四話
翌朝。
「……眠い」
俺は大学の講義室で机に突っ伏していた。
昨日の配信が終わったのは午前一時。
その後、SNSの反応を確認していたら二時。
切り抜き動画を確認していたら三時。
そして、凛が送ってきたメッセージに返信していたら三時半。
完全に寝不足だった。
「神谷」
隣の席から声がした。
「ん?」
「昨日の配信、見たぞ」
「……」
嫌な予感がした。
顔を上げる。
そこには大学で仲良くしている友人、佐々木が立っていた。
「お前、VTuberやってたんだな」
「……誰から聞いた?」
「SNS」
「……」
俺は机に顔を伏せた。
「終わった」
「何が?」
「俺の大学生活」
佐々木は笑った。
「いや、普通にすごいじゃん。登録者三万人って」
「まあ……」
「しかも妹もVTuberなんだろ?」
「……そう」
「昨日の配信、めちゃくちゃ面白かったぞ」
「頼むから学校ではその話をするな」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「別にいいじゃん」
「俺は静かに大学生活を送りたいんだよ」
その瞬間。
俺のスマートフォンが震えた。
画面を見る。
凛からだった。
『お兄ちゃん』
嫌な予感しかしない。
『今日、学校終わったら事務所来て』
『なんで?』
『新しい企画がある』
『嫌』
『もう決まった』
『俺の予定は?』
『空いてる』
『勝手に決めるな』
既読。
返信なし。
数秒後。
SNSの通知が届いた。
『ミライカナタ、重大企画近日公開』
「……」
俺はスマートフォンを握りしめた。
「おい、神谷」
佐々木が画面を覗き込む。
「また何か始まった?」
「知らない」
「お前の妹だろ」
「俺も知らない」
「兄なのに?」
「兄だからこそ分かるんだよ。あいつが何か企んでるときは、絶対ろくなことにならない」
その予感は。
見事に当たった。
大学の講義が終わり、俺は事務所へ向かった。
ドアを開ける。
「お兄ちゃん!」
凛が飛び込んできた。
「危ない!」
「聞いて!」
「何?」
「次の企画!」
凛がホワイトボードを指差す。
そこには大きく、
『兄妹一日生活交換企画』
と書かれていた。
「……何これ」
「一日だけ、お互いの生活を交換するの」
「意味が分からない」
「お兄ちゃんが私の高校生活を体験して、私がお兄ちゃんの大学生活を体験する」
「無理だろ」
「なんで?」
「年齢が違う」
「そこ?」
「そもそも俺が高校に行ったら問題になる」
「じゃあ学校はなし」
「どうするんだよ」
「家で再現する」
「それなら最初から交換する意味ないだろ」
スタッフが笑いながら説明する。
「実は、ファンからかなり要望が来てまして」
「要望?」
「兄妹の普段の生活が見たいという声が多いんです」
「……」
俺は頭を抱えた。
「俺、普通に生活してるだけなんですけど」
「それが面白いんですよ」
「絶対おかしい」
凛が手を叩く。
「じゃあ決定!」
「まだ決めてない!」
「決定!」
「俺の意見は?」
「多数決」
「誰と誰の?」
「私とスタッフ」
「二対一かよ!」
そして。
企画当日。
朝。
「お兄ちゃん起きて!」
「……」
「起きて!」
「あと五分……」
「配信始まるよ!」
「……」
俺は飛び起きた。
「何時!?」
「朝七時」
「早すぎる!」
「私の生活、これくらいだよ」
「高校生って大変だな……」
寝ぼけながらリビングへ行く。
カメラが設置されている。
スタッフもいる。
「おはようございます」
「おはよう……」
凛は元気いっぱい。
「今日はお兄ちゃんの一日を体験します!」
「まず俺は大学だぞ」
「だから今日は私が大学生になります」
「その前に朝ご飯」
「何食べる?」
「パン」
「分かった!」
凛がキッチンへ向かう。
数分後。
「できたよ!」
テーブルに置かれたものを見る。
