第79話 王都からの使者と、揺るぎない愛の盾
王都からの使者を乗せた豪奢な馬車が、オルステッド城の正門をくぐったのは、それから数日後のことだった。
エントランスホールに並んで出迎える私たちの前に現れたのは、豪奢な白い法衣に身を包んだ、恰幅の良い中年の男性だった。
教会本部から派遣されてきた、ウォレス高位神父である。
「お初にお目にかかります、ジークハルト公爵閣下。この度はご結婚、誠におめでとうございます。王都の教会本部を代表し、この私が直々に式を取り仕切らせていただきます」
ウォレス神父は恭しく頭を下げると、今度は私の方へ顔を向け、大げさなほどに揉み手をした。
「そしてコーデリア奥様! 王都でも、貴女様の素晴らしい領地改革の手腕は持ちきりでございますぞ! オルステッドの至宝と名高い貴女様とお会いできて、このウォレス、光栄の至りに存じます!」
まるで昔から私の支持者であったかのような、流れるようなお世辞。
王都にいた頃は誰一人として見向きもしなかったのに、評価が覆った途端にこれだ。あまりの変わり身の早さに、私が少しだけ反応に困っていると――。
『ちょっと奥様、聞いてちょうだい! この神父、道中ずっと馬車の中でクッキー食べまくってたのよ! 今この瞬間も、アタシがどれだけ必死にこの三段腹を威厳ある姿に圧縮してやってるか! アタシの並々ならぬプロ根性を褒めてほしいわ!』
『俺なんて由緒正しき聖なる杖のくせに、馬車の中じゃずっと背中を掻く孫の手扱いだぜ!? しかも先端の宝玉で耳の裏まで掻きやがって!』
ふいに聞こえてきたのは、ウォレス神父の恰幅の良いお腹をギリギリで締め上げている補正用コルセットと、彼が手に持つ立派な杖からの盛大なクレームだった。
「えっ……」
『さっきまで「辺境の田舎まで来させやがって」って文句タラタラだったくせに! 「公爵夫妻をおだてて、たっぷりと教会への寄付金をむしり取ってやる」なんて言いながら、指についたクッキーの粉を舐めてたんだぜ!』
次々と暴露される神父の裏の顔と、立派な法衣の下でコルセットが超人的な仕事をしているという事実に、私の戸惑いはあっという間に吹き飛んでしまった。
クスッと吹き出しそうになるのを、慌てて両手で口元を押さえて堪える。
そんな私の様子をどう捉えたのか、ジークハルト様がスッと私の前に立ち塞がるように一歩前に出た。
「……神父。随分と口が回るようだが、私の妻に気安く近づくな」
エントランスの空気が、一瞬にして凍りつく。
ジークハルト様から放たれた絶対零度の威圧感に、ウォレス神父の顔からサッと血の気が引いた。
「教会が、潤ったこの領地の財のおこぼれを狙っていることなど百も承知だ。寄付金目当ての見え透いたお世辞など不要。……お前たちは、式の進行のみを粛々とこなせ。それ以上の介入は一切許さん」
「ひっ……! も、申し訳ございません……っ! 決してそのような下心は……っ!」
震え上がったウォレス神父が(苦しいお腹周りを庇いながら)何度も頭を下げる。
ジークハルト様はそう言い放つと、私の腰を力強く抱き寄せ、神父に見せつけるように自分の側へとぴったりと密着させた。
その瞬間だった。
『あーもう、ビビって変な汗かいてるし、おだて声が胡散臭くて聞いてられないわ! アタシの堪忍袋も限界よ! 必殺・ホック爆弾、一発お見舞いしてやる!』
――プツンッ!
かすかな破裂音と共に、ウォレス神父の法衣の下で、ついにコルセットのホックが一つ勢いよく弾け飛んだ。
「ひぐっ!?」
ジークハルト様の威圧感と、物理的なストライキが同時に訪れ、神父が情けない声を上げる。
すかさず、背後に控えていたセバスチャンさんが完璧な笑みを浮かべて歩み出た。
「長旅でお疲れのところ恐れ入ります、ウォレス神父様。ご案内いたしますので、まずは客室にて『ゆったりとした』お召し物にお着替えくださいませ」
「お、おお……恩に着る……っ」
セバスチャンさんに促され、お腹を押さえながら逃げるように去っていく神父の背中を、私たちは静かに見送った。
『ギャハハハ! 言われてやんの! ご主人様の言う通りだぜ、このタヌキオヤジ! まさかホックまで弾け飛ぶとは傑作だ!』
腰のグラムさんが大爆笑して煽り立てる。
ジークハルト様は遠ざかる神父から冷たく視線を切り離し、私を見つめ下ろした。
そして、抱き寄せていた腕の力を少しだけ緩めると、空いた大きな手で私の頬をそっと包み込む。
親指の腹が、私の肌を優しく撫でた。
「……教会の連中が何を企んでいようと関係ない。この式は俺とお前のためのものだ。誰にも邪魔はさせない」
短く、けれど絶対的な響きを持った言葉。
するとすかさず、腰のグラムさんが楽しそうにしゃしゃり出てきた。
『ハイハイ、ここで俺様がご主人様の心の声を翻訳してやるぜ! つまり「俺の愛するコーデリアの笑顔に影を落とすような真似をする奴は、俺が片っ端からぶっ飛ばしてやる!」ってことだ! ヒューヒュー! 相変わらず愛が重いねぇ!』
グラムさんの絶妙な(そして絶対に図星な)通訳に、私の頬がカッと熱くなる。
彼の瞳が、さらに熱を帯びて甘く細められた。
「……お前はただ、あの美しい純白のドレスを着て、俺の前に立ってくれればそれでいい」
氷のように冷たかった声が、私に向ける時だけ、甘く溶けるような優しさを帯びる。
みんなのいる前で堂々と抱き寄せられ、溺愛を隠そうともしない彼に、私の顔はもう限界まで真っ赤になってしまった。
「無理なんてしていませんわ。……だって私には、こんなにも頼もしくて、私を一番に守ってくれる旦那様がついていますもの」
下心を持った使者がどれほどすり寄ってこようと、今の私には何も怖くない。
万物の声が教えてくれる真実と、私を絶対に守り抜いてくれる揺るぎない愛の盾があるのだから。
それに、あんなにもお腹を苦しそうにしている神父様を見たら、怒るよりも先におかしくてたまらなくなってしまったのだ。これなら、式本番でも緊張せずに彼の顔を見ることができそうである。
最高の結婚式に向けた、私たちの騒がしくも甘い準備は、いよいよ最終段階へと入っていくのだった。




