出発できるかな?
第二章 魔法少女も多様性
第一話 出発できるかな?
今日から夏休み。
その言葉には、なんとも甘美な響きがある。
期末試験は終わった。朝早く起きて学校へ行く必要もない。宿題という現実から目を逸らすことさえできれば、一ヶ月以上にわたって自由を謳歌できる、高校生に許された一年で最大の長期休暇だ。
友達と遊びに行くのもいい。家で一日中だらだらするのもいい。海、花火、夏祭り。高校二年生の夏休みなのだから、きっと楽しい思い出がたくさんできることだろう。
――普通の高校生なら。
「ほら、荷物積んだら乗ってー。予定より遅れてるわよー」
白石真帆の声を聞きながら、桃井星歌は目の前に停まった大きなミニバンを眺めていた。
周囲には旅行鞄を抱えた阿久別香仁子、宍戸猫、流星昴、須久井鏡子。そして当然のように、ひょっとこの面をつけた守護者までいる。
旅行である。
間違いなく旅行の光景ではある。
ただし、これから始まるのは楽しいだけの旅行ではない。
「……先生」
「なに?」
「今日って、夏休み初日ですよね?」
「そうね」
「夏休みって普通、友達と遊んだり、家でゴロゴロしたりする期間ですよね?」
「宿題もしなさいよ」
「今それはどうでもいいんです!」
星歌は目の前の車を指差した。
「じゃあ、これはなんですか!」
「全国行脚」
「ですよね!!」
もちろん、知らなかったわけではない。
先日、《絆の魔法少女》という新たな名を与えられた星歌たちは、夏休みを利用して全国各地を回ることになった。
目的は、他の魔法少女や魔女との交流。
魔女へ至るための道は一つではない。戦いの中で何かを掴む者もいれば、全く別の出来事をきっかけに自らの魔法を理解する者もいる。ならば、自分とは違う魔法に触れ、違う戦い方を知り、すでに魔女へ至った者と出会うことにも意味がある。
それに星歌の場合、固有魔法そのものが人との繋がりに関係している。
香仁子、猫、昴、鏡子。今はこの四人との《絆》が最も強いが、他の人間とも繋がれる可能性はすでに確認されている。
だから難しく考えず、《組織》の金で旅行して友達を作ってこい。
友達になるのは強制でもなんでもない。
黒鉄から説明された内容を要約すれば、だいたいそんなところだった。
交通費も宿泊費も《組織》持ち。予定に余裕があれば観光したって構わないし、美味しいものを食べてもいい。
話だけ聞けば最高である。
「めちゃくちゃ楽しそうなのが腹立つ……!」
「何が不満なのよ」
「これが任務じゃなかったら完璧なんですよ!」
「経費で全国旅行できるのよ? 楽しみなさいよ」
白石はまるで自分も旅行へ行くような顔で言っているが、実際に一緒に行くのだから旅行なのだろう。少なくとも、この人はかなり楽しみにしている。
「先生が一番楽しみにしてません?」
「そりゃ楽しみよ」
「引率者!!」
悪びれもしない白石に星歌が抗議していると、隣で香仁子が大きな旅行鞄を抱えたまま首を傾げた。
「星歌ちゃん、旅行嫌なの?」
「嫌じゃないよ! むしろ楽しみだよ! だから複雑なの!」
「ボクは楽しみ!」
「昴はそうだろうね!」
「わ、私は……知らないところにいっぱい行くの、ちょっと怖いです……」
「猫は相変わらずだね……」
不安そうに旅行鞄を抱きしめる猫とは対照的に、鏡子は楽しそうに微笑んでいた。
「私は楽しみですよ。色々な魔法少女や魔女の方とお会いできるのでしょう? きっと勉強になります」
「鏡子は真面目だなぁ」
「それに、全国各地を旅行する機会なんて、そうそうありませんし」
「結局そこも楽しみなんだ」
まあ、それでいいのだろう。
せっかく《組織》が全部出してくれるというのだから、楽しまなければ損である。
「だったら早く乗れ。予定がずれる」
横からひょっとこが口を挟んできた。
「ひょっとこさんはいいですよね! 夏休み関係ないから!」
「任務に夏休みはない」
「うわ、社会人みたいなこと言った!」
「そういうものだ」
「なんか腹立つ!」
「はいはい、漫才してないで乗る! 本当に遅れるわよ!」
白石に急かされ、星歌たちは荷物を積み込むと、それぞれ車へ乗り込んだ。
◇
車に揺られることしばらく。
