ポーズは重要
第二章 第十六話 ポーズは重要
福井を発ったクララの蒸気機関車は、日本海の上を北へ向かっていた。
青い海面の上へ次々と線路が生まれ、その上を巨大な動輪が規則正しく回っていく。煙突から吐き出された黒煙は海風に流され、汽笛の音が何も遮るもののない海上へ遠く響いていた。
客車には星歌たちだけでなく、白石の車まで積み込まれている。道路に沿う必要もなければ、信号も渋滞もない。目的地へ向かって海上をほぼ真っ直ぐ進める以上、蒸気機関車そのものの速度が特別速いわけではなくとも、移動手段としては十分すぎるほど優秀だった。
もっとも、そんな快適な移動をただ座って楽しませてくれるほど、クララは大人しくなかった。
「せっかく私の列車に乗ったんだ。お前たちにも蒸気機関車の素晴らしさを教えてやろう!」
そう宣言したクララによって一行が集められたのは、機関車の火室前だった。
「まず覚えるべきは投炭だ。石炭はただ放り込めばいいわけじゃない。火床の状態を見て、必要な場所へ、必要な量を入れる。最初は私が指示するから、その通りにやれ」
「なんか思ってたより本格的ですね……」
星歌は渡されたシャベルを両手で持ちながら、赤々と燃える火室を覗き込んだ。クララはその横から火床を確認すると、すぐに指を差す。
「右!」
「はい!」
「左奥!」
「はい!」
「真ん中! 手前!」
「はい!」
言われた場所へ星歌が石炭を放り込んでいく。最初こそ慣れないシャベルに苦戦していたものの、指示自体は単純だ。何度か繰り返すうちに、それなりに様になってきた。
「よし、次は右奥! それから左! くるっと回ってポーズ!」
「はい! ……はい?」
勢いで一度回りかけた星歌が止まった。
「今なんか変なの混ざりませんでした?」
「止まるな! 次、中央!」
「え、ちょっと待ってください! 今の回ってポーズする必要あります!?」
「いる!」
「本当に!?」
「右!」
「もう!」
納得できないまま星歌は石炭を放り込み、くるりと一回転して、なぜか最後に片手を上げてポーズまで決めた。
その様子を後ろから見ていた猫が、小さな声で呟く。
「……途中からリズム〇国じゃない?」
「私もそう思った!」
星歌の訴えを無視して、クララは次の挑戦者を呼んだ。
猫はおっかなびっくりシャベルを握り、火室が勢いよく燃えるたびに肩を跳ねさせながらも、言われた場所へきちんと石炭を入れていく。最後の「くるっと回ってポーズ!」にも律儀に従い、恥ずかしそうに小さく一回転した。
鏡子は慎重だった。火室の様子を一つ一つ確かめ、クララの指示を聞いてから丁寧に石炭を置いていく。香仁子は逆に豪快すぎて、一投ごとの量が明らかに多く、そのたびにクララから「多い!」と注意された。
そして昴に代わると、クララの目の色が変わった。
「Gut! 次、rechts! そのまま hinten! Mehr! Mehr!」
「ちょっと待って、何言ってるか分からない!」
「あ、すまん。興奮して母国語が出た」
「そこは日本語でお願い!」
ところが何度か繰り返すうち、昴はクララの視線と指先だけで次に求められていることを察し始めた。元々、身体を高速で動かすことに関しては誰よりも慣れている。シャベルを振るう動作も軽快で、火室の前を右へ左へと動き回る。
「rechts! links! くるっと回ってポーズ!」
「はいっ!」
「そこだけ日本語なんだ!?」
星歌のツッコミを背に、昴は完璧な一回転から両手を広げてポーズを決めた。
続く茉莉花は最初から不機嫌そうだった。
「なぜわたくしまで、このような煤まみれになる作業を……」
「体験してこそ分かる浪漫もある!」
「結構ですわ!」
そう言いながらも結局シャベルは握り、クララの指示にもきっちり従う。しかし最後の一つだけは頑として拒否した。
