花嫁宅急便
第二章 第二十三話「花嫁宅急便」
また一つ、《以心伝心》を通じて勝利の報告が届いた。
茉莉花と執事の守護者に続き、今度は香仁子と昴もB級マガツの討伐に成功したらしい。もっとも、その報告には少々奇妙な内容が含まれていた。どうやら二人はマガツを空中へ何度も打ち上げ、倒したあともしばらくお手玉を続けていたという。
猫には、何をどうすればそんな戦いになるのか想像もつかなかった。
「み、みんなすごいですぅ……!」
感心した途端、視界の端で何かが動いた。マガツの側面から射出された螺旋状の棘が、大きく弧を描きながら猫へ迫ってくる。
「ひゃあっ!」
猫は慌てて足元の瓦礫を拾い上げ、棘に向かって投げつけた。小さな石片が凄まじい速度で飛び、空中で棘を粉砕する。砕けた破片が道路へ降り注ぐのを見届ける間もなく、猫は次の石を手に取った。
少し離れた場所では、須久井鏡子がマガツの突進を受け止めていた。
氷のドレスから伸びた杭が地面へ深々と突き刺さり、巨体の勢いを食い止める。衝突によって周囲の舗装が割れ、粉塵が舞い上がったが、鏡子自身はほとんど動かなかった。
「香仁子さんたちも終わったんですねぇ」
「は、はいっ! 私たちも頑張らないと……!」
「そうですねぇ。でも、焦らないでくださいね」
鏡子が穏やかに答えた直後、マガツの全身から無数の棘が突き出された。彼女は氷のブーケを振るい、迫る棘をまとめて叩き折る。砕けた棘が地面へ散らばる一方で、その奥にあるマガツの身体にはほとんど傷がついていなかった。
この戦いが始まってから、ずっと同じことを繰り返している。
鏡子はマガツの突進を止められる。棘の攻撃も防げる。しかし、こちらから反撃しても、無数の棘が邪魔をして本体へ十分な威力を届けられない。
一方、猫の《剛力》なら巨大なコンクリート塊を軽々と投げ飛ばせる。まともに当たれば、あの巨体にも相当な損傷を与えられるはずだった。
だが、マガツは大きな瓦礫を棘で迎撃してしまう。
そこで猫が考えたのが、道路を砕いて作った大量の小石を一斉に投げつける方法だった。小さな石なら棘の隙間をすり抜け、本体へ直接当てられる。実際、マガツの身体にはその攻撃でつけた傷がいくつも残っていた。
問題は、相手も黙って攻撃を受け続けてはくれなかったことだ。
猫を狙って飛んでくる螺旋棘。
それを撃ち落とすため、猫は小石を投げ続けることができなくなっていた。
「うぅ……!」
猫は唇を噛んだ。
大きな瓦礫なら威力は足りる。でも棘に邪魔される。小石なら当たる。でも、一発ずつの威力が足りない。
どちらを使っても、うまくいかない。
その間にもマガツは攻撃を続けていた。鏡子が氷壁を展開し、猫が螺旋棘を撃ち落とす。互いに相手の攻撃を封じているものの、どちらも決定打を与えられない。
猫はまた一つ、瓦礫を拾った。
これを投げても、きっと迎撃される。
それならもっと大きなものを投げればいいのだろうか。建物を丸ごと引き剥がして投げつければ、さすがのマガツも無事では済まないかもしれない。
けれど、そんなものを持ち上げている間に螺旋棘が飛んでくる。それに、大きくしたところで棘に引っかかるのは同じだ。
必要なのは、ただ大きなものではない。
一撃で倒せるほどの威力があって、棘にぶつかっても壊れないもの。
どれだけ棘を伸ばされても、そのまま突き破ってマガツの身体にぶつかるような、ものすごく硬いもの。
そんな都合のいいものが、どこかにないだろうか。
猫は辺りを見回した。
道路には瓦礫が散乱し、建物の壁は崩れ、横転した車が何台も転がっている。しかし、どれも棘に迎撃された瓦礫と大差なかった。
猫が困り果てて視線を戻したとき、マガツが再び鏡子へ突進した。
鏡子は氷の杭を地面へ打ち込み、その巨体を真正面から受け止める。
凄まじい衝撃が走った。
地面がひび割れ、マガツの棘が何本も折れた。それでも鏡子の氷のドレスは砕けず、彼女自身もその場から動かなかった。
「…………」
猫は鏡子を見つめた。
大きな氷のドレス。
棘がぶつかっても壊れない装甲。
マガツの突進すら止めてしまう頑丈さ。
しかも、鏡子なら自分で動ける。瓦礫と違って、攻撃を受けても姿勢を立て直せる。
「…………あっ」
