剛力と氷壁
第二章 第二十話 剛力と氷壁
「にゃー先輩! きょう先輩! 頑張ってねー!」
「は、はいぃ! 昴ちゃんも気をつけてくださいねぇ!」
猫が慌てて手を振り返したときには、二人を送り届けた《天駆》の姿はすでに消えていた。
「……は、速いですぅ」
「ふふっ。さすが昴さんですね。それでは、私たちも参りましょうか」
鏡子に促され、猫は戦闘区域へ向かって駆け出した。
降ろされた場所は市街地の外れにある大通りだった。周辺の道路はすでに封鎖され、避難誘導を行う職員たちが慌ただしく行き交っている。遠くからは銃声と爆発音が絶え間なく響き、その合間に建物が崩れるような重い音まで聞こえてきた。
そして、それらをかき消すほどの咆哮が轟いた。
「ヴォオオオオオオッ!!」
「ひゃああっ!?」
猫が飛び上がり、思わず鏡子の腕にしがみつく。
「も、もう始まってるんですかぁ!?」
「そのようですね。急ぎましょう、猫さん」
二人が大通りへ出ると、戦闘の全貌が見えてきた。
道路の中央を占拠していたのは、巨大な四足歩行のマガツだった。
サイを思わせる分厚い胴体と、頭部から突き出した太い角。背中から肩、腰にかけては、ヤマアラシのような無数の棘が生えている。一本一本が槍ほどの太さを持ち、巨体が身じろぎするたびに硬い棘同士が擦れ合って、ガラガラと耳障りな音を立てていた。
その周囲では、一般戦闘員たちが複数の班に分かれて展開していた。
「第一班! 右眼に集中射撃! こっちを向かせろ!」
指揮官の怒号に応じ、複数の銃口が一斉に火を噴いた。
銃弾がマガツの顔面へ殺到する。分厚い皮膚にはほとんど傷がつかないものの、眼を狙われた巨体は鬱陶しそうに頭を振り、第一班へ向き直った。
「第二班、今だ! グレネードで足元を崩せ!」
「了解!」
数発の爆発が前脚付近で起こり、舗装が砕け散る。
「ヴォオオオオッ!!」
足を取られたマガツが怒りの咆哮を上げた。巨体が大きく傾き、背中の棘が一斉に逆立つ。
「棘が来るぞ! 全員退避!」
戦闘員たちが左右へ散った。
「第三班、結界盾展開!」
「展開完了! 早く入れ!」
第一班の隊員たちが結界盾の陰へ滑り込んだ直後、マガツの背中から無数の棘が射出された。
空気を引き裂く鋭い音が連続し、槍のような棘が結界盾へ叩きつけられる。何本かは道路へ突き刺さり、一本は近くの街灯を根元からへし折った。
「第三班、損傷は!?」
「まだ持ちます! ただし次は厳しいです!」
「第四班と交代! 第一班は射撃再開、頭を上げさせるな!」
矢継ぎ早に指示が飛び、戦闘員たちは素早く配置を変えていく。
マガツが走り出そうとすれば足元を爆破し、棘を撃とうとすれば別方向からの銃撃で注意を逸らす。時折、巨体が結界へ向かって突進を試みるものの、そのたびに複数の班が連携して進路を妨害していた。
戦闘員たちの攻撃は、マガツにほとんど傷を与えていない。
それでも、巨体を一定の区域へ押し留めることには成功していた。
「す、すごいですぅ……」
猫が思わず呟く。
「ええ。見事な連携ですね」
鏡子も感心したように頷いた。
そのとき、後方で指示を出していた戦闘員が二人に気づいた。
「魔法少女か!?」
「《氷壁》及び《剛力》、現場に到着しました。状況を報告してください」
「助かった! 対象は背中の棘を高速で射出する。連射も可能だ! それと突進の威力が凄まじい。正面には絶対立つな!」
報告を受けている間にも、マガツが再び咆哮を上げた。
今度は第一班からの銃撃を無視し、第四班が展開する結界盾へ向かって突進を始める。
「まずい! 第四班、退避!」
指揮官が叫んだが、巨体はすでに結界盾の目前まで迫っていた。
「猫さん、少し下がっていてくださいね」
