第77話 はじまりの学舎と、約束の鐘の音
お家さん(空き館)の修繕が完了し、オルステッド領に初めての学舎が開校する日がついにやってきた。
朝からすっきりと晴れ渡った青空の下、ピカピカになった石造りの洋館の前には、領内の子供たちやその親御さんが大勢集まっている。
『うおおおん! 本当に、本当に人間がいっぱい来てくれたぞぉぉ!』
『窓ガラスもピッカピカに磨いてもらって、最高の気分だ!』
お家さんや窓ガラスたちが、感極まって大号泣(もちろん声だけ)している。その喜びようといったら、壁から微かな魔力の粒子がキラキラと舞い散っているほどだ。
◇
門のそばでは、警備員兼遊具として張り切っていたガーゴイルさんたちが、なぜかカチコチに固まっていた。
『ど、どうしようポチの旦那……。子供たち、俺たちの怖い顔を見て泣き出しちまわないだろうか……』
『グルゥ!(大丈夫だ、お前たち優しいからな!)』
ポチが一生懸命励ましているものの、いざ子供たちを前にして石の魔物たちはすっかり自信を無くしているようだ。
実際、親に手を引かれた小さな女の子が、ガーゴイルさんを見上げてビクッと肩を揺らした。
「コーデリア。あの石像ども、随分と小さく縮こまっているように見えるが」
隣に立つジークハルト様が、不思議そうに目を細める。
「子供たちに怖がられないか、とても緊張しているみたいですわ」
私がそう答えると、ジークハルト様は小さく息を吐き、女の子の前に歩み寄った。
「怖がることはない。こいつらはこの学舎を守る、優しくて力持ちの騎士だ。……ほら」
ジークハルト様が視線で促すと、ガーゴイルさんはハッとして、太い石の指で器用に摘んだ一輪の白い花を、そっと女の子に差し出した。
『あ、あのよぉ……これ、やるよ。仲良くしてくれ』
私が通訳するより早く、女の子はパァッと顔を輝かせてその花を受け取った。
「ありがとう、おっきい騎士さん!」
それを合図に、他の子供たちも「わあー!」「すっげー! 動く石像だ!」とガーゴイルさんやポチに群がり始める。
あっという間に子供たちの人気者になった彼らは、『うおおお! 俺の腕にぶら下がってるぞ!』と幸せそうに歓喜の叫びを上げていた。
◇
学舎の中も大騒ぎだ。
王都から招いた人の良さそうな初老の先生が黒板に文字を書くたび、黒板さんは『くすぐったい! でも嬉しいぞ!』と笑い、棚の絵本たちは『次は私を読んで!』とアピール合戦を繰り広げている。
子供たちの元気な声が響き渡る廊下を歩きながら、私は胸がいっぱいになっていた。
「……素晴らしい学舎になったな」
ジークハルト様が、穏やかな声で呟く。
「はい。これもすべて、ジークハルト様が皆さんのために動いてくださったおかげですわ。……本当に、ありがとうございます」
私が足を止め、真っ直ぐに見上げてお礼を言うと、ジークハルト様は周囲に人がいないことを確認してから、そっと私の腰を引き寄せた。
「俺は、領主として当然の投資をしたまでだ。だが……この場所にお前の優しさがなければ、ただの冷たい石のハコで終わっていただろう」
彼の瞳が、熱を帯びて私を捉える。
「お前が、この領地に温かい血を巡らせてくれたんだ。……俺の、冷え切っていた心にもな」
「ジークハルト、様……っ」
甘い言葉と共に、引き寄せられた腰がさらに彼へと密着する。
「学舎は、無事に完成したな」
耳元に落ちた低く響く声に、私はビクッと肩を揺らした。
「え、ええと……はい。完成、いたしましたわ」
「……約束通り、王都から神父を呼ぶ手配を進める。覚悟しておけ」
逃げ道を防ぐように背中に回された大きな手と、獲物を追い詰めるような、けれどどこまでも甘い肉食獣のような瞳。
ジークハルト様の本気の独占欲がビリビリと伝わってきて、私の顔は瞬く間に林檎のように真っ赤に染まった。
『ヒュー! 昼間っから学校の廊下で発情するんじゃねーよご主人様! 子供の教育に悪いぜ!』
腰のグラムさんが相変わらずの調子で茶化してくる。
だがジークハルト様は、甘い視線を私に向けたままで、腰を抱く手を緩めようとはしなかった。
◇
その日の午後。
執務室に戻るなり、ジークハルト様は有言実行とばかりに凄まじい行動力を発揮し始めた。
「セバスチャン。王都の教会本部へ親書を送る。我がオルステッド領での挙式を取り仕切るため、最高位の神父を招致したい。明日の朝一番で、早馬を出せ」
「かしこまりました。王都への打診状は既に数日前から書き上げております。護衛の騎士の編成も整っておりますので、すぐにでも出発させましょう」
「あ、あの、ジークハルト様! なんだか、お話がものすごい規模になっていませんか……!?」
執務机の上に次々と広げられていく、王都の最高級ドレスのカタログや、披露宴の料理の分厚い資料を前に、私は思わず目を回しそうになった。
「最高位の神父様を呼ぶだなんて、王族の結婚式みたいですわ……! 私、領地の皆さんに祝っていただけるだけで、十分幸せなのに……」
私が慌てて止めに入ろうとすると、ジークハルト様はペンを置き、私の元へと歩み寄ってきた。
そして、私の両手をそっと包み込み、真剣な瞳で見つめ下ろす。
「お前には、これまで十分すぎるほど苦労と不安をかけてきた。……これでもまだ、足りないくらいだ」
大きな親指が、私の手の甲を優しく撫でる。
「俺は、領民たちだけでなく、お前を無能だと虐げてきた王都の連中や、この国のすべてに知らしめたいのだ。コーデリア……お前が、俺のただ一人の、最高に愛しい妻であるということを」
「っ……」
真っ直ぐに向けられる重たくて甘い愛情に、私はもう、何の反論もできなくなってしまった。
『おおっ! あのドレスのカタログ、最高級のシルクだぜ! 奥様に絶対似合う!』
『ウエディングケーキの土台は俺たちの出番だな! 一番甘くて綺麗な皿を用意しなくちゃ!』
執務室のモノたちも、私たちの結婚式の話題にすっかりお祭り騒ぎになっている。
「……ふふっ。分かりました。ジークハルト様がそこまでおっしゃるなら、私、覚悟を決めますわ」
私が観念して微笑むと、ジークハルト様はようやく満足そうに口角を上げ、私の額にそっと誓いのキスを落とした。
私たちの本当の意味での夫婦としての門出に向けて。
賑やかで、どこまでも甘い準備の日々が、ここから始まろうとしていた。




