「石川事変・序章」
第二章 第十九話「石川事変・序章」
石川県にある組織の石川支部。その監視室では、先ほどから職員たちが慌ただしく動き回っていた。
壁一面のモニターには、県内各地の瘴気濃度を示す数値と推移が映し出されている。通常ならマガツが出現していてもおかしくない濃度に達しているのに、肝心の出現反応が一向に確認されないのだ。
「……まだ出ないのか」
ひょっとこがモニターを見上げながら呟いた。
「はい。瘴気濃度は上昇を続けていますが、現在までマガツの出現は確認されていません」
職員の説明を聞き、白石真帆が眉をひそめる。
「静岡のときと似ていますね」
「そうですね。あのときも、なかなか出てこないと思っていたら……」
星歌が言いかけたところで、隣にいた姫川麗華が怪訝そうな顔をした。
「待ちなさい。静岡でもこんなことがあったの?」
「はい。瘴気が溜まっているのに、なかなかマガツが現れなかったことがあって」
「……そう」
麗華は改めてモニターへ目を向けた。十年間も魔法少女として戦い続けてきた彼女にとっても、目の前の状況は決してありふれたものではない。
「こんなこと、滅多に起きないわよ」
「え?」
星歌が不思議そうに首を傾げる。
「私たち、こういうのちょくちょく経験してますけど……」
「……ちょくちょく?」
「はい。最初はD級しか出ていなかった場所に、いきなりB級が現れたことがあって。それから静岡では瘴気が溜まり続けてもマガツが出てこなくて、愛知ではB級が大量に出現しましたし、岐阜では広い範囲にC級が何体も同時に現れました」
「…………」
麗華はしばらく星歌の顔を見つめ、それから香仁子たちへ視線を移した。誰かが冗談だと言ってくれるのを期待したのかもしれないが、五人とも特に否定する様子はない。
「……桃井さん。あなたたち、普段どんな戦場にいるの?」
「えっと……普通の戦場だと思ってたんですけど……」
「どこが普通なのよ!」
突然声を荒らげた麗華に、星歌がびくりと肩を震わせた。
「いいこと? 十年も魔法少女をやっている私から言わせてもらえば、そんな異常事態が立て続けに起こること自体がおかしいのよ!」
「そ、そうなんですか……?」
「そうなのよ!」
星歌は困ったように仲間たちを振り返った。
「……私たち、もしかして運が悪いのかな?」
「今さら気づいたのかよ!」
香仁子の突っ込みに、昴が笑い、猫は何とも言えない表情を浮かべた。鏡子だけは普段どおり穏やかに微笑んでいる。
「でも、確かに少し多いかもしれませんねぇ」
「鏡子先輩まで!?」
「少し、で済む話ではありませんわよ」
茉莉花も呆れたように腕を組んだ。
そのやり取りを聞いていた白石は、思わず額に手を当てた。彼女自身、これまでの事件に何度も巻き込まれてきた身である。麗華の反応が正しいことは、嫌というほど理解できた。
そんな彼女たちの隣で、クララ・フォーゲルだけが興味深そうにモニターを眺めていた。
「ふむ。つまり、今回も何か面白いことが起こるかもしれないわけだ」
「面白いことで済めばいいんですけどね……」
白石の疲れた声に、クララは愉快そうに笑った。
その直後だった。
「出現反応! 市街地にマガツが現れました!」
職員の声が監視室に響き渡った。
全員の視線がモニターへ集中する。画面には市街地の大通りが映し出され、その中央に巨大な影が立っていた。二本の脚で直立した異形の巨体は、付近の車両をはるかに見下ろすほど大きい。
「でかいな……B級か?」
香仁子が画面を覗き込みながら呟く。
「現在解析中です。ですが、反応が通常のB級を上回っています!」
職員の報告に、監視室の空気が張り詰めた。
そのとき、別のモニターにも警告表示が現れた。
「新たな出現反応を確認! 別の市街地にもマガツが現れました!」
「こちらはB級と判定! さらに別の二か所でもB級の反応があります!」
「待ってください! 周辺各地でC級の出現反応が急増しています!」
報告はそこで終わらなかった。県内各地を映すモニターに次々と警告が表示され、監視室の職員たちが慌ただしく情報を整理していく。
「最初に確認された個体の解析が完了しました!」
職員が息を呑む。
「……A級です!」
