ほんとに小石
第二章 第二話ほんとに小石
「着いたー!」
長い移動を終え、桃井星歌たちは三保へと到着した。
車を降りて海岸へ向かい、目の前に広がった光景を見た星歌は、思わず足元を見下ろした。
「…………本当に小石だ」
「だから言ったでしょ」
白石が少し得意げに言う。
「いや、聞いてましたけど。本当にずーっと小石なんですね」
「裸足で歩くと痛いわよ」
「それも聞きました」
星歌は苦笑しながら海を見る。
潮風と夏の日差し。目の前には海が広がっている。ただし、車内で聞いていた通り、足元を埋め尽くしているのは砂ではなく大小の小石だった。
「ボクが思ってた海とちょっと違う……」
昴が残念そうに呟く。
「海は海でしょ」
「砂浜を走ったりしたかったの!」
「ここで走ったら転んだ時すごく痛そうですね……」
鏡子の言葉に、昴は足元を見て大人しくなった。
「さて、海も見たことだし、まずは静岡支部に挨拶へ行きましょうか」
白石の一言で、一行は本来の目的を思い出す。
今回ここまで来たのは観光だけが目的ではない。《釣りの魔法少女》とその守護者、そして《船の魔女》に会うためだ。
一行は海岸を後にし、静岡支部へと向かった。
◇
「大変、申し訳ございません」
支部へ到着して早々、ゴーグルを身につけた守護者が深々と頭を下げた。
「…………」
星歌たちが顔を見合わせる。
守護者は一度頭を上げると、もう一度下げた。
「本当に、申し訳ございません」
「あの……何かあったんですか?」
星歌がおそるおそる尋ねると、守護者は非常に言いづらそうに口を開いた。
「今朝、《釣りの魔法少女》と《船の魔女》から連絡がありまして……」
「はい」
「『潮がいいから海に出て釣りに行ってくる』と」
「…………」
星歌は続きを待った。
「…………」
ない。
「……それだけですか?」
「それだけです」
「今日、私たちが来るの知ってますよね!?」
「重々承知しております。申し訳ございません!」
また頭が下がった。
「いや、守護者さんが謝ることじゃないと思いますけど!」
「桃井さん。世の中にはね、何よりも優先されるものがあるのよ」
白石が遠い目をして言う。
「今日初めて会う人たちとの約束より、潮が優先されることってあります!?」
「あるんでしょうね……あの二人には」
「自由すぎる!」
海へ出てしまった二人がいつ戻ってくるのかは分からないという。海の上まで追いかけるわけにもいかず、支部でただ待っているのも時間がもったいない。
「仕方ないわね。せっかく三保まで来たんだから、観光してきなさい。二人が戻ったら連絡をもらうことにしましょう」
白石の言葉で、その日は一旦自由行動となった。
香仁子たちがそれぞれ行き先を決める中、星歌は猫と一緒に三保を見て回ることにした。
「じゃあ猫ちゃん、どこ行く?」
「えっと……」
「とりあえず海の方、行ってみよっか」
「はい……」
二人は再び海岸へ向かった。
先ほど確認した通り、足元に広がっているのは砂ではなく大小の小石だ。夏の海という言葉から想像する景色とは少し違うが、潮風を浴びながらのんびり歩くのも悪くない。
そんな海岸をしばらく歩いていると、隣にいた猫が突然足を止めた。
「……お魚の匂いがします」
「魚?」
「焼いてます……」
星歌も鼻を動かしてみたが、よく分からない。
「……私には分かんない」
「こっちです……!」
「あ、待って猫ちゃん!」
普段なら星歌の後ろについてくることの多い猫が、珍しく自分から先へ進んでいく。追いかけていくと、やがて星歌にも香ばしい匂いが分かるようになった。
「本当に魚だ……」
「お魚……!」
「猫ちゃん、今日一番目が輝いてない?」
その先に、一人の少女がいた。
傍らには釣り道具が置かれ、どうやら自分で釣ったらしい魚を焼いている。それも一匹や二匹ではなく、一人では到底食べ切れそうにない量だった。
少女はこちらに気づくと、軽く手を上げた。
「観光?」
「あ、はい。そんな感じです」
「そっちの子、さっきから魚しか見てないけど」
「えっ。す、すみません……!」
「別にいいよ。食べる?」
「い、いいんですか……!?」
食いついた。
ものすごい勢いで食いついた。
「いっぱい釣れたから。余らせても仕方ないし」
