第10話 ユエ・ラングレイ
ユエ・ラングレイ。
七歳。
ラングレイ侯爵家の次男。
そして。
『eternal story』に登場する。
攻略対象の一人。
レオンハルトが王道王子様系なら。
ユエは。
クールな冷酷系だろう。
ソランはふと思い出す。
斉藤優だった頃の記憶。
ひかるは楽しそうに話していた。
「ユエの時折みせる優しさがもう最高なの」
「普段冷たいんでしょ?その優しさいつまで続くかわからないよ」
「そんなことないよ。ちょっと冷酷なとこあるけどね」
「そっか」
「優も早くストーリー進めてよ。ソランはあっさり暗殺されちゃうけど
スカッとするシーンが多いから」
ソランはドキッとした。
暗殺。
いつ殺されるか分からない。
一つ。
幸いなことがあるとすれば。
少なくとも。
優が覚えている限り。
ソランが殺されるのは。
ゲームの物語が。
始まってからだった。
「…………」
ソランは。
少し離れた場所にいるユエを見た。
濃紺の髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
ゲームの中では。
もっと。
大人びていた。
当然だ。
ゲームが始まる頃。
ユエは十四歳。
今は七歳。
半分である。
「…………」
七歳。
どう見ても。
七歳だった。
いや。
当たり前なのだが。
「……何?」
ユエが。
こちらを向いた。
目が合う。
「何が?」
「また見てただろ」
「見てないわ」
「見てた」
「見てない」
「じゃあ、なんで目が合うんだよ」
「たまたまよ」
「さっきから何回目?」
「…………」
数えていたらしい。
細かい男である。
「なんでもないわ」
「絶対なんでもあるだろ」
「ないったらないの」
「…………」
ユエは。
納得していない顔をした。
だが。
説明できるわけがない。
――あなた、将来ヒロインと恋愛する可能性がある攻略対象なの。
――そして、悪役令嬢ソラン・ヴァレンティアは暗殺されるの。
そんなことを言えば。
頭を心配される。
いや。
六歳児の口から。
暗殺。
そんな言葉がでてきたら。
誰だってびっくりするだろう。
それに。
攻略対象という言葉が。
通じるかどうかから怪しい。
だから。
ソランは。
何も言わず。
もう一度。
ユエを見る。
「…………」
普通。
である。
少なくとも。
今のところ。
普通の七歳児。
ソランより。
少し落ち着いていて。
少し大人びていて。
文句は言うが。
結局。
一緒に遊ぶ。
昔から知っている。
冷たそうに見えるが。
優しいユエだ。
「…………」
本当に。
この子が?
そう思う。
ゲームの中のユエ。
王立学園の制服。
成長した姿。
リリアと出会う少年。
その記憶と。
目の前にいる。
七歳の少年が。
どうにも。
綺麗に重ならない。
「ユエ」
「何?」
「…………」
「だから何?」
「なんでもない」
「ソラン」
「なんでもないってば」
「…………」
面倒そうな顔をされた。
失礼である。
人が。
真剣に。
人生について考えているというのに。
「姉様」
すぐ横から。
ノアの声がした。
「なあに?」
ソランが促すように。
ノアを見る。
ノアは、答えなかった。
その代わり。
じーっと。
ユエを見る。
「…………」
ユエも。
ノアを見る。
「…………」
ノアが。
さらに見る。
「……ノア?」
ユエの、困惑した表情が顔全体に広がる。
しかしユエの視線は、ノアをとらえて離さない。
「何?」
「…………」
じー。
「ノア?」
じー。
「……なんで僕を見てるの?」
「姉様が見てるから」
「ノア!」
ソランは。
気まずい状況から。
脱出する為にも。
弟の肩へ手を置いた。
「ノアは見なくていいの!」
「どうして?」
「どうしてって……」
困った。
説明できない。
実際見ていたし。
誤解ではないのだが。
幼い弟の無垢な瞳は。
爆弾をはらんでいる。
このままでは……。
「やっぱり見てたじゃないか」
「違うの!」
「何が?」
「だから……」
攻略対象かどうか。
確認していた。
とは。
やはり。
言えない。
そんな話をすれば。
狂人扱いは確実。
私はヴァレンティア家公爵令嬢なのだ。
淑女の立ち振る舞い。
というものがある。
「何をしてるんだ?」
……気まずい膠着状態。
そこに、空を裂くように別の声が。
飛んできた。
「お兄様!」
振り返ると、そこには。
カイルがいた。
青みがかった黒、濃紺の髪に。
深い藍青色の瞳。
父によく似た顔立ちからか。