「くるっと回ってポーズ!」
「それだけは絶対に嫌ですわ!」
そして、ひょっとこの前にシャベルを受け取ったのは執事だった。
「では、僭越ながら」
「よし! 右、左奥、中央!」
執事は淡々と石炭を放り込んでいく。
「rechts! 左手前! hinten!」
言語が混ざっても止まらない。
「くるっと回ってポーズ!」
くるり。
無駄に美しい一回転から、完璧なポーズが決まった。
「rechts! 左手前! hinten! 二回転してポーズ! 中央!」
もはや投炭指導なのか何なのか分からない指示に変わったが、執事は二回転を決め、そのまま流れるように石炭を中央へ送り込んだ。
「なんでできるんですか!?」
星歌が思わず叫ぶと、執事は涼しい顔で答えた。
「執事ですので」
「さすがですわ」
「茉莉花ちゃんも納得しないで!」
そして最後にシャベルを受け取ったのが、ひょっとこだった。
「よし。まずは私の指示に――」
クララの言葉が途中で止まった。
ひょっとこはすでに火室を覗き込み、火の弱い場所へ石炭を放り込んでいた。
「……右」
言われる前に右へ入れる。
「次、左奥」
その声より一瞬早く、左奥へ石炭が飛んだ。
クララの眉が上がる。ひょっとこは特に得意げになるでもなく、火床を眺めながら必要な場所へ必要な分だけ石炭を置いていった。
「中央――」
先に入る。
「手前」
やはり先に入った。
「お前、私の指示を聞く気あるか?」
「聞いてるぞ」
「全部私が言う前にやってるじゃないか!」
「次に入れる場所くらい見れば分かるだろ」
クララが何か言い返そうとした、その時だった。
ひょっとこが石炭を載せたシャベルを持ったまま動きを止める。そして突然、その場でくるりと一回転した。
最後にポーズまで決める。
「なんで自主的にやったんですか!?」
星歌の絶叫が火室前に響いた。
だが、クララだけは笑わなかった。むしろ面白そうに目を細め、ひょっとこを見る。
「……お前、なんで私が回れって指示すると思った?」
「火が回る時間を稼いでたんだろ?」
ひょっとこは火室へ視線を戻した。先ほど投入した石炭へ火が移り、赤い炎が広がり始めている。
「入れ続ければいいってもんじゃない。新しい石炭が燃え始める前に次々積めば、かえって燃え方が悪くなる。だから途中で少し間を空けてた。回るのは、その時間稼ぎだろ」
クララの口元が大きく吊り上がった。
「正解だ」
「えっ」
星歌がクララを見る。
「じゃあ、あの『くるっと回って』って意味あったんですか!?」
「当然だ」
「ポーズも!?」
「それはない」
「やっぱりそこはないんじゃないですか!!」
「楽しいだろ?」
「楽しさを混ぜるから分かりにくくなってるんですよ!」
クララはそんな抗議など気にも留めず、ひょっとこの投炭を眺めていた。最初に一度説明を受けただけで火床の状態を読み、石炭を入れる場所だけでなく、その間隔まで自分で判断している。
「初めてにしては上出来どころじゃないな」
「俺は失敗しないからな」
「そこ作品名みたいに言わないでください」
星歌のツッコミを聞き流しながら、クララはしばらくひょっとこを見つめていたが、やがて何かを決意したように大きく頷いた。
「ひょっとこ。お前に素晴らしい提案をしよう」
「断る」
「まだ何も言ってないぞ!?」
「聞かなくてもろくでもない」
「いいから聞け!」
クララはひょっとこへ手を差し出した。
「貴様も列車仲間にならないか?」
「ならない」
「即答するな! これだけ火を読めるなら鍛えれば立派な機関士になれるぞ!」
「守護者を辞めさせるな」
「兼業すればいい!」
「嫌だ」
「なら――」
クララが一歩踏み込み、びしりとひょっとこを指差した。
「私の守護者になれ!」
バキィン!!
