母と大喧嘩して家出をする
お茶会でのやり取りを、エラや姪、自分の姉妹から聞かされ、更に、娘が陰では《残念令嬢》と渾名で呼ばれていることを知った母は、サリエルを呼び出して大激怒であった。
「あなたは、いったい何を考えているの!一門や身内のお茶会だから箝口令を敷けたものの人の口には戸は建てられないのよ!この話はあっという間に広まってしまうわ。どうしてあんなことを言ったの?」
「別に何と呼ばれても、この話が広がっても良いわ。それよりなぜわたくしが、王太子殿下の王子殿下と婚約するなどという話が広まってますの?お母様が王都へと帰還を強く主張なさったのはこの為ですの?」
サリエルは胡乱げな目を母に向けて冷たい声で聞いた。
「王子殿下との婚約に何が文句あるというの?この国の令嬢全ての憧れでしょう?」
母はさも当たり前という顔つきで答えた。
「え?え?お母様、暫くお会いしない内に呆けてしまわれたの?王太子殿下のクリス様へのあのなさり様を目の当たりにしてそんなことを言うなんて、気が知れないわ。」
サリエルが母の言う言葉の意味がわからないというジェスチャーを交えて、言い返す。
「な、な、なんて失礼なことを言う子に育ってしまったの?私の可愛いサリエルはどこへいってしまったのかしら!クリス様の件はもうとっくに終わった話でしょ?そんなことにまだ拘って。あなたは貴族の娘なのよ!国のため、家のために嫁ぐ義務があるわ。」
公爵家へ侯爵家から嫁いできた生粋の上位貴族である母は、生まれてはじめて罵倒されて、それが自分の娘だということに強い衝撃を受けた。そして、売り言葉に買い言葉でまだ何も決まっていないのに、然も王家に嫁ぐことが決まっているような口ぶりで反論してしまった。
「まあ、なんということ!騙されたわ。クリス様の件は何も解決していないのに、お母様まで無かったことにするのね。この王都だって表面は綺麗だけれど腐敗があちこちに散見されるわ。王家もそうよ、そして貴族の世界もそうなのね。忠誠を誓うならば相手が忠誠を誓うに足る人物であるべきでしょうに。ほとほと愛想が尽きたわ、もうわたくし、貴族を辞めますわ。すぐにでも勘当して貴族籍から除籍してくださいな。」
そう言うと、あっという間に魔法を展開してどこかへと転移してしまった。
「きゃー!サリエル!サリエル!誰か、誰か来てー!」
不穏な捨て台詞と共に一瞬で目の前から消えてしまった娘に、母は淑女にあるまじき悲鳴をあげた。
「なんだ、どうした!?」
「奥さま!」
淑女の鏡と社交界で呼ばれている小公爵夫人の悲鳴に、夫である小公爵も執事のセバスチャンも侍女長も慌てて小公爵夫人の部屋へと駆けつけた。
そこで先程までサリエルとしていた喧嘩の一部始終を泣きながら話す夫人に、周りの者はかける言葉もない。
「なんで、第一王子殿下と婚約が決まったようなことを言うのだ。そんな話は表面上何もないではないか。あっても婚約者候補の一人に名前が挙げられているくらいのものだ。それだってクリスのことがあるから、言うだけで遡上に上がってさえ来ない現状なのに。お前らしくもないどうした?」
夫である小公爵が咎めるような口ぶりで夫人を嗜める。
「わかっていますわ。わたくしだって、王家に嫁ぐとは思ってもおりません。
でも、もうあと数ヶ月であのこは成人するのです、どこかの家と婚約を結ばなければ行き遅れになってしまうわ。
あの子は大事な少女時代を公爵領で過ごしてしまったばかりに、親しい友人も居ないのです。
仲の良い娘同士で観劇に行ったりお茶をしたり、お互いのドレスを選びあったり、そういった貴族令嬢がしている普通の楽しみを何もしてこなかったのです。
そしてあのままなら、きっと学園に進学してもそんな日常は過ごさないでしょう。
なんせ《残念令嬢》などと呼ばれているのですよ、あんなに美しいのに。
これで、あのこの婚期が遅れたり良い家に嫁げなかったりしたら不憫では無いですか。
わたくしは、あのこに人並みの女の幸せを掴んで欲しいのです。
そんなわたくしの願いをあなたは無下にするおつもりですか?」
いつもはおっとりとして控えめな妻が、珍しく感情のままに泣いて貴族令嬢の娘を思う母親として心内の吐露に、小公爵はうっと言葉に詰まってしまった。
「あ、あまりそう感情的になるでない。いやお前の気持ちは良くわかった。」