「あ、ありがとうございます……!」
「猫ちゃん、知らない人から食べ物もらう時だけ距離縮まるの早くない?」
「お、お魚なので……」
「理由になってないよ!」
少女が楽しそうに笑う。
「私は潮見渚。地元の人間」
「桃井星歌です」
「し、宍戸猫です……」
「よろしく。ほら、焼けてるよ」
「ありがとうございます……!」
猫が嬉しそうに魚を受け取り、結局星歌も一本もらった。
魚を食べながら話す内容は、釣りのことや三保のことばかりだった。魔法少女については話さない。星歌たちも旅行で来たとしか言わず、渚も自分が何者なのか明かそうとはしない。
今ここにいるのは、旅行に来た二人と、海岸で魚を焼いていた地元の少女。それだけだった。
「猫ちゃん、それ何匹目?」
「……二匹目です」
「まだ食べる?」
渚に聞かれ、猫は残っている魚をじっと見つめた。
「……いいんですか?」
「いっぱいあるから食べなよ」
「ありがとうございます……!」
「三匹目いった!」
渚が笑い、猫も少し恥ずかしそうに笑う。
今日会うはずだった《釣りの魔法少女》には会えなかったけれど、こういう出会いも悪くない。星歌がそう思った、その時だった。
けたたましい警報音が鳴り響いた。
「っ!」
星歌は反射的に《組織》から支給されている緊急招集用の端末を取り出す。隣では猫も同じように端末を確認していた。
そして、もう一台。
まったく同じ警報音が、目の前から聞こえていた。
「…………え?」
潮見渚も、同じ端末を手にしている。
三人はそれぞれ画面を確認した。
「「「マガツ!」」」
「「「…………へ?」」」
三人同時に顔を上げた。
星歌と猫が渚を見る。渚も二人を見る。しばしの沈黙の末、星歌がおそるおそる口を開いた。
「もしかして……今日、静岡支部で会う予定だった《釣りの魔法少女》って……」
「……そっちが今日来るっていう魔法少女?」
「あっ」
猫が何かに気づいた。
「もしかして……潮がいいから……」
渚がそっと目を逸らす。
「あなたですか!?」
「いやー、今日は本当に潮が良くて」
「守護者さんめちゃくちゃ謝ってましたよ!!」
「あー……やっぱり?」
「やっぱりじゃないですよ!!」
「星歌ちゃん……」
「何、猫ちゃん!?」
「マガツ……」
「…………あ」
忘れていた。
「そうだった! マガツ!」
三人は慌てて端末へ視線を戻した。
「それで、出現場所は……」
星歌が画面を見る。猫も見る。渚も見る。
三人とも黙った。
星歌は顔を上げ、目の前に広がる海を見る。それからもう一度、端末に表示された現在地と出現地点を確認した。
「…………あれ?」
「どうした?」
「マガツが出た場所……」
三人で改めて確認する。
そして星歌は、ゆっくり目の前の海を指差した。
「……ここじゃね?」
――バッシャァァァァン!!
「「「ぎゃああああああああっ!!?」」」
目の前の海面が盛大に弾けた。
大量の水飛沫とともに、細長い桃色の巨体が海面から飛び出す。
「目の前に出たァァァァァ!!」
針のように鋭く尖った口。その身体を覆う鮮やかな桃色の鱗。そして後ろには、見事なハート型の尾鰭がついている。
「……ハートです」
猫が呟いた。
「ちょっとかわ――」
星歌が言い終えるより早く、ダツ型マガツの全身から桃色の鱗が浮き上がった。一枚一枚が、これまた可愛らしいハート型をしている。
その無数のハートが、一斉に三人へ向いた。
「…………え?」
飛んできた。
「「「うわあああああああっ!!」」」
三人は慌てて散開する。直前まで三人がいた場所へ、ハート型の鱗が次々と突き刺さった。
「全然可愛くない!!」
「変身するぞ!」
「そ、そうでした!」
「はいぃ!」
三人を魔力の光が包み込む。
桃井星歌――《絆の魔法少女》。
宍戸猫――《剛力の魔法少女》。
そして、先ほどまで一緒に魚を食べていた潮見渚も《釣りの魔法少女》へと姿を変え、その手に一本の釣り竿を構えた。
「本当に《釣りの魔法少女》だった……」
「今さら!?」
「だってさっきまで魚焼いてた人ですよ!?」
「釣ったら食べるだろ!」
「それはそうですけど!」
海上では、ダツ型マガツが悠々と泳ぎ回っている。陸上にいる星歌たちからすれば、非常に手を出しづらい位置だ。