その一言で、室内が静まり返った。
「A級……?」
星歌が小さく呟く。
香仁子も、猫も、昴も、鏡子も、茉莉花も、そして麗華までもがモニターを見つめていた。A級マガツの存在は知っている。だが、実際にその脅威を目の当たりにするのは初めてだった。
画面の中には、二本の脚で立つ巨大な甲虫のようなマガツが映っていた。頭部には立派な角が伸び、全身を覆う硬質な外殻が周囲の照明を鈍く反射している。人間に近い姿勢で立つその姿は、これまで彼女たちが戦ってきたマガツとは明らかに異なる威圧感を放っていた。
「……これが、A級」
猫が小さく息を呑む。
「でっか……」
昴も思わず声を漏らした。
だが、その重苦しい空気を破るように、クララが一歩前へ出た。
「よし。あれは私が引き受けよう」
あまりにもあっさりした宣言に、星歌が目を丸くする。
「クララさん、一人で大丈夫なんですか?」
「もちろんだ。さっさと片づけてくるから、それまでB級の相手を頼む。終わったら私もそちらへ向かおう」
クララは自信に満ちた笑みを浮かべた。A級を前にしてなお、その表情には焦りの欠片もない。彼女はすでにA級との戦闘を経験している、この場で唯一の人物だった。
「へへっ、別に倒してしまってもいいんだろ?」
香仁子が不敵に笑いながら拳を鳴らす。
「ちょっと香仁子ちゃん! それ不吉なフラグだからやめて!」
「えっ、そうなのか!?」
「そうなの!」
クララはそんな二人のやり取りを楽しそうに眺めていたが、白石はすぐに職員へ向き直った。
「近隣支部への応援要請は?」
「はい。すでに手配されています」
「そう。なら、戦力が集まるまで持ちこたえないと……」
「いえ、各支部の予備戦力はすでに集結しています」
「……へ? 早くない?」
白石が思わず聞き返すと、報告していた職員は何とも言いづらそうに視線を泳がせた。
「いえ、あの、その……大変申し上げにくいのですが、黒鉄司令官が『どうせまた《絆の魔法少女》の近辺で何かあるだろうから』と、事前に各支部へ招集をかけておりまして……」
「…………へ?」
星歌が固まった。
「私、疫病神扱い!?」
「い、いえ! 決してそういう意味では!」
「でも『どうせまた』って言いましたよね!? どうせまたって!」
「司令官としては、あくまで過去の事例を踏まえた危機管理上の判断でして……!」
「それ、否定になってませんよね!?」
職員は助けを求めるように白石を見たが、白石も気まずそうに目を逸らした。
「先生まで目を逸らさないでください!」
「……桃井さん。今は作戦を考えましょう」
「話を逸らしましたよね!?」
抗議する星歌をよそに、白石は集結した予備戦力の配置状況を確認した。黒鉄の判断がどうであれ、十分な戦力がすでに揃っていることは間違いなく朗報だった。
「各支部から派遣された一般戦闘員も、すでに現地で待機しているそうです。これなら、かなり柔軟に対応できそうですね」
「だったら、まずは敵を分けましょう」
麗華がモニターの前へ進み出た。
「A級はクララさんに任せるとして、B級は三体。それぞれの特徴を確認して、相性のいい組み合わせで対処するのがよさそうね」
職員が操作すると、三つの画面が大きく表示された。
一体目は、サイのような巨体にヤマアラシを思わせる無数の棘を生やしたマガツだった。太い四肢で地面を踏みしめ、背中の棘を逆立てながら周囲を威嚇している。
「うわ、あいつ棘だらけじゃねえか!」
香仁子が顔をしかめる。
「突進してくるだけでも厄介そうですけれど、あの棘まで飛ばしてくるとなると、迂闊に近づけませんわね」
茉莉花の言葉に、麗華も頷いた。
「そうね。近距離で戦うのは危険だわ。できれば遠距離から攻撃できる人がいいんだけど……」
麗華がそう言うと、自然と視線が猫へ集まった。
「……え?」
猫は自分を指差し、周囲を見回した。
「わ、私ですかぁ!?」
「あなた、遠距離攻撃が得意なんでしょう?」
「そ、それはそうですけどぉ……!」
猫は再びモニターへ目を向けた。画面いっぱいに映る巨大なマガツが背中の棘を逆立てると、思わず小さな悲鳴を上げて鏡子の背後へ隠れてしまう。
「む、無理ですよぉ! あんな大きいの、怖いですぅ!」
「ふふ、大丈夫ですよぉ、猫さん」
