茨と執事
第二章 第二十一話 茨と執事
茉莉花と《執事の守護者》が降り立った大通りには、戦闘の爪痕が色濃く残っていた。
アスファルトはあちこちで砕け、街路樹は鋭利な刃物で切断されたように倒れている。道路に面した建物にも無数の傷が刻まれており、中には二階の窓を横切るほど長いものまであった。
二人を降ろした昴は、香仁子を乗せた《天駆》を牽引し、すでに次の戦場へ向かっている。
「ずいぶんと派手に暴れているようですわね」
「ええ。ですが、肝心のお相手が見当たりませんな」
執事の言葉に、茉莉花は建物の壁面を見上げた。
事前に共有された情報では、ここにいるB級マガツはムカデに似た長大な身体と、カマキリのような鎌状の前脚を持っている。さらに周囲の色に身体を溶け込ませる能力があり、建物の壁や道路に紛れてしまえば、見つけることは容易ではない。
実際、少し離れた場所では一般戦闘員たちが周囲を警戒しながら応戦していた。何もない空間へ向けて攻撃が放たれたかと思うと、そのすぐ脇の壁面に新たな切り傷が走る。敵の姿を捉えられないまま、一方的に攻撃を受けているようだった。
「なるほど。厄介な相手ですこと」
「いかがなさいますか、お嬢様」
「決まっていますわ。隠れる場所が多いのでしたら、通れる場所を減らしてしまえばよろしいのです」
茉莉花はそう言って、戦闘員たちの方へ歩き出した。
二人に気づいた一人が、ほっとした表情で駆け寄ってくる。
「魔法少女と守護者か! 助かった!」
「状況は把握しておりますわ。ここからはわたくしたちが引き受けます。皆様はお下がりくださいませ」
「了解した。頼む!」
戦闘員は仲間たちに声を掛け、後退を始めた。負傷者を支えながら移動する者もいるが、幸い、歩けないほどの重傷者はいないようだった。
茉莉花は彼らが十分に距離を取ったことを確かめると、道路の中央に立って片手を掲げた。
「では、始めますわよ」
足元のアスファルトに亀裂が走った。
そこから伸びた一本の茨が地面を這い、近くの街路樹へ巻きつく。続いて道路のあちこちから太い茨が噴き出し、建物の壁面を登り、互いに絡み合いながら大きな柵を形成していった。
茨は道路を横切るだけでなく、建物と建物の間にも伸びていく。壁面を伝って移動する敵にも対応できるよう、上方にも何本もの蔓が張り巡らされた。
ただし、完全に塞いでいるわけではない。
ところどころに細長い身体なら通り抜けられる程度の隙間が残されており、茨に囲まれた道路の中央へ至る経路は、自然と限られていった。
「お嬢様、通り道はこの六箇所でよろしいでしょうか」
「ええ。あとはお任せいたしますわ」
「かしこまりました」
執事は腰のポシェットに手を入れ、細い金属線と小さな金具を取り出した。
彼の武具であるポシェットは、あらかじめ収納しておいた金属を任意の形状に加工できる。執事はその能力を使い、髪の毛ほどの細さしかない金属線を次々と作り出していった。
それらを茨の隙間に渡し、金具で固定していく。張った線は別の細い線を介して手元へ導かれ、どこかが切断されれば張力の変化が伝わる仕組みになっていた。
「相変わらず器用ですこと」
「恐れ入ります。こういった細かな作業は得意でございまして」
「地味なお仕事ほど丁寧に、ですわよ」
「お嬢様の爪に火を灯すような生活と同じですね」
「余計なお世話ですわ!!」
「これは失礼いたしました」
まったく悪びれない執事を茉莉花が睨みつける。しかし、本人は涼しい顔で作業を続け、最後の金属線を張り終えると、満足そうに頷いた。
「準備が整いました、お嬢様」
「では、あとは向こうが来るのを待つだけですわね」
茉莉花は茨の柵に囲まれた道路の中央で、悠然と腕を組んだ。
敵の姿は見えないが、こちらが派手に茨を展開したことは向こうにも伝わっているはずだ。これだけ目立つ障害物を作られれば、放置するわけにもいかないだろう。
しばらくして、建物の上方から小さな破片が落ちてきた。
茉莉花が視線を向けると、灰色の外壁にわずかな色のずれが生じている。何かが壁を這っているらしい。長い影が一瞬だけ浮かび上がったものの、動きが止まると周囲の模様に紛れてしまった。
「いらっしゃったようですわね」
「そのようですな」
執事は手元の金属線に指を添えた。
茉莉花も身構えたが、敵を追いかけることはしなかった。
やがて壁面の色が再び揺らぎ、細長い影が茨の柵へ向かって動き出す。正面を塞がれていると判断したのか、影は建物の壁を伝い、わずかに残された隙間へと進んでいった。
