第82話 もこもこ要塞化するお城と、過保護な執務室大移動
私の妊娠が発覚してからの、ジークハルト様の行動の早さは凄まじかった。
翌朝、ふわりと目を覚ました私が身支度を整え、私室の扉を開けた瞬間。目の前に広がっていた光景に、私は思わず数回まばたきを繰り返した。
「ええと……これは……?」
『ふかふかだぜ奥様! 俺様が絶対に転ばせないから、安心して歩いてくれよな!』
足元から元気な声を上げていたのは、昨日までは敷かれていなかったはずの、毛足の長い最高級の分厚い絨毯だった。
それだけではない。廊下に置かれた飾り棚や、小さなテーブルに至るまで、すべての家具の角という角に、分厚い綿と柔らかな布がぐるぐると巻き付けられているではないか。
『アタシの角にもこんなに綿が……ちょっと不格好だけど、ちっちゃなお客様の安全のためなら喜んで我慢するわ!』
飾り棚さんが誇らしげに胸を張る(ように見えた)。
どうやらジークハルト様は、昨日宣言していたお城の完全要塞化計画を、夜を徹して職人たちに実行させてしまったらしい。
「奥様、おはようございます。足元、フワフワすぎて逆に歩きづらくありませんか?」
苦笑いを浮かべながら歩いてきたリリィさんが、そっと私の腕を支えてくれる。
「おはよう、リリィさん。まさか一晩でここまで変わってしまうなんて……。ジークハルト様は、今どちらに?」
「それが……奥様には少し、驚かれるかもしれませんが、日当たりの良い南側のサンルームに……」
リリィさんに案内され、もこもこになった廊下を慎重に歩いてサンルームへと向かう。
扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……おはよう、コーデリア。気分はどうだ? 寒くはないか?」
「おはようございます、旦那様。私はとても元気ですが……あの、その後ろにあるものは一体……」
光の差し込む温かいサンルーム。
私がいつもお茶を飲んだり本を読んだりするお気に入りの長椅子のすぐ目の前に、なぜか、ジークハルト様の巨大な重厚な執務机がドンと鎮座していたのだ。
机の上には、未決裁の書類の山が高々と積まれている。
「執務机だが?」
ジークハルト様は、さも当然だというように平然と答えた。
「それは見れば分かりますけれど……なぜ、執務室にあるはずの机がこちらに?」
私が戸惑っていると、後ろで控えていたセバスチャンさんが、静かに、そして深々と頭を下げた。
「旦那様が、『妻の顔が見えない場所で仕事など手につくか』と仰りまして……。昨晩のうちに、私と使用人たちで執務室の機能ごと、こちらのサンルームへお引越しをさせていただきました」
「ええっ!?」
つまりジークハルト様は、私が日中過ごす部屋に、自分の仕事部屋ごと移動してきてしまったということだ。
『ギャハハハ! 執務室ごと引っ越してきやがった! どんだけ奥様から離れたくないんだよ、ご主人様! パパ公爵の過保護っぷり、最高傑作だぜ!』
机の脇に立てかけられたグラムさんが、大爆笑しながら声を上げる。
「ふふっ……グラムさんが、『執務室ごと引っ越してくるなんて、どれだけ奥様から離れたくないんですか』って、旦那様の過保護っぷりに大笑いしていますわ」
容赦ないツッコミに笑いを堪えきれず、私がそのまま通訳して伝えると、ジークハルト様は悪びれる様子もなく、ふいっと顔を背けて書類に目を落とした。
「……当然だ。俺にとって、お前とお腹の子供の安全が何よりも優先される。お前の姿が見えない執務室に籠るなど、今の俺には拷問に等しい」
「旦那様……」
言い訳一つせず、真っ直ぐに私への愛と執着を言葉にしてくれる彼に、胸の奥がきゅうっと温かくなる。
ジークハルト様は手元のペンを置くと、長椅子に座る私の隣へと移動してきて、そっと腰を下ろした。
そして、大きな手で私の肩を抱き寄せ、もう片方の手で、私の平らなお腹を愛おしそうに撫でる。
「……お腹が空いたりはしていないか? 専属の栄養士には、お前が食べやすいものを何種類も用意させている。無理はしなくていい、少しでもつらい時はすぐに言え」
心配性すぎる旦那様の声は、どこまでも甘く蕩けていた。
「ありがとうございます。でも、本当に平気ですよ。お家さんや絨毯さんたちも、私が転ばないように見守ってくれていますから」
『任せとけ! 奥様とちっちゃなお客様は、俺たちが全力でガードするぜ!』
『旦那様と一緒に、アタシたちも過保護になっちゃうんだから!』
お城中のモノたちの頼もしい声に、私は満面の笑みを浮かべた。
お腹の小さな命がもたらしてくれた、新しい幸せの形。
もこもこに要塞化されたお城と、私の側から一歩も離れようとしない旦那様との、騒がしくて甘いマタニティライフが、こうして幕を開けたのだった。