まだ始まったばかりの旅である。星歌が窓の外を眺めながら、これからどこへ連れていかれるのだろうと考えていると、運転席の白石が何気ない調子で口を開いた。
「さて。そろそろ同行者を拾っていきましょうか」
「同行者?」
聞き慣れない予定が出てきた。
星歌が運転席を見ると、白石は何事もなかったようにハンドルを握っている。
「誰をですか?」
「今回、一緒に全国を回る子よ。魔法少女がもう一人同行するの」
「…………はい?」
そんな話は初耳だった。
「聞いてないんですけど!?」
「あら、言ってなかった?」
「言われてません! 私たち五人と、ひょっとこさんと、先生で回るんじゃないんですか?」
「別に五人だけで回るなんて言ってないでしょ?」
「言ってないですけど! 同行者がいることくらい先に教えてくださいよ!」
「今教えたじゃない」
「車が出発してから!!」
相変わらず、この人は妙なところで雑だった。
星歌が呆れている一方、突然増えた同行者に香仁子たちは興味津々らしい。どんな子なのかと白石へ質問が飛ぶが、白石は「会えば分かる」の一点張りだった。
猫だけは「怖い人じゃないといいです……」と早くも不安そうにしている。
そうしているうちに車は速度を落とし、やがて白石が「あそこよ」と前方を示した。
星歌たちが窓の外を見ると、待っていたのは一人ではなかった。
少女が一人。そして、その少し後ろに男が一人。
「……執事?」
星歌の口から、思わずそんな言葉が漏れた。
少女の方は、一目見ただけでも育ちの良さを感じさせる。姿勢はよく、佇まいにも品があり、いかにもお嬢様といった雰囲気だ。
だからこそ、その後ろに執事らしき男が控えている光景にも妙な説得力があった。
「執事だね!」
「し、執事さんです……」
「本物かな?」
「少なくとも、そのような格好をされていますね」
「いや、なんで魔法少女を迎えに来て執事がいるの?」
「降りれば分かるわよ」
白石は説明する気がないらしい。
仕方なく星歌たちが車を降りると、少女は一行を迎えるように一歩前へ出て、優雅に頭を下げた。
「初めまして。鷹司茉莉花と申します。《茨の魔法少女》として活動しておりますわ。今回の全国行脚には、わたくしも同行させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、桃井星歌です。よろしくお願いします」
星歌に続いて、香仁子たちも順番に自己紹介を済ませていく。
なるほど。白石の言っていた同行者とは彼女のことらしい。
そして全員の挨拶が一段落すれば、当然もう一人が気になった。
「あの、そちらの方は?」
「わたくしの守護者ですわ」
「守護者?」
予想外の答えに、星歌は改めて男を見た。
どう見ても執事である。
「……執事ですよね?」
「守護者です」
本人が訂正した。
「いや、でも格好は執事ですよね?」
「守護者です」
「そこは譲らないんだ……」
茉莉花によれば、あくまで彼女を担当している守護者で、多少執事らしい振る舞いをするだけらしい。
多少。
その言葉に星歌は若干の疑問を抱いたものの、もっと気になることに気づいた。
「あれ? 執事の守護者さんって、顔を隠してませんよね?」
「はい」
「守護者って正体を隠すんじゃないんですか?」
「もちろん隠しておりますよ」
「でも、顔が……」
星歌が困惑していると、執事の守護者はようやく質問の意味を理解したらしい。
「なるほど。守護者の武器には認識阻害がありますので、通常は顔を物理的に覆う必要はないのですよ」
「認識阻害?」
「ええ。今も私の顔は見えているでしょうが、後から顔立ちを正確に思い出すことはできないはずです」
言われてみれば不思議だった。
目の前に顔はある。見えているはずなのに、どんな顔なのかと意識した途端、輪郭が曖昧になる。目を逸らしてから似顔絵を描けと言われても、おそらく描けないだろう。
「へえー!」
香仁子が感心したように声を上げた。
「じゃあ、顔を隠す必要ないんだ!」
「認識阻害が機能している限りは、そうですね」
五人が黙った。
そして、ほとんど同時に同じ方向を見た。
ひょっとこ。
「あの……」
「はい?」
星歌は執事の守護者へ、恐る恐る尋ねた。