「……」
焦げたトースト。
謎のスープ。
そして。
「これ何?」
「卵焼き」
「黒いけど」
「ちょっと焼きすぎた」
「ちょっとじゃない」
スタッフが笑っている。
コメント欄も流れている。
『妹ちゃん料理できないw』
『黒すぎる』
『兄ちゃんかわいそう』
「お兄ちゃん食べて」
「……」
俺は覚悟を決めた。
一口。
「……」
凛が心配そうに見る。
「どう?」
「……水」
「まずい?」
「水をくれ」
コメント欄が爆笑する。
『正直すぎる』
『兄の命が危ない』
『妹料理企画シリーズ化して』
凛は頬を膨らませた。
「じゃあ次、お兄ちゃんの番」
「俺?」
「私に大学生っぽい朝ご飯作って」
「普通に作るよ」
俺はキッチンに立った。
簡単な料理を作る。
完成。
「はい」
凛が食べる。
「……おいしい」
「普通だろ」
「すごい」
「料理くらいできる」
「お兄ちゃんって、実は家庭的?」
「実はって何だよ」
コメント欄が流れる。
『兄ちゃん有能』
『これはモテる』
『妹ちゃんが羨ましい』
凛が突然言った。
「じゃあ、お兄ちゃん彼女にしたい?」
「俺は彼女じゃない」
「そうじゃなくて」
「何?」
「彼女になったら、毎日ご飯作ってくれそう」
「……」
「いいなあ」
「お前、何の話してるんだ」
「配信だよ」
「そういう問題じゃない」
そして午後。
今度は凛が俺の大学生活を再現する。
パソコンを開く。
レポートを書く。
動画編集をする。
配信準備をする。
凛は五分で飽きた。
「……大学生って暇じゃない?」
「暇じゃない」
「ずっと座ってる」
「勉強してるんだよ」
「私には無理」
「お前が大学生になったらどうするんだ」
「お兄ちゃんに全部やってもらう」
「それは大学生じゃない」
その後。
凛は俺の配信準備を勝手に始めた。
「今日の配信タイトルはこれ!」
ホワイトボードを見る。
『妹が兄の秘密を全部暴露します』
「やめろ!」
「なんで?」
「秘密なんてない!」
「本当に?」
「……」
凛がニヤッと笑う。
「じゃあ言っていい?」
「何を?」
「昨日、夜中に――」
「待て!」
俺は慌てて凛の口を塞いだ。
「んー!」
「絶対言うな!」
コメント欄は大盛り上がり。
『何!?』
『昨日何があった!?』
『兄ちゃん必死すぎw』
凛は俺の手を振りほどく。
「危ない!」
「何が?」
「俺の社会的信用が!」
「そんなのあった?」
「あるわ!」
そして。
その日の最後。
企画終了の時間。
スタッフが言った。
「本日の企画はここまでです」
俺は椅子にもたれかかる。
「やっと終わった……」
凛が笑う。
「楽しかったね」
「俺は疲れた」
「でも」
凛が小さな声で言う。
「お兄ちゃんと一日ずっと一緒に配信できて、私は楽しかった」
俺は少しだけ黙った。
「……俺も」
「本当?」
「うん」
凛が笑う。
「じゃあまたやろう」
「……月一回なら」
「毎週」
「多い!」
「じゃあ三日に一回」
「交渉になってない」
その瞬間。
スタッフのスマートフォンが鳴った。
「……あ」
「どうしたんですか?」
俺が聞く。
スタッフが画面を見る。
そして。
「次のコラボについて、白雪アリスさんの事務所から連絡が来ました」
「……」
凛が俺を見る。
俺も凛を見る。
二人同時に。
「また?」
スタッフは笑った。
「はい。次は三人ではありません」
「じゃあ誰?」
「四人です」
「増えた!」
俺は思わず叫んだ。
凛は楽しそうに笑う。
「お兄ちゃん」
「何?」
「もっと大変になるね」
「……もう帰りたい」
しかし。
凛は俺の腕を掴んだ。
「ダメ」
「なんで?」
「まだ配信終了まで、あと五分だから」
俺は時計を見る。
確かに。
まだ五分残っていた。
そして。
その五分の間に。
また何かが起きる。
俺には、そんな確信があった。




