七年も先だ。
「…………」
七年。
長い。
いや。
今は。
そこではない。
まず。
ゲームの内容を思い出す。
「ええっと……」
目を閉じる。
記憶を探る。
タイトル。
覚えている。
登場人物。
ある程度は。
ストーリー。
大筋なら。
イベント。
「…………」
ソランは目を開けた。
「……結構、覚えてないわね」
困った。
かなり。
困った。
なぜなら。
斉藤優は。
『eternal story』を。
人生を懸けて遊んでいたわけではない。
そもそも。
始めた理由からして。
大したものではなかった。
――優、これやってみてよ!
記憶の中で。
楽しそうな声がする。
ひかるの声だ。
友達だった。
『eternal story』を教えてくれたのも。
彼女だ。
新しいイベントが良かった。
この瞬間スカッとするんだよね。
誰々のルートが好き。
この台詞が格好いい。
あの場面が泣ける。
ひかるは。
よく話していた。
楽しそうに。
本当に。
幸せそうに。
優は。
最初。
そこまで興味があったわけではない。
乙女ゲームが嫌いだったわけでもない。
ただ。
特別。
好きだったわけでもない。
それでも。
ひかるが。
あまりに楽しそうに話すものだから。
少しだけ。
興味が湧いた。
それに。
共通の話題が増えるのも。
悪くない。
だから。
――じゃあ、暇なときやってみる。
そんな。
軽い気持ちで始めた。
仕事から帰ったあと。
寝る前。
移動中。
暇な時間。
気が向いたとき。
少しずつ。
片手間に。
「…………はぁ」
ソランの口から
大きなため息。
そして。
額へ手を当てた。
「もっとちゃんとやっておけばよかった……」
攻略情報を調べ。
ルートを覚え。
イベントを覚え。
できることなら。
ソラン・ヴァレンティアが。
いつ。
どこで。
何をして。
どの選択で。
どういう結末になるのか。
もしかしたら。
あの聖女のようなヒロイン。
リリアなら、
悪役令嬢とも和解し、
登場人物全員ハッピーエンド。
なんて裏ルートがあったかもしれない。
全部。
覚えておけばよかった。
いや。
ヒロインのストーリーなら理解できるが。
悪役令嬢のストーリーを全て。
そこまで覚えてる人いたら。
逆に怖いわ。
「…………いや」
そこで。
気づく。
無理だ。
普通。
そんな遊び方はしない。
そんな遊び方をしている人は。
異常だ。
きっと。
仲良くできない。
「死んだあとに必要になるなんて、誰が思うのよ」
もし。
ゲーム開始時に。
注意書きでも出ていたなら。
話は違った。
――このゲームの内容は、死後の人生に重大な影響を及ぼす可能性があります。
――慎重にルートをお選びください。
――そして各ルートおよびイベントを正確に記憶してください。
そんな文章が。
最初に表示されていたなら。
優だって。
もう少し真面目に遊んだ。
たぶん。
「…………」
いや。
表示されても。
意味が分からず飛ばした可能性がある。
利用規約のように。
「……駄目じゃない」
思わず。
小さく呟く。
それから。
ほんの少し。
口元が緩んだ。
ひかるなら。
もっと覚えていただろう。
ソランのルートについても。
細かいイベントについても。
優より。
ずっと。
「…………ひかる」
名前が。
口から出た。
その瞬間。
笑いかけた口元が。
止まった。
「…………」
ひかる。
もう。
聞けない。
ゲームのこともそうだ。
でもなによりも。
これから先。
どんなたわいもない話も
できない。
その事実が。
今さら。
胸の中へ落ちた。
昨日から。
色々なことがありすぎた。
刺された。
死んだ。
六歳になっていた。
いや。
六年間。
ソランとして生きていた。
斉藤優だった二十四年間を思い出した。
自分がゲームの悪役令嬢らしいと知った。
十八歳で処刑される可能性があると知った。
だから。
そこまで。
考える余裕がなかった。
けれど。
今。
少し落ち着いて。
状況を整理していると。
感情や記憶が波のように流れてくる。
斉藤優が死んだということは。
あの世界に。
自分はいない。
家族。
いつも優しかった父。
少し心配性で。
何かと連絡を寄越してきた母。
社会人になってからも。
時間が合えば二人で遊びに行った妹。
1番の友達。
ひかる。
お店のキャスト。
黒服。お客さん。
自分が。
昨日まで。
当たり前のように関わっていた人たち。
「…………」
どうなったのだろう。
自分が死んだと。
もう。
知っているのだろうか。
家族は。
警察から。
連絡を受けたのだろうか。
ひかるは。
ニュースで知ったのだろうか。
それとも。
誰かから。
聞いたのだろうか。
――明日ひま?