「でも、ひょっとこさんは顔を隠してますよ?」
「え?」
執事の守護者もひょっとこを見る。
しばらく見た。
それから星歌たちを見て、もう一度ひょっとこを見る。
「あー……そういうこともありますよ」
明らかに何かを察したような間だった。
その瞬間、星歌は無言で《絆》を繋いだ。
『ねえ。もしかしてさ』
『うん。私も同じこと考えてる』
香仁子から即座に返事が来た。昴も「ボクも!」と続き、猫まで遠慮がちに同意する。鏡子もどうやら同じ結論に達したらしい。
『ひょっとこさん、最初に認識阻害のこと忘れてたんじゃない?』
『それで、とりあえずひょっとこのお面つけて出てきちゃったとか!』
『あ、あとから認識阻害があることを思い出したけど……』
『今さら外すに外せなくなった、と?』
五人の視線が、再びひょっとこへ集まった。
『『『『『…………ありそう』』』』』
恐ろしいほど綺麗に意見が一致した。
むしろ執事の守護者の「あー……」まで、その説を補強しているように思えてくる。
『じゃあ私たち、今までずっと、ひょっとこさんが引っ込みつかなくなった結果を見せられてたってこと!?』
『星歌ちゃん、笑っちゃダメだよ!』
『香仁子が一番笑いそうなんだけど!?』
『ひょっとこ……必要なかったんですね……』
『猫まで追撃しないで!』
「お前ら」
不意に本人から声をかけられ、五人の肩が揃って跳ねた。
「さっきから何をしてる?」
繋がった《絆》の中を、どうする、バレた、いやひょっとこさんとは繋がっていないから大丈夫、と一瞬で思考が駆け巡る。
「いえ、なんでもありません」
最終的に星歌が代表して答えると、ひょっとこは少し首を傾げたものの、それ以上追及してこなかった。
『『『『『絶対そうだ』』』』』
本人の知らないところで、疑惑は確信へ変わった。
「それと――」
ひょっとこ疑惑が一段落したところで、茉莉花が星歌たちへ向き直った。
「皆様に、一つ言いたいことがありますの」
「私たちに?」
「ええ」
口調は丁寧で、笑顔も先ほどと変わらない。それなのに、なぜだろう。星歌は嫌な予感がした。
「最近、皆様はずいぶんと頻繁に出撃なさっていたそうですわね?」
「え? まあ……それなりには」
「そうでしょうね。何度も、何度も、何度も」
明らかに含むものがある。
星歌が反射的に《絆》を繋ぐと、四人からも「怒ってる」「絶対怒ってる」「笑ってるのに怖い」と似たような感想が返ってきた。
「わたくし、本来なら出撃する可能性のあった現場が何度かございましたの。ところが最近になって、別の魔法少女が優先して派遣されることが増えまして」
「へえ……」
ここまで聞いても、星歌にはまだ自分たちとの関係が分からない。
「少々気になりましたので、理由を確認いたしましたの」
そこで茉莉花の視線が、五人を通り越した。
その先にいたのは、ひょっとこ。
「どこかの守護者が《組織》へ、五人の成長のため、適切な現場では優先的に出撃させてほしいと頼んでいたそうですわね?」
「言ったな」
「言ったんですか!?」
「ああ」
ひょっとこがあっさり認めた瞬間、それまで完璧だった茉莉花の笑顔が崩れた。
「あなたですのね!! あなたのせいで、わたくしの出番が減りましたのよ!!」
「五人には実戦経験が必要だった」
「あなた方にも必要でしょうけど、わたくしだって必要なんですよ。手当が」
「手当?」
「出撃手当ですわ!!」
「そっち!?」
星歌のツッコミが響いた。
茉莉花はハッとしたように口元を押さえたが、もう遅い。見た目も立ち振る舞いも言葉遣いも、どこからどう見てもお嬢様。そんな少女の口から飛び出したのが、まさかの出撃手当である。
「お嬢様」
それまで静かに控えていた執事の守護者が、穏やかな声で茉莉花を窘めた。
「なんですの!」
「いけませんよ。そのように声を荒らげては。お嬢様が見た目だけで、本当は貧乏人であることがバレてしまいますよ」
その場が静まり返った。
「あなた今、自分で全部バラしましたわよね!?」
「これは失礼を」
執事は恭しく頭を下げる。
「エセお嬢様……おっと、間違えました。お嬢様」
「絶対わざとですわよね!?」
「滅相もございません」
