第94話 究極のお昼寝タイムと、公爵邸の過保護な包囲網
中庭での初めての冒険(お散歩)を終え、ポチとガイルさんに力いっぱい手を振ってサンルームに戻ってきたテオドールは、こてんと首を傾げて目をこすっていた。
「ふぁぁ……」
どうやら、外の世界の刺激に大興奮して遊び疲れたらしい。
「テオ、お昼寝の時間ですね」
私が微笑みかけると、待ってましたとばかりに部屋中のモノたちが一斉にざわめき始めた。
『さあ若君! 我がミスリルのベッドへ! 最高の反発力と寝心地をお約束しますぞ!』
『アタシたちオーガニックコットンの出番ね! フワフワに包み込んであげるわ!』
過保護な寝具たちが気合十分な声でテオを待ち構える中、廊下からバァーン! と勢いよく扉が開かれた。
「奥様! そしてテオ坊ちゃん! ようやく、ようやくこの日がまいりましたわーーっ!!」
「うおおお若君! 近くで拝見すると、さらに大きくなられましたね!!」
凄まじい勢いで飛び込んできたのは、モップを握りしめたリリィさんと、コック帽を被ったジャンさんだった。
「あら? リリィさんにジャンさん。お二人とも、急にどうしたの?」
私が目を丸くすると、二人は感極まったようにポロポロと涙を流し始めた。
「ええ……っ! 実はテオ坊ちゃんが小さいうちは『お前たちは刺激が強すぎる』と、セバスチャン様からサンルームへの立ち入り制限をかけられておりましたの……!」
「加えて、領地の観光客増加に伴う厨房の拡張工事などで、我々もバタバタしておりましたし……。ですが若君も一歳を迎えられ、ついに我々もサンルームへの出入りが解禁されました!」
なるほど。いつもお城を賑やかにしている二人が、これまでテオのお昼寝や遊びに混ざっていなかったのには、多忙に加えてセバスチャンさんのベビーシッター検閲という事情があったらしい。
晴れてテオと直接触れ合えるようになり、解き放たれた二人のテンションは完全に振り切れていた。
「というわけで奥様! 若君がお昼寝に入ると聞いて、サンルームの空気を極限まで浄化してまいりましたわ! これで若君の肺に入る酸素は、精霊の森より澄み切っております!」
リリィさんがビシッとモップを構える。どうやらテオが寝る前に、部屋中の埃という埃を音速で排除してくれたらしい。
「私からは、若君の安眠をサポートする特製のホットミルクをお持ちしました。領地で一番栄養価の高い牛の乳を、最も甘みが引き立つ絶妙な温度で温めております」
ジャンさんが差し出した哺乳瓶からは、ふわりと優しく、深く安らぐような甘い香りが漂ってきた。
「二人とも、ありがとう。でも、少し大げさよ」
私が苦笑しながらテオをベッドに寝かせようとした、その時。
「待て、コーデリア。テオの寝かしつけは俺に任せてくれ」
いつの間にか、執務室から分厚い本を抱えたジークハルト様が歩み寄ってきた。
「旦那様? お仕事はよろしいのですか?」
「ああ。午前中の決裁はすべて終わらせてきた。我が子の健やかなる成長には、肉親による良質な読み聞かせが必要不可欠だと、育児書に書いてあったからな」
そう言ってジークハルト様が誇らしげに掲げた分厚い本。その表紙には、厳めしい金文字でこう書かれていた。
『図解・要塞都市の完全なる陥落と、包囲戦術の極意』
「…………はい?」
私は自分の目を疑った。
「旦那様、それは絵本ではなく、ただの軍事専門書では……?」
「そうだ。幼い頃から高度な戦術理論を子守唄代わりに聞かせることで、テオの潜在意識に無敵の采配力を刷り込む。情操教育としてはこれ以上ない完璧な一冊だ」
本気だ。この人、大真面目にえげつない軍事書で一歳児を寝かしつける気だ。
『おおっ! ご主人様、最高だぜ! 若君、俺様も一緒に無敵の戦術を叩き込んでやるからな!』
壁に立てかけられたグラムさんが、大声で賛同の声を上げる。
私が止める間もなく、ジークハルト様はテオをベッドに寝かせ、その傍らに腰を下ろした。そして、極限まで優しく甘い、とろけるような声で朗読を始めた。
「……いいか、テオ。敵の補給線を断つためには、まず夜陰に乗じて軽騎兵を迂回させ、背後の拠点を徹底的に焼き払うのだ……」
内容は容赦のない焦土作戦なのに、語り口調は極上の愛に溢れた甘い囁き声だ。そのとんでもないギャップに、私の頭がバグりそうになる。
「あーう?」
テオは不思議そうにパパの顔を見上げ、ジャンさんの特製ミルクをちゅうちゅうと飲みながら、ぱちくりと瞬きをしている。
サンルームへの出入りが解禁されてテンションがおかしい使用人たちに、軍事書の朗読、そして『若君、俺様が夢の中の敵もぶった斬ってやるぜ!』と張り切る魔剣の声。情報量が多すぎる。
「……あの、皆様」
私はそっと息を吐き、ベッドの周りを取り囲む過保護すぎる面々に微笑みかけた。
「お気持ちはとっても嬉しいのですが……これでは、テオが興奮して眠れませんわ」
「なっ……俺の戦術理論が難しすぎたか!?」
「そういう問題ではありません」
私はジークハルト様の手から分厚い軍事書をそっと回収し、テオの胸元を優しくトントンと一定のリズムで叩き始めた。
「ねんねん、テオ。いい子だから、おやすみなさい」
私が小さく子守唄を口ずさむと、それまで目をぱちくりさせていたテオのまぶたが、とろーんと重たそうに下がっていった。
「すぅ……すぅ……」
数秒後。
テオドールは、安心しきったように小さな寝息を立て始めた。
「……おお」
「さすがは奥様ですわ……!」
「完璧な寝かしつけ……!」
ジークハルト様と使用人たちが、信じられないものを見るような目で私を見つめ、静かに感嘆の声を漏らした。
ただ普通にトントンしただけなのだが、この過保護すぎるお城の人たちには、それが究極の魔法のように見えるらしい。
「……どんなに優れた戦術書も、母親の温もりには敵わないというわけか」
ジークハルト様はそう低く囁くと、眠るテオの額にそっと唇を落とし、次いで私のこめかみにも温かいキスを贈った。
「ありがとう、コーデリア。お前は本当に、世界で一番素晴らしい母親だ」
熱を帯びた優しい瞳で見つめられ、私は照れくささに頬を染めた。
『ふふっ、若君、いい夢を見てね』
『この寝顔を守るためなら、俺様はなんだって斬れるぜ……!』
モノたちの優しいひそひそ声と、最強で過保護な家族たちに見守られながら。
私たちの愛しい宝物は、お城の尋常ではない愛情を一身に受けて、今日も健やかに夢の世界へと旅立っていくのだった。