「えっ? きょ、鏡子先輩!?」
鏡子が前へ出る。
「《永久凍土の花嫁》」
透き通った氷が鏡子の身体を包み込んだ。
上半身を覆う氷の装甲に、腰から大きく広がるスカート。背後へ長く伸びるトレーンと、頭を覆う繊細なヴェール。その姿は、まるで氷で作られた花嫁衣装だった。
スカートの裾とトレーンの一部が幾本もの杭へ変形し、道路へ深々と突き刺さる。
次の瞬間、マガツの巨体が鏡子へ激突した。
轟音が響き、足元の舗装が砕け散った。
「きょ、鏡子先輩ぃぃ!!」
猫の悲鳴が響く。
しかし、鏡子は倒れていなかった。
氷の装甲には傷一つなく、巨大なマガツを真正面から受け止めている。地面へ打ち込まれた氷の杭が衝撃を受け止め、巨体の勢いを完全に殺していた。
「あらあら。ずいぶん元気ですねぇ」
「グルルルル……!」
マガツは鏡子を押し潰そうとさらに力を込めたが、氷の花嫁はびくともしなかった。
苛立たしげに唸ったマガツは大きく頭を振り、鏡子から離れると数歩後退する。
背中の棘が逆立った。
鏡子が猫の前へ氷壁を展開した直後、無数の棘がそこへ殺到した。
「……あの突進を止めたのか?」
戦闘員の一人が呆然と呟いた。
指揮官も一瞬目を見開いたが、すぐに通信機へ手を伸ばす。
「魔法少女の到着を確認! 予定どおり戦闘班は撤退しろ! これ以上、彼女たちの邪魔になるな!」
「了解!」
返答は早かった。
戦闘員たちは一斉に射撃を止め、速やかに戦線から離脱していく。負傷者の確認や装備の回収も手際よく進み、マガツの周囲から人影が消えていった。
マガツは離れていく戦闘員たちを追おうとはしなかった。
それよりも、目の前に現れた二人の方がよほど危険だったからだ。
「結界班と避難誘導班は任務を継続! 連絡要員を残し、戦闘班はC級対応部隊へ合流!」
「了解!」
最後の戦闘員が後退するのを確認し、指揮官は鏡子へ向き直った。
「ここは任せた!」
「はい。お疲れさまでした」
猫は遠ざかっていく戦闘員たちを見送り、少しだけ心細そうに呟いた。
「み、皆さん行っちゃいましたぁ……」
「ふふっ。私たちのお仕事ですからね。頑張りましょう、猫さん」
「は、はいぃ……!」
もっとも、返事をした猫の目はすでに涙で潤んでいた。
その間にもマガツは攻撃を続けていた。鏡子が展開した氷壁に棘が突き刺さり、次々と砕け散る。正面からの射撃が通じないと見るや、今度は身体を低くして猫のいる方向へ走り出した。
「ひゃあああ! こっち来ましたぁ!」
「大丈夫ですよ」
鏡子が進路へ割って入り、地面に氷の杭を打ち込んだ。
マガツの角が氷の装甲に激突し、鈍い衝撃音が響く。鏡子は微動だにせず、そのまま片手に巨大な氷のブーケを作り出した。
「それでは、こちらからもお返ししましょうか。《手痛い別れ(離婚しましょ)》」
巨大なブーケが振り下ろされた。
凄まじい衝撃音とともに、マガツの肩から大量の棘が弾け飛ぶ。巨体が大きくよろめき、数歩後退した。
「や、やったぁ!」
猫が喜びの声を上げた。
しかし、マガツは倒れなかった。
鏡子が叩いた部分では、棘が根元から折れたり抜け落ちたりしているものの、その下の皮膚にはほとんど傷がついていない。
「あら?」
鏡子が首を傾げる。
確かに手応えはあった。以前戦ったゴーレムなら、頭部を粉砕できたほどの一撃だ。
だが、マガツの棘は硬い一方で脆く、強烈な打撃を受けると次々に折れ砕けてしまう。氷のブーケの勢いは大量の棘を破壊するうちに失われ、本体へ十分な衝撃が届かなかったのだ。
しかも、折れた棘の根元からは、すでに新しい棘が伸び始めていた。
「……まあ、困りましたね」
「ど、どうしたんですかぁ!?」
「棘が先に壊れてしまうので、身体まで攻撃が届かないみたいです。それに、もう生えてきていますね」