「海の中にいられると、どうすればいいんですか?」
「海に出るマガツなら、普通はそんなに気にしなくてもいいんだけどな」
「え?」
「泳げないやつなら、そのまま溺れて死ぬから」
「マガツって溺れるんですか!?」
「そりゃ溺れるよ」
「溺れるんだ……」
ただし、今回はどう見ても魚である。
三人で海を見ると、桃色のダツ型マガツは実に元気よく泳いでいた。
「魚ですね」
「魚だね」
「魚です……」
「めちゃくちゃ泳いでるじゃないですか!」
「だから困ってる」
「どうするんですか!?」
「よし。私、やってみる」
渚が釣り竿を構えた。
さすが《釣りの魔法少女》。星歌と猫が期待して見守る中、渚は慣れた手つきで竿を振り、ルアーを沖へ飛ばした。
ぽちゃん、と着水する。
三人で海を見る。
ダツ型マガツが泳いでいる。ルアーが漂っている。やがてダツ型マガツがルアーの近くを通った。
そのまま通り過ぎた。
「…………」
しばらくして、渚が呟いた。
「あいつ、興味ないらしいぞ」
「ダメじゃないですか!!」
「お、お魚にも好みがありますから……」
「猫ちゃんフォローするとこそこ!?」
再びハートの鱗が飛んできたため、三人は慌てて距離を取る。
「うーん……針に掛かってくれれば、どうとでもなるんだけどな」
「針に……」
猫が海に浮かぶルアーを見つめ、何かを考え始めた。
「……あの。それ、貸してもらってもいいですか?」
「いいけど」
渚から釣り竿を受け取った猫は、ルアーを手にすると、小さな身体を大きく捻った。
「…………え?」
渚が固まる。
星歌には見覚えがあった。
「あ、猫ちゃん、それ――」
「えいっ!」
全力で投げた。
ルアーが視界から消える。
「ルアァァァァァァァァ!!?」
「そっち!?」
遥か沖でダツ型マガツが大きく跳ね上がった。猫が投げたルアーが、その桃色の胴体へ物理的に食い込んでいる。
「……掛かりました」
「それ釣ったって言わないからね!?」
だが、渚の表情は一変した。
「いや――掛かったなら、こっちのもんだ!」
竿を握ると、張り詰めた糸へ魔力が走る。
「それでいいんだ!?」
「フィィィィィッシュ!!」
渚が竿を大きく煽った。
海面が弾け、巨大なダツ型マガツが水中から強引に引きずり出される。桃色の巨体はそのまま宙を舞い、石だらけの海岸へと叩き上げられた。
ずざざざざざざざざっ!!
びたん!
「ひぃっ!?」
猫が即座に星歌の背後へ飛び込んだ。
「猫ちゃん!?」
「ち、近いのは無理ですぅ……!」
「今あれにルアーぶち込んだよね!?」
「遠かったので……!」
「距離の問題なんだ!?」
ダツ型マガツは身体を大きくくねらせ、海へ戻ろうと跳ね始めた。このまま海中へ戻られれば、また同じことの繰り返しになる。
「あ、まずい。海に戻るぞ」
「ええっ!? 猫ちゃん、あれ止められない!?」
「む、無理ですぅ!!」
「ですよね!」
猫は星歌の背後に隠れたまま、絶対にダツへ近づこうとしない。
しかし、そこから周囲を見回していた猫が、ふと何かに気づいた。
「……あれなら、怖くないです」
「え?」
猫がマガツから離れる方向へ走り出す。その先にあったのは、海岸に設置された巨大な消波ブロックだった。
「…………まさか」
猫が両手を掛ける。
「よい……しょっ!」
巨大な消波ブロックが持ち上がった。
「…………え?」
渚が呆然とする中、猫はそのまま振りかぶろうとする。
「待って猫ちゃん!」
「ひゃい!?」
「そのまま! ちょっと待って!」
星歌は急いでスマートフォンを取り出した。
「何してるの?」
「写真撮ります!」
「写真?」
「後で元の形に戻せるように!」
「…………」
カシャ、カシャと角度を変えて撮影する。
「よし! 猫ちゃん、いいよ!」
「はい……!」
「いいんだ……」
「えいっ!」
ドゴォン!!
ダツ型マガツと海との間に、巨大な消波ブロックが落ちた。
マガツが進路を変えれば、猫が次のブロックを持ち上げる。星歌はそのたびに元の配置を撮影し、海へ戻る隙間がなくなるよう猫へ指示を飛ばした。
「そっち隙間ある! もう一個!」
「はい!」
「待って、写真!」
カシャ。
「よし!」
「えいっ!」
ドゴォン!!
「次は右!」
「はい!」
ドゴォン!!