次の瞬間、執事の指先に掛かっていた張力が消えた。
「お嬢様、左の二番目です!」
「そこですわね!」
茉莉花が腕を振ると、指定された隙間の周囲から茨が一斉に伸びた。
何もないように見える空間へ蔓が絡みつき、直後、甲高い金属音が響き渡る。鋭い刃が茨を切り裂き、太い蔓が何本も地面へ落ちた。
しかし、切断された隙間を埋めるように新たな茨が伸び、敵の身体へ巻きついていく。
周囲の色に紛れていた輪郭が崩れ、巨大なマガツが姿を現した。
無数の脚を備えた長大な胴体に、硬い甲殻で覆われた頭部。その前方には、カマキリを思わせる二本の鎌が突き出している。
マガツは身体を激しくくねらせながら鎌を振るい、絡みついた茨を次々と切断していった。
「なかなか立派な刃物をお持ちですこと!」
茉莉花は両手を広げ、さらに茨を伸ばした。
地面から噴き上がった蔓がマガツの胴体へ絡みつき、建物の壁から伸びた茨が反対側から締め上げる。長い身体が暴れるたびに何本もの蔓が引きちぎられたが、そのたびに新しい茨が拘束を補っていった。
それでも鎌の動きだけは止まらない。
刃が振るわれるたび、周囲の茨がまとめて切り払われる。拘束が緩んだ瞬間、マガツの頭部が茉莉花へ向いた。
「お嬢様!」
「分かっていますわ!」
茉莉花が両手を握り込む。
地面から伸びた太い茨が左右の鎌へ巻きつき、刃の根元を強引に引き下ろした。さらに別の蔓が関節を締め上げ、振り上げようとする動きを封じる。
マガツが激しく抵抗し、茨が軋んだ。
茉莉花の額を汗が伝う。
広範囲に張り巡らせた柵を維持しながら、B級マガツの巨体を押さえ込んでいるのだ。魔力の消耗は決して小さくない。
「……今ですわ!」
「承知いたしました」
執事はポシェットから金属線を取り出した。
先ほど仕掛けに使ったものとは異なり、今度は細い線を何本も撚り合わせ、さらに束同士を組み合わせていく。短い線材を接続しながら加工を重ねると、やがて十分な長さと太さを備えたワイヤーが出来上がった。
執事はそれを手に、拘束されたマガツへ近づく。
鎌は茉莉花の茨によって押さえ込まれているものの、長い胴体はなおも激しく暴れていた。執事はその動きを見極めながら茨を足場にして頭部へ回り込み、甲殻の継ぎ目を確かめる。
「少々失礼いたします」
頭部と胴体をつなぐ部分には、硬い甲殻が重なり合うわずかな隙間があった。
執事はそこへワイヤーを通し、頭部側の甲殻に引っ掛かるように固定した。暴れるマガツの身体を避けながら、残りのワイヤーを頭上の太い茨へ取りつける。
「お嬢様、準備が整いました」
「ご苦労様。下がっていてくださいまし」
「かしこまりました」
執事が十分に距離を取ると、茉莉花は大きく息を吸い、両手を掲げた。
マガツの身体を拘束していた茨が、ゆっくりと上へ伸び始める。
長大な胴体が地面から離れ、宙へ持ち上がった。
マガツは鎌を振り回そうとしたが、茉莉花は刃の根元を押さえる茨を緩めなかった。頭部に掛けられたワイヤーも、上方へ伸びる蔓に引かれて張り詰めている。
十分な高さまで持ち上げたところで、茉莉花は動きを止めた。
「さて、ご自分の身体がどれほど重いか、ご存じかしら?」
茉莉花は片手をゆっくりと下ろした。
「――《茨の絞首刑》!」
胴体を支えていた茨が、一斉にほどけた。
長大な身体が重力に引かれて落下する。しかし、頭部に掛けられたワイヤーは外れない。
勢いよく張り詰めたワイヤーが甲殻の継ぎ目へ食い込み、マガツの巨体が宙で大きく跳ねた。
頭部は上方へ引かれ、胴体は下へ落ちようとする。その間に掛かった凄まじい負荷が、甲殻の継ぎ目を軋ませた。
マガツは鎌を振り上げようとしたが、左右の刃は茨に押さえ込まれたままだった。鎌の動きを封じる蔓は胴体を吊り支えることなく、関節を左右から固定し続けている。
茉莉花は歯を食いしばった。
頭上の茨にはマガツの全重量が掛かっている。それを支えながら鎌の拘束まで維持する負担は、想像以上に大きかった。
それでも、ここで緩めるわけにはいかない。
「これで……終わりですわ!」
茉莉花が最後の力を込めると、頭上の茨がさらに伸び、ワイヤーを強く引き上げた。
次の瞬間、甲殻の継ぎ目が耐えきれずに裂けた。
頭部と胴体が引き離され、長大な身体が地面へ落下する。激しい衝撃とともにアスファルトが砕け、周囲に砂埃が舞い上がった。
頭部を失ったマガツはしばらく脚を痙攣させていたが、やがて動かなくなり、その巨体が崩れ始めた。
茉莉花はそれを見届けると、ようやく両腕を下ろした。