「ええええ!?」
猫が驚いた直後、マガツが大きく身体を震わせた。
背中の棘が逆立つ。
「猫さん、危ないですよ」
鏡子が氷壁を展開する。
無数の棘が叩きつけられ、氷の表面に激しい衝撃音が響いた。
その陰で、猫は周囲を見回していた。
マガツの身体は大きい。あれだけの巨体なら、こちらの攻撃を当てるのは難しくないはずだ。
「わ、わたしもやりますぅ!」
猫は道路脇に転がっていた大きなコンクリート塊へ駆け寄った。
普通なら何人がかりでも動かせそうにない瓦礫を、猫は軽々と持ち上げる。
「ええいっ!!」
細い腕が振り抜かれた。
コンクリート塊が猛烈な勢いでマガツへ飛んでいく。
だが、マガツはそれを待ち受けるように棘を射出した。
何本もの棘が瓦礫に突き刺さり、空中で砕け散る。
「ひゃっ!? う、撃ち落とされたぁ!?」
猫はすぐに別の瓦礫を拾い上げた。
今度はさらに大きい。
「だったら、これならどうですかぁ!」
再び放たれた巨大な瓦礫へ、マガツが棘を撃ち込む。
先ほどとは違い、瓦礫は砕けなかった。
しかし、側面に突き刺さった棘によって軌道が逸れ、マガツの身体を大きく外れて道路へ落下した。
激しい音とともに地面が揺れる。
「うぅ……どうして当たらないんですかぁ……!」
マガツは猫へ向き直り、低く唸った。
背中の棘が一斉に逆立つ。
「ひぃっ!」
猫が慌てて飛び退いた直後、立っていた場所へ棘が突き刺さった。
続く射撃は鏡子の氷壁が受け止める。
「猫さん、あまり前に出すぎないでくださいね」
「は、はいぃ……!」
猫は涙目で頷きながら、もう一度マガツを見た。
大きな瓦礫は棘で撃ち落とされるか、軌道を逸らされてしまう。
ならば、もっと小さなものを大量に投げればどうだろう。
猫は地面へ拳を叩きつけた。
舗装が砕け、大小さまざまな破片が跳ね上がる。
「こ、これならどうですかぁぁ!!」
猫が両腕を振るった。
無数の石片が散弾のようにマガツへ殺到する。
マガツは棘を射出して迎撃したが、今度はすべてを撃ち落とすことができなかった。
大量の石片が巨体へ命中する。
硬い音が連続し、背中の棘が何本も折れた。棘の隙間を抜けた石片が皮膚へ食い込み、あちこちに小さな傷を刻んでいく。
「グオオオオッ!!」
マガツが苦痛の混じった咆哮を上げた。
「や、やったぁ! 当たりましたぁ!」
猫の顔がぱっと明るくなった。
しかし、マガツはすぐに地面を蹴り、猫へ向かって突進してきた。
「ひゃああああ!?」
鏡子が割って入り、巨体を正面から受け止める。
地面が砕け、氷の杭が軋む。それでも鏡子は一歩も退かなかった。
「猫さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですぅ……!」
猫は答えながら、マガツの身体を観察した。
先ほど折れた棘は、もう新しいものへと生え替わりつつある。
けれど、皮膚についた傷までは消えていなかった。
「あ、あの、鏡子先輩!」
「はい?」
「小さい石なら当たるんですぅ! それに、ちょっとだけですけど、傷もついてますぅ!」
「まあ、本当ですね」
鏡子がマガツの身体へ目を向ける。
棘の隙間には、確かにいくつもの小さな傷が残っていた。
「でも、あれくらいじゃ倒せないですよねぇ……」
「一度では難しいでしょうね。ただ、何度も繰り返せばどうでしょう?」
「……え?」
猫が目を瞬かせる。
そして、もう一度マガツを見る。
小さな傷が十個、二十個。さらに増えれば百個、二百個。
それだけの傷を負わせ続ければ、いくらB級マガツでも無事では済まないはずだ。
「な、何十回も投げることになりますよぉ!?」
「ふふっ。頑張りましょうか」