八歳にしては大人びた風格。
ヴァレンティア家の長男。
そして。
ソランの兄。
カイルは。
庭にいる三人を見て。
僅かに、眉を寄せた。
「廊下まで声が聞こえてたぞ」
「ユエを見てたの」
「ノア!」
「…………」
カイルの視線が、ソランを見る。
その後、視線をそらしユエを見る。
迷ったカイルの視線は。
結局ソランに着地した。
「何やってたんだ、お前」
「だから違うの!」
「何が?」
「何でもないのよ!」
続いて。
ユエが口を開く。
「さっきからそればっかりだな」
「ユエは黙ってて!」
「僕が悪いのか?」
「今は悪いわ!」
「なんで?」
「なんとなくよ!」
「理不尽だ……」
「うるさい!」
「…………」
カイルは。
あきれた様子で、小さく息を吐く。
すぐに憎らしい生意気な笑みをこぼし。
二人を見た。
それから。
「……まあ、いつも通りか」
「どこがよ!」
「そこが」
「お兄様!」
腹が立つ。
非常に。
腹が立つ。
八歳のくせに。
何を。
分かったような顔をしているのか。
ソランは。
頬を膨らませた。
そんな妹を見て。
カイルは。
ほんの少し。
笑った。
「兄様」
ノアが。
カイルの服の裾を引いた。
「ん?」
「兄様も、いっしょに遊ぼう」
「俺はいい」
「…………」
ノアの顔が。
少しだけ。
しょんぼりした。
「だめ?」
「…………」
カイルが。
黙る。
私には生意気なのに。
ノアには強く出れない兄。
「…………」
ノアが。
カイルを見上げる。
その眼差しの意味は。
誰もがわかる。
カイルは気まずそうに。
頭を掻きながら。
ノアを見下ろす。
「…………」
長い。
沈黙。
「……少しだけだぞ」
「うん!」
ノアの顔が。
一瞬で明るくなった。
この年の子は。
表情が綺麗に変わる。
「…………」
ソランは。
その微笑ましい様子を見る。
自然と口元に笑みがこぼれる。
「お兄様、ノアには甘いわね」
「お前が言うな」
「私はいいの」
「何が?」
「お姉様だから」
「意味が分からない」
「さっき僕にも同じこと言ってたよ」
「ユエは黙ってて」
「なんで?」
庭から楽しげな声が、響く。
いつの間にか。
ひとつふえていた。
◇
子供の遊び。
というものは。
人数が増えると。
妙な方向へ進化することがある。
最初は。
ただ。
庭を歩いていただけだった。
それが。
木まで競争になった。
ノアがいるから。
走るのは禁止になった。
だから。
早歩きになった。
そこへ。
カイルが加わった。
そして。
「お兄様! ずるい!」
「何が?」
「足が長い!」
「知らないよ」
「八歳なんだから当然でしょう!」
「じゃあ競争に誘うな」
「妹に譲るという考えはないの!?」
「勝負を言い出したのはソランだろ」
「それとこれは別です!」
「何が違うんだよ」
「全部よ!」
「意味が分からない」
「意味が分からないってなんですか!」
カイルは。
本気だった。
八歳。
対。
六歳。
年齢差。
二歳。
子供にとって。
この差は。
かなり大きい。
普通なら。
妹に。
多少。
手加減しても。
いいのではないだろうか。
そう。
思う。
思うのだが。
「負けたくないなら速く歩け」
「言ったわね!」
腹が立った。
こうなったら。
絶対に勝ってみせる。
「ソラン」
「何よ!」
「後ろ」
「…………あ」
ユエに言われ。
ソランは。
止まった。
後ろを見る。
ノアが。
一生懸命。
こちらへ向かっている。
「……まって……」
「ノア!」
また。
やってしまった。
ソランは。
すぐに戻った。
「ごめんなさい。大丈夫?」
「うん……」
ノアは。
頷いた。
しかし。
頬が。
少し赤い。
息も。
先ほどより。
速い。
「少し休みましょう」
「やだ」
「え?」
「まだ、遊ぶ」
「でも――」
「ぼくも、みんなと遊ぶ」
「…………」
ソランは。
困った。
疲れている。
どう見ても。
疲れている。
だが。
ノア本人は。
遊びたいらしい。
まだ四歳。
楽しい。
まだ遊びたい。
その気持ちは。
分かる。
でも。
無理をさせたくはない。
「ノア」
「まだ遊べるよ」
「でもね――」
「あー」
突然。
カイルが。
声を出した。
「疲れた」
「え?」
ソランが。
兄を見る。
カイルは。
近くの木陰へ歩いていくと。
そのまま。
腰を下ろした。
「ちょっと休む」
「兄様も?」
ノアが聞く。
「うん」
「疲れたの?」
「疲れた」
「…………」
ノアは。
カイルを見る。
それから。
自分の足を見る。
もう一度。