「そ、そもそも貧乏などと人聞きの悪い! わたくしは少々、倹約を心掛けているだけですわ!」
「なるほど、倹約」
「そうですわ!」
どうにかお嬢様としての体裁を取り戻そうとする茉莉花に、執事が納得したように頷いた。
「お嬢様のお召し物も、外出用の唯一の一着ですものね」
「なっ!?」
「今日のために必死に中古品を探していらっしゃいましたもんねー」
「なんで知ってるんですのぉぉぉぉ!?」
先ほどまでの優雅なお嬢様は、もうどこにもいなかった。
「あ、でもその服、すっごく似合ってるよ!」
香仁子が善意百パーセントで助け船を出した。
「……ありがとうございます」
「全然中古に見えない!」
「余計な一言ですわ!!」
どうやら助け船には穴が空いていたらしい。
『香仁子、今のはダメだよ!』
『褒めたのに!?』
『傷口に塩を塗っています……』
『でも、本当にお嬢様に見えるよ?』
『昴さん、それも今は言わない方がよろしいかと』
「あなた方、また魔法でわたくしの話をしていますわね!?」
「なんで分かるんですか!?」
「全員でわたくしの服を見るのをおやめなさい!!」
出会ってまだ大して時間は経っていない。それなのに星歌は、鷹司茉莉花について知らなくてもよかったことまで随分知ってしまった気がした。
「はいはい、そこまで」
収拾がつかなくなり始めたところで、白石が手を叩いた。
「自己紹介も終わったんだから、そろそろ出発するわよ。この調子でやってたら今日中に着かないわ」
「誰のせいだと思っていますの……」
「お嬢様では?」
「あなたですわよ!!」
最後まで執事に追撃されながら、茉莉花も荷物を積み込み、全員が車へ乗り込んだ。
◇
「先生、そういえば最初はどこに行くんですか?」
車が再び走り始めたところで、星歌は運転席へ尋ねた。
全国を回ることは聞いている。各地で魔法少女や魔女と交流することも聞いている。しかし、考えてみれば最初の目的地すらまだ聞かされていない。
「静岡よ」
「静岡?」
「静岡市清水区の三保。まずはそこから」
「三保って、海のところですよね?」
「そうよ」
海と聞いた瞬間、香仁子と昴が目に見えて食いついた。
「海!」
「夏休みに海とか最高じゃん!」
「水着持ってきた?」
「持ってきた!」
「泳ぐ気満々じゃん!」
任務だ全国行脚だと言われ続けていたが、ようやく高校生らしい夏休みが見えてきた気がする。星歌まで少し楽しみになってきたところで、白石が運転席から釘を刺した。
「先に言っておくけど、三保の海岸はあなたたちが想像してるような砂浜じゃないわよ」
「え?」
「砂じゃなくて小石。だから、白い砂浜でビーチバカンスみたいなのを想像してるなら諦めなさい」
「海なのに砂浜じゃないの!?」
昴がこの世の理不尽に遭遇したような顔をする。
「海岸が全部砂浜だと思ってたの?」
「思ってた!」
「堂々と言うことじゃないからね!」
「まあ、海には入れるんでしょ? だったらいいじゃん」
香仁子はまだ前向きだった。
「入れるけど、裸足で歩くと結構痛いわよ。砂と違って小石だから」
「痛いの!?」
「特に波打ち際はね。砂浜と同じつもりで走り回らない方がいいわよ」
「私の思い描いてた夏の海がどんどん壊れていく……」
落ち込む昴を見て、白石は楽しそうに笑った。
「まあ、海だけじゃないわよ。三保の先の方には、人体科学博物館っていう面白いところがあってね」
「人体科学博物館?」
「入口が人の口になってるの。私も小さい頃に行ったことがあって、その口の前で撮った写真が実家に残ってるわ」
「口から入るの!?」
「そうそう。そこから人体の中を進んでいって、最後はお尻から出てくるのよ」
「お尻から!?」
昴が一瞬で復活した。
「なにそれ、行きたい!」
「でしょ? せっかくだし時間があったら――」
「白石様」
後ろから執事の守護者が静かに声をかけた。
「なに?」
「そちらは二〇〇〇年に閉館しております」
「…………え?」
「現在は建物もございません」
「な、なんですってぇー!?」
白石の声が車内に響いた。
「嘘でしょ!? 写真だって残ってるのよ!」
「写真が残っていることと建物が残っていることは別問題かと」
「正論で殴らないで!」
