魔法の正体
第二十三話
《組織》訓練施設。
「では、もう一度お願いします。今度は固有魔法を使用しないでください」
「はい」
桃井星歌は椅子に座ったまま目を閉じた。頭や腕にはいくつもの測定器が取り付けられているが、それ以上に気になるのは壁の向こうだった。
そこには香仁子がいる。
しかし、何も分からない。香仁子が何をしているのか、何を考えているのか、どんな気分なのか。そこにいると事前に知らされているだけで、それ以外の情報は何一つ伝わってこなかった。
「どうですか?」
「何も分かりません」
「阿久別さんがいること自体は?」
「いるのは知ってますけど、それはさっき聞いたからです。魔法で分かってるわけじゃないです」
「分かりました。では――固有魔法を使用してください」
「はい」
星歌は意識を集中し、自分の中にある魔力へ触れた。
一年前から、何度となく繰り返してきたことだった。魔法は発動する。魔力も消費される。それなのに何が起きたのか分からない。ずっとそうだった。
けれど、今は違う。
「…………あ」
繋がった。
目に何かが見えたわけでも、声が聞こえたわけでもない。それでも、自分と香仁子の間に一本の太い何かが通ったような感覚があり、その向こうにいる香仁子の思考が自然と流れ込んでくる。
「お腹空いてる」
「一致」
「検査終わったら何か食べたい」
「一致」
「……ラーメン」
「一致」
「またラーメン!?」
星歌が思わず壁の向こうへ叫ぶと、スピーカーから香仁子の声が返ってきた。
『なんでそこで怒るの!?』
「この前もラーメンだったじゃん!」
『好きなんだからいいでしょ!』
「はい。私語はそこまでにしてください」
「すみません」
『はーい』
職員は二人のやり取りには構わず、淡々と記録を続けた。
「では桃井さん。固有魔法を停止してください」
「はい」
星歌が魔法を止めた途端、それまで確かに感じていた香仁子との繋がりが消失した。
「……消えました」
「阿久別さんの思考は?」
「分かりません」
「感情は?」
「それも分からないです」
「了解。魔力消費も停止を確認」
端末へ新たな記録が追加される。
それからも検査は続いた。壁を挟み、階を変え、音声を遮断し、接続する相手を入れ替える。香仁子、猫、昴、鏡子と一人ずつ条件を変えながら確認したが、いずれも結果は同じだった。
魔法を使っていない時は何も分からず、魔法を使用すると相手の思考が伝わってくる。それだけではなく、嬉しさや楽しさ、退屈、緊張といった感情まで、相手のものだと自然に理解できる形で伝わってきた。
しかも、その共有は一方通行ではなかった。
「桃井さん。今、『お腹空いてる人多すぎない?』と思いましたか?」
別室にいる鏡子から尋ねられ、星歌の顔が引きつった。
「…………思いました」
『やはり』
「こっちの考えてることまで伝わってる……」
ライブ会場の外で起きたことと同じだった。星歌が四人の思考や感情を受け取るのと同時に、四人もまた星歌の思考や感情を受け取っている。
つまり、この魔法による共有は双方向だった。
そして検査対象を二人に増やすと、さらにもう一つの性質が判明した。
別々の部屋に香仁子と猫を入れ、星歌が二人と同時に接続する。
「阿久別さん。指定されたものを頭の中で思い浮かべてください」
『はーい』
しばらくして、職員が今度は猫へ尋ねた。
「宍戸さん。分かりますか?」
『…………はい』
スピーカーから、猫の小さな声が返ってくる。
『あ、赤い……りんご、です』
「一致しました」
「え?」
星歌が目を丸くした。
「ちょっと待って。猫、香仁子の考えてること分かるの?」
『わ、分かります……』
『えっ!? 私、猫ちゃんとは繋がってないよ!?』
「私も二人が直接繋がってる感じはしないんだけど……」
星歌には、自分と香仁子、自分と猫を結ぶ二本の太い繋がりが感じられている。しかし、香仁子と猫の間には同じものを感じない。
「もう一度行いましょう。今度は宍戸さんから阿久別さんへ」
結果は同じだった。
猫が考えた内容を香仁子が正確に答え、その後も昴と鏡子、香仁子と昴、猫と鏡子と組み合わせを変えて検証したが、星歌が双方と接続している限り、接続者同士でも思考の共有が成立した。