カイルを見る。
「……じゃあ、ぼくも休む」
「そうしろ」
ノアは。
ぱたぱたと。
カイルの隣へ向かった。
そのまま。
ちょこん。
と。
座る。
「…………」
ソランは。
その二人を見る。
カイルは。
別に。
疲れていない。
少なくとも。
さっきまで。
息一つ。
乱していなかった。
なのに。
「…………」
なるほど。
そういうことか。
ノアに。
休めと言えば。
嫌がる。
だから。
自分が先に休んだ。
ノアが。
一人だけ。
遊べないと思わないように。
「…………」
ソランは。
少しだけ。
カイルを見る目を細めた。
カイルお兄様。
意外と。
やる。
それに。
ソランは知っていた。
普段は自分をからかってくる。
そんな兄だが。
人一倍弟妹思いなことを。
だって。
『eternal story』が始まる時。
そう。
ソランが十三歳になった時。
悪役令嬢。
ソラン・ヴァレンティアを。
兄。
カイル・ヴァレンティアは。
溺愛していたことは覚えている。
今も。
なんだかんだ。
幼いながらも。
彼なりに、気をつかってくれている。
それは。
わかっているつもりだ。
「何だよ」
視線に。
気づかれた。
「なんでもないわ」
「何だよ、その顔」
「別に」
「絶対なんかあるだろ」
「ないわよ」
「…………」
今日。
この会話。
多くないだろうか。
「僕も休もうかな」
ユエが。
カイルたちの方へ歩いていく。
「ソランは?」
「休むわよ」
当然。
一人だけ立っている意味もない。
それに。
ソランも。
少し疲れていた。
認めたくはないが。
ソランも静かに。
腰を下ろした。
◇
「ずいぶん、楽しそうですね」
穏やかな声がした。
四人が。
同時に。
振り返る。
そこに。
母ミレーヌがいた。
柔らかく波打つ銀色の髪。
淡い灰紫の瞳。
いつもの。
穏やかな微笑み。
その少し後ろには。
侍女が二人。
一人は。
茶器を載せた盆を。
もう一人は。
菓子の載った皿を。
手にしている。
そして。
ミレーヌ自身の腕には。
小さな上着が。
掛けられていた。
「お母様!」
「母様!」
ソランとノアの声が。
ほとんど。
同時に重なる。
ノアが。
立ち上がろうとする。
「そのままでいいのよ」
ミレーヌが。
優しく言った。
そのまま。
四人のところまで歩いてくる。
「ずいぶん遊んだようですね」
「はい!」
ソランが。
即答する。
ミレーヌの視線が。
娘へ向く。
少し乱れた銀髪。
次に。
カイル。
服に。
僅かに草がついている。
ユエも。
普段より。
少しだけ。
髪が乱れていた。
最後に。
ノア。
頬が。
赤い。
ミレーヌは。
ノアの前へしゃがんだ。
そっと。
頬へ触れる。
「楽しかった?」
「うん!」
「そう」
ミレーヌは。
微笑む。
「では、少し休みましょうね」
「ぼく、まだ遊べるよ」
「ええ」
否定しない。
ただ。
ノアの髪を。
優しく撫でる。
「知っています。でも、また遊ぶためにも、今は少し休みましょう」
「…………」
「お菓子もありますよ」
「休む」
「ノア」
「何?」
「決断が早いわ」
「だって、お菓子」
「…………そう」
四歳児。
非常に。
素直である。
侍女たちが。
小さく笑った。
ミレーヌも。
楽しそうに。
目を細めた。
◇
木陰に。
小さなお茶の席が。
できた。
侍女たちが。
手際よく。
茶器を並べていく。
子供たちには。
飲みやすいものが。
用意されている。
皿には。
小さな焼き菓子。
果物。
甘い香り。
「姉様」
「なあに?」
「これ、あげる」
ノアが。
自分の皿にあった。
小さな焼き菓子を。
ソランへ差し出した。
「ノアが食べていいのよ」
「姉様にあげたい」
「でも、ノアも好きでしょう?」
「うん」
「…………」
好きなのか。
なら。
なぜ。
渡すのか。
いや。
分かる。
くれたいのだ。
たぶん。
理由など。
それだけ。
「じゃあ」
ソランは。
焼き菓子を。
半分に割った。
「半分こしましょう」
「うん!」
ノアが。
嬉しそうに。
笑った。
ソランも。
片方を。
口へ入れる。
甘い。
疲れた身体が。
一気に癒される。
気がする。
「美味しい?」
「美味しいわ」
「ぼくも!」
「同じものを食べてるんだから、そうでしょうね」
「うん!」
何が。
そんなに嬉しいのか。
分からない。
でも。
ノアが嬉しそうなので。
まあ。
いい。
「…………」
少し離れたところで。
ユエが。
その様子を見ていた。
ほんの少し。
口元が。
緩む。
それは。