そんな。
何でもない連絡。
明日が来ることを。
疑っていなかった。
優自身も。
そうだった。
明日になれば。
返事をして。
また。
普通に。
会えると思っていた。
私が死んでても。
みんな。
泣いてないといいな。
でも。
少しくらいは。
悲しんでくれただろうか。
「…………」
我ながら勝手だと思った。
今までの感謝も伝えてない。
さようならの挨拶だってできていない。
胸が締め付けられる。
「…………っ」
視界が。
滲んだ。
ぽたり。
ノートの上へ。
何かが落ちる。
小さな。
丸い染み。
「……あ」
涙だった。
泣くつもりは。
なかった。
悲しもうと。
思ったわけでもない。
ただ。
勝手に。
落ちた。
もう一滴。
ぽたり。
「…………」
会いたい。
そう。
思った。
家族に。
友達に。
職場の同僚に。
もう一度。
会いたい。
どんな内容でもいい。
話したい。
どんな馬鹿したっていい。
笑いあっていたい。
だって。
死ぬ予定など。
なかった。
二十四歳だった。
まだ。
これから。
いくらでも。
時間があると。
思っていた。
「…………」
ソランは。
目元を拭った。
胸が。
痛い。
刺されたときとは。
違う。
けれど。
確かに。
痛かった。
しばらく。
何も考えなかった。
いや。
考えられなかった。
ただ。
静かに。
涙が止まるのを待った。
やがて。
ゆっくりと。
息を吸う。
吐く。
「……会いたいな」
静かすぎる部屋。
返事はない。
だから。
もう一度。
息を吐いた。
「…………でも」
今は。
戻る方法を知らない。
そもそも。
戻れるのかも。
分からない。
死んだ人間が。
元の世界へ帰る。
そんな方法を。
斉藤優は知らない。
ソラン・ヴァレンティアも知らない。
なら。
今。
考え続けても。
答えは出ない。
悲しい。
会いたい。
それは。
変わらない。
けれど。
「……今は、こっちで生きてるものね」
小さな背中は
凛と背筋を張った。
そして。
自分の手を見る。
小さい。
六歳の。
ソランの手。
そして。
思い浮かべる。
お父様。
お母様。
カイル兄様。
ノア。
六年間。
一緒に生きてきた。
家族。
前の家族が大切だからといって。
今の家族が。
大切ではなくなるわけではない。
ひかるが大切だからといって。
今の自分の人生が。
偽物になるわけでもない。
どちらも。
自分の人生だ。
なら。
「……こっちも、失いたくない」
もう。
突然。
奪われたくない。
自分の命も。
自分の大切なものも。
ソランは。
目元をもう一度拭うと。
ノートへ向き直った。
「……よし」
小さく呟くと同時に。
両手で。
ぱんぱんと頬を叩いて。
気合をいれなおした。
今は。
できることをする。
まず。
ゲームの自分について。
思い出す。
『ソラン・ヴァレンティア』
公爵令嬢。
王太子レオンハルト・ローゼンベルクの婚約者。
高慢で嫉妬深い。
レオンハルトに執着する。
そして。
王立学園へ入学してから。
ヒロイン。
リリアと対立する。
リリアへの嫌がらせ。
それは。
一度だけではない。
何度も。
物語が進むにつれて。
少しずつ。
酷くなっていく。
そして処刑エンド。
「…………」
その先。
記憶が。
ところどころ。
曖昧になる。
ソランは。
眉間に皺を寄せた。
確か。
結末は。
一つではなかった。
ゲームなのだから。
当然。
ルートがある。
選択がある。
エンディングも。
複数。
あった。
そして。
ソラン・ヴァレンティアの結末も。
「…………そうだ」
全部が。
処刑ではない。
十八歳で。
処刑される結末。
それは。
確かにあった。
昨日。
真っ先に思い出したのも。
それだ。
印象が強かった。
だから。
ソランは。
自分も十八歳で死ぬのだと。
思った。
でも。
違う。
「生きてるのも……あった」
ソランは。
顔を上げた。
あった。
確かに。
あった。
ソランが。
死なない結末。
亡命でも。
追放でも。
なんでもいい。
死ぬことさえなければ。
きっとなんとかできるだろう。
「…………」
一瞬。
胸が軽くなる。
なら。
話は。
随分と変わってくる。
処刑が。
絶対に決まっているわけではない。
ゲームの中ですら。
生き残る未来が存在した。
だったら。
そのルートへ行けばいい。
「…………」
そこで。
ソランの動きが止まった。
「…………どのルート?」
静寂。
誰も。
答えてくれない。
「…………」
記憶を探る。
生存。
あった。
それは。
覚えている。
では。
どうすれば。
そこへ行ける?
