漢字を並べるの好き
第二章 第十四話 漢字を並べるの好き
広範囲に同時出現したC級マガツは、すべて鎮圧された。
人的被害なし。建物への被害も最小限。
各地から届いた報告を白石がまとめ終える頃には、出撃していた面々も研究所へ戻ってきていた。
そして火神鈴が真っ先にしたことは、彼女たちを労うこと――ではなかった。
「流星。《天駆》を寄越せ」
「帰ってきたばっかりなんだけど!?」
「だからだ。実戦使用直後の状態を確認したい」
「僕の状態も確認してよ!」
「怪我は?」
「ないけど」
「なら問題ない」
「扱いの差!」
抗議する昴から《天駆》を受け取ると、鈴はさっそく作業台へ向かった。
ベルト本体、ワイヤー、結界形成部。実戦で酷使された各部を一つずつ確認していく。つい先ほどまで昴とともに広範囲を駆け回り、香仁子を、鏡子を、猫のための投擲物を、そして茉莉花と執事を必要な戦場へ送り届けた装備だ。
「ワイヤーに異常なし。結界形成部も問題ないな。連続使用による出力低下も想定範囲内……急制動時の負荷は、もう少し確認が必要か」
「やっぱり《天駆》の心配しかしてない……」
「当然だろう。完成してすぐ実戦に放り込まれたんだぞ」
「僕もだよ!?」
「お前は自分で行ったんだろう」
「そうだけどさ!」
鈴は取り合わず、今度はワイヤーの付け根を覗き込む。
星歌がその横から顔を出した。
「でも、本当にすごかったですよ。《天駆》」
「そうか」
「これがなかったら、あんなふうにみんなを別々の場所へ送るなんてできなかったもん」
「設計した機能が実戦でも正常に働いた。それだけだ」
「鈴さん、絶対ちょっと嬉しいでしょ」
「……」
「ねえ?」
「うるさい」
鈴は《天駆》から目を逸らさない。
けれど、さっきより少しだけ手つきが丁寧になったように見えて、星歌は笑った。
そのまましばらく点検を続けていた鈴だったが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあ、役に立ったならよかった」
それまでとは少しだけ違う声だった。
昴が首を傾げる。
「鈴さん?」
「私は戦えないからな」
さらりと出てきた言葉に、昴が瞬きをした。
「魔女にはなった。魔法も使える。だが、私の魔法はマガツと戦うためのものじゃない。お前たちみたいに前へ出て、直接倒すことはできない」
鈴の視線が手元へ落ちる。
「今回も、お前たちが戦っている間、私はここにいただけだ」
責めるような口調ではなかった。
ましてや、自分を卑下しているわけでもない。
鈴は自分にできることを知っている。その価値も理解している。それでも、仲間を戦場へ送り出し、自分だけがそこへ行けないことに何も感じないわけではなかった。
「だから……多少、悪いとは思ってる」
「なんで?」
昴が即答した。
鈴が顔を上げる。
「なんでって……今言っただろ」
「聞いたけど。鈴さん、いたじゃん」
「私はずっと研究所にいた」
「いたよ」
昴は鈴の手元を指差した。
「そこに」
指の先には《天駆》がある。
「僕が香仁子を運んだときも、鏡子さんを運んだときも、猫のところに鉄骨とか届けたときも、茉莉花たちを運んだときも、ずっと使ってたよ」
「それは、そのために作った装備だからな」
「だったら一緒じゃん」
「何がだ?」
「鈴さんがいなかったら、これなかったでしょ?」
「それはそうだが」
「僕だけじゃ、みんなをあんなふうに運べなかったよ」
昴は難しいことでも話すような顔をしていなかった。
本当に、それだけのことなのだろう。
「僕が走って、《天駆》がみんなを運んだ。じゃあ半分くらい鈴さんじゃん」
「半分は言い過ぎだ」
「じゃあ三割」
「何の計算だ」
「知らない」
「適当だな」
「でもゼロじゃないでしょ?」
鈴の言葉が止まった。
「だからさ。僕たちが戦ってるとき鈴さんは何もしてなかった、っていうのは違うと思うよ」
昴はそう言って笑った。
「僕、ずっと鈴さんの作ったものと一緒に走ってたし」
しばらく鈴は何も言わなかった。
やがて視線を落とし、手の中の《天駆》を見つめる。
「……そうか」
「うん」
「なら、次はもっと役に立つものを――」
「その前に休ませてね?」
「まだ何も言ってないだろ」
「鈴さんのこと、もう結構わかるようになったから」
「そうか?」
「だって僕たち、何日一緒にいたと思ってるの」
その言葉に、周囲の何人かが微妙な顔になった。
研究所へ来てからの日数だけを数えれば、それほど長い付き合いではない。
だが、鈴と昴だけは違う。
鈴が時間を固定した試験場の中で、昴は何度も走った。
重さを変え、形を変え、運び方を変え、走って、休んで、また走った。
鈴はそのすべてを観察し、測定し、記録した。
その結果から《天駆》を作り上げ、さらに二人は試験を重ねた。
外では、ほとんど時間など経っていない。
それでも二人にとっては、確かに何日もの時間だった。
「……あ」
不意に星歌が声を上げた。
「どうしたの、星歌?」
昴が振り向く。
星歌は答えず、少しだけ意識を集中させた。
