白石の誤算
第八話 白石の誤算
「望月くん」
「なんだ」
「私ね」
白石真帆は笑っていた。
とても綺麗な笑顔だった。
「あなたが学生避難誘導員への登録を断ったとき、別にいいと思ったの」
「そうか」
「ええ。あなたのことだから、緊急時には自分で上手く抜ける方法くらい考えてるんだろうなって」
「ああ」
「だから何も言わなかったの」
「助かる」
「そしたらあなた」
笑顔のまま。
「普通に消えたわね?」
「ああ」
「ああじゃないのよ!!!」
机が揺れた。
「何の誤魔化しもなし! 何の根回しもなし! 避難所で点呼を取ったら普通に一人足りない! 『望月朔がいません!』ってなるに決まってるでしょうが!」
「なったらしいな」
「なったらしいなじゃない!!!」
「桃井にも怒られた」
「桃井さんにも!?」
「ああ」
「当たり前よ!」
白石は頭を抱えた。
「こっちはね! あなたがいないって聞いて大慌てだったのよ!」
「すまなかった」
「担任の先生は『学校に残ってるかもしれない』って言い出すし! 探しに戻るって話になりかけるし!」
「それはまずいな」
「まずいから私が止めたの!」
「どうやって?」
「…………」
白石の動きが止まった。
「白石?」
「……『望月くんなら大丈夫です』って」
「ああ」
「『私がちょっと別件を頼んでまして、その関係でこちらとは別の避難所に送り届けました』って」
「なるほど」
「『連絡するの忘れてました、すみませーん。あはは……』って」
「上手く誤魔化せたんじゃないのか?」
「私もそう思ったわよ!!!」
◇
――昨日。
『望月くんがいない?』
『はい。二年の望月朔です。避難者の中にいません』
『まだ校内に残ってるんじゃ――』
『あー! 望月くんなら大丈夫です!』
白石は慌てて会話に割り込んだ。
『私がちょっと別件を頼んでまして、その関係でこちらとは別の避難所に送り届けました』
『ああ、そうだったんですか』
『はい。連絡するの忘れてました、すみませーん。あはは……』
よし。
誤魔化せた。
我ながら悪くないフォローだ。
望月朔は現在、守護者としてマガツの出現現場にいる。
そんなことを言えるはずがない。
かといって、行方不明として扱われれば捜索が始まってしまう。
別の避難所へ送り届けたことにしてしまえば、少なくとも安全は確保されていることになる。
あとは後で帳尻を合わせればいい。
そう思った。
『……でも白石先生』
『はい?』
『望月くんに別件って、何を頼んでたんです?』
『…………』
白石の笑顔が固まった。
『え?』
『いや、白石先生って望月の担任じゃないですよね?』
『……はい』
『副担任でもないですよね?』
『…………はい』
『部活の顧問とか?』
『…………違いますね』
『…………』
『…………』
なんだ。
この沈黙は。
『じゃあ、なんで望月に?』
『…………』
まずい。
言われてみれば。
学校では、ほとんど接点がない。
『いやー、まあ、ちょっと手が足りなかったもので』
『わざわざ望月くんに?』
『たまたま近くにいたんですよ』
『それで別件を頼んで?』
『はい』
『そのあと白石先生が、別の避難所まで送り届けたんですか?』
『…………はい』
『ふぅん』
声がした。
白石の背筋に嫌なものが走った。
『白石先生』
『…………はい』
『ずいぶん望月くんと仲がよろしいのねぇ』
『いえ、別にそういうわけでは』
『でも白石先生、望月くんとは特に接点ないでしょう?』
『……まあ、学校では』
しまった。
『学校では?』
『…………』
しまった。
しまった。
しまった。
『学校では、ねぇ』
『いや! 今のは言葉の綾で!』
『ふぅん』
嫌な笑みだった。
『担任でもなくて』
『はい』
『副担任でもなくて』
『はい』
『部活の顧問でもなくて』
『……はい』
『それなのに、わざわざ望月くん個人に用事を頼んで』
『個人的とは言ってません!』
『そのあと、わざわざ別の避難所まで送り届けてあげたの?』
『だから、それは!』
『あらぁ』
