ガランス包囲戦
「グルゥラアァァァァ――ッ」
牙剥き襲いくるコボルトの群。その素早い動きに重い甲冑を装備した歩兵は全くついていけない。反復横跳びの要領で左右に跳び、翻弄しつつ、間合いを詰めてくる。
「――っがぁっッ!!」
重い甲冑に包まれた男の身体がコボルトの一撃で宙を舞った。教会の鐘と金属製の鍋や盥を落としたときの音の中間のような鈍い反響音を立てながら男の身体が二度バウンドし、その後数回転がってようやく動きを止めた。
「「「「「~~~~~~~~~~~」」」」」
仲間が軽々と吹き飛ばされる様をみせつけられた他の隊員たちの怯えた呻きが兜のマスク越しに聞こえてくる。
「包囲を崩さないで!」
怯える兵たちにまだ心強さとは程遠いどこか幼い印象さえあるクーシェの檄が飛び、
「オラァ! 少尉殿おいて逃げ出すような情けねえマネすんじゃねえぇッ!!」
その檄に足りない力強さを補うように曹長が一喝する。二人の声が小隊が崩れることを防いだ。そこから隊員たちと包囲しながら戦うこと三十分あまり、戦いはじめてから一時間強、クーシェ率いる小隊の担当であったコボルトも体力が尽き、最後は曹長のハルバードの一薙ぎで止めを刺された。
クーシェ小隊が受け持ちのコボルトを倒したのと前後して他の小隊もそれぞれ担当のコボルトを倒していた。そのまま包囲の輪を狭めて今まで戦っていたコボルトの群が巣くっていた村を探索。生き残りがいないことを確かめて一息吐いたところで小隊を副隊長に任せて各小隊長が中隊長元に集まり、損害報告を行う。
「テオ少尉小隊、負傷二、死者なし」
「ソレイユ少尉小隊、負傷一、死者なし」
「ユゴー曹長小隊、負傷なし、死者なし」
「ギャバン曹長小隊、負傷なし、死者なし」
四人の小隊長からの報告を受けて中隊長ダルコス中尉が満足そうに頷いた。新兵主体の初陣で負傷三は十分な成果といえる。
「負傷者は必要なら衛生部隊のいる後陣へ移送するように、補充人員が必要な場合は申告しろ。なければ各小隊次の移動まで一時間休息。見張りはユゴー小隊。以上解散」
報告を終えてクーシェが戻ると小隊の面々は車座になってくつろいでいた。
「おつかれさま、少尉殿」
「おつかれさまです。具合はどうですか?」
クーシェが戻ったことに真っ先に気がついた曹長とあいさつを交わしてから、先ほどの戦闘でコボルトに吹き飛ばされた兵士に尋ねる。
「えっ、ええ平気です。……まだちょっとクラクラす……しますけど」
クーシェに問われた新兵の少年が頭をメトロノームのように左右に振ってまだ血色の良くない顔のまま答える。
「准将のおかげだな。最初はこんな骨董品担ぎ出してきて何考えてんだって思ったけどよ」
曹長がスキットルを傾け中身を煽ってから身に着けたままの甲冑のブレストプレートをゴゥンッと叩いて上機嫌で言った。
対人戦に限れば全身を甲冑で包むようなスタイルは随分昔に廃れている。理由はいくつかあるが、一言で言ってしまえばメリットが薄いからだ。鎧というと頑健なイメージがあるが、現実には同程度の材質ならブルトルマン帝国の使う銃の弾丸はもとよりクロスボウの矢すら貫通してしまう。魔法攻撃にいたっては魔術的な加護のない鎧では無力に等しい。
大した防御力を見込めないのに兜は視界と音を制限し、鎧は可動範囲とその重量によって装着者の動きを阻害する。動きが遅くなれば遠距離攻撃にとってはいい的でしかなく、近接戦では反応が鈍くなれば鈍重な獲物になってしまう。だから、現在では胴や篭手など部分的に装着することで機動性を損なうことなく一定の防御力を得るスタイルが主流である。
しかし、ローズは軍の倉庫で埃を被っていた全身甲冑を引っ張り出し、それを歩兵全員に着用するように命令した。
ただでさえ身体能力で勝る獣人相手に枷同然の装備を着けるなどばかげている、と多くの将兵が思った。
だが、どうせ動きで勝てないなら割り切って機動力を捨てて防御力を重視した方がいい。甲冑の装甲は鉄矢を防げなくとも獣人の牙や拳打なら十分防いでくれる。一対一では殴り殺されてしまうだろうが、集団で連携することを前提にすれば格段に被害は減る。少なくとも牙や爪による致命傷を負うリスクはゼロに近くなるというわけだ。
「大丈夫! ホヤホヤの新米の私でも獣人の群に包囲されたクロチェスターから准将のおかげで生きて帰って来れたんです。その准将が今回はちゃんと装備整えて、作戦練ってくれてるんですから!」
少年の顔色が優れないのを緊張と怯えと見て取ったクーシェが励まし、檄を飛ばす。
「それに女の子の私が無事だったんですよ? 男のアナタがそんなんでどうするの!!」
