第11話 完璧な公爵令嬢への道
数日後。
ソランは。
父であり、ヴァレンティア家当主。
ヴァレリウスの前にいた。
「先日、お前が言っていた勉強のことだ」
「はい」
覚えていてくれた。
ソランは。
少しだけ。
嬉しくなる。
先日。
もっと勉強をしたい。
そう。
ヴァレリウスに頼んだ。
その時。
ヴァレリウスは言った。
一度に。
全てを学ぶことはできない。
まず。
何が必要なのか。
自分で考えろ。
だから。
考えた。
「何を学びたいか、決めたか?」
「はい」
ソランは。
頷く。
優先順位は。
もう。
決めてある。
「礼儀作法。それから、歴史と王国について。貴族社会と、社交について学びたいです」
「……そうか」
ヴァレリウスは。
娘を見た。
「理由は?」
「…………」
理由。
もちろん。
ある。
――十八歳までに殺されないためです。
言えない。
――乙女ゲームの悪役令嬢なので、死亡する未来を回避するために情報が欲しいです。
もっと。
言えない。
なので。
ソランは。
少し考えた。
「知らないことを。減らしたいのです」
「知らないことを?」
「はい」
ソランは。
膝の上で。
小さな手を握る。
この意見で通すしかない。
「私が知らないことは、たくさんあります。知らなければ、何が正しいのかも分からないと思うのです」
ヴァレリウスは。
何も言わなかった。
ただ目を細め、続きを促す。
「だから。まず、この国のことや、貴族のことを知りたいです。それから……公爵令嬢として必要なことも、もっと学びたいです」
「…………」
「駄目ですか?」
「いや」
お父様の短い返事。
だが否定的ではない響き。
「分かった」
「……!」
「ヘレナと話して、内容を調整しよう」
「ありがとうございます!」
思ったより。
声が大きくなった。
「…………」
ヴァレリウスが。
僅かに。
目を細める。
「……何ですか?」
「いや」
「今、何か思いました?」
「何も」
「…………」
嘘だ。
絶対。
何か思った。
けれど。
追及したところで。
この父が。
素直に答えるとも思えない。
父も。
きっと。
思うことがあるのだろう。
ソランは。
諦めた。
◇
ヘレナは。
母ミレーヌが幼い頃。
彼女のお世話係をしていた。
だから。
ヴァレンティア家から。
長年。
頼りにされている。
そのため。
ソランが幼い頃から。
勉強を教えている。
家庭教師であり。
教育係でもある。
礼儀作法。
読み書き。
歴史。
貴族令嬢として必要になる。
様々なことを。
教えてくれていた。
「では。本日から少し授業の内容を変えましょう」
向かいに座るヘレナが。
穏やかに言った。
「はい。よろしくお願いします」
「…………」
ヘレナが。
一瞬。
止まった。
「先生?」
「いいえ。何でもありません」
何だろう。
今の間は。
ソランは。
少し気になった。
だが。
ヘレナは。
すぐに。
いつもの表情へ戻る。
「まずは、ローゼンベルク王国の歴史から始めましょう」
「はい」
机の上に。
本が置かれる。
厚い。
六歳児が。
見たら。
逃げ出したくなる厚さである。
「…………」
ソランは。
表紙を見る。
まあ。
いい。
斉藤優は。
二十四歳だった。
二十四年間。
生きた。
学校にも。
通った。
仕事もした。
客と話すために。
興味のないことを。
覚えたこともある。
経済。 車。 酒。
スポーツ。 仕事。 趣味。
相手によって。
話題は違う。
知らないことがあれば。
調べた。
全部。
自分が好きだったわけではない。
むしろ。
どうでもいいと思ったことも。
かなりある。
それでも。
覚えた。
客が。
喜ぶから。
会話が。
続くから。
それに比べれば。
――歴史くらい。
いける。
そう。
思った。
◇
「この出来事をきっかけに、王家と有力貴族の関係が大きく変わりました」
「…………」
ソランは。
本を見る。