にっこり。
『白石先生って、もしかして年下がお好きなの?』
『違います!!!』
『まあまあ。そんなに慌てなくても』
『慌てますよ!!!』
『望月くん、確か高校二年生よねぇ』
『だから何ですか!?』
『いえいえ、別に』
『絶対何か言いたいですよね!?』
『私は何も?』
『顔が言ってます!!!』
『白石先生』
そのとき。
別の声が割って入った。
『校長先生……!』
『望月くんについては、私から白石先生に頼んでいることがあるんです』
『え?』
『今回の件も、それに関係するものです。白石先生と望月くんに、皆さんが心配されているような関係はありませんよ』
『校長先生!』
助かった。
白石は心の底からそう思った。
事情を知っている校長が、なんとか取りなしてくれた。
『あら、そうだったんですか』
『ええ』
『校長先生からのお願いなら、仕方ありませんねぇ』
『はい。ですからこの話は――』
『私てっきり、白石先生が若い男の子に興味でもあるのかと』
『まだ言うんですか!?』
◇
「――ということがあったの」
「大変だったな」
「誰のせいよ!」
「俺だな」
「分かってるならいいけど!」
白石は大きく息を吐いた。
「もう、あのお局ババア……ここぞとばかりにネチネチと……」
「…………」
「…………」
沈黙。
白石は、はっと我に返った。
「あら、ごめんなさい望月くん」
にっこりと笑う。
「日頃のストレスがちょっと漏れたわ」
「そうか」
「忘れなさい」
「ああ」
「絶対よ?」
「ああ」
白石は一つ咳払いをした。
「とにかく。校長先生がフォローしてくれたから今回はなんとかなったけど、次からはちゃんとしてちょうだい」
「分かった」
「本当に?」
「ああ」
「……なんか不安ね」
「問題点は理解した」
「そう?」
「桃井にも注意されたところだ」
「そういえば、さっきも言ってたわね」
「ああ」
朔は頷いた。
「俺が避難所にいないと、人数確認に支障が出る」
「そう」
「行方不明と判断されれば、捜索に人員が割かれる」
「そうそう」
「その人間まで余計な危険に晒す可能性がある」
「そうなのよ!」
白石の表情が明るくなった。
分かっている。
ちゃんと分かっているではないか。
「だから次からは――」
「うん」
「もっと存在感を薄くする」
「…………ん?」
「避難が始まる前に、誰にも気づかれないよう自然に抜ける」
「…………」
「そうすれば最初から人数に数えられない。行方不明にもならない」
「…………」
「捜索も発生しない」
「…………」
「問題解決だ」
「解決してない!!!」
白石の叫びが響いた。
「なんでそうなるのよ!」
「?」
「桃井さんに注意されたんでしょう!?」
「ああ。非常に参考になった」
「どこが!?」
「俺が突然いなくなるから問題になる」
「そうよ!」
「なら最初から、いたことを意識されなければいい」
「違う!!!」
「?」
「なんで分からないの!?」
「何がだ?」
「普通に避難しなさいって言ってるのよ!!!」
「それは無理だ」
「でしょうね!!!」
分かっている。
そんなことは白石だって分かっている。
マガツが現れ。
守護者として出動を求められれば。
望月朔は戦場へ向かわなければならない。
だからこそ。
「もうあなたも避難誘導員になりなさいよ!!!」
「断る」
「即答!?」
「五人との接点が増える」
「接点が増えたところで、認識阻害があれば――」
「俺は使えないだろ?」
「…………」
「…………あ」
白石が止まった。
「……そうだったわね」
「ああ」
「だから、極力接点は増やしたくない」
「分かってるわよ……」
白石は額を押さえた。
五人はまだ知らない。
同じ学校に通う望月朔と。
ひょっとこの面を被った守護者が。
同一人物であることを。
そして朔は、その状態をできる限り維持したい。
「分かってるけど……!」
白石は顔を上げた。
「だったらせめて上手く消えなさいよ!!!」
「そのつもりだ」
「今回まったく上手く消えてないから怒ってるの!!!」