「桃井さんとの接続者同士でも共有が成立していますね」
「でも、直接繋がってる感じはしません」
「おそらく桃井さんを経由しています」
「私を?」
「桃井さんが接続の中心となり、接続された複数の人間を一つの共有状態にしている、と考えるのが妥当でしょう」
星歌はしばらく考えた末、自分を指差した。
「私、なんか通信基地みたいになってません?」
「桃井基地!」
「やめて香仁子!?」
続いて、ライブで起きた自動的な発動についても検証された。
星歌に魔法を使用させないまま、五人に同じ映像を見せたり、同じ音楽を聞かせたり、同時に驚かせたり笑わせたりして感情を一致させようとしたが、どれも接続には至らなかった。
「ライブでは勝手に繋がったんですけど……」
「単純に同じ感情を抱けばいいわけではないようですね」
そこでライブ当時の状況も改めて詳細に聞き取られた。
イブの歌を聞き、五人ともが心の底から楽しんでいた。そして同じ時間を一緒に楽しみたいという感情が強く重なったあの瞬間、星歌が意識して魔法を使用していないにもかかわらず、五人は繋がった。
「現段階では、対象との感情が極端に一致した場合、自動的に発動することがある――程度に留めておきましょう」
「ことがある?」
「再現できていませんから。断定はできません」
「なるほど……」
一年間何一つ分からなかったことを考えれば、とんでもない進歩ではある。
そして検査を続けるうちに、星歌自身にも一つの変化が起きていることが分かった。
「なんて言えばいいんだろ……パイプ?」
「パイプ?」
「はい」
星歌は自分の胸元を指差してから、香仁子たちへ視線を向けた。
「私がここにいるとして、そこから誰かに向かってパイプが伸びてる感じがするんです。この四人とは、ものすっごく太いのが繋がってます」
「ものすっごく」
「はい。がっちり」
「がっちり」
「なんでいちいち復唱するんですか!?」
「感覚的な情報も重要ですので」
「恥ずかしい!」
「他の人間は?」
「ほとんど何もないです。でも……」
星歌は改めて室内を見回した。
「すっごく細いのが繋がってる人もいます」
「桃井さん。細くても構いません。ここにいる職員の中で、繋がっていると感じる人を教えてください」
「えーっと……」
星歌は一人ずつ確認しながら指差していく。
「あの人。あと、あっちの人。それから……その人も。かなり細いですけど」
職員が名前を記録し、一覧を確認した研究員が興味深そうに頷いた。
「なるほど」
「何か分かりました?」
「主に桃井さんを指導していた教官と、これまで固有魔法の検査を担当してきた研究員ですね」
「あー……」
一年間、散々顔を合わせてきた人たちだ。
「他に、ここにはいませんが接続できそうだと感じる人は?」
「友達は何人か。親戚にもいると思います」
「ご両親は?」
「お父さんとお母さんは、たぶん繋がれます」
「実際に試したことは?」
「ないです。でも……なんとなく分かるんです」
以前はそんな感覚などなかった。しかし、自分の魔法が何をしているのかを一度自覚した今では、誰と繋がれそうなのか、そしてその繋がりがどれほど強いのかを、ぼんやりと感じ取れるようになっていた。
「固有魔法の性質を自覚したことで、接続可能な対象そのものを知覚できるようになった可能性がありますね」
「なんか急に便利になった……」
「一年間何も分からなかった反動でしょう」
「そんな反動あるんですか?」
「今作りました」
「研究者が適当なこと言わないでください!」
そんなやり取りの最中、星歌はふと違和感を覚えた。
「…………あれ?」
「どうしました?」
「消えた」
「何がです?」
星歌は先ほど指差した一人、自分の訓練を主に担当していた教官を見る。
「教官とのパイプ。さっきまで細いけどあったのに……今、なくなりました」
検査室にいた全員の視線が、一斉に教官へ集まった。
「何かしました?」
「何もしていない」
「でも消えました」
「…………」
「…………」
「本当に?」
「……いや」
教官は少し気まずそうに視線を逸らした。
「心を読まれるのは、ちょっと困るなとは思った」
「なんでですか!?」
「仕事柄、他の魔法少女や魔女の個人情報を大量に知っている」
「あっ」
