第73話 やかましい日常の帰還と、終わらない愛の言葉
ジークハルト様の腕の中で、夢のような幸福感に浸っていたその時。
――カタ、カタンッ!
背後で鳴った微かな金属音は、たちまちカタガタガタッ!という激しい振動音へと変わった。
驚いて振り返ると、壁に立てかけられていた魔剣グラムが、かつての眩い紫色のオーラをバチバチと放ちながら、鞘の中で激しく暴れ回っていた。
『……っはー! 息が、息が止まるかと思ったぜぇぇぇ!!』
一ヶ月ぶりに私の頭の中に直接響き渡ったのは、鼓膜が破れそうなほど元気な、大声の念話だった。
『地脈の魔力、完全復活! いやぁ、長かった! 真っ暗で退屈で……って、うおおおお!?』
グラムの刀身から紫色の光が溢れ出し、執務室全体をピカッと照らし出す。
そして、まだしっかりと抱き合ったまま固まっている私とジークハルト様を見て、グラムは歓喜の(そして最高に空気を読まない)声を張り上げた。
『なんだなんだ! 俺様が目覚めた瞬間から、ずいぶんと熱烈なお取り込み中じゃねえか! ヒュー! ご馳走様! 心配して損したぜ!』
「ひゃっ……!」
私は一気に現実に引き戻され、顔を真っ赤にしてジークハルト様の胸からバッと飛び退いた。
一ヶ月ぶりのグラムさんの第一声が、まさかのキスシーンの実況だなんて!
「あ、あのっ、これは、その……っ!」
慌ててドレスのシワを伸ばし、両手で熱を持った頬を覆う。
一方のジークハルト様は、腕の中にいた私を失って一瞬怪訝な顔をしたが、壁でバチバチと紫色の光を明滅させているグラムを見て、すべてを察したようだった。
「……魔力が戻ったようだな。お前のその慌てよう……グラムの奴が目覚めて、また下らない野次でも飛ばしたのだろう」
ジークハルト様は深くため息をつき、ひどく冷ややかな目でグラムを睨みつけた。
「あ、あの……グラムさんが、その……」
私が言い淀んでいると、グラムがさらに容赦なく言葉を畳み掛けてきた。
『おう奥様、ご主人様に伝えてくれよ! 「あの不器用なアンタが『お前自身を愛している』だなんて甘々な台詞を吐けるようになるなんて、俺様感動して泣きそうになっちまったぜ!」ってな! 「何度でも言ってやる」ってところ、最高にキマってたぞ!』
「~~~~っ!」
「……コーデリア? あいつは、なんと言っている?」
ジークハルト様がいぶかしげに尋ねてくるが、そんな恥ずかしすぎる実況を私の口から通訳できるわけがない。
私が顔から火が出そうなほど真っ赤になってフルフルと首を横に振っていると、ジークハルト様は私の反応から、自分たちの甘いやり取りがすべて聞かれていたのだと悟ったらしい。
彼の顔が、怒りなのか羞恥なのか、耳の先まで一気に真っ赤に染まった。
「……やはり、お前は一度溶鉱炉に叩き込んで、ただの鉄塊に戻してやるべきだな」
ジークハルト様が容赦ない言葉と共に凄まじい殺気を放ち、本気でグラムの柄に手を伸ばそうとした、その時だった。
『ふぁ〜あ、よく寝た! ……って、いやぁ! お二人とも熱々で、俺の座面まで焦げるかと思いましたよ!』
『奥様、お顔が茹でダコみたいです! 可愛らしい!』
『旦那様、もっとガツンと押し倒しちゃえば良かったのに〜!』
執務室のソファが、ティーカップが、窓のカーテンたちが、次々と目を覚まして大合唱を始めたのだ。
どうやら、地脈の魔力が満ちたことで、城中のモノたちも一斉に休眠から復帰したらしい。
次から次へと頭の中に流れ込んでくる、賑やかで、やかましくて、そして一切のプライバシーがないモノたちの声。
一ヶ月間、ずっと無音だった世界。
あれほど寂しかったはずの沈黙が、こんなにもあっけなく、騒々しく打ち破られてしまった。
「……ふふっ」
私は口元を押さえ、こみ上げてくる笑いを堪えきれずに、ついに声を上げて笑い出してしまった。
「ふふふっ、あはははっ! もう、みんなったら、起きて早々からかわないでちょうだい!」
私が涙目になりながら笑うと、モノたちも『だって本当のことだろ!?』『お熱いのはいいことだ!』と楽しそうに笑い返してくる。
ああ、これだ。私が愛した、この城の賑やかな日常。
彼らの声が聞こえることが、こんなにも嬉しくて、安心するなんて。
「おかえりなさい、グラムさん。みんなも、おはよう」
私が最高の笑顔で呼びかけると、執務室中のモノたちが『おはよう、奥様!』と元気いっぱいに応えてくれた。
ジークハルト様は、額を押さえて深いため息をついていたが、私が笑っているのを見ると、少しだけ毒気を抜かれたように表情を和らげた。
「……やかましい日常が、戻ってきたな」
彼はそう言って私の隣に並び、大きな手で私の頭を優しく撫でた。
「はい。……でも、少しだけ残念でもありますわ。ジークハルト様との、静かで秘密の時間が終わってしまいましたから」
私が少しだけ上目遣いでそう言うと、ジークハルト様は一瞬息を呑み、それから私の耳元に顔を寄せて、誰にも聞こえないような小さな声で囁いた。
「……夜になれば、また二人きりだ。あいつらは、全員この執務室に置いていく」
「っ……!」
その甘い約束に、私の顔は再び火が出そうなくらい熱くなった。
『おーい! ご主人様! 内緒話はずるいぞ! 俺様にも教えろって!』
グラムが空気を読まずに騒ぎ立てる中、ジークハルト様は「黙れ、駄剣」と冷たく言い放ち、私の手をしっかりと握り直した。
万物の声が聞こえる、少し不思議で、最高にやかましい私の日常。
一度は失いかけたからこそ、この賑やかさが、そして隣で繋いでくれるこの温もりが、どれほど尊いものかを知ることができた。
「さあ、みんなが起きたことを、セバスチャンさんやリリィさんたちにも知らせてきませんと!」
私はジークハルト様の手を引いて、明るい光が差し込む廊下へと歩き出した。
声なき世界を乗り越えて、私たち夫婦の絆は、誰にも壊せないほど強く、深く結ばれていた。