少し考え、ヘレナを見る。
「それまでは、違ったのですか?」
「ええ」
「どう違ったのですか?」
「以前は――」
ヘレナが。
説明する。
ソランは。
聞く。
「では、その時に今の制度ができたのですか?」
「正確には、少し後ですね」
「どうしてすぐに変えなかったのですか?」
「それは――」
説明。
質問。
説明。
質問。
それを。
何度か。
繰り返す。
「…………」
やがて。
ヘレナが。
僅かに。
ソランを見つめた。
「ソラン様」
「はい?」
「以前、この部分をお話しした時のことを覚えていらっしゃいますか?」
「…………」
まずい。
何か。
変だっただろうか。
「少しだけ……」
「そうですか」
ヘレナは。
それ以上。
何も言わなかった。
だが。
内心。
戸惑っていた。
以前のソランも。
真面目だった。
公爵令嬢として。
きちんとしようとする子だった。
負けず嫌いで。
間違えれば。
悔しそうにする。
できれば。
嬉しそうにする。
けれど。
今は。
少し。
違う。
覚えようとしている。
だけではない。
なぜ。
そうなったのか。
その前は。
どうだったのか。
それによって。
何が変わったのか。
六歳の少女が。
以前より。
ずっと。
理由を知ろうとしている。
「では、ソラン様」
「はい」
「先ほど説明した制度が定められたのは、どなたの治世でしょう?」
「…………」
誰。
「…………」
誰だっけ。
「ソラン様?」
「…………」
理解は。
した。
制度ができた理由も。
なんとなく。
分かった。
前後関係も。
理解できた。
しかし。
名前。
知らない。
「……もう一度、お願いします」
「はい」
ヘレナは。
微笑んだ。
「焦る必要はありません」
「…………はい」
そう。
理解が。
早くなったからといって。
知識が。
増えたわけではない。
当たり前である。
斉藤優。
二十四歳。
ローゼンベルク王国についての知識。
ほぼ。
ゼロ。
なぜなら。
日本人だったから。
――知らないものは、知らない。
非常に。
当然の話だった。
◇
授業は。
王国の歴史から。
現在の王家へ。
移っていった。
「現在、ローゼンベルク王国を治めておられるのが、現国王陛下です。そして――」
ヘレナの指が。
家系図の一部へ。
移る。
「王太子殿下。レオンハルト・ローゼンベルク殿下」
「…………」
来た。
ソランの目が。
止まる。
レオンハルト。
金髪。
青い瞳。
『eternal story』の。
攻略対象。
そして。
冬には。
ソランの婚約者になる予定の少年。
「王太子殿下は、ソラン様と同じ六歳でいらっしゃいます」
「はい」
「将来、王位を継ぐ立場にあります。そのため、すでに様々な教育を受けておられます」
「……六歳なのに?」
「ええ」
思わず。
聞いてしまった。
いや。
自分も。
六歳で。
分厚い歴史書を。
目の前に置かれている。
人のことは。
言えない。
「王太子という立場は、それだけ多くのものを求められます」
ヘレナの説明が。
続く。
王家。
王太子。
貴族との関係。
そして。
その伴侶となる者に。
求められるもの。
「…………」
ソランは。
黙って聞いた。
ゲームでは。
レオンハルトは。
攻略対象だった。
王道王子様系。
金髪。
青い瞳。
頭が良く。
何でも。
そつなくこなす。
少し。
寂しいところがある。
そのくらいは。
覚えている。
でも。
今。
ヘレナが話しているのは。
そういうことではない。
王太子。
次の国王になる者。
そのために。
六歳の頃から。
何を求められているのか。
どういう立場なのか。
どんな人間たちに。
囲まれているのか。
「…………」
ゲームには。
なかった。
いや。
あったのかもしれない。
優が。
覚えていないだけかもしれない。
けれど。
――これ。
ソランは。
思った。
――ゲームの情報だけ集めてても、駄目じゃない?
