第15話最大の転機(後編)
【登場人物】
鈴音→主人公の背の高い可愛らしい女の子
楓→鈴音の同僚。スタイル抜群。
霜月→影屋敷の影武者候補の少年。橙次と仲が良い。中性的な美少年。
橙次→影屋敷の影武者候補の少年。霜月と仲が良い。背の高いがっしりしたイケメン。
香風→鈴音の大先輩。おっとりしている。
長月豪→香風の夫
「俺がお前を影屋敷の外へ出す手続きをしてやる。だから――ありったけの処置の準備をして待ってろ!」
「ありったけって……霜月が大怪我でもするの……?」
鈴音は、走り去る橙次の背に声を投げた。
だが、その声は届かない。
橙次の姿は、すぐに見えなくなった。
「手伝えることがあれば言え。
香風にも、最優先で用意させる」
豪が低く告げる。
「……はい」
理由は分からない。
それでも――動かなければならない。
鈴音は豪とともに、治療・治癒室へ走った。
事情を聞いた香風は、すぐに動いた。
何も問いかけはないが、呼応するような目。
鈴音の表情を見て、すべてを理解したと感じられるように。
「鈴音、とにかく準備よ」
楓がそばに来る。
「霜月さんに会いに行くの?」
「……うん」
頷いた。
長月、香風、楓。
皆のおかげで、準備は一気に整った。
積み上がる薬と器具。
両手で抱えきれないほどの量。
「この量、大丈夫かしら?」
香風が豪を見る。
「橙次が持つ。問題ない」
このくらいの量、訓練を受ける者なら持てて当然、そう聞こえた。
そのとき。
廊下の奥から、足音。
一直線に近づいてくる。
「鈴音、準備はできたか!」
橙次が部屋へ飛び込んできた。
「うん……皆が手伝ってくれた」
一瞬、言葉が詰まる。
「……霜月は、大丈夫よね?」
橙次は、即答しなかった。
「それを――これから確認しに行く」
はっきりと言い切る。
「霜月かもしれねえ。仲間かもしれねえ。別の誰かかもしれねえ」
一歩、近づく。
「とにかく――行くぞ」
鈴音の足が、ほんの少し止まる。
「何でもいいから――行ってきなさい!」
背中を、楓が押した。
「……分かった。いってきます」
振り返る。
楓、香風、豪。
全員に頭を下げる。
そして――走り出した。
橙次は大量の荷を背負いながら、軽やかに駆ける。
そのまま、影屋敷の外へ。
「その荷物、大丈夫……?」
「こんなの問題ねぇ。ついてこい」
聞きたいことは山ほどあった。
だが――聞かなかった。
聞いても、不安が消えるわけじゃないから。
それに。
(……言えないことも、あるはず)
ならば、今はただ、前へ。
橙次は時折振り返り、鈴音の速度に合わせて道を選んでいた。
(私がいなければ、もっと早く――)
その思考を、振り払う。
(違う。足を止める方が迷惑よ)
走る。
走る。
けれど。
呼吸が乱れる。
足が重い。
「無理すんな。休みたきゃ言え」
「……ごめん、少しだけ」
次の瞬間。
視界が浮いた。
「へっ……!?」
橙次が、鈴音を抱き上げていた。
「揺れるなよ。時間がねえ」
「……っ、ごめん」
「謝るな。落ちんなよ」
そのまま、走る。
息一つ乱さずに。
(……すごい)
鈴音は、ただそう思った。
しばらくして。
再び地に降りる。
走る。
また抱えられる。
その繰り返し。
やがて、鈴音がぽつりとこぼす。
「橙次さんって……意外とすごいのね」
「意外は余計だ」
「……ごめんなさい」
「何の懺悔だよ」
一瞬、笑う気配。
「俺は、お前と霜月が笑ってりゃそれでいい」
「……急に大人みたいなこと言うのね」
「“みたい”じゃねえ。大人だ。二十四だぞ」
鈴音は思わず顔を見る。
手を伸ばせば届く距離。
橙次は前を向いたままだ。
「そんな驚くな。……もうすぐだ」
ひと呼吸する。
「鈴音、伝えておくことがある」
「何?」
「黒獅子の里長がどんなやつか……俺は多分、知ってる」
声が低くなる。
「この話は誰にも言うな」
さらに続ける。
「それと、縫合が必要になったら、俺が指示を出す」
「……橙次さん?」
「香風さんの計らいで、処置は経験がある。だが――」
少しばかりの間があく。
「霜月たちには知られたくねえ」
「……秘密ばっかりね」
小さく笑う。
「でも分かったわ。理由は聞かない」
橙次は、わずかに黙る。
そして。
「……少しでも長く、お前らと一緒にいたいだけだ」
その言葉に、鈴音の胸が、強く揺れた。
「そんな……どこか行くみたいな言い方、やめて」
「……悪い。忘れろ」
「忘れないわ。秘密の共有者だもの」
少しだけ、空気が、和らぐ。
鈴音は前を見たまま、口を開いた。
「ある女の子の話、してもいい?」
橙次は何も言わない。
だが、難しい顔はしていない。
鈴音は話しても良さそうだと感じた。
「その子はね、小さい頃から父親に殴られて育ったの」
淡々と語る。
「ある人に助けられて、影屋敷に来た」
「でもその頃には――男性恐怖症だった」
「最初は誰とも話せなかった。でも、少しずつ大丈夫になって」
重い部分は吐ききった。
そして、息を吸う。
「仕事で関わる人だけは、平気になった」
そして。
「でもね」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「霜月と……橙次さんだけは、最初から大丈夫だったの」
橙次の駆ける音だけがよく聞こえる。
「だから、ありがとう」
「……」
「あなたは、私にとって大切な人の一人よ」
一拍。
「……これは内緒の話だけど」
ちらりと視線を向ける。
「こっち見んな! ⋯⋯ったく、これだから天然は⋯⋯お前といい、霜月といい⋯⋯」
鈴音は慌てて前を向いた。
(怒らせちゃった……?)
「ごめんなさい……」
「……もう着く。降りろ」
地面に降りる。
複数の声が重なる。
荒げた声。
二人は顔を見合わせる。
走る。
そして――
「いやだ……霜月さん!」
視界に飛び込んできた光景。
瞬が、霜月にしがみついている。
その姿を見た瞬間。
鈴音の思考は一つに覆われる。
(間に合って――!)
叫ぶ。
「霜月――死なせないわよ!!」