思いついてしまった。
同時に、猫の顔から血の気が引いた。
「ね、猫さん?」
鏡子の声が届いた。
《以心伝心》でつながっている以上、猫が何を考えたのか、鏡子にも伝わっている。
「い、いえっ! あのっ! 今のは……!」
「私を投げるんですね?」
「ひゃああっ!? やっぱり伝わってましたぁ!?」
鏡子はマガツの棘を氷のブーケで受け流しながら、少し考えるように首を傾げた。
「なるほど。確かに、普通の瓦礫よりは頑丈かもしれませんねぇ」
「で、でもでも! 先輩を投げつけるなんて、そんな……!」
「猫さんなら、どのくらい遠くまで投げられますか?」
「えっ?」
「せっかくなら、棘に邪魔されないところから攻撃したいですよねぇ」
鏡子の考えが《以心伝心》を通じて伝わってきた。
マガツの正面から突っ込めば、当然、棘による迎撃を受ける。それなら、相手の頭上へ回り込めばどうだろう。高いところから勢いをつけて落下すれば、攻撃の威力も増すはずだ。
ただし、普通に投げられただけでは、空中で姿勢を整えるのが難しい。
鏡子が考えたのは、氷のドレスの形を変えることだった。
「……あっ!」
猫の頭に、別の案が浮かんだ。
投げる必要なんてない。
自分の力で、鏡子を思いきり高く打ち上げればいい。
鏡子が助走をつけて猫の手を踏み台にし、猫が全力で押し上げる。空高く打ち上がった鏡子は、氷のドレスを翼のように広げてマガツへ向かう。
鏡子にも、その光景が伝わった。
「あらぁ。それなら、うまくいきそうですねぇ」
「ほ、本当にやるんですかぁ!?」
「はい。お願いしますね」
あまりにもあっさりした返事だった。
猫は泣きそうな顔になったが、鏡子はすでに氷のドレスを変形させ始めていた。
背後へ長く伸びていたトレーンが折り重なり、スカートの裾が左右へ張り出していく。広がった氷は薄く硬質な板となり、直線的な輪郭を持つ一対の主翼を形成した。さらにトレーンの一部が後方へ伸び、左右の小さな水平尾翼と垂直尾翼へ姿を変える。
花嫁衣装の優美な曲線は残しながらも、その輪郭はどこか飛行機を思わせるものになっていた。
透き通ったヴェールは頭部と首を包む装甲へ変わり、額のティアラが鋭い衝角を形作る。
鏡子は自分の姿を見下ろし、少し考え込んだ。
「うーん、そうですねぇ。名付けて、モード《突撃王女》でどうでしょう?」
満足そうに微笑む鏡子とは対照的に、猫の顔はますます青くなっていた。
「ほ、ほんとに飛ばしちゃうんですねぇ……」
「ふふ。お願いしますね、猫さん」
「わ、分かりましたぁ……!」
猫は大きく息を吸い込んだ。
その間にも、マガツは攻撃を続けている。鏡子が氷壁を展開して棘を防ぎ、猫は飛来する螺旋棘を瓦礫で撃ち落とした。
今度の攻撃は、失敗したら終わりだ。
鏡子を打ち上げている間、猫は螺旋棘を迎撃できない。鏡子も空中では地面に杭を打ち込めず、これまでのように突進を止めることはできない。
だからこそ、確実に決めなければならない。
猫が構えようとしたところで、鏡子の考えが伝わってきた。
まだ早い。
マガツが次の突進を始めるまで待つ。
猫は頷き、足元の瓦礫を拾い直した。
マガツが鏡子へ向かって動き出した。
巨体が地面を蹴り、突進する。
鏡子は正面に氷壁を展開した。マガツがそれを突き破った瞬間、さらにもう一枚、斜めに氷壁を差し込む。巨体がわずかに進路を逸らされ、勢いを失ったところへ氷の杭が次々と突き刺さった。
突進が止まる。
鏡子はすぐに杭を引き抜き、猫の方へ駆け出した。
マガツが追おうとしたが、足元には砕けた氷と瓦礫が散乱している。そこへ猫が大きなコンクリート塊を投げつけた。
棘が伸び、瓦礫を迎撃する。
そのわずかな間に、鏡子は猫のもとへたどり着いていた。
「い、いきますよぉ!」
「お願いします」
猫は腰を落とし、両手を重ねて低く構えた。
鏡子が最後の一歩を踏み込み、その手の上へ片足を乗せる。
猫は《剛力》を全開にし、全身の力で腕を振り上げた。
「うーんにゃぁぁぁぁっ!!」
地面が陥没した。
猫の足元から亀裂が走り、砕けた舗装が跳ね上がる。踏み切った鏡子の身体は、凄まじい勢いで空へと打ち上げられた。
「ひゃああああっ!?」
悲鳴を上げたのは猫の方だった。
