またな、静岡
第二章 第五話 またな、静岡
B級マガツとの戦いを終えた後、星歌たちはさらに三日間、静岡に滞在した。
幸い、その間に新たなマガツが現れることはなかった。せっかく各地を巡っているのだから、戦って次の土地へ向かうだけではもったいない。今度こそ純粋に静岡を楽しもうということになり、釣りをしたり、街を歩いたり、美味しいものを食べたりと、三日間は驚くほど平和に過ぎていった。
中でも印象に残ったのは、帆波が自分の船を出してくれた日のことだった。
「せっかく海まで来たんだ。乗ってけ」
そんな帆波の一言から始まったクルージングは、出航してしばらくの間は実に順調だった。
「うわぁぁぁ! 速い速い!」
「香仁子ちゃん! そんなに身を乗り出したら危ないって!」
「平気だって!」
船首では香仁子と昴が潮風を浴びながらはしゃいでいる。星歌が二人を追いかけて注意している横を、渚は慣れた足取りでひょいひょいと歩いていった。姉の船だけあって、多少揺れたところで何ともないらしい。
茉莉花は船内を興味深そうに見て回った末、帆波を捕まえて船の値段と維持費を聞き始めていた。
「遊びに来てまで金の話するか?」
「重要ですわよ。船ともなれば維持費も相当でしょう?」
「まあ、そりゃそうだけどよ」
ひょっとこやゴーグルも特に船酔いする様子はなく、それぞれ海を眺めながら過ごしている。
問題は一人だけだった。
「…………」
「鏡子先輩?」
「……はい」
船内の座席に深く腰掛けた鏡子は、いつもの穏やかな笑顔こそ辛うじて保っているものの、顔色が明らかに悪かった。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫ですよ」
「顔真っ青ですよ!?」
「……海、とても綺麗ですね」
「絶対景色楽しめてないですよね!?」
つい先日の戦いでは、最終防衛線を一人で任され、迫り来るC級マガツを真正面から食い止めていた人である。
その鏡子が、船の揺れに完敗していた。
「鏡子先輩、船酔いするんですね……」
「……私も初めて知りました」
「本人も知らなかったんですか!?」
これまで船に乗る機会がほとんどなかったらしい。
そこへ様子を見に来た帆波が鏡子の顔を見る。
「大丈夫か?」
「……はい」
「この先もうちょい沖まで行くと、今より揺れるぞ」
「帰りましょう」
「即答!?」
「いや、帰りましょう! 本当に!」
「でも……皆さん、楽しんでいますから……」
「鏡子先輩が楽しめてません!」
結局、予定より少し早く港へ戻ることになった。
船から降りた鏡子は、しばらく無言でその場に立っていた。やがて足元へ視線を落とし、しみじみと呟く。
「……地面って、素晴らしいですね」
「鏡子先輩が大地に感謝してる……」
そんな一幕もあったものの、静岡での残りの日々は概ね平穏だった。
そして三日間の中で、特に仲を深めた二人がいた。
「猫、来てるぞ」
「えっ?」
「竿先。ほら、動いてる」
「あ……!」
「まだだぞ。慌てて上げんな。もうちょい待って……今!」
「はいっ!」
猫が勢いよく竿を立てる。
水面から魚が飛び出した。
「釣れました……!」
「おお! やったじゃん!」
渚が猫の背中を叩く。
「はい……!」
最初こそ渚の勢いに押され気味だった猫も、今ではすっかり慣れていた。
二人で並んで竿を出し、魚が掛かれば一緒になって喜ぶ。猫も渚には自分から話しかけるようになり、気がつけば星歌たちから少し離れた場所で二人だけで釣りをしていることも増えていた。
「猫ちゃん、すっかり渚ちゃんと仲良くなったね」
「釣り仲間ってやつか?」
香仁子が言う。
「猫ちゃん、釣り好きだったんだね」
昴も意外そうに二人を見る。
「……あれ?」
その時だった。
星歌は一瞬だけ、不思議な感覚を覚えた。
自分から猫へ伸びている《絆》とは違う。
猫から――渚へ。
二人の間を、何かが確かに繋いでいたように見えた。
「…………?」
星歌は目を瞬く。
もう一度意識を向けてみる。
何もない。
猫と渚はいつも通り並んでいるだけだ。
「どうしたの、星歌?」
昴に聞かれ、星歌は首を傾げた。
「ううん。なんでもない」
もう一度だけ二人を見る。
やはり、先ほど感じたものは見えなかった。
「……気のせいかな」
その頃には、猫の竿にまた魚が掛かっていた。
「渚さん、来ました……!」
「よし猫! 今度は一人でやってみろ!」
「はい!」
二人の声を聞きながら、星歌もそれ以上は気にしなかった。
◇
三日間の滞在を終え、出発の朝がやって来た。
荷物をまとめた星歌たちを、渚、帆波、ゴーグルが見送りに来ていた。
「じゃあ、ここでお別れだな」
「はい。いろいろありがとうございました」
「こっちこそ楽しかったよ」
渚が笑う。
「猫、また釣りしような」
「はい……!」
猫はいつもより少し大きな声で返事をした。
「次来た時は、もっとデカいの狙おうぜ」