クロチェスター撤退戦の生存者であるクーシェはすでに獣人戦の経験者、若くともその言葉は頼もしいものがある。だからだろう、その頼もしさはその場の全員にささやかならが活力のようなものを与えた。もっとも、特に限定して声をかけられた少年だけにあった少し違う効果はクーシェの意図しないところではあったが。
一方、クーシェが部下たちを勇気づけ、鼓舞していたころローズは自分の隊の戦いぶりと戦果を目で見て、報告を受けて込み上げてくるため息を堪えるのに苦労していた。
「この調子なら楽勝ですね」
ローズの心境とは裏腹に直下の中隊長が能天気なことを口にする。
(何が楽勝なものか)
ローズが率いているのは騎馬隊五百騎、未だ部隊長の決まらない飛竜部隊三百騎、それにスカーレット隊から割いた歩兵二百。この数で相手にしているのが目の前の町を住処にしているたかが数十頭の獣人の群だ。
この戦力差で負けるなど論外。勝って当然。問題になるのはその勝ち方、戦いぶり。
この町は小さいながら石造りの城壁――とまでは呼べないが頑強な塀があり、今作戦の第一目標であるガランスに町の作りが似ている。そのため旅団の四割の戦力を集めての予行演習も兼ねた作戦である。歩兵は町からの出口に配して逃げ道を断ち、飛竜部隊で空から矢の雨を降らせて獣人を浮き足立たせたところに騎兵隊が突撃して仕留める。
しかし、この作戦は難がある。遮蔽物の多い市街では矢も騎馬も戦力が半減し、歩兵で包囲することも難しい。対して獣人にとっては遮蔽物を利用してゲリラ戦を展開できるという厄介な戦場なのだ。
実際獣人の群の十倍以上の戦力を投入しているにも関わらず剣戟の音が静まるまで一時間以上を要した。
「どうだ? 今日の戦いぶりでやれると思うか?」
一日目の行軍と討伐を終えた第二旅団の野営地、その中央に位置する自身の天幕にヴァイオレット、スカーレット、マチルドを集めてそれぞれの感触を尋ねる。
「率直に申し上げれば騎馬隊に限ればガランス規模ならどうにかなるかと」
顔を見合わせて、答えを躊躇うスカーレットとマチルドに範を示すようにヴァイオレットが答える。
「ガランス規模ならどうにか……か」
ガランスにもコボルトのかなり大規模な群が棲みついている。が、その数はクロチェスターに棲みついているワーウルフの数には遠く及ばない。
その事実を踏まえ、ヴァイオレットの意図を理解した上でスカーレットとマチルドへ視線を向ける。
「ハッキリいってガランスでさえ難しい……と思うわ」
「私も同じ意見です。少なくとも歩兵隊の練度では十対一がやっとです。もう少し規模の大きい群と当たればそれが限界です。ガランスは到底不可能です」
「やはりそうか」
想定していたとはいえかんばしくない答えを噛み締める。
(兵士一人一人の力量だけが問題じゃない。隊としての練度も不足している。その上ガランス規模以上の戦いとなれば旅団単位で連携する必要があるが……この状態でそんな大規模な連携がとれるはずがない)
今回のクロチェスター奪還作戦に動員されているのは、西方軍第一、第二、第三旅団、それに中央軍から出向している二旅団を合わせた急造師団一万二千五百。最近のれん分けする形で設立され、指揮官同士が顔見知りの多い第一と第三旅団。合同演習を繰り返してきた第一と第二旅団。この連携はどうにかなるかもしれないが、第二旅団と第三旅団は厳しいし、余所者の中央軍二旅団など言うまでもない。
それに現在ヴィクトールの第一旅団が街道沿いを、その北側つまり右翼にもともと北方防衛隊の第三旅団が、そして左翼にあたる南側にローズ率いる第二旅団が獣人相手の実戦経験を積みながら進軍している。しかし、中央軍の二旅団は第一旅団の後方に続く形でほとんど実戦らしい実戦を積んでいない。
「准将、意見具申してよろしいでしょうか?」
三人を招き入れてから脇に控えていたノワが会話に差し出口を挟む。ヴァイオレットは、副官補佐には過ぎた行動だ、と言わんばかりに眉間にシワを刻んだが、ローズは頷いてノワの発言を許可した。
「現在の兵の質では正面からのガランス攻略が難しいとお考えなのでしたら、それ火攻めはいかがでしょうか? ガランスの出入り口を薪や藁で塞ぎ、油をかけて火を放てば獣人と直接矛を交える必要は……」
「慎みなさい、トレナール准尉!」
ノワの策を聞いて激昂したヴァイオレットが怒鳴りつける。
「アナタはそのような暴挙が許されると本気で思っているのですかッ!?」
「何が暴挙なのですか? すでにガランスに人はなく、獣人しかいません。住民の家財は巻き添えになりますがそれを補償することより兵士の命を大切に考えるなら火計で街ごと焼き払ったほうがはるかに効率的です!」
頭ごなしに、感情的な否定をされたノワが毅然とした態度で反駁する。