一瞬だった。
本人すら。
意識していなかったかもしれない。
ソランは。
気づかなかった。
ノアの口元に。
菓子の欠片がついていたから。
そちらを。
取ってやっていた。
けれど。
「…………」
カイルは。
見ていた。
ユエを見る。
「…………」
ユエが。
その視線に。
気づく。
「……何ですか?」
カイルは。
少しだけ。
目を細めた。
何かを。
考えるように。
しかし。
「別に」
「…………」
ユエが。
眉を寄せる。
「今日、そればっかりです」
「何が?」
「ソランも。カイル様も」
「俺は知らない」
「…………」
納得できない。
そんな顔をして。
ユエは。
焼き菓子を一つ。
口へ入れた。
カイルは。
それ以上。
何も言わなかった。
ただ。
以前から。
ほんの少しだけ。
思っていたことがある。
ユエは。
ソランがいると。
少し。
いつもと違う。
文句を言う。
呆れる。
嫌そうな顔もする。
なのに。
結局。
いつも。
付き合っている。
「…………」
まあ。
いい。
今は。
それだけだった。
そして。
そんなカイルを。
ミレーヌが。
ふと見た。
「…………?」
カイルが。
ユエを見ている。
ユエは。
少し不満そうな顔。
何かあったのだろうか。
ミレーヌは。
二人を。
ほんの少しだけ見た。
けれど。
特に。
口にはしなかった。
「カイル」
「はい?」
「お茶が冷めてしまいますよ」
「……はい、母上」
それだけ。
ミレーヌは。
再び。
ノアの上着を整えた。
◇
楽しい時間は。
思っているより。
早く過ぎる。
空の色が。
少しずつ。
変わり始める頃。
ユエが。
帰る時間になった。
「では、失礼します」
ユエが。
ミレーヌへ。
きちんと頭を下げる。
「ええ。またいらっしゃい」
「はい」
カイルとも。
短く。
言葉を交わす。
ノアは。
少し残念そうだった。
「ユエ、もう帰るの?」
「うん」
「また来る?」
「来るよ」
「いつ?」
「…………いつだろう」
「明日?」
「明日は無理かな」
「じゃあ、明後日?」
「ノア」
「なに?」
「ユエにも予定があるのよ」
「…………」
ノアが。
少し。
しょんぼりする。
ユエは。
そんなノアを見て。
「また来るから」
「ほんと?」
「うん」
「約束?」
「約束」
「やった!」
すぐ。
笑顔に戻った。
分かりやすい。
そして。
最後に。
ユエが。
ソランを見る。
「じゃあね、ソラン」
「ええ。またね、ユエ」
いつも通り。
それだけ。
ユエは。
帰っていく。
ソランは。
その後ろ姿を。
見送った。
「…………」
攻略対象。
そう思って。
今日は。
いつもより。
ユエを見た。
ゲームの中で。
ヒロイン。
リリアと。
恋に落ちる可能性のある少年。
そう。
意識して。
見てみた。
けれど。
「…………」
今日。
そこにいたのは。
自分に文句を言って。
結局。
遊びに付き合って。
ノアの歩く速度を気にして。
カイルと話して。
一緒に。
お菓子を食べた。
七歳の。
ユエ・ラングレイ。
攻略対象。
そう言われれば。
そうなのだろう。
ゲームでは。
そうだった。
でも。
今は。
「……まあ」
ソランは。
小さく。
息を吐いた。
「ユエは、ユエよね」
「何当たり前のこと言ってるんだ?」
背後から。
声。
「…………」
振り返る。
カイルだった。
「お兄様」
「何?」
「人の独り言を聞かないで」
「聞こえたんだから仕方ないだろ」
「聞こえても聞かなかったことにするのが優しさよ」
「なんで?」
「そういうものなの!」
「意味が分からない」
「またそれ!」
ソランが。
頬を膨らませる。
すると。
「姉様!」
今度は。
ノア。
「なに?」
「ぼくはノアだよ!」
「…………」
ソランは。
弟を見る。
ノアは。
なぜか。
得意そうだった。
「…………知ってるわよ!」
「うん!」
元気な返事。
カイルが。
吹き出した。
「お兄様!笑わないで!」
「だって……」
「何よ!」
「いや。別に」
「また別にって言った!」
「姉様!」
「今度は何!?」
「ぼくはノア!」
「知ってるってば!」
夕暮れの庭に。
笑い声が響いた。
ゲームの中には。
きっと。
こんな時間は。
なかった。
少なくとも。
斉藤優は。
知らない。
けれど。
今は。
それでいい。
ゲームが始まるまで。
まだ。
七年。
今。
目の前にいるのは。
攻略対象でも。
悪役令嬢でもない。
ただの。
七歳と。
八歳と。
六歳と。
四歳の。
子供たちだった。