ゲームで。
何が起きるのか。
それは。
大切だ。
自分の命が。
かかっている。
だが。
ここは。
現実だ。
少なくとも。
今のソランにとっては。
そうだ。
だったら。
ゲームの中の情報だけではなく。
今。
自分が生きている。
この世界の情報も。
知らなければならない。
「先生」
「はい」
「王太子殿下について、もっと教えていただけますか?」
「もちろんです」
ヘレナは。
少し。
嬉しそうに微笑んだ。
◇
そして。
貴族社会へと勉強は進む。
これが。
なかなか。
厄介だった。
「…………え?」
思わず。
声が出た。
「どうされました?」
「いえ……」
ソランは。
説明された内容を。
頭の中で。
もう一度。
整理する。
家。
血筋。
立場。
婚姻。
人間関係。
一人の行動が。
本人だけの問題では。
終わらない。
家同士の関係に。
影響することもある。
自分は。
ゲームの中では。
悪役令嬢。
しかも。
処刑されるルートがある。
そんな結末になれば。
家族だって。
無事では済まない。
「…………」
理屈は。
分かる。
貴族社会なのだから。
そういうものなのだろう。
六年間。
ソラン・ヴァレンティアとして。
生きてきた。
だから。
まったく。
知らなかったわけでもない。
でも。
二十四歳まで。
現代日本で。
生きていた記憶を持って。
改めて。
考えてみると。
――面倒くさ。
「ソラン様?」
「なんでもありません」
「そうですか?」
「はい」
危ない。
声に。
出ていたらしい。
公爵令嬢。
ソラン・ヴァレンティア。
六歳。
家庭教師の前で。
貴族社会を。
面倒くさい。
とは。
さすがに。
言えない。
しかし。
面倒なものは。
面倒だった。
◇
そして。
ソランは。
一つ。
大きな勘違いをしていた。
二十四歳の記憶がある。
理解も。
以前より。
早い。
集中も。
できる。
だったら。
勉強など。
なんとかなる。
そう。
思っていた。
「では、もう一度」
ヘレナの声。
「…………はい」
ソランは。
立っていた。
背筋を伸ばし。
顎を。
僅かに引く。
「肩に力が入っています」
「…………」
力を抜く。
「抜きすぎです」
「…………」
力を入れる。
「入りすぎです」
「…………」
どっち。
「視線を、もう少し上へ」
「はい」
上げる。
「上げすぎです」
「…………」
何センチ。
「歩幅を意識してください」
「はい」
歩く。
「少し大きいですね」
「…………」
小さくする。
「今度は小さすぎます」
「…………」
話が。
違う。
「ソラン様?」
「……なんでもありません」
今日。
何度目だろう。
これ。
礼儀作法。
知識。
だけでは。
ない。
立ち方。
歩き方。
座り方。
手の位置。
指先。
視線。
頭を下げる角度。
一つ。
一つ。
身体で。
覚えなければならない。
頭では。
分かる。
言われていることも。
理解できる。
だが。
――身体が六歳。
こればかりは。
どうしようもない。
「もう一度、お願いいたします」
「はい。では、最初から」
ソランは。
息を整える。
そして。
もう一度。
歩く。
「…………」
部屋の端には。
ソランの世話をしている。
エマがいた。
必要があれば。
すぐ動けるように。
控えている。
そんなエマの前を。
ソランが。
歩いていく。
一歩。
二歩。
三歩。
「もう少し、ゆっくり」
「はい」
一歩。
二歩。
「肩を」
「はい」
肩。
力を抜く。
「視線」
「はい」
上げる。
「上げすぎです」
「…………はい」
難しい。
非常に。
難しい。
――これ。
ソランは。
真剣な顔のまま。
思った。
――お酒のボトル持ってヒールで歩く方が簡単じゃない?