「…………」
分からない。
処刑される条件は?
「…………」
曖昧。
生き残る条件は?
「…………」
さらに。
曖昧。
「…………ひかる」
思わず。
恨めしそうに名前を呼ぶ。
こういうところこそ。
もっと詳しく話しておいてほしかった。
「…………」
いや。
待て。
話していた気もする。
ひかるは。
結構。
色々。
話していた。
では。
なぜ。
覚えていない?
「…………私がちゃんと聞いてなかったからじゃない」
人のせいではなかった。
非常に。
残念である。
ソランは。
机へ額をつけたくなった。
しかし。
落ち込んでいても。
記憶が増えるわけではない。
分からないものは。
仕方がない。
思い出したら。
そのとき考える。
今は。
覚えていること。
そこから。
考えればいい。
ソランは。
改めて。
ゲームのソランについて考えた。
レオンハルトに執着する。
リリアを敵視する。
嫌がらせをする。
徐々に。
酷くなっていく。
「…………」
改めて。
思う。
「ひどい女ね」
少し。
間を置く。
「…………私なんだけど」
なんとも。
言えない。
自分で。
自分の悪口を言ったような気分だ。
だが。
そこで。
別の疑問が。
浮かんだ。
「…………でも」
本当に。
自分が?
六年間。
ソラン・ヴァレンティアとして。
生きてきた。
確かに。
負けず嫌いだ。
カイル兄様に負ければ。
悔しい。
馬鹿にされれば。
腹も立つ。
お父様には。
褒められたい。
公爵令嬢として。
きちんとしていたい。
母のような。
立派な淑女にもなりたい。
プライドだって。
ある。
我が儘なところも。
少しくらいは。
あるかもしれない。
だが。
誰かを。
執拗にいじめたいと思ったことは。
一度もない。
まして。
弱い相手を。
立場を使って困らせるなど。
格好悪い。
それに。
「レオンハルト……」
今日。
初めて。
現実で名前を聞いた相手。
まだ。
会ったことすらない。
ゲームでは。
顔を知っている。
金色の髪。
青い瞳。
整った顔。
確かに。
格好いい。
攻略対象なのだから。
当然といえば。
当然だ。
でも。
だから何だ。
顔がいい男なら。
斉藤優だった頃。
仕事柄。
それなりに見た。
顔がいいからといって。
性格までいいとは。
限らない。
むしろ、顔がいいことを自覚している男ほど。
面倒な場合だってある。
「…………」
六歳の少女が。
まだ会ったこともない王太子を相手に。
随分と失礼なことを考えていた。
「私、本当にそんなに執着するの?」
分からない。
十二年。
人間が変わるには。
十分すぎる時間だ。
これから。
何かがあるのかもしれない。
ゲームと。
この世界が。
すべて同じとも限らない。
考えれば。
考えるほど。
分からないことが増える。
「…………やめよう」
今。
答えの出ないことを。
延々と考える必要はない。
分からないなら。
保留。
それでいい。
なら。
今。
分かっていることから。
処刑を避ける方法を考える。
ゲームのソランは。
リリアをいじめた。
「じゃあ、いじめなければいい」
簡単。
まだ会ったことすらない女の子だ。
わざわざ。
嫌がらせをする理由などない。
次。
ゲームのソランは。
レオンハルトに執着した。
「執着しなければいい」
これも。
簡単。
まだ。
会ってもいない。
婚約する予定だからといって。
好きになる義務などない。
まして。
他の女の子を攻撃するほど。
1人の男に執着する必要など。
どこにもない。
ソランは。
ノートへ書いた。
『リリアをいじめない』
『レオンハルトに執着しない』
そして。
少し考えて。
『ゲームのソランと同じことをしない』
「…………」
3つ。
非常に。
分かりやすい。
もちろん。
記憶は曖昧だ。
これから。
何か思い出すかもしれない。
そのときは。
その都度。
追加すればいい。
それに。
ゲームの中ですら。
ソランが生き残る結末は存在する。
できることなら。
レオンハルトとの婚約そのものも。
いつか。
円満に解消したい。
王太子との婚約を。
六歳の公爵令嬢が。
「やっぱりやめます」
で済ませられるとは思えない。
だから。
今すぐではない。
いつか。
誰も困らない形で。
そう。
思った。
だったら。
最初から。
破滅するような行動をしなければ。
生存する可能性は。
さらに。
高くなるのではないか。
「…………」
そこで。
ソランは。
別のことを考えた。
生き残る。
もちろん。
それが。
一番大事だ。
だが。
二度目の人生を。
処刑されないためだけに。
使う?