道路を覆っていた茨も次々と力を失い、地面へ崩れ落ちていく。
「……ふう」
思わず漏れた息を、茉莉花は慌てて飲み込んだ。足元がわずかにふらついたが、何事もなかったように背筋を伸ばす。
「お見事でございました、お嬢様」
戻ってきた執事が、いつものように恭しく頭を下げた。
「ふふん! 余裕のよっちゃんですわ!」
「お嬢様その言葉遣いはどなたから教わったのですか?」
「香仁子よ」
「………お嬢様にお友達が増えたことをお喜びするべきでしょうか……」
「何よ本当の執事みたいなこと言うわね」
「これは失礼いたしました」
執事は口元に笑みを浮かべた。
茉莉花も満足げに微笑んでいたが、その足は先ほどからほとんど動いていない。大量の魔力を消費した影響で、身体には鉛のような重さが残っていた。
それでも、休んでいる場合ではなかった。
《以心伝心》を通じて伝わってくる猫と鏡子の様子から、二人がまだ苦戦していることは分かっている。詳しい戦況までは見えないものの、少なくとも決着がついた様子はなかった。
「さあ、次の戦場へ向かいますわよ!」
「おや、もうですか?」
「猫と鏡子が苦戦していますの。あの二人なら大丈夫でしょうけれど、わたくしたちも向かわなければ」
茉莉花は歩き出そうとしたが、足元がわずかによろめいた。
すぐに体勢を立て直したものの、その様子を執事が見逃すはずもない。
「……お嬢様。少し休憩なされては?」
「必要ありませんわ! この程度で疲れるわたくしではなくってよ!」
「左様でございますか。ですが、こちらをご覧になれば、きっとお休みになりたくなるかと」
「何を見せるつもりですの?」
「ふふふ。少々お待ちくださいませ」
執事は意味ありげに微笑むと、腰のポシェットへ手を入れた。
取り出した小さな金属部品を次々と組み合わせ、まずは大きな椅子の骨組みを作り上げる。そこへ持参していた布地を張り、ゆったりと身体を預けられる豪華なビーチチェアを完成させた。
さらに大きなパラソルを広げ、隣には装飾の施されたローテーブルまで設置する。
ほんの少し前までB級マガツが暴れ回っていた道路の真ん中に、南国リゾートの一角が出来上がった。
「いかがでしょう、お嬢様。こちらで優雅なひとときを過ごされては?」
「…………」
茉莉花は目の前の光景を見つめた。
座り心地は確かによさそうだ。大きなパラソルのおかげで日差しも遮られているし、あの椅子に身体を預ければ、さぞ気持ちがいいことだろう。
だが、問題はそこではない。
ふと周囲を見ると、戦闘の後始末をしていた一般戦闘員たちが、何とも言えない表情でこちらを見ていた。
「周りの視線が痛すぎてそんな堂々と休めませんわ!!」
「おや。お気に召しませんでしたか?」
「気に入る気に入らない以前の問題ですわ!! こんな場所で何を考えていますの!?」
「それは失礼いたしました。では、こちらはいかがでしょう」
執事は何事もなかったかのように豪華な設備を片づけ、代わりに簡素な折り畳み椅子を一脚だけ用意した。
「最初からそれを出しなさい!」
茉莉花は憤慨しながら、当たり前のように椅子へ腰を下ろした。
「まったく! あなたという人は、どうしていつも余計なことばかり……!」
背もたれに身体を預け、ようやく足の力を抜く。
「はぁ……」
そして、数秒後。
「……あ」
茉莉花はゆっくりと顔を上げた。
目の前には、満足そうに微笑む執事の姿。
「……あなた、最初からこれが狙いでしたわね?」
「さて、何のことでございましょう?」
「とぼけないでくださる!?」
執事は涼しい顔で一礼した。
「何はともあれ、お嬢様がおくつろぎになられているようで何よりでございます」
「くつろいでなんかいませんわ!!」
「左様でございますか」
「ええ! わたくしは別に疲れてなど――」
勢いよく立ち上がろうとした茉莉花の膝が、かくんと揺れた。
慌てて椅子に座り直す。
執事は何も言わなかった。ただ、先ほどよりも少しだけ楽しそうに微笑んでいた。
「…………」
茉莉花はしばらく恨めしそうに執事を睨んでいたが、やがて諦めたように背もたれへ身体を預け直した。
「……お茶」
「はい?」
「お茶くらいは、いただいて差し上げてもよろしくてよ」
「かしこまりました、お嬢様」
執事は深々と頭を下げた。
その口元に浮かんだ笑みを見て、茉莉花はまた頬を膨らませる。
「……本当に、意地の悪い執事ですこと」
「お褒めにあずかり、光栄でございます」
「褒めてませんわ!!」
茉莉花の抗議が、ようやく静けさを取り戻した大通りに響いた。