「狙います……!」
「猫ちゃんが完全に釣り人になってる!」
星歌が思わず笑う。
香仁子も渚へ手を振った。
「じゃーな! またサメ出たら呼べよ!」
「なんでサメ限定なんだよ!」
「面白かったから!」
「マガツ退治を遊びみたいに言わないでよ!」
昴も茉莉花も笑い、鏡子も穏やかに微笑んでいる。
ただし帆波の船へ視線を向けた瞬間だけ、その笑顔がわずかに引きつったように見えた。
「《絆》」
帆波に呼ばれ、星歌が振り向く。
「はい」
「あのサメどもとやった時のこと、忘れんなよ」
「……指揮のことですか?」
「ああ」
帆波が頷く。
「繋がってる奴を動かすのと、そうじゃねぇ奴を動かすのじゃ、全然違っただろ」
「はい」
「だったら覚えとけ。今のお前に足りねぇもんも、自分の力がどれだけ便利なのかもな」
「……はい!」
「ならいい」
帆波はそれだけ言うと、もう話は終わりだとばかりに手をひらひらと振った。
相変わらずぶっきらぼうな人だ。
けれど。
星歌はふと、自分と帆波の間にある《絆》へ意識を向けた。
「…………」
思っていた以上に、強い。
まだ完全には繋がっていない。《以心伝心》が届くほどではない。
それでも、あと少し。
ほんの少し何かがあれば、一気に向こう側まで繋がってしまいそうなほど、帆波との《絆》はしっかりしたものになっていた。
「……帆波さん」
「あ?」
「いえ。なんでもないです」
「なんだよ、変な奴だな」
星歌は少しだけ笑った。
(思ってたより、私のこと認めてくれてるのかな)
次に渚へ意識を向ける。
こちらにも確かな《絆》がある。
帆波ほど強くはない。それでも、一緒に釣りをして、戦って、遊んだ数日前とは比べものにならないくらい、はっきりとした繋がりになっていた。
そして、少し離れたところにいる茉莉花。
彼女との《絆》は、渚よりさらに強い。
旅を始めてから行動を共にし、食事をして、あの戦いでは互いの力を預け合った。完全に繋がるにはまだ何かが足りないけれど、着実に近づいているのが分かる。
人によって違う。
同じ時間を過ごしたからといって、同じように繋がるわけではない。
何を話したか。
何を一緒にしたか。
互いをどう思ったのか。
そうしたものが少しずつ積み重なって、《絆》になっていく。
星歌はそこで、ふと猫と渚を見た。
「またな、猫」
「はい。また……絶対来ます」
「おう!」
二人は笑っていた。
やっぱり仲良くなったな、と思う。
同時に、あの時一瞬だけ感じた奇妙な繋がりを思い出した。
自分から伸びていたわけではない。
猫と渚の間にあったように見えた、あの《絆》。
(……なんだったんだろ)
今は何も見えない。
(やっぱり、気のせいだったのかな)
答えは出なかった。
「星歌、そろそろ行くぞ」
ひょっとこの声に、星歌は我に返る。
「あ、はい!」
最後に三人へ向き直った。
「それじゃあ――行ってきます!」
「おう!」
「またな!」
「お気をつけて」
星歌たちは静岡を後にした。
◇
次なる目的地は、愛知県豊田市。
そこで星歌たちを待っているのは、これまで会ってきた者たちとは少し事情が違う魔女だった。
「次に会うのって、どんな人なんだ?」
移動中、香仁子が尋ねる。
「《鋼鉄の魔女》だって」
「鋼鉄!」
予想通り、香仁子が食いついた。
「強そう!」
「実際、すごい人みたいだよ」
「日本の魔女さんですか……?」
猫の問いに、星歌は首を横に振った。
「ううん。アメリカから来た人」
「アメリカ!?」
「アメリカ代表の魔女なんだって」
今度は昴まで身を乗り出す。
「わざわざアメリカから日本まで来たの?」
「うん」
「なんで?」
「……私に会うため」
「星歌に!?」
「そう聞いてる」
自分で答えながらも、星歌にはまだ実感がなかった。
日本各地を巡って《絆》を繋いでいく。
それだけでも大きな話だと思っていたのに、今度は海の向こうから自分に会うために魔女がやって来たという。
「でも」
昴が首を傾げる。
「アメリカから星歌に会いに来たなら、なんで豊田市なの?」
「ああ、それは……」
星歌は少しだけ言いづらそうに目を逸らした。
「車」
「車?」
「その人、車が趣味なんだって」
「…………」
「それで、せっかく日本まで行くなら日本の車も見たいから、会う場所を豊田市にしたって」
しばしの沈黙。
「観光じゃん!」
「私も最初そう思った!」
「星歌に会うの、ついでになってない!?」
「一応、私に会うのが目的だから!」
「一応って言った!」
車が進んでいく。
海とサメと釣りの静岡を離れ、次に向かうのは愛知県豊田市。
そこで待つのは、アメリカを代表する《鋼鉄の魔女》。
星歌に会うため海を越え、ついでに日本車を見るため合流場所まで決めてしまった、車好きの魔女である。
どんな人なのだろう。
そんなことを考えながら、星歌はまだ見ぬ次の出会いへと向かっていった。