「うぅ……わ、わかりましたぁ!」
猫は覚悟を決めると、再び地面へ拳を叩きつけた。
砕けた舗装を両手ですくい上げ、マガツへ向かって投げつける。
石片の雨が巨体を襲った。
マガツは棘を射出して迎撃したが、細かな石片までは防ぎきれない。肩や胴体へ次々と命中し、硬い皮膚に新たな傷が刻まれていく。
「グオオオオオッ!!」
怒り狂ったマガツが猫へ向かって走り出す。
しかし、鏡子が進路へ立ちはだかった。
「あらあら。そちらには行かせませんよ」
巨大な角が氷の花嫁へ激突する。
鏡子はそれを受け止めると、氷のブーケで頭部を押し返した。
マガツはすぐに後退し、背中の棘を射出する。鏡子が氷壁を展開して防ぐ間に、猫はまた新しい石片を拾い集めていた。
「ええいっ!」
再び散弾が放たれる。
マガツは身体をひねって避けようとしたが、巨体ゆえにすべてをかわすことはできなかった。石片が肩から背中へ降り注ぎ、折れた棘の隙間に新たな傷を刻んでいく。
「や、やっぱり効いてますぅ!」
猫が声を弾ませた。
何度も繰り返す必要はある。それでも、ようやく勝ち筋が見えた。
マガツの方も、ただ怒っているだけでは済まなくなっていた。
巨体のあちこちには細かな傷が増え、棘が折れるたびに新しいものを生やしている。石片が命中するたびに身体を震わせ、苦痛を訴えるような唸り声を漏らしていた。
あの小さな相手をどうにかしなければならない。
だが、近づこうとすれば氷の花嫁が立ちはだかる。棘を撃っても、正面からでは氷壁に阻まれてしまう。
「グルルルル……!」
マガツが低く唸った。
背中の棘がガラガラと音を立てて震える。
そのうちの数本が、これまでとは違う形へ変わり始めた。
まっすぐに伸びていた棘が、ゆっくりとねじれていく。
「……あら?」
鏡子が異変に気づいた。
螺旋状になった棘が、背中から勢いよく射出される。
しかし、その棘は二人のいる方向へ飛んでこなかった。
空中で大きく弧を描き、誰もいない道路へ突き刺さったのだ。
「……え?」
猫が首を傾げる。
「は、外しましたねぇ?」
鏡子も不思議そうに棘の落ちた場所を見た。
マガツは苛立たしげに鼻を鳴らし、前脚で地面を踏みつけた。
「ヴォオオッ!!」
再び背中の棘がねじれ始める。
今度は先ほどよりもねじれ方が緩やかだった。
「猫さん、気をつけてください」
「は、はいぃ!」
マガツが棘を射出する。
鏡子は正面へ氷壁を展開した。
ところが、飛来した棘は氷壁へ衝突しなかった。
回転しながら弧を描き、氷壁の横を抜けていく。
「……えっ?」
猫が目を見開いた。
棘が向かってくる。
鏡子の氷壁を迂回して、猫のいる場所へ。
「ひゃああああっ!?」
猫は咄嗟に横へ飛び退いた。
直後、螺旋状の棘が猫のすぐ脇を通過し、背後の道路へ突き刺さる。
砕けた舗装が跳ね上がり、猫はその場に尻もちをついた。
「ま、曲がりましたぁ!?」
「……なるほど。そういうことですか」
鏡子が目を細める。
先ほどの棘も、ただ狙いを外したわけではなかった。
マガツは棘の形を変えることで、射出後の軌道を曲げようとしていたのだ。
最初は曲がり方をうまく制御できなかったが、二度目は氷壁の横を抜けるところまで成功している。
そしてマガツは、もう次の棘を準備していた。
「ね、猫さん! 立てますか!?」
「は、はいぃ!」
猫が慌てて立ち上がる。
鏡子は正面へ氷壁を展開しながら、猫の周囲にも壁を作ろうとした。
しかし、マガツが射出した棘は一方向からだけではなかった。
まっすぐ飛ぶ通常の棘が氷壁へ殺到し、その脇を螺旋状の棘が回り込んでくる。
猫の左右から、鋭い棘が迫った。
「ひぃぃぃっ!?」
猫は足元の石片を掴み、反射的に投げつけた。