「守秘義務がある。俺の記憶から、お前が知るべきではない情報まで伝わったら困る」
「それは読まれたくない!!」
「だろう?」
教官が頷くと、研究員たちは一斉に記録を始めた。
「桃井さん。現在、本当に接続の感覚はありませんか?」
「ないです。完全になくなってます」
「教官。接続しても構わない、と考えてみてください」
「嫌だ」
「検証です」
「個人情報を大量に持っていると言っただろう」
「魔法そのものは使用しません。意思だけで構いません」
「…………」
「検証です」
「お前、楽しんでないか?」
「検証です」
「絶対楽しんでるだろ」
「検証です」
「三回言った!」
結局、教官は渋々腕を組んだ。
「……分かった。繋がっても構わない。今はそう思えばいいんだな?」
「お願いします」
数秒後、星歌が声を上げた。
「あ、戻った」
「どの程度です?」
「さっきより細いです。でも、あります」
「もういいか?」
「はい」
「じゃあ切れてくれ」
「あ、消えた」
「早っ!」
「当然だ!」
教官との繋がりが綺麗さっぱり消え、研究員たちがその変化を記録していると、星歌はまた別の違和感に気づいた。
「…………あれ?」
「今度は何です?」
「太くなってるのもある」
研究員たちの手が止まる。
「誰ですか?」
「あの研究者です」
星歌が一人を指差すと、指された研究者が目を瞬かせた。
「先ほどより明確に?」
「はい。ちょっとですけど、さっきより太くなってます」
「何かしましたか?」
「いや……」
研究者は少し考えてから答えた。
「知的好奇心で、繋がってみたいな、とは思いまして」
「…………」
「…………」
「研究者だなぁ」
香仁子が呟く。
「一年間、発動と魔力消費だけ確認できて、何をしているのか全く分からなかった魔法ですよ? 実際に体験できるなら興味があるでしょう」
「開き直った!」
教官は繋がりたくないと思ったことで接続が切れ、研究者は繋がってみたいと思ったことで細かった繋がりが強くなった。その二つの変化を比較した研究員たちは、すぐに一つの可能性へ辿り着いた。
「どうやら、かなり重要な条件が見つかったようですね」
「条件?」
「接続の強さは、桃井さん側だけで決まるものではないようです。相手が接続を拒絶すれば繋がりは消え、逆に相手が接続を望めば強くなる」
「つまり……?」
「この能力は、思考や感情の共有が双方向であるだけではありません。接続そのものも、一方通行ではないのでしょう」
研究員は星歌と、その周囲にいる四人を順番に見た。
「双方が繋がることを受け入れる。その意思も、接続の成立や強さに関係していると考えられます」
「ちなみに桃井さん。ご両親と、この四名ではどちらの繋がりを強く感じますか?」
「今は……四人です」
「今は?」
「お父さんとお母さんも繋がれそうなのは分かるんです。でも、四人みたいにはっきりしてなくて」
「当然かもしれません」
「え?」
「ご両親は、桃井さんの固有魔法についてご存じないのでしょう?」
「はい」
「ならば、桃井さんとの接続を受け入れようがありません。存在すら知らないものを、受け入れる意思は持てませんから」
「あー……」
「先ほどの結果を見る限り、現在感じている繋がりの強さを、そのまま人間関係の強さと考えるべきではなさそうですね」
「なるほど……」
星歌は少し安心した。
「よかったぁ。危うく私、お父さんとお母さんよりこの四人のこと好きなのかと思った」
「危うくってなに?」
香仁子が真顔で聞いた。
「…………あ」
「今度はどうしました?」
「今、香仁子のパイプが少し狭まった気がした」
「ほらぁ!!」
「私のせいなの!?」
「今のは星歌が悪いでしょ!」
「待ってください。阿久別さん、その感情を維持してください」
「無理だよ!? 人の友情で実験しないで!」
「貴重なデータです」
「研究者ぁ!!」
その騒ぎがひとまず収まったところで、星歌はふともう一人の存在を思い出した。
「…………あ」
壁際に立つひょっとこへ目を向ける。
「ひょっとこさんとは、繋がってないです」
「そうか」
「全然。細いのすらないです」
「そうか」
「…………」
「…………」
「なんか反応してくださいよ!」
「俺に言われても困る」