自分から昴へと伸びている《絆》。
その先に、もう一つ。
すでに二度、感じたことのある繋がりが生まれている。
「昴ちゃん」
「ん?」
「鈴さんと繋がってるよ」
「え?」
昴が鈴を見る。
鈴も昴を見る。
「繋がってる? 例の《以心伝心》とやらか?」
「はい。わたしと鈴さんが直接じゃなくて、昴ちゃんを通してですけど」
「ふむ」
鈴は驚くより先に、研究者の顔になった。
「つまり君が直接《絆》を繋げていなくても、《絆》を繋げた者を介することで、その先の人間とも《以心伝心》が使えるのか」
「そうみたいです。これで三組目ですね」
「三組目?」
「猫ちゃんと渚ちゃん。それから香仁子ちゃんとエヴァさん。今度が昴ちゃんと鈴さんです」
「なるほど。すでに前例が二つあるのか」
鈴は顎に手を当てた。
先ほどまで《天駆》を調べていたときと、まったく同じ目をしている。
星歌が嫌な予感を覚えた。
「興味深いな。なら、この現象を仮に《絆媒介式多段階間接心理感応連結構造》と――」
「長い」
昴がぶった切った。
「まだ最後まで言ってないだろ」
「《絆》と、心『理』のリ、連結のン、『構』造のク」
昴は指を折りながら拾っていく。
「《絆リンク》だね」
「略すな!」
「ちゃんと元の名前から取ったよ?」
「そんな略し方があるか!」
「でも分かりやすいよ?」
「分かりやすさだけで命名するな!」
「鈴さんのは分かりにくさだけで命名してるじゃん!」
「現象を正確に表現した結果だ!」
「名前を聞いた人に伝わらなかったら意味ないでしょ!」
「伝わる!」
「僕には伝わらなかった!」
「お前の理解力を基準にするな!」
「ひどい!」
二人の言い合いを聞きながら、星歌は口の中で確かめるように呟いた。
「絆リンク……」
「桃井! 定着させるな!」
「えっ、でも言いやすいですよ?」
「ほら!」
「ほら、じゃない!」
周囲からも「絆リンクの方が分かりやすい」「長い名前は覚えられない」と声が上がり始める。
鈴はしばらく抵抗していたが、多勢に無勢だった。
「……好きにしろ」
「やった!」
「なぜお前が勝ち誇る」
昴が胸を張る。
その姿を見ながら、鈴は小さく息を吐いた。
そして、ふと思い出したように尋ねる。
「それで、繋がったことで何か変わるのか?」
「変わるって?」
「《以心伝心》が使えるんだろう」
「ああ」
星歌が頷く。
「鈴さんとも昴ちゃんを通して意思を伝えられるはずです」
「そうか」
鈴は少し考えてから、昴を見る。
「流星」
「なに?」
「何か変わったか?」
「うーん……」
昴も少し考える。
そして首を傾げた。
「別に?」
「そうか」
「鈴さんは鈴さんだし」
「……そうか」
同じ言葉だった。
けれど今度は、ほんの少しだけ鈴の表情が緩んだ。
それから鈴は、手にしていた《天駆》を昴へ差し出した。
「持っていけ」
「え?」
「お前専用に作ったんだ。私が持っていても意味がない」
昴は差し出されたベルトを見る。
何度も走らされて。
何度も測られて。
何度も文句を言って。
その果てに完成した、鈴と昴にしか作れなかったもの。
昴は笑って受け取った。
「うん。大事にする」
「壊すなよ」
「……そこは『気をつけろよ』とかじゃないの?」
「お前は多少壊れても治る」
「ひどくない!?」
「《天駆》は壊れたら私が直すんだぞ」
「可愛い我が子みたいな扱いしてる!」
「当然だろう。何日かけたと思ってる」
「僕もその何日間ずっと走ってたんだけど!?」
「だからお前に託してるんだ」
「……あ」
昴が止まった。
鈴も一瞬黙る。
星歌がにやりと笑った。
「なるほどー」
「何だ、その顔は」
「別にー?」
「桃井」
「なんでもありませーん」
鈴は怪訝そうな顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。
代わりに作業台の上から端末を取る。
「さて」
「……鈴さん?」
「実戦データも取れた。次は改良だな」
昴の顔から笑顔が消えた。
「待って」
「最大展開時の安定性にはまだ改善の余地がある。急旋回時の追従性も調整したい。それと人を五人乗せた状態での――」
「待って待って待って」
「試験場へ行くぞ、流星」
「嫌だ!」
「時間は取らせない」
「その言葉の意味が普通の人と違うんだよ!!」
昴は《天駆》を抱え、全力で出口へ向かって走り出した。
「みんな帰ろう! 今すぐ帰ろう!!」
「待て流星!」
「嫌だよ! また外で一秒、中で三日とか絶対嫌だからね!」
「三日で済むとは言ってない!」
「もっと嫌だぁぁぁぁ!!」
昴の悲鳴が研究所の廊下へ消えていく。
鈴もその後を追っていった。
残された星歌たちは顔を見合わせる。
戦うことのできない《鍛冶の魔女》。
けれど彼女の作った《天駆》は、これからも昴とともに戦場を駆ける。
そしていつの間にか、その二人の間にも新しい《絆》が生まれていた。
猫と渚。
香仁子とエヴァ。
そして、昴と鈴。
三組目の――《絆リンク》。
どうやら研究所を離れても、この変わり者の魔女との縁は、そう簡単には切れそうになかった。