鏡子が穏やかに微笑み、猫の肩へそっと手を置いた。
「飛んでくる棘は私が防ぎますから。猫さんはいつもどおり、離れたところから攻撃することだけ考えてくださいねぇ」
「で、でもぉ……」
「私がしっかり守りますから、一緒に頑張りましょう?」
猫は鏡子の顔とモニターを何度も見比べた。やがて小さく息を吸い込み、おずおずと頷く。
「……鏡子先輩が、一緒なら……」
「はい。一緒ですよぉ」
「じゃ、じゃあ……頑張りますぅ……!」
どうにか返事をしたものの、猫の目にはすでに涙が浮かんでいた。
「決まりね。あなたたちに任せるわ」
麗華が頷くと、猫は鏡子の背後から小さく返事をした。遠距離から攻撃する猫と、飛来する棘を防ぐ鏡子。二人なら、相手の危険な間合いへ無理に踏み込まずに戦える。
二体目は、ゴリラのように発達した腕と、アルマジロを思わせる分厚い甲殻を持つマガツだった。画面の中で身体を丸めると、巨大な球体となって道路を転がり、進路上の障害物を次々と弾き飛ばしている。
「うわっ、あれ絶対硬いやつじゃん!」
昴が顔をしかめると、香仁子がにやりと笑った。
「硬いなら、ぶっ飛ばしがいがあるじゃねえか」
「じゃあ、あたしとかに先輩で行こうよ! あたしが動かすから、かに先輩は好きなだけ爆発させて!」
「おっ、いいなそれ!」
勢いよく意気投合した二人を見て、星歌が少しだけ心配そうな顔をした。
「……周りの建物まで壊さないでね?」
「大丈夫大丈夫、うた先輩!」
「任せとけ!」
「二人とも返事が軽いよ!」
ただでさえ破壊力の高い香仁子を、昴が高速で運びながら攻撃させる。考え方としては悪くないものの、被害の規模まで大きくなりそうで、白石は早くも頭が痛くなっていた。
三体目の画面には、建物の壁面に張りつく細長い異形が映っていた。カマキリのような鎌状の前脚と、ムカデを思わせる節の多い胴体。さらに身体の色が周囲の壁に溶け込むように変化し、監視映像の中でも輪郭が見えたり消えたりしている。
「……厄介ですわね」
茉莉花が目を細めた。
「姿を隠しながら襲ってくる相手、ということですかな」
隣に控える執事が、いつもの落ち着いた声で応じる。
「ええ。ですが、隠れる場所をなくしてしまえば問題ありませんわ。私たちが引き受けます」
「かしこまりました、お嬢様。では、私も少々準備をしておきましょう」
執事は腰のポシェットに軽く手を添えた。茉莉花が《茨》で相手の移動範囲を制限し、その隙を執事が突く。相手が姿を隠そうとも、動ける場所を絞ってしまえば対応しやすくなる。
これでB級三体への対処は決まった。しかし、モニターにはまだ無数の反応が残っている。
「問題は、こちらね。C級の数が多すぎるわ」
白石が言うと、麗華は集結した一般戦闘員の配置を確認し、何かを考えるように顎へ手を当てた。
「……だったら、その人数を利用しましょう」
「どうするんですか?」
「一般戦闘員には、C級の誘導と足止めを担当してもらうの。戦闘区域を一つ用意して、そこへ一体ずつマガツを送り込む。私たちは中で待ち構えて、入ってきた相手を確実に仕留めるわ」
麗華は画面上の一角を指した。
「周囲を結界で区切って進路を限定すれば、複数のマガツが一斉に入り込むのを防げるでしょう。一般戦闘員には区域の外側で誘導を続けてもらい、私たちは一体倒したら次の一体を迎え入れる。これを繰り返すのよ」
「なるほど! どれだけ数がいても、一度に相手にするのは一体だけなんですね!」
「ええ。たとえ三十体いたとしても、三十体まとめて戦う必要はないわ。二対一を三十回繰り返せばいいのよ」
星歌が感心したように頷く。
「すごい……! 一般戦闘員の皆さんがたくさんいるからできる作戦ですね!」
「そういうこと。全員で正面から突っ込むだけが戦い方じゃないわ」
麗華の説明を聞いていた獅子の守護者が、ゆっくりと身体を震わせ始めた。
「……でも、姫」
「何よ?」
「もし誘導に失敗して、あんな数のC級が一斉に押し寄せてきたら……俺、どうなっちゃうんだろう……」
彼はモニターに映る無数のマガツを見つめ、両腕で自分の身体を抱き締めた。
「取り囲まれて、押し潰されて、踏みつけられて……逃げ場もなく、次から次へと襲われて……はぁ、はぁ……!」