白石はしばらく動揺していたものの、すぐに別の場所を思い出したらしい。
「じゃ、じゃあ水族館! 水族館ならあるでしょ! 大きなシロワニっていうサメがいるのよ。すっごく迫力あるんだから!」
「サメ!」
またしても昴が食いつく。
「ボク見たい!」
「私も見たい!」
香仁子まで乗ってきたところで、再び後ろから声がした。
「白石様」
「……今度はなによ」
「そちらも一般公開を終了しております」
「…………」
白石が黙った。
「…………シロワニは?」
「大阪の海遊館へお引っ越しになりました」
「大阪!?」
「はい」
「……元気なの?」
「元気に暮らしているそうですよ」
「よ、よかったぁ……」
白石は心底安心したように息を吐いた。
「じゃないわよ! なんで大阪にいるのよ! 私がみんなに見せようと思ってたのに!」
「シロワニにもシロワニの都合がございますので」
「サメの都合って何よ!」
「ちなみに、建物も既に解体されております」
「…………」
白石が再び黙った。
「先生?」
「私の知ってる三保がどんどんなくなってく……」
さすがに少し可哀想になってきた。
「……三保の松原はあるわよね?」
「はい。ございます」
「よかったぁ……!」
「ただ、海岸の形が――」
「え?」
執事の守護者はそこまで言って、少し考えるように黙った。
「…………いえ。これはやめておきましょう」
「何!? 今度は何なの!? 最後まで言ってよ!」
「三保の松原はございます。それで十分かと」
「その言い方が一番怖いのよ!!」
すっかり自信をなくした白石を見ながら、星歌は別のことが気になった。
「というか……執事さん、なんでそんなに詳しいんですか?」
「執事の嗜みでございます」
「そんな嗜みある?」
「ございます」
迷いのない即答だった。
ところが、それまで白石の惨状を眺めていた茉莉花が、何かに気づいたように目を細める。
「……あなた」
「はい、お嬢様」
「ひょっとして、楽しみにしていましたの? この旅行」
「…………」
初めて執事の守護者が黙った。
「…………執事の嗜みでございます」
「あーらっ」
先ほどまで散々弄られていた茉莉花の顔に、見る見るうちに笑みが広がっていく。
「やっぱり楽しみにしていましたのね。わざわざ行き先について調べていたのでしょう? あなたにも可愛いところがあるじゃない」
「………………」
どうやら図星らしい。
これまで余裕を崩さなかった執事の守護者が、初めて返す言葉に困っている。茉莉花もそれに気づいたのか、ここぞとばかりに楽しそうな笑みを浮かべた。
しかし、その優位は長く続かなかった。
「お嬢様」
「なんですの?」
「そういえば最近、『食べられる雑草』という本を古本屋で値切って購入されたそうですね」
「なんで知ってるのよぉぉぉぉ!!」
車内に茉莉花の絶叫が響き渡った。
「食費節約のためでしょうか」
「違いますわ! 純粋な知的好奇心ですわ!!」
「左様でございますか」
「その顔、絶対信じてませんわよね!?」
「滅相もございません」
「じゃあこっちを見なさい!!」
先ほどまで執事を追い詰めていたはずの茉莉花は、ものの数秒でいつもの立場へ戻されていた。
「……星歌ちゃん」
香仁子が小声で呼んでくる。
「なに?」
「あの二人、仲いいね」
「私も今ちょうどそう思ってた」
茉莉花本人が聞けば怒りそうなので、これ以上は口にしないことにした。
もっとも、隣では昴が猫に「食べられる雑草ってどんなのかな」と尋ね、猫が「わ、私に聞かれても……」と困っている。
「あなた方! 雑草の話はもうおしまいですわよ!!」
どうやら聞こえていたらしい。
騒がしい車内を乗せたまま、白石の車は最初の目的地、三保へ向かって走り続ける。
夏休み初日。
まだ目的地にすら着いていない。
それなのに、新しく加わった《茨の魔法少女》とその守護者だけで、すでに随分と騒がしい。そして引率の白石は、自分の知っている三保が次々と消えている事実に打ちのめされている。
桃井星歌は思った。
たぶん、この旅行でもツッコミ役からは逃げられない。
――今日から夏休み。
高校二年生の夏。
地獄の全国ツアーは、まだ始まったばかりだった。