研究員がひょっとこを見る。
「守護者さん。桃井さんとの接続を拒絶していますか?」
「している」
「即答!?」
「当然だ」
ひょっとこは腕を組んだまま、さも当たり前のことのように答えた。
「守護者には個人情報の秘匿義務がある。思考を共有して正体が漏れました、では話にならない」
「あー……」
星歌も納得する。
名前も顔も年齢も知らない。分かっているのは男であることと、声からしてそこまで歳ではなさそうということくらいだ。そんな相手と思考を共有してしまえば、今まで隠してきたものが一瞬で台無しになる。
「ねえ、ひょっとこさん」
昴が手を上げた。
「なんだ」
「そもそも、なんで守護者って正体を隠すの?」
「…………」
「ボクたちにも名前とか顔とか教えちゃダメなんでしょ?」
「そうだ」
「なんで?」
「秘密にしないと困ることでもあるの?」
「ある」
「どんな?」
「お前が偉くなったら知れるかもな」
「えー! なにそれ!」
「答えになってないじゃん!」
星歌もすかさず突っ込む。
「答える権限がないことには答えられない」
「ひょっとこさん本人なのに!?」
「本人だからといって、機密を好き勝手に話していい理由にはならん」
「正論で逃げた!」
「逃げてない」
「では」
鏡子が静かに手を挙げた。
「ここで出世すれば、あなたについて知れるということですか?」
「…………まあ、そうなるな」
「分かりました。では、頑張ります」
「待って鏡子!?」
星歌が勢いよく振り返る。
「何を目標に出世しようとしてるの!?」
「ひょっとこさんについて知るためですが?」
「本気なの!?」
「はい」
鏡子は当然のように答えると、少し考えてから近くにいた職員へ顔を向けた。
「あの」
「はい?」
「高校卒業後、すぐに《組織》へ入る場合と、大学まで進学してから入る場合では、どちらが結果的に出世は早いですか? それから、元魔法少女の幹部率も教えてください」
「本格的に計画立てようとしてる!!」
星歌の声が検査室に響いた。
「重要なことですから」
「さっき思いついた進路だよね!?」
「思いついたからこそ、早めに情報を集めておくべきでしょう?」
「正しい! 正しいけど動機がおかしい!」
鏡子は星歌のツッコミを受け流すと、今度はひょっとこの方を向いた。
「ひょっとこさん」
「なんだ」
「キャリアウーマンってどう思います?」
「…………別にいいんじゃないか」
「そうですか」
鏡子は、ほんの少し嬉しそうに微笑んだ。
「なんで嬉しそうなの?!」
星歌のツッコミが、今日何度目かも分からないくらい検査室に響いた。
ひとしきり騒ぎが収まったところで、研究員が咳払いをして全員の注意を戻す。
「話を戻しましょう。現段階での結論です」
研究員は端末にまとめられた検査結果へ目を落とした。
「桃井星歌さんの固有魔法は――桃井さん自身を中心として、接続した複数の対象との間で、思考および感情を共有する魔法」
星歌は黙って聞きながら、四人へ視線を向ける。
「共有は双方向。また桃井さんを経由することで、接続された対象同士でも共有が成立する。基本的には桃井さんが意識的に魔法を使用することで接続が開始され、解除すれば切断されます。ただし、対象との感情が極端に一致した際には、本人の意思とは無関係に発動する場合がある」
それが、あのライブで起きたことだった。
「そして接続の可否、および強さには、桃井さんと対象、双方の意思や関係性が影響している可能性が高い。現状、それ以上の条件は特定できません。接触時間、血縁、単純な好感度だけでは説明できないため、引き続き検証が必要です」
「はい」
一年間、魔法は使えていた。魔力も確かに消費していた。それなのに、何が起きているのかだけが誰にも分からなかった。
その正体が、今日ようやく形になった。
星歌には今、自分と他人との間にある繋がりを感じ取ることができる。ほとんど存在しないものもあれば、かすかに感じる程度のものもある。そして香仁子、猫、昴、鏡子へと伸びる四本だけは、他の誰とも比較にならないほど太く、強く繋がっていた。
なぜこの四人なのか。その理由までは、まだ分からない。
それでも桃井星歌はようやく、自分の魔法が何をしているのかを知ることができた。




