第74話 賑やかな朝と、未来への種まき
翌朝、私を目覚めさせたのは、一ヶ月ぶりのやかましくて愛おしい大合唱だった。
『奥様、おはよう! よく眠れた!?』
『ちょっとシーツの端っこ引っ張りすぎだぜ! 俺がシワになっちまう!』
『うるさいわね、奥様が気持ちよく眠れるのが一番でしょう!』
ベッドのスプリング、シーツ、そして枕たちが、口々に朝の挨拶と他愛のない口喧嘩を繰り広げている。
私はゆっくりと身を起こし、ふかふかの枕をぽんぽんと撫でた。
「おはよう、みんな。今日も元気いっぱいね」
『おうさ! 一ヶ月も寝てたんだ、魔力も体力も有り余ってるぜ!』
クローゼットを開ければ、ドレスたちが『今日は私を着て!』『昨日の夜のお二人、すっごくいい雰囲気だったわね!』と黄色い声を上げ、鏡台に座れば、ブラシさんが『さあさあ、奥様の美しい髪を梳かす俺の出番だ!』と張り切る。
すべてのモノに声があり、感情がある。
無音の世界を経験したからこそ、この騒がしさが、今の私には心地よい音楽のように感じられた。
◇
「……おはよう、コーデリア」
食堂へ向かうと、ジークハルト様が少しだけ眉間を揉みながら席についていた。
「おはようございます、ジークハルト様。少しお疲れですか?」
「いや。……ただ、朝からグラムの奴が『昨日の夜はあんなに熱かったのに、朝は随分とすましてるじゃねえか!』と頭に直接念話を響かせてきてな。少々、頭痛が……」
「えっ!? グラムさんの声が、ジークハルト様に直接聞こえているのですか?」
私が驚いて尋ねると、彼の横に立てかけられたグラムが、ピカピカと嬉しそうに紫色のオーラを点滅させた。
『へへっ! 枯渇してた地脈の魔力が一気に戻ってきたから、カラカラのスポンジが水を吸うみたいに魔力を吸い込みすぎちまってな! 今だけ俺様の魔力出力が限界突破してて、ご主人様にも直接念話が飛ばせるんだよ!』
「限界突破……」
『おう! ま、数日して魔力が体に馴染めば元に戻る、一時的なボーナスステージってやつさ!』
「なるほど……。一ヶ月分の魔力を急激に吸収したせいで、一時的に力が暴走している状態なのですね」
私が深く頷いて納得している横で、ジークハルト様は額を押さえてさらに深いため息をついた。
「……ボーナスどころか、ただの罰ゲームだ。セバスチャン。数日して魔力が落ち着くまで、この剣を厳重に布で巻き、地下の宝物庫の奥深くに封印しておいてくれ」
「かしこまりました。防音の箱もご用意いたしましょうか」
『うおおお!? 冗談だろご主人様! 俺様は最強の魔剣だぞ! 宝物庫はやめてくれぇぇ!』
完璧な笑顔で応えるセバスチャンさんと、慌てふためくグラム。
そんな賑やかなやり取りを見ながら、ジャンさんが作ってくれた温かいスープを一口飲む。スープの入ったお皿も『今日の温度はバッチリだろ?』と誇らしげだ。
やっぱり、このお城はこうでなくちゃ。
◇
朝食後、私たちは執務室へと移動し、今後の領地運営についての話し合いを始めた。
「ボルドー商会からの報告によりますと、温泉街の特製かき氷と温泉まんじゅうの売り上げは絶好調。農作物の収穫量も、奥方様のアドバイスのおかげで過去最高を記録しております」
セバスチャンさんが、分厚い帳簿を開きながら滑らかな口調で報告する。
「税収も大幅に増加しており、オルステッド領の財政はかつてないほど潤っております。これもすべて、旦那様と奥方様のご尽力の賜物ですね」
「……あらかたのインフラ整備は済んだ。次は、領民たちの生活水準をさらに引き上げる施策が必要だな」
ジークハルト様が手元の資料に目を通しながら呟く。
私は、窓の外の景色をぼんやりと眺めながら、ここ数日ずっと考えていたことを口にした。
「あの……ジークハルト様。もし資金に余裕があるのなら、この領地に学舎を作っていただけないでしょうか?」
「学舎、か?」
ジークハルト様が顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。
「はい。視察に行くたびに気になっていたのですが、農家の皆さんが畑仕事をしている間、小さな子供たちが道端で泥んこになって遊んでいることが多いですよね。……もちろんそれも元気で良いのですが、親御さんの目が届かない場所で怪我をしないか、少し心配で」
私は言葉を選びながら、自分の考えを伝えた。
「それに、親を亡くしてしまった孤児の子供たちも、街の片隅に何人かいると聞きました。そんな子供たちが安全に過ごせて、読み書きや計算を学べる学舎兼孤児院のような場所があれば、もっとこの領地は豊かになると思うんです」
私の提案を聞いて、ジークハルト様は少しだけ目を伏せ、思案するような仕草を見せた。
反対されるだろうか、と少しだけ不安になったその時。
『おおっ! 子供たち!? 小さな子供たちが来るのか!?』
執務室の隅に置かれていた、古い本棚が突然大きな声を上げた。
『奥様! 俺の棚の奥に眠ってる絵本たち、ずっと子供に読んでほしくてウズウズしてたんだ!』
『ワシの出番か!? ワシにまた石筆で字を書いてくれるのか!?』
本棚の隣に立てかけられていた、今は使われていない大きな黒板さんも、ガタガタと震えながら嬉しそうに叫んだ。
王都から持ってきた魔法の道具ではない、ただの古い木製の黒板だけれど、彼らもまた、誰かの役に立ちたいとずっと願っていたのだ。
「……ええ、そうね。子供たちがいっぱい来たら、絵本さんも黒板さんも、きっと毎日大忙しになるわよ」
私がクスクスと笑いながら本棚や黒板に話しかけていると、ジークハルト様がふっと口角を上げた。
「……良い案だ。俺も、領地の未来を担う子供たちへの教育は不可欠だと考えていたところだ」
「本当ですか!?」
「ああ。資金なら十分にある。安全な敷地を確保し、すぐに施設の建設に取り掛かろう。教師となる人材も、王都から招致するか、領内の知識人を集めればいい」
ジークハルト様はそう言って、私に優しく、頼もしい視線を向けた。
「お前は本当に、俺が気づかないような隅々にまで目を向けてくれるな。……やはり、俺にはお前が必要だ」
「ジークハルト様……」
面と向かってそんなことを言われ、私は嬉しさで胸がいっぱいになり、頬を赤く染めた。
声が聞こえなかった期間に、彼が言葉にして伝える努力をしてくれたおかげで、こうして素直な気持ちを真っ直ぐにぶつけてくれるようになったのだ。
『ヒュー! 朝から甘いねぇ! 学舎ができたら、俺様が子供たちに剣術を教えてやってもいいぜ!』
グラムさんがまたしても空気を読まずに(ジークハルト様の頭の中に直接)割り込んできたらしい。
ジークハルト様はピクリと眉を寄せ、氷のように冷たい声で即答した。
「却下だ。こんなやかましい剣に教育を任せたら、領地の未来が崩壊する」
『なんだと!? ご主人様、そりゃ偏見ってもんだぜ!』
執務室に響く、賑やかなやり取り。
新しい目標を見つけ、子供たちの笑顔があふれる未来のオルステッド領を想像しながら、私は静かに、けれど確かなワクワク感に胸を弾ませていた。