もちろん。
六歳の身体で。
やったことはない。
やるつもりもない。
そもそも。
酒を持つな。
という話である。
「はい。そこまで」
ヘレナの声に。
ソランは。
止まった。
「…………はぁ」
疲れた。
座学より。
疲れた。
なぜ。
歩いただけで。
こんなに疲れるのか。
「ソラン様」
「はい」
ヘレナが。
微笑んだ。
「今日は、とてもよく頑張りましたね」
「…………」
褒められた。
「以前よりも、ずっと集中して取り組めています」
「…………」
嬉しい。
いや。
待て。
斉藤優。
二十四歳。
大人。
これくらい。
できて。
当然。
「これくらい。当然ですわ」
ソランは。
澄ました顔で。
答えた。
完璧。
だった。
少なくとも。
本人は。
そう。
思った。
「…………」
視線。
ソランは。
横を見る。
エマが。
こちらを見ていた。
口元に。
小さな。
笑み。
「……エマ」
「はい」
「何?」
「何がでしょう?」
「今、笑ったでしょう」
「いいえ」
「笑ったわ」
「そのようなことは」
「絶対笑ったわ」
「ふふ」
「ほら!」
「申し訳ございません」
言いながら。
まだ。
笑っている。
「もう!」
「ですが」
エマは。
柔らかく。
目を細めた。
「本当に、よく頑張っていらっしゃいましたから」
「…………」
ソランは。
黙る。
「…………そう」
それだけ。
言った。
別に。
嬉しくなど。
ない。
二十四歳なのだから。
褒められた程度で。
喜ぶほど。
子供ではない。
「…………」
だが少しだけ。
口元が。
緩んだ。
「…………」
エマは。
何も言わず。
微笑んでいた。
◇
その夜。
ソランは。
机に向かっていた。
目の前には。
いつもの。
ノート。
ページを。
開く。
『十八歳』
『処刑』
『eternal story』
『リリアをいじめない』
『レオンハルトに執着しない』
『ゲームのソランと同じことをしない』
『完璧な公爵令嬢になる』
「…………」
改めて見ると。
なかなか。
物騒である。
六歳児の。
ノートではない。
絶対に。
誰にも。
見せられない。
ソランは。
ペンを持った。
そして。
新しく。
書く。
『ゲームの知識だけを信用しない』
少し。
考える。
その下。
『この世界について知る』
書いて。
頷いた。
ゲームでは。
十三歳から。
物語が始まる。
でも。
この世界は。
十三歳から。
始まるわけではない。
ユエは。
もう。
ここにいる。
レオンハルトも。
今。
王太子として。
生きている。
カイルも。
ノアも。
父も。
母も。
みんな。
ゲームの画面には。
映っていなかった時間を。
生きている。
だったら。
知らなければならない。
ゲームの中の。
情報だけではなく。
今。
ここにあるものを。
「…………」
ソランは。
さらに。
二つの名前を書く。
『レオンハルト・ローゼンベルク』
その下。
『ユエ・ラングレイ』
二人とも。
攻略対象。
一人は。
冬に。
婚約者になる。
一人は。
昔から知っている。
幼馴染。
他にも何人かいたのを覚えている。
今はそれより。
目の前のことに。
集中したい。
婚約の後にでも。
改めて思い出そう。
「…………」
まず。
レオンハルト。
その下へ。
書く。
『執着しない』
『できれば仲良くする』
『王太子としてのことも知る』
『いつか円満に婚約を解消する』
「…………よし」
完璧。
次。
ユエ。
「…………」
ペンが。
止まる。
何を書く。
攻略対象。
冷酷系。
リリアと。
恋に落ちる可能性あり。
ソランが。
暗殺される展開あり。
「…………」
ソランは。
書いた。
『普通にする』
「…………」
普通。
とは。
少し。
曖昧すぎる。
でも。
ユエは。
ユエだ。
今まで。
普通に。
付き合ってきた。
なら。
変に。
避ける必要もない。
その下。
『暗殺されない』
「…………」
切実。
非常に。
切実。
ソランは。
二つの名前を。
見比べた。
王太子。
攻略対象。
幼馴染。
婚約者になる少年。
ゲームなら。
それだけで。
よかった。
でも。
ここは。
ゲームより。
ずっと。
面倒くさい。
人間関係も。
貴族社会も。
歴史も。
礼儀作法も。
知らなければならないことが。
山ほどある。
「…………」
そして。
ソランは。
今日の。
礼儀作法を。
思い出した。
肩。
視線。
歩幅。
指先。
姿勢。
「…………」
ペンを。
置く。
やってみて初めて分かる事。
「完璧な公爵令嬢への道……長くない?」
七年。
たっぷり。
ある。
そう。
思っていた時間が。
ほんの少しだけ。
短く感じた。