機関車内に鋭い音が響き、クララとひょっとこの間に分厚い氷壁が出現した。
「…………」
クララが氷壁を見る。ひょっとこも見る。星歌たちも見る。
そして全員の視線が、ゆっくりと鏡子へ向かった。
「…………あら?」
当の鏡子本人まで、不思議そうに自分が作り出した氷壁を見つめていた。
「鏡子ちゃん?」
「はい?」
「今の、鏡子ちゃんですよね?」
「……そうみたいですね」
「なんで出したんですか?」
「…………」
鏡子は少し考え込んだ。だが、本当に心当たりがないらしく、困ったように首を傾げる。
「分かりません」
「分からないの!?」
「なんだかクララさんを止めなきゃ、と思ったら……身体が勝手に」
星歌は氷壁を見て、その向こうにいるクララを見て、最後にいつも通り穏やかに微笑んでいる鏡子を見た。
「それ、ちょっと考えてみた方がいいやつじゃないですか?」
「そうでしょうか?」
クララが氷壁の端から顔を覗かせた。
「なんだ? こいつの守護者になるのに許可がいるのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「なら退けてくれ」
「…………」
「なぜ黙る?」
「……もう少し、このままで」
「なんでだ!?」
理由を説明できない鏡子と、氷壁越しに抗議するクララ。そのやり取りをしばらく眺めていたひょっとこが、面倒そうに口を開いた。
「そもそも、お前もう魔女だろ」
「…………」
クララが止まった。
「…………」
「…………」
「そうだった」
「忘れるな」
「クララさん、自分が魔女なの忘れてたんですか!?」
「列車仲間を増やすことに夢中だった」
「夢中になりすぎですよ!」
結局、クララの勧誘は失敗に終わった。それでも機嫌を損ねるどころか、クララはむしろ楽しそうに次の段階へ進む。
「まあいい。これで入れる場所とタイミングはだいたい分かっただろ。次は私から指示を出さない。思うがままにやってみろ!」
「はいはいはい! あたしやる!」
真っ先に手を挙げたのは香仁子だった。
星歌の顔が引きつる。
「香仁子ちゃんの『思うがまま』って一番駄目なやつじゃない?」
「大丈夫だって!」
「その自信が怖いんだよ!」
香仁子はシャベルを受け取ると、火室を覗き込んだ。
「要するに、燃やせばいいんだろ?」
「待って、その理解たぶん雑――」
「おりゃあ!」
一杯目。
「そりゃ!」
二杯目。
「まだまだぁ!」
三杯、四杯。
「多い多い多い!」
星歌が叫ぶ横で、クララまで一瞬止めようとした。しかし投入された石炭へ次々と火が回り、火室の中で炎が一気に膨れ上がる。
直後、機関車全体が震えた。
煙突から吐き出される煙が増え、蒸気の音が大きくなる。回転していた動輪が勢いを増し、海上に生成される線路の上を蒸気機関車が一気に加速した。
「おおおおおおっ!」
香仁子が歓声を上げる。
「おおおおおおっ!」
なぜかクララまで歓声を上げた。
「クララさん止める側でしょ!?」
「いいぞ! 出力が上がってる!」
「喜んでる場合ですか!?」
車体が海上を駆け抜ける。窓の外の景色が先ほどまでより明らかに速く後方へ流れ、汽笛が高らかに日本海へ響き渡った。
「速い速い速い!」
「これなら予定より早く着くぞ!」
「だから喜ばないでくださいって!」
「もっと入れるか!?」
「香仁子ちゃんはもうシャベル置いて!!」
星歌が香仁子からシャベルを取り上げようとした、その瞬間だった。
ドゴンッ!!