鋭い破砕音が響く。
飛来した石片が螺旋棘を捉え、空中で粉砕した。
もう一本。
猫はすぐに別の石を拾い上げ、腕を振り抜いた。
こちらも命中する。
「はぁっ、はぁっ……!」
猫が肩で息をする。
「猫さん、お見事です!」
「う、うぅ……こ、怖かったですぅ……!」
涙目の猫が訴える。
だが、マガツは攻撃を止めなかった。
今度は正面から通常の棘を連射し、その間に螺旋棘を混ぜてくる。
鏡子は氷壁と《永久凍土の花嫁》で正面を防ぎ、猫は曲がってくる棘を瓦礫の投擲で撃ち落とした。
「猫さん、右から来ます!」
「は、はいぃ!」
猫が右腕を振るう。
石片が螺旋棘に命中し、空中で砕け散った。
その直後、左側からもう一本。
「ひゃあっ!」
猫は慌てて左手の瓦礫を投げつける。
こちらも撃ち落とすことには成功したが、その間にマガツはさらに棘を射出していた。
「うぅ……き、きりがないですぅ!」
猫は足元の瓦礫を拾いながら、必死に迎撃を続けた。
鏡子も氷壁を展開し続け、正面からの棘を防いでいる。
しかし、マガツはそれだけでは満足しなかった。
「ヴォオオオオッ!!」
棘の射出を止めると、今度は巨体を低くして突進してきた。
狙いは猫だった。
「猫さん、下がって!」
鏡子が進路へ割って入り、氷の杭を地面へ打ち込む。
凄まじい衝撃が響き、マガツの突進が止まった。
その隙に猫が瓦礫を構える。
しかし、投げつけるより早くマガツが後退し、再び棘を射出してきた。
「ひゃああっ!」
猫は攻撃を中断し、曲がってくる棘を撃ち落とした。
鏡子がブーケを振るって反撃しようとしたときには、マガツはすでに距離を取っている。
氷壁の向こうから、再び棘が飛来した。
「……あらあら」
鏡子が小さく息をつく。
正面からの攻撃は防げる。マガツが突進してきても、《永久凍土の花嫁》なら受け止められる。
猫も螺旋棘を撃ち落とせる。
けれど、そのせいで猫は散弾攻撃を続けられなくなっていた。
マガツの身体には、先ほどまでに刻まれた無数の傷が残っている。もう何度も散弾を浴びせれば、さらに傷を増やすことができるだろう。
しかし、今の猫にはその余裕がない。
螺旋棘を迎撃しなければ、自分が串刺しになってしまうのだから。
「きょ、鏡子先輩ぃ……!」
「はい?」
「さ、散弾が投げられませんよぉ……!」
猫が涙目で訴える。
その間にも、マガツの背中では新しい棘が伸びていた。
通常の棘が鏡子へ向けられ、その隣では螺旋状の棘がねじれながら形を整えている。
鏡子は氷のブーケを握り直し、猫の前へ立った。
「そうですねぇ。困りましたね」
「ど、どうしましょう……?」
「ひとまず、飛んでくるものを防ぎましょうか」
「うぅ……それしかないですよねぇ……!」
マガツが咆哮を上げた。
正面から殺到する棘を、鏡子が氷壁とブーケで迎撃する。その左右を抜けてきた螺旋棘へ、猫が石片を投げつけた。
鋭い衝突音が連続し、砕けた棘が道路へ降り注ぐ。
マガツは二人を倒せない。
だが、猫も散弾を撃てず、鏡子の攻撃も再生する棘に阻まれている。
それでもマガツは攻撃を止めず、二人も迎撃の手を緩めなかった。
「ひぃぃ……! ま、また来ますぅ!」
「猫さん、左をお願いしますね」
「は、はいぃ!」
猫が石を投げ、鏡子が氷壁を展開する。
マガツの棘が砕け、舗装が割れ、怒りの咆哮が響き渡る。
双方が攻撃を繰り返しながら、相手を倒すことも、相手の守りを崩すこともできない。
ようやく見つけた勝ち筋さえ、マガツの最後の工夫によって封じられてしまった。
鏡子は次の攻撃に備えてブーケを構え、猫は両手に瓦礫を握りしめる。
その向こうでは、マガツが新たな棘を逆立てていた。
戦いは、完全な膠着状態に陥っていた。