自分でやっておきながら、予想以上の勢いに驚いたのだ。
鏡子はあっという間に建物の屋上を越え、さらに高く昇っていく。左右へ張り出した氷の主翼が陽光を反射し、長い尾翼が空に細い光の筋を描いた。
「あらあら……」
鏡子は眼下の街並みを見渡した。
「ずいぶん高いですねぇ」
地上では、マガツが突然消えた相手を探すように首を振っていた。
猫が空を見上げる。
鏡子の姿は、もう小さくしか見えない。
けれど、《以心伝心》を通じて鏡子の考えは伝わってくる。
大丈夫。
ちゃんと狙えている。
猫は胸の前で両手を握り締めた。
鏡子は上昇の頂点へ達していた。
「さて……」
氷の主翼がわずかに傾き、尾翼の一部が角度を変えた。
鏡子は身体を前へ倒す。
翼が風を捉え、落下し始めた身体が滑らかに向きを変えた。鏡子は眼下のマガツへ進路を定めると、翼の角度を調整しながら降下を始める。
高く打ち上げられた身体が、今度は地上へ向かって加速していく。
マガツが空を見上げた。
その視線の先に、氷の花嫁がいた。
巨体が咆哮する。
全身の棘が一斉に上を向き、無数の鋭い先端が鏡子を狙った。
「鏡子先輩っ……!」
猫は思わず声を漏らした。
棘が空へ放たれる。
鏡子は避けなかった。
真正面から棘の雨へ突っ込んでいく。鋭い先端が氷の装甲へ衝突し、次々と砕け散った。激しい衝撃が連続する中でも、鏡子は進路を変えない。
マガツは棘を撃ち続けた。だが、どれだけ棘を伸ばしても、氷の花嫁を止めることはできなかった。
やがてマガツは攻撃を中断し、巨体を横へ動かし始めた。
迫り来る鏡子から逃れようとしている。
その動きに合わせ、鏡子の主翼が傾いた。尾翼の一部が角度を変え、降下していた身体が緩やかな弧を描く。
マガツがさらに進路を変える。
鏡子も追う。
氷の翼は、飛ぶためのものではない。猫に打ち上げられた鏡子が、落下しながら狙った相手へ確実に命中するためのものだった。
マガツがどちらへ逃げても、鏡子の進路はその巨体を捉え続ける。
再び無数の棘が放たれた。
鏡子はそのすべてを氷の装甲で受け止めた。棘が砕け、氷片が散る。衝撃で表面に細かな傷が走っても、装甲はその強度を失わない。
マガツが最後の抵抗とばかりに、正面から太い棘を突き出した。
鏡子は額の衝角をその先端へ向けた。
激突。
棘が根元まで縦に裂け、破片が左右へ弾け飛ぶ。
そして、その奥にあったマガツの胴体へ、鏡子が突っ込んだ。
鈍い衝撃音が街に響き渡った。
巨体が大きくのけぞる。硬い外殻に亀裂が走り、氷の衝角がその内側へ食い込んでいた。
マガツは両腕を振り上げたが、すでに身体を支える力が残っていなかった。
鏡子は翼を畳み、衝角を引き抜く。
巨体がゆっくりと傾き、轟音とともに地面へ倒れた。
舞い上がった粉塵が晴れるまで、猫は動けなかった。
鏡子が無事でいることは、《以心伝心》を通じて分かっている。それでも、あの衝撃を目の当たりにした猫の足は、すぐには動かなかった。
「きょ、鏡子先輩……!」
ようやく駆け出した猫の前で、氷のドレスをまとった鏡子が立ち上がった。頭部の装甲がほどけ、いつもの穏やかな顔が現れる。
「あら、猫さん」
「だ、大丈夫ですかぁ!? どこか痛くないですか!? 怪我は!?」
「大丈夫ですよ。猫さんのおかげで、うまくいきました」
鏡子は微笑んだ。
猫はその場にへたり込んだ。
「よ、よかったですぅ……!」
安心した途端、涙がぽろぽろとこぼれてくる。
「ご、ごめんなさい……! あんなに高く飛ぶなんて思わなくて……!」
「ふふ。私もびっくりしました」
「わ、笑い事じゃないですぅ……!」
鏡子はしゃがみ込み、猫の顔を覗き込んだ。
「でも、とても助かりましたよ。ありがとうございます、猫さん」
猫は鼻をすすりながら、何度も頷いた。
背後では、倒れたマガツがぴくりとも動かなくなっていた。
鏡子はそれを確かめ、もう一度空を見上げる。
「それにしても……」
「は、はい?」
「空から見る街って、きれいですねぇ」
猫は目をぱちぱちさせた。
「……そ、そうなんですか?」
「ええ。また機会があったら、お願いしてもいいですか?」
「い、嫌ですぅぅぅっ!!」
猫の悲鳴が、ようやく静かになった戦場に響き渡った。