「だから、それを防ぐための作戦だと言っているでしょう!」
「ウワァァァ! 姫! 想像しただけでたまらないよ!」
「想像しなくていいのよ!!」
麗華の怒鳴り声にも、獅子の守護者はまるで動じなかった。むしろ嬉しそうに身をよじりながら、再び画面へ視線を向ける。
「でも姫、俺が前で受け止めて、姫が鞭で仕留めるんだろう? ふふ、一対一のじっくりプレイもまたよし。いつもどおりだね!」
「戦闘を何だと思っているのよ、あなたは!!」
怒鳴りながらも、麗華は彼の言葉を否定しなかった。獅子の守護者が前に立ち、敵の攻撃を受け止める。その隙に麗華が鞭を振るい、マガツを仕留める。二人が長年続けてきた戦い方だった。
「……あの二人、本当に大丈夫なの?」
昴が小声で尋ねると、ひょっとこは言い争いを続ける二人へ目を向けた。
「……あれでも十年間、一緒に戦ってきたんだろう。少なくとも、連携については問題ないんじゃないか?」
「……そっか。十年も一緒に戦ってるんだもんね」
昴は納得しかけたものの、獅子の守護者が嬉しそうに身をよじる姿を見て、再び不安そうな顔になった。
「……ほんとに大丈夫かなぁ」
麗華の提案は監視室から現地の指揮担当者へ伝えられ、各部隊への指示が出された。集結していた一般戦闘員は誘導役と足止め役に分かれ、結界を利用してC級の進路を限定する準備を進めていく。
白石はその進捗を確認しながら、魔法少女たちへ各担当区域の情報を伝えた。
「ただ、すべてのC級を予定どおり誘導できるとは限りません。足の速い個体や、一般戦闘員では足止めが難しい個体もいるでしょう」
「そこは俺たちが回る」
ひょっとこが答えた。
「桃井と一緒に、誘導から外れた個体を処理する。特に足の速い奴からだ」
「はい! 私も頑張ります!」
星歌は元気よく頷き、それから仲間たちへ向き直った。
「みんな、できるだけ《以心伝心》で繋いでおくね。危ないときは私にも伝わるから、何かあったらすぐ知らせて!」
「了解!」
「はい、星歌ちゃん!」
「任せとけ!」
昴、猫、香仁子がそれぞれ返事をする。
星歌の魔法は、離れた仲間の状況を知るうえでも役に立つ。ただし、すべての戦場を一度に見渡せるわけではない。繋がっていない相手の状況は通常の連絡手段で確認する必要があり、各班との連携には監視室からの情報も欠かせなかった。
「こちらでも各班の状況を確認し、必要に応じて連絡します」
白石がそう伝えると、職員たちもそれぞれの持ち場へ戻った。現地からの報告を受け取る者、結界の配置状況を確認する者、各部隊との連絡を担当する者。監視室はすでに大規模な作戦の支援拠点として動き始めている。
作戦が決まり、一行はそれぞれの出発準備に取りかかった。
「よーし! それじゃあ、みんな乗って! あたしの《天駆》で送ってくよ!」
昴が元気よく声を上げると、香仁子が早速その隣へ駆け寄った。
「おっ、助かるぜ!」
「にゃー先輩たちも、茉莉花さんたちも乗れるよ!」
猫と鏡子、茉莉花と執事も昴のもとへ集まっていく。
「桃井、俺たちは別行動だ」
ひょっとこが星歌に声をかけた。
「え? 昴ちゃんの《天駆》には乗らないんですか?」
「《天駆》の定員は五名だ。阿久別、宍戸、須久井、鷹司と執事でちょうど埋まる。俺たちは自力で移動する」
「でも、昴ちゃんにもう一回迎えに来てもらえば……」
「時間が惜しい。それに俺たちが追うのは、動きの速いC級だ。現在位置を聞いてから流星に運んでもらっても、到着する頃には別の場所に移動しているかもしれない」
「なるほど……じゃあ、私たちはどうやって?」
「ついてこい」
ひょっとこはそれだけ言って、正面玄関とは反対の方向へ歩き出した。
昴たちは石川支部の正面玄関へ、麗華と獅子の守護者は一般戦闘員との合流地点へ向かう。クララも自分の列車でA級のもとへ向かうため、建物を出ていった。
そんな中、星歌だけはひょっとこに連れられ、なぜか階段を上っていた。
「あのー……ひょっとこさん?」
「何だ?」
「私たち、どこに向かってるんですか?」
「屋上だ」
「いや、それは分かるんですけど……」
星歌は困惑しながら階段を上り、やがて屋上へ通じる扉の前に到着した。
