第80話 祝福の鐘と、永遠を誓う口づけ
雲一つない、透き通るような青空が広がる朝。
オルステッド領全体が、かつてないほどの喜びに満ちた熱気に包まれていた。
ついに、私とジークハルト様の結婚式の日がやってきたのだ。
『さあさあ! アタシの出番よ! 奥様を世界で一番美しい花嫁にするんだから!』
『俺のヒールもバッチリ磨き上げられてるぜ! 絨毯の上を滑るように歩かせてみせる!』
『私たちも負けてられないわ! 領地で一番綺麗に咲いたんだもの!』
私の私室では、純白のシルクドレスさんや、艶やかな白いヒールさん、そして領地の花々で作られた大きなブーケさんたちが、朝から大合唱を繰り広げている。
リリィさんとジャンさんの手によって、私の髪には繊細なレースのベールが被せられ、最後に一粒の真珠のネックレスが飾られた。
「奥様……っ、本当に、妖精のように美しゅうございます……!」
リリィさんが両手で顔を覆い、感極まってポロポロと涙をこぼす。
ジャンさんも目頭を押さえながら、深く、深く頭を下げた。
「ええ。この日のために腕によりをかけて準備をした甲斐がありました。……さあ、奥様。旦那様が、祭壇でお待ちです」
私は大きく深呼吸をして、リリィさんに手渡されたブーケを胸に抱き寄せた。
◇
式場となるのは、城内にある荘厳な大礼拝堂だ。
重厚なオーク材の扉の前に立つと、私のエスコート役を務めてくれるセバスチャンさんが、優しく右腕を差し出してくれた。
実家から追放された私には、バージンロードを一緒に歩いてくれる父親はいない。けれど、ちっとも寂しくはなかった。私には、この領地で出会った大切な家族がたくさんいるのだから。
「参りましょう、コーデリア様」
ギィィ……と、ゆっくり扉が開かれる。
パイプオルガンの荘厳な音色が響き渡る中、私はセバスチャンさんに手を取られ、真っ赤な絨毯が敷かれたバージンロードへと足を踏み出した。
ステンドグラスから差し込む七色の光の先。
祭壇の前に立っていたのは、純白に銀の刺繍が施された、軍服調の正礼装に身を包んだジークハルト様だった。
――格好いい。
いつも漆黒の服が多い彼が、眩しいほどの白を纏っている。
その神々しいまでの美しさに、私は思わず息を呑んだ。
一歩、また一歩と近づくたび、彼の瞳が私だけを真っ直ぐに捉え、熱を帯びていくのがわかる。
「……ジークハルト様」
祭壇の前に到着し、セバスチャンさんからジークハルト様の手へと、私の手がそっと引き継がれる。
彼は私の手を握りしめると、愛おしげに目を細めた。
「……ああ。誰にも見せたくないほど、美しい」
誰にも聞こえないほどの低い声で囁かれた甘い言葉に、心臓がドクンと大きく跳ねた。
「それでは、これより誓いの儀式を執り行います」
私たちの前に立っていたのは、すっかり顔を青ざめさせ、ガチガチに緊張したウォレス神父だった。
『くぅ〜っ! 今日の俺は特注の強化素材で編み上げられてるんだ! 神父の腹の肉がどれだけ暴れようと、絶対に弾け飛んだりしないぜ!』
『俺も今日は孫の手になんてさせない! 神聖な杖としての威厳を保つんだ!』
ウォレス神父のお腹周りからは、昨日とは違う新しいコルセットさんの悲壮な決意と、杖さんの熱い意気込みが聞こえてくる。
神父自身も、ジークハルト様から「絶対に邪魔はさせるな」と釘を刺されているため、額に滝のような汗をかきながら、噛まないように必死で聖書を読み上げていた。
「新郎、ジークハルト・オルステッド。汝は健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も……これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「誓う。俺の命と、この魂のすべてを懸けて」
一切の迷いのない、低く力強い声。
繋がれた手から、彼の体温と、揺るぎない愛情が流れ込んでくるようだ。
「新婦、コーデリア。汝は健やかなる時も、病める時も……」
神父の言葉を一つ一つ噛み締めながら、私はジークハルト様の瞳を見つめ返した。
何も持っていなかった私に、居場所を、温もりを、そして溢れるほどの愛をくれた人。
「はい。永遠の愛を、誓います」
私がはっきりと答えると、ジークハルト様の口元が、柔らかく、ひどく甘く綻んだ。
「それでは……誓いの口づけを」
ウォレス神父の言葉を合図に、ジークハルト様が私のベールにそっと手をかけ、ゆっくりと持ち上げる。
視界を遮っていた白いレースが取り払われ、彼の手が私の頬を熱く包み込んだ。
「コーデリア」
私の名前を呼ぶ声は、甘く蕩けるような響きを帯びている。
「お前はもう、俺のものだ。……誰にも渡さない」
唇が重なる直前、彼が落とした独占欲に満ちた囁き。
その言葉の意味を理解する前に、彼の熱い唇が、私の唇を塞いだ。
「ん……っ」
ただ触れるだけのキスではない。これまでの募る想いをすべてぶつけるような、深く、情熱的で、甘い口づけ。
腰に回された腕にぐっと力が込められ、体がぴったりと密着する。周囲にたくさんの人がいることなんてすっかり忘れてしまいそうなほどの熱に、私はただ、彼の背中の服をきゅっと掴むことしかできなかった。
『ヒューヒュー! 最高だぜご主人様! オルステッド領の歴史に残る、一番熱いキスだ! おめでとう、奥様!』
腰のグラムさんが、空気を読まずに(けれど最高に嬉しそうに)大はしゃぎする。
ジークハルト様はゆっくりと唇を離すと、私の耳元に顔を寄せ、その長い指で私の赤い頬を撫でながら、満足そうに低く笑った。
「……愛している」
「わ、私も……愛しております、旦那様」
私が真っ赤な顔で見上げて微笑むと、礼拝堂の扉が大きく開け放たれた。
カンカーン! カンカーン!
城の鐘楼から、祝福の鐘の音が青空に向かって高らかに鳴り響く。
それを合図に、外に集まっていた領民たちから、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
「コーデリア、行くぞ」
ジークハルト様が私の手を取り、光の差し込む外へと歩き出す。
やかましくて愛おしいモノたちの声と、温かい人々の祝福に包まれたこの場所で。
不器用な公爵様と私の、騒がしくも甘い永遠が、今、確かな形となって始まろうとしていた。
第二章完。




