正確な時間
彼が言い出したのは、放課後の誰もいない教室だった。
「原因は、たぶん単純。」
彼は窓際の席に座り、机の上に、スマホを置いた。
画面は伏せられていない。
ちゃんと見える。
「世界が時間を信じすぎたんだと思う。」
それだけを言って、少し黙る。
僕たちは同じ結論に辿り着いていた。
時間のズレが起きたのは、
事故でも、病気でも、異常でもない。
適応の結果だ。
いつからか。
ズレは『ミス』になった。
数分の遅れ。
一拍の迷い。
一瞬のためらい。
それらはすべて、正確な履歴と照らし合わされ、説明を求められるようになった。
「どうして遅れたの?」
「なぜその判断をしたの?」
「根拠はあるの?」
『全部、履歴が残ってるんだよ。』
どうして?どういうこと?何がしたいの?それで?なんだったの?どうしてこうなった?どういう意味?何を考えてるの?どう見えてる?なんでこんな気持ちになるの?どうして伝わらないの?だから何?
それ本気で言ってる?何様のつもり?ちゃんと考えた?それで通ると思った?何がしたいの?自分でわかってる?なんでそうなる?説明できる?何回言えばわかるの?何を見てたの?
なんで?
ミスをすればするほど、ミスが生まれる
ミスが生まれるほど、ズレが生じる。
時間は感じるものじゃなくなり、証明するものになった。
疑問を、疑念を、一つのミスで正気じゃないものと思われる。
その世界で生きやすいのは誰か。
考えるまでもない。
時間を感じない人間だ。身を任せる人間だ。
記録に委ね、記憶を忘れ、流れに乗り、身を任せる人間。
「ズレを感じなくなった人間は、責められない。」
彼が言った。
「だって、今じゃズレてないから。」
時間がわからない、だからズレようがない。
通知が来たら動く。わからなくてもいい履歴を見ればいい。
止まれと言われたら止まる。
そこに迷いはない。