小柄な少女が巨大な消波ブロックを次々と動かし、もう一人の少女がスマートフォン片手に配置を指示する。
渚はしばらくその光景を眺めた末、ぽつりと尋ねた。
「……君たち、こういうの慣れてる?」
「慣れたくて慣れたわけじゃないです!!」
やがてダツ型マガツと海との間には、即席の壁が完成した。
マガツは何度も跳ねて海へ戻ろうとしたものの、消波ブロックに進路を阻まれる。その動きは時間とともに少しずつ弱くなっていった。
「これ……もう終わり?」
「うん。海に戻れなきゃ、そのうち死ぬよ」
「…………地味!!」
あれだけ慌ただしく始まった戦闘の結末が、まさかの乾燥待ちだった。
「じゃあ、残りの魚食べながら待つ?」
「戦闘直後ですよ!?」
「もうやることないし」
「……食べたいです」
「猫ちゃん!?」
◇
マガツの動きがほとんどなくなったところで、星歌と猫は先ほど動かした消波ブロックを元へ戻した。
星歌が撮影しておいた写真と見比べながら場所を指示し、猫が一つずつ運んでいく。最後の一つを戻し終えると、渚が働いたご褒美とばかりに焼き魚を差し出し、猫は嬉しそうに受け取った。
「猫ちゃん、完全に餌付けされてない?」
「お魚がおいしいので……」
そんなことをしているうちに、緊急招集を受けた他の戦闘要員たちが海岸へ到着した。
彼らが見たのは、あちこちにハート型の鱗が突き刺さった海岸と、その中央に横たわる全長数メートルの桃色のダツ型マガツだった。
すでに身体の表面は半ば乾いている。
ハート型の尾鰭だけが、
ぺち。
と、力なく動いた。
「…………」
ひょっとこが足を止めた。
香仁子も、昴も、鏡子も、茉莉花も、そして渚を担当するゴーグル姿の守護者も、しばらく目の前の光景を理解できずにいる。
その少し離れたところでは、星歌と猫と渚が仲良く焼き魚を食べていた。
「これ美味しいですね……」
「でしょ?」
「猫ちゃん、それ何匹目?」
「……三匹目です」
「結局三匹食べた!」
ひょっとこが三人とダツを交互に見る。
「マガツは?」
星歌が指差した。
「そこです」
ぺち。
「……まだ生きているぞ」
「もうすぐ死ぬそうです」
「そうか」
「納得早っ!」
「お前たちが無事なら問題ない」
「いや、まあ、そうなんですけど!」
その隣では、ゴーグルの守護者が渚をじっと見ていた。
渚も視線に気づき、食べかけの魚を置く。
「お疲れ」
「何か言うことは?」
「魚、食べる?」
「そうではなく」
深いため息が漏れた。
「本日、あなたに会うために皆さんがわざわざこちらまで来てくださったのですが」
「でも潮が良くて」
「潮の話はもう結構です」
「はい」
渚が素直に魚を食べ始める。
星歌は思った。
やっぱり、この守護者はかなり苦労している。
「それで、どうやってこんなの陸まで上げたの?」
香仁子が半乾きのダツ型マガツを見ながら尋ねる。
「あ、それは猫ちゃんがルアーを全力で投げて、直接ぶっ刺しました」
「…………猫が?」
全員の視線が猫へ集まった。
「そ、それしか思いつかなくて……」
「それで針が掛かったから、渚さんが釣り上げたんです」
「なるほど。でも陸に上げただけでは、海へ戻ろうとしません?」
鏡子の疑問に、星歌は当然のように答えた。
「それも猫ちゃんが。消波ブロックを積んで塞ぎました」
「…………また猫ちゃん?」
「で、でも……マガツには近づいてません……!」
「そこは徹底するんだ!?」
ひょっとこが周囲を見回した。
「その消波ブロックは?」
「もう戻しました。投げる前に写真を撮っておいたので、戦闘が終わってから猫ちゃんと一緒に元の形に」
「そうか。よくやった」
「褒められた!?」
「現場を利用したなら、可能な限り原状復旧するのは当然だ」
「いや、そうなんですけど!」
星歌は思わず頭を抱えた。
全国各地の魔法少女たちと交流し、互いに刺激を受けるために始まった今回の旅。その最初の訪問先で、自分たちが何かを教わるより先に、猫はルアーをマガツへ投げつけ、消波ブロックで退路を塞ぎ、自分はその横で原状復旧用の写真を撮っていた。
星歌は、半乾きのダツ型マガツを確認しているひょっとこを見る。
もしかして、自分たちはもうかなりひょっとこさんに染められているのではないだろうか。
その時だった。
ぺち。
「ひぃっ!?」
猫が飛び上がった。
「まだ怖いんだ!?」
「こ、怖いものは怖いですぅ……!」
「さっきルアーぶっ刺したじゃん!」
「遠かったからできたんですぅ!」
渚が吹き出し、香仁子たちもつられて笑う。星歌も最後には堪えきれず、一緒になって笑った。
予定していた顔合わせは、見事に失敗した。
けれど、《釣りの魔法少女》潮見渚との交流には――たぶん、成功した。
全国ツアー初日。
桃井星歌たちの騒がしい夏は、まだ始まったばかりだった。




