第78話 純白のドレスと、言葉を失う公爵様
学舎が無事に開校してからのオルステッド領は、まさにお祭り騒ぎのような活気に満ちていた。
何せ、かつては沈黙の辺境伯と恐れられていたジークハルト様が、ついに正式な結婚式を挙げるというのだ。今ではすっかり誤解も解け、彼が不器用で誰よりも優しい領主だと知っている領民たちは、この慶事を自分たちのことのように喜び、街中がお祝いムードに包まれている。
そしてお城の執務室や客間も、連日ひっくり返したような大騒ぎだった。
『さあさあ、奥様! もっと背筋を伸ばして!』
『くびれのラインは俺様に任せな! ミリ単位で正確に測ってやるぜ!』
客間では、ボルドー商会が手配してくれた王都の一流デザイナーが持ち込んだメジャーや待ち針たちが、私の周りを飛び交いながら(実際にはデザイナーさんの手によって)忙しなく動いている。
「ふふっ、メジャーさん、そんなにきつく締めないでちょうだい。息ができなくなってしまうわ」
私が小声で話しかけると、メジャーは『おっと、こいつは失礼!』と少しだけ緩んでくれた。
今日は、いよいよ結婚式で着るウェディングドレスの試着日だ。
部屋には最高級のシルクやレースで作られたドレスがずらりと並び、どれもこれも『私を着て!』『いや、私の方が絶対に奥様の魅力を引き出せるわ!』と火花を散らしている。
数ある中から、デザイナーさんとリリィさんが「これぞ」と選び抜いた一着。
それは、オルステッド領の雪景色を思わせるような、艶やかな純白のシルクドレスだった。
『ああ……奥様に袖を通してもらえるなんて、夢みたい!』
ドレスさんがうっとりとした声を上げる中、リリィさんの手によって髪が結い上げられ、薄く化粧が施されていく。
「奥様、本当に……本当にお綺麗です」
鏡の前に立った私を見て、リリィさんが感極まったように涙ぐんだ。
鏡台さんも『どうだいこの美しさ! 俺のガラスが割れちまいそうだぜ!』と大絶賛してくれている。
客間の扉の向こうでは、ジークハルト様が私の着替えが終わるのを待っているはずだ。彼にこの姿を見せるのかと思うと、急に心臓がドキドキと音を立て始めた。
「……お着替え、終わりましたわ」
リリィさんが客間の扉を静かに開ける。
扉の向こうの廊下で、腕を組んで壁に寄りかかっていたジークハルト様が、ゆっくりとこちらを振り返った。
「……」
私を見た瞬間、ジークハルト様は大きく目を見開いたまま、完全に動きを止めてしまった。
いつもは冷静沈着な彼が、言葉を失い、ただ瞬きすら忘れたように私を真っ直ぐに見つめている。
「あ、あの……ジークハルト様? どう、でしょうか……。やっぱり、私には少し派手すぎたかしら……」
沈黙に耐えきれず、私が恥ずかしさで俯きそうになった、その時。
「……いや」
かすれた低い声が響き、ジークハルト様が大きな歩幅で私に近づいてきた。
そして、私の手を取ると、壊れ物でも扱うかのように優しく、その手の甲に唇を落とした。
「……美しすぎて、言葉が出なかった。お前が俺の妻になるという事実が、今さらながら信じられないほどだ」
触れ合った肌から、彼の熱が伝わってくる。
アイスブルーの瞳には、隠しきれないほどの深い愛情と、熱を帯びた独占欲が渦巻いていた。
「こんな姿を、式の当日に王都の連中や他の男たちに見せなければならないと思うと……今すぐこの城の奥深くに、お前を隠してしまいたくなる」
「ジークハルト様ったら……っ」
あまりにも真っ直ぐで甘い言葉に、私の顔はたちまち真っ赤に染まってしまう。
『ヒューヒュー! ご主人様、完全に骨抜きじゃねーか! 奥様の美しさにやられて、ついに理性が吹っ飛んだな!』
腰のグラムさんが、いつものように茶化す声を上げる。
ジークハルト様は表情を変えることなく、そのまま優しく私の腰を抱き寄せた。
「……式まで、まだ時間はあるな」
耳元で囁かれる甘い声に、心臓が跳ねる。
「え、ええと、あの……ジークハルト様、デザイナーさんが見ていらっしゃいますし、ドレスにシワが……っ」
「構うものか。……少しだけ、このままでいさせろ」
周囲の目も気にせず、ジークハルト様は私の肩に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
幸せで、甘くて、少しだけ照れくさい時間。
◇
「失礼いたします、旦那様、奥方様」
そこへ、セバスチャンさんが静かに廊下を歩いてきた。
その手には、一通の仰々しい封書が握られている。
「王都の教会本部より、早馬が到着いたしました。……結婚式を執り行う高位の神父様が、数日後にこのオルステッド領へ到着されるとのことです」
「……そうか。いよいよだな」
ジークハルト様は私からゆっくりと身を離し、どこか晴れやかな顔で頷いた。
神父様の到着。
それはつまり、私とジークハルト様が正式に夫婦となる日が、もう目前まで迫っているということを意味している。
「いよいよ、ですね……っ」
実感が湧いてきて、期待と緊張で私の胸がドキドキと高鳴る。
そんな私の様子に気づいたのか、ジークハルト様は優しく私の手を取り、その長い指を絡めた。
「ああ。形式張った王都の式ではなく、このオルステッド領で、領民たちとお前の大切なモノたちに囲まれた、最高の結婚式にしよう」
その温かく力強い言葉と、ドレスさんの『そうよ、私を着て世界一幸せな花嫁になるのよ!』という元気な声に背中を押され、私は満面の笑みでしっかりと頷き返した。