「なら、どうする?」
「…………」
白石は考えた。
望月朔は、学生避難誘導員にはならない。
かといって、マガツが出現して守護者として出動要請がかかれば、学校に残ることも避難所へ向かうこともできない。
そして勝手に消えれば、昨日の二の舞だ。
「……分かったわ」
「何がだ?」
「次、学校にいるときに出動要請がかかったら、私に一言言いなさい」
「白石に?」
「ええ。あなたがいなくなっても問題にならないように、私が上手く誤魔化すから」
「なるほど」
「昨日みたいに、その場で適当な言い訳を考えるよりはマシでしょ」
「分かった。任せる」
「任されたわ」
「…………」
「…………」
白石は、ふと気づいた。
「……あれ?」
「どうした?」
「学校で特に接点のない男子生徒が、緊急時になるたび私にだけ声をかけて、私がその子の不在を毎回誤魔化すことになるのよね?」
「そうなるな」
「…………」
昨日の光景が蘇る。
『白石先生って、もしかして年下がお好きなの?』
「…………あれ?」
白石の顔が引きつった。
「私への誤解、深まるばかりじゃない?」
「そうかもしれないな」
「他人事ぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「だが、捜索されるよりはいい」
「正論なのが腹立つ!!!」
「頼んだぞ」
「くっ……! 生徒の安全には代えられない……!」
白石は教師として、苦渋の決断を下した。
己の社会的評価を犠牲にして。
「……次からは私が誤魔化すわ」
「助かる」
「その代わり! 出動したらちゃんと帰ってきなさいよ!」
「分かってる」
「五人もよ!」
「ああ」
「全員無事に帰すこと!」
「当然だ」
「……ならいいわ」
白石はようやく息を吐いた。
そのときだった。
――ピピッ。
「…………」
「…………」
二人が同時に端末を見る。
組織からの通知だった。
《瘴気濃度上昇を観測》
「……言ったそばから」
「まだ出たとは限らない」
「分かってるわよ」
瘴気濃度が上昇したからといって、必ずマガツが出現するわけではない。
この段階では、まだ出動要請はない。
場所も学校からは離れている。
幸い、学校周辺は避難対象区域にも含まれていなかった。
時刻は放課後。
少なくとも今のところ、この学校で避難を始める必要はない。
「何も出ないといいんだけど」
「そうだな」
しばらくして。
再び端末が鳴った。
《マガツ出現確認》
白石の表情が変わる。
「出たわね」
「ああ」
情報が次々と更新されていく。
出現地点。
個体数。
そして、推定される脅威度。
現地では既に、組織の戦闘部隊と避難部隊が動き始めている。
だが。
まだ朔たちへの出動要請はない。
どの戦力を投入するか。
それを決めるのは指揮官だ。
「さて」
朔は端末を見る。
「どう判断するかな」
「あなた、あの五人を積極的に実戦へ出してほしいって頼んでるんでしょう?」
「ああ」
「だからって毎回出すわけじゃないんだからね」
「分かってる」
さらに少し待つ。
そして。
三度目の通知。
今度は、それまでとは違う。
《出動要請》
「来たな」
「ええ」
朔は内容を確認する。
自分。
そして――五人。
白石も同じものを確認していた。
「五人にも出てるわ」
「ああ」
朔は端末をしまう。
それから、白石を見る。
「これは断らなくても抜けてもいいだろ?」
「ええ、いいわ」
白石は苦笑した。
今回は正式な出動要請が出ている。
しかも学校は避難対象区域ではない。
昨日のように、避難途中で突然姿を消すわけでもない。
「ただ」
白石は教師として。
守護者である少年へ告げた。
「あの五人連れて、きちんと戻ってきて明日登校しなさいね」
「ああ」
朔は立ち上がった。
「任せろ」
そのまま窓へ向かう。
「俺は失敗しないからな」
窓を開けた。
「…………え?」
そして。
飛び降りた。
「ちょっ――」
白石は慌てて窓へ駆け寄った。
「ここ三階なんだけどぉぉぉぉぉ!!!」