ノワの策――火計でガランスの街ごと焼き払うというのは確かに効率的だ。すでに避難から九か月近くが経ち、中に生きた住民がいる可能性はほとんどない。住民たちも半ば家財を諦めているだろうから焼かれたとしても悪感情は少ないだろう。
一方で、街ごと焼き払うという手法そのものが戦術としては乱暴極まりないものだ。何年、何十年、あるいは何百年とかけて築いてきたものを灰にして無にする。暴君や侵略者が使う手法。それだけに感情的には受け入れがたい。まして、先のイースウェア侵攻でユルレモント地方一帯という広大な面積を焼き払われたばかりではなおのこと。
合理性、論理性の観点から自己の正当性を信じるノワと感情面、心情面から反感を覚えるヴァイオレットが睨みあう。
「やめないか、二人とも。ヴィオラ、意見具申を許したのは私だ。ノワ、お前の策はわかったが、それは却下する」
「なぜですか?」
「それが有効な策だと思えば一考するし、本部へ進言もする」
「でしたらなぜ? 直接矛を交えるより火計の方がはるかに人的被害を抑えられます。准将も感情的に受け入れられないと?」
「今のお前の策はガランスでの戦いに勝つことしか考えていないからだ」
合理的とまではいかないが、かといって不合理とも言えない答えにノワは押し黙る。
「私も火計は考えないではなかった。ガランスなら焼き払ってしまい、新たに街を作り直すことは十分できるだろう。しかし、クロチェスターでそれはできない。だとすればここで楽をすれば結果クロチェスターで痛い目に遭うことになる」
いうなればガランスは試金石だ。大規模な群れとは言ってもクロチェスターに巣くっているワーウルフの群よりは遥かに少ない、街自体の造りもクロチェスターほど堅牢ではない。ガランスを楽に攻め落とすことができればこの作戦は成功するだろうが、逆にガランスで手こずるようならクロチェスター奪還など不可能ということになる。
(……それに、ガランスで苦戦すればわずかではあるが今回の遠征がここで止まる可能性も出て来る)
ブルダリアス長官たちが今回の遠征を押し進めた目的はヴィクトールの名声を回復するため。遠征が長引けば名声を回復するどころか逆に傷を広げるだけになる。そうなれば、あれだけ時期尚早だと進言しても耳を貸さなかったブルダリアス長官たちでも撤退を考える。
「三人ともガランスでは無理な攻めはしないように。手柄を焦るな。命を粗末にするな。配下の中隊長たちにも徹底させてくれ」
ローズが言外に臭わせた考えをマチルド以外は敏感に察した。
そして、二日後。試金石の戦いであるガランス包囲戦は始まった。
作戦はローズたちが行った予行演習とほぼ同じ。街道の中間地点であるガランスは街の東西に門を持つ。西の門には第二、第三旅団が、東の門には第一旅団と中央軍の二旅団が立塞がった。一応周囲も取り囲むが本格的な攻城戦とは違い城壁を越えて逃げ出す者を絶対に逃がさないというほどではない。逃げる敵まで追う必要はないからだ。
――静かだな
ガチャガチャ、ザワザワとうるさい兵たちの中でアルコンティアが呟いた。
――まるで気配が感じられない
「街にコボルトがいないということか?」
――どうだろうな……むしろ、臨戦態勢に入ってオレたちが突っ込むのを手ぐすね引いてまってるのかもしれないな
野生の狩人は己の気配を獲物に悟られてはならない。だから、その状態になったならアルコンティアの感覚を持ってしても容易には気配を察知できない。まして、周囲にこれほどの雑念があってはより一層難しくなる。
「嫌な感じだな」
街の反対側から進軍ラッパの音がなった。
飛竜部隊が矢の雨を降らせる。それが止むのを待って突撃を開始した。門の一帯を厚くした三日月状の陣形で東西から挟む。
リーダーの指示に従い、集団で獲物を追いつめる狩人であるコボルトは漠然とした集団ではなくある意味で一個の軍である。その上獣人は単なる獣ではなく、知恵や知識のある人としての側面も併せ持つ。
小規模な群れを一方的に狩っていたそれまでの戦いとは全く違う。マーガレット護送任務のとき虎落笛の谷の入り口に迫ってきたワーウルフたち同様の統率と役割分担による攻防。どこかの軍を相手にしているのとなんら変わらない。唯一の救いはコボルトのほとんどは武器を持たず、爪と牙に頼るしかないということ。
そして、それが明暗を分けた。
被害を極力減らそうという慎重な攻めは戦いを十日に及ばせた。武器を持たないコボルトたちに遠距離攻撃に対する反撃の手段はなく、ジワジワと矢による遠距離攻撃で攻めることで、少しずつその数を削ることができた。全身甲冑で兵の防御を固めたことも突入の際の被害を減らすのに大きいに役立った。
その甲斐あって兵にはほとんど被害を出すことなく、ガランスを奪還することに成功してしまった。