オロオロと宥めるが、
「勘当して貴族籍から除籍を願ったのですよ!きっと平民としてどこか遠くへと行くつもりなのだわ。魔術師の性だったらどうしたらいいんですの?」
そう言って、オイオイと泣き崩れてしまった。
「とにかく、サリエルを探さなくては。セバスチャン、ガブはどうした?」
「はい、ガブはお嬢様の転移魔法の気配を感じて、後を追いました。」
セバスチャンが落ち着いた口調で小公爵に告げた。
「そうか。とにかく、ガブがサリエルを連れて帰って来てからもう一度しっかりと話し合おう。王家に嫁ぐ話はまだ来てないのだから。」
そう言うと、侍女長に夫人を任せて部屋を出ていってしまった。
一方、転移魔法を使ってどこかへと消えたサリエルを追ってガブはあの王都の外れの森に来ていた。
「ああ、サリー様。ドレスで地面に座っちゃダメですってば。汚れちゃうでしょ?」
そう言うと、侍従服のポケットの中から二畳ほどのラグを出してその場へと敷き、サリエルの手を取って立たせるとドレスのスカートについた埃を、更にポケットから出したハタキでパンパンと払った。
サリエルは黙ってされるがまま、手を引かれラグに座らされ、靴を脱がされていた。
「どうしたんですか?サリー様っぽくもない。」
そんなサリーの顔を覗き込んでガブが聞き返した。
サリエルは別に泣いては居なかった。
しかし呆けていた。
サリエルが公爵領で楽しく過ごしている時に、同じ年の令嬢は自分の連れ合いを探すことを当たり前のように考えていたのだ。
そして、貴族令嬢としては親が決めた相手へと嫁がなければならない。
それが貴族の義務なのだ、ということを忘れていたのだった。
昔、クリスの隠し子騒動の時、この同じ場所でクリスに
「王家に忠誠を誓うのは貴族の義務では?」
そう言ったのはサリエル自身だったのに。
では、義務を果たすために、あの!王太子の息子である第一王子の元へ嫁ぐのか!?嫁がねばならないのか!?と自問自答した結果、
(絶対にしたくないですわ)
そう結論づいてしまった。
あの王太子の周りに侍っている側近の息子だって大差ないだろう、嫁ぎたくないのだ。
どこにも、嫁ぎたくない。
貴族令嬢の義務である、嫁入りを後数ヶ月で成人するというサリエルは全く考えてこなかった。
「サリー様、どうしたの?夫人に怒られたのがそんなにショックなんて珍しいね。」
ガブはサリーの目を真っ直ぐに見て、優しい微笑みを讃えてそう言った。
「ガブ、わたくし、王太子の第一王子と婚約するらしいわ。」
ガブの目を見ているような見ていないような虚ろな視線を向けてサリエルが呟いた。
「え?それってまだ候補って話だろ?」
ガブが驚いて聞き返すと、
「え?そうなの?お母様がそう言っていたわ。公爵令嬢として家のために嫁げって。」
「それで、サリー様魔法で逃げて来たんだ。その話、ちょっと俺が探ってみるよ。」
「逃げて来てないわ、貴族籍から除籍してって、勘当してって!そう言って出てきたのよ!」
サリエルは腕を固く組み、フンスと鼻息荒くガブに答えた。
「マジか、そりゃ公爵邸は今ごろ大騒ぎだぞ。」
ガブが片手で顔を覆って、あちゃーっと言っていた。
「ねえ、ガブ。ガブは誰かと結婚するの?」
サリエルが急にガブの手を取って焦って聞いてきた。
「なんだい、藪から棒に。俺は平民だからね、親も居ないし継ぐ家もないし。結婚しようがしまいが問題ないんだ。だから今は何にも決まってないよ。相手も居ないしね。」
ガブが飄々として様子で答えた。
ガブは初めて会った時の小さな細っこい体躯が、公爵領の騎士団で鍛えるようになってから見違えるように大きくなって、背も高くなった。顔立ちは元々整っていたのだが、日に焼けて精悍な面持ちで、紛う事なきイケメンへと成長していったのだ。
サリエルは全くそういったことに疎かったので知らなかったが、今までもあちこちから秋波を送られていたのだ。
「そう、ガブがわたくしから離れてしまうことがあるのね。」
サリエルがそう溢した。
「・・・なんで?・・・でもそうか、王家やよその貴族に嫁いだら俺はついて行けないんだな。」
ガブもサリエルの言葉を受けて、現実を思い知る。
二人の別れの分岐点が先に突然現れたようだった。
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