車体の下から、明らかに線路の継ぎ目などではない重い衝撃が伝わってきた。
「…………」
全員の動きが止まり、しばらく機関車の走行音だけが響く。
「……今、何か轢きませんでした?」
星歌が恐る恐る尋ねた。
「なんか当たったな」
香仁子が答える。
「流木じゃないか?」
クララは平然としていた。
「海の上ですよ!? というか流木であんな音します!?」
その時、少し離れた場所にいた白石の端末から警告音が鳴った。
「……近隣にマガツの出現反応」
「え?」
全員の視線が白石へ向く。
しかし次の瞬間、もう一度端末が鳴った。白石は画面を見つめたまま眉を寄せる。
「出現反応が……消えた」
「…………」
星歌がゆっくりと足元を見る。
猫も見る。昴も見る。鏡子も見る。茉莉花も見る。執事も見る。
そして全員の視線が、火室の前でシャベルを握っている香仁子へ集まった。
「……なんだよ」
「いや……」
星歌は何かを言いかけて、やめた。
白石も端末を見つめたまま数秒沈黙し、やがて静かに画面を閉じる。
「……システムのエラーかしら」
「たぶんエラーです!」
星歌が即座に同意した。
「流木だ!」
香仁子も力強く頷く。
「うむ。流木だな」
クララまで頷いた。
「絶対みんな考えるの放棄しましたよね!?」
答える者はいなかった。
蒸気機関車は何事もなかったかのように日本海を走り続け、やがて進行方向に陸地が大きく見え始めた。
「見えてきたぞ! 石川だ!」
クララの声に、一行は窓の外へ視線を向ける。
海上に伸びていた線路が緩やかに進路を変え、陸へ近づいていく。途中で予定外の加速までしたせいか、福井を発ってからまだそれほど時間は経っていない。
「……本当に移動手段としては便利なんですよね」
星歌が複雑そうに呟く。
「だろう!」
「なんでそんなに勝ち誇るんですか」
速度を落とした蒸気機関車が、待ち合わせ場所へと近づいていく。
そこには二人の人影があった。
一人は男だった。こちらへ向けて大きなホワイトボードを掲げており、そこには太い文字で、
『WELCOME! 絆の魔法少女ご一行様!』
と書かれている。
だが、それ以上に目を引くのは男の頭だった。
頭部をすっぽりと覆っているのは、獅子の頭を模した守護者武具。大きく開いた口と牙を備えたそれは、一目見ただけで獅子を思わせる形をしている。
その隣には一人の女性が立っていた。腕を組み、こちらへ近づいてくる蒸気機関車を堂々と見上げている。
列車が停止し、一行が順番に地上へ降りると、獅子頭の男がホワイトボードを掲げたまま明るく声を上げた。
「ようこそ石川へ! 待ってたよ。君たちが《絆の魔法少女》ご一行だね?」
「はい! 桃井星歌です。よろしくお願いします!」
「よろしく! 俺はここの守護者だよ」
星歌は男の頭を覆っている獅子を改めて見上げた。
「あの……その被り物って」
「ああ、これ? 俺の守護者武具」
「じゃあ、獅子の……」
「まあ、《獅子の守護者》でいいよ。その方が分かりやすいだろ?」
その隣にいた女性が一歩前へ出た。
「姫川麗華よ。鞭の魔法を使うわ」
「よろしくお願いします!」
星歌たちが頭を下げる。
麗華も軽く応じ、それで自己紹介を終えようとした。
「ちょ、姫。ちゃんと言わないと」
「……何をよ」
獅子の守護者は両手を頬の横へ添え、獅子頭という勇ましい外見には恐ろしく似合わない可愛らしいポーズを作った。
「『わたしが《鞭の魔法少女》、二十二歳です♡』って」
「余計なこと言うな!!」
バチィン!!
麗華の平手が、獅子の守護者の頬を盛大に打ち抜いた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! いいですぅ!!」
「…………」
星歌たちは揃って一歩引いた。
香仁子まで引いた。
猫は星歌の後ろへ隠れ、昴は完全に顔を引きつらせている。鏡子もさすがに困ったような笑みを浮かべ、茉莉花は露骨に眉をひそめた。その隣では執事だけが、何とも言えない微笑みを浮かべている。
そして、つい先ほどまでひょっとこを列車仲間に勧誘し、挙げ句の果てには自分の守護者にしようとしていたクララまで半歩引いた。
「……なんだこいつ」
「クララさんに言われてますよ!?」
星歌の叫びが、石川の空へ響いた。