ひょっとこが扉を開けると、秋の風が二人の間を吹き抜けた。眼下には石川県の市街地が広がり、遠くにはマガツの出現によるものと思われる黒煙も見える。
星歌は屋上の縁へ近づき、下を覗き込んだ。
「……高いですね」
「そうだな」
「……あのー、なんで私たち屋上なんですか?」
「桃井、共通魔法の身体強化は使えるな?」
「え? あ、はい。もちろん使えますけど……それで、なんで屋上に……?」
「なら、少し強めにかけておけ」
「……はい?」
「俺と同じところを、同じように走れ。その都度指示は出すが、指示には即座に従えよ」
「えっと……はい。分かりましたけど……」
星歌は困惑したまま身体強化の魔法を発動させた。
「……あの、ひょっとこさん? もしかして、私たちここから飛び降りるんですか?」
「いや」
「よ、よかったぁ……」
「隣の建物へ跳ぶ」
「…………はい?」
星歌が聞き返したときには、ひょっとこはすでに屋上の縁へ向かって走り出していた。
「桃井、ついてこい!」
「ちょっ、待っ――ひょっとこさぁぁぁん!?」
ひょっとこは勢いを落とすことなく屋上の縁を蹴り、隣の建物へ飛び移った。危なげなく着地すると、こちらを振り返る。
「桃井! 俺が踏み切った場所から跳べ! 着地するときは膝を曲げろ!」
「む、無理ですって! こんな高さから!」
「身体強化をかけているだろう。距離は十分届く」
「そういう問題じゃないですぅ!」
「早くしろ。時間がない」
「ううう……!」
星歌は屋上の縁と、向こうで待っているひょっとこを交互に見つめた。そして、意を決して走り出す。
「うわあああああっ!!」
身体強化された脚力が星歌の身体を大きく跳ね上げた。思っていた以上の勢いで空中を飛び、どうにか向こうの屋上へ着地する。
「きゃっ!?」
「膝を曲げろ。勢いを殺せ」
「は、はいっ!」
星歌は慌てて膝を曲げ、転びそうになりながらも何とか踏みとどまった。
「よし。次だ」
「……え?」
「次はあっちの建物だ。俺が跳んだ位置から踏み切れ」
「もう次ですか!?」
「行くぞ」
「ま、待ってくださ――」
ひょっとこは再び走り出した。
「ひょっとこさぁぁぁん!!」
二人は屋根から屋根へと飛び移りながら、市街地を駆け抜けていく。
「桃井! 次は左の縁を走れ! 三歩目で跳べ!」
「い、一、二、三っ! ひゃあああっ!」
「着地したら止まるな。そのまま前転しろ!」
「ぜ、前転!? なんでですかぁ!?」
「勢いを殺すためだ。今だ!」
「きゃああああっ!!」
星歌の悲鳴が、次第に遠ざかっていった。
一方、その頃。石川支部の正面玄関前では、《天駆》の準備を終えた昴たちが、遠くから聞こえてくる悲鳴に顔を上げていた。
「……今の、うた先輩?」
「だな」
香仁子があっさり答える。
「……何をしているんでしょうねぇ」
鏡子が首を傾げると、猫が不安そうに空を見上げた。
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうかぁ……」
「ま、ひょっとこが一緒なんだし大丈夫だろ! 俺たちも行こうぜ!」
「うん! それじゃあ、出発進行ー!」
昴の腰のベルトから伸びたワイヤーが空中で組み合わさり、結界で覆われた浮遊式の荷台を形作っている。香仁子、猫、鏡子、茉莉花、執事の五人を乗せ、昴が地面を蹴ると、《天駆》は滑るように動き始めた。三つのB級戦場へ順に仲間を送り届け、昴自身は香仁子とともに戦う手はずだ。
別の場所では、麗華と獅子の守護者が一般戦闘員の部隊と合流していた。麗華は現地の指揮担当者と誘導経路を確認し、獅子の守護者を伴ってC級の戦闘区域へ向かう。
クララの蒸気機関車もまた、空中に伸びる線路を走り始めていた。目指すはA級の出現地点だ。
そして、ひょっとこと星歌はすでに建物の屋根を駆け抜けていた。
「桃井、次はあの建物だ!」
「もう嫌ですぅぅぅ!!」
監視室のモニターには、今も各地で増え続けるマガツの反応が映っていた。
A級一体、B級三体、そして広範囲に出現した多数のC級。
黒鉄が事前に集めた予備戦力と、各地から集まった魔法少女たち。そのすべてを投入する大規模な戦闘が、石川県を舞台に始まろうとしていた。