「…………嫌ね」
それは。
何か。
違う。
斉藤優の人生は。
二十四歳で。
突然。
終わった。
不幸だったわけではない。
普通に。
楽しかった。
仕事をして。
友達と話して。
美味しいものを食べて。
笑って。
腹を立てて。
面倒な客を適当にあしらって。
明日の予定を立てて。
そうやって。
生きていた。
その続きが。
突然。
なくなった。
虫の知らせというのも。
感じなかった。
だから。
今度は。
もっと。
長く。
そして。
できるなら。
楽しく。
生きたい。
ソランは、ノートへ……。
さらに書き加えた。
まずは。
『完璧な公爵令嬢になる』
公爵令嬢として。
きちんと学んで。
できることを増やす。
それはきっと。
生き残るためにも。
その先で幸せになるためにも。
無駄にはならない。
『家族を大切にする』
少し。
考える。
『好きなことをする』
次。
『美味しいものを食べる』
これは。
かなり。
重要。
『面倒事には近づかない』
できる限り。
ぜひ。
そうしたい。
そして。
最後。
『長生きする』
「…………」
ソランは。
それを。
じっと見つめた。
悪くない。
いや。
かなり。
いいのではないだろうか。
リリアをいじめない。
レオンハルトに執着せず。
レオンハルトとの婚約を。
円満に解消する。
ゲームのソランと同じことをしない。
家族を大切にする。
好きなことをする。
美味しいものを食べる。
面倒事には近づかない。
長生きする。
「…………」
改めて。
レオンハルトについて。
思い当たる死亡フラグを、一つずつ。
確認する。
リリアをいじめない?
できる。
むしろ。
なぜいじめる必要があるのか?
分からない。
レオンハルトに執着しない?
できる。
まだ会ってすらいない。
家族を大切にする。
できる。
というより。
すでに大切だ。
好きなことをする。
ぜひ。
美味しいものを食べる。
もっと。
ぜひ。
面倒事を避ける。
全力で。
避けたい。
長生きする。
絶対。
そうする。
円満に婚約を解消するというのは
少し。
不安だが。
「…………あれ?」
ソランは。
瞬きをした。
昨夜は。
十八歳で処刑される。
そう思っただけで。
身体が震えた。
今朝も。
怖くて。
仕方がなかった。
だが。
ゲームの中ですら。
生存する結末はある。
そして。
自分は。
ゲームのソランと。
同じ行動をするつもりもない。
なら。
もしかして。
自分が思っているほど。
絶望的な状況では。
ないのではないか。
ソランは。
ノートを眺める。
それから。
ほんの少し。
口元を緩めた。
「……案外」
一度。
言葉を切る。
そして。
六歳の公爵令嬢とは思えないほど。
妙に訳知り顔で。
呟いた。
「楽勝なんじゃない?」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ようやく「生きる」と決めたソラン。
本人の言う通り。
……簡単そう、なんですけどね。
果たして本当に「楽勝」で終わるのか。
これからも見守っていただけたら、うれしいです。次回もよろしくお願いします!




