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ルディア戦記  作者: 足立葵
第四話「地を染める千草の花」
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マチルドとスカーレットの気負い

「歩兵隊! 動きが悪いぞ!! 騎馬隊前へッ!」

 全身を鎧で固めた重武装の歩兵隊が敵兵を引きつけ戦いながら後退し、代わりに騎馬隊が敵側面を迂回するように回り込んで背後を脅かす。いわゆる鉄床戦術である。敵はヴィクトール麾下の第一旅団。クロチェスター奪還作戦を目前に控え、新士官、新兵を急ぎ鍛えるため、第一、第二旅団合同での戦術演習の最中だ。

 士官学校で訓練を受けている新士官はともかく、徴兵したばかりの新兵は本来ならば最初の一か月は訓練期間。部隊としての集団行動以前に、基礎体力、軍規、剣の持ち方、槍、弓の使い方などを叩き込まなければならない。

 しかし、現在の西方軍に正規の段取りを踏んでいる時間などないため、基礎訓練も終わらない内に部隊演習も行われている。当然、演習内容は最低限基本的な行動で、個々の隊員の技量まで要求されるのような高度なものではない。もっとも、基本というのはある意味で応用よりも難しい。指揮官の指示通りに動く、その柔軟さがどれほど難しいか。

 敵と戦い引きつけながらの緩やかに後退する。

 撤退や足止めの基本で、特に撤退時に部隊の損害を左右する重要な行動だが、敵に背を見せて逃げるのではなく、敵と戦いながら退くというのは意外に難しい。

 生物は命の危険に曝されると本能的に二つの選択肢から行動を選択する。いわゆるファイト・オア・フライト――闘争か逃走か、といわれるものだ。

 つまり、『逃げる』のではなく『退く』ためにはまず個人レベルで死の恐怖を押さえつけ、逃走を選択する本能を御さなければならない。仮に個人でそれができたとしても戦は集団。誰か一人が恐怖に負けて背を向ければ、それが恐怖を増大させる。

 死の恐怖に立ち向かう胆力。仲間の行動に引きずられない精神力。付け焼刃でどうにかなるものではない。恐怖を薄めるにためには訓練を重ねて実力を養い、少しずつ実戦を経験させて自信をつけさせるしかない。

 しかし、現状の西方軍でも求めることが不可能ではない要素もある。それは――、

「敵に背を見せるなッ! 戦場で背を向ければ死が待っていると思え!!」

 指揮官の一言。部隊を代表する者の奮闘。檄が及び腰、逃げ腰だった兵に気合いを入れ、隊全体の士気を上向かせることのできる個人の存在。

 もちろん、ローズのたった一言がてきめんに効力を発揮したのはこれが訓練だということが大きい。だが、兵に背後ではなく、前方に活路があることを示す。それが士気を高め、勝利への期待という光によって死の恐怖に囚われていた兵たちに道を照らす。

 そして、それは単なる『指揮官』ではなく『信頼できる指揮官』でなければならない。そこにはその者の実力や実績も含まれる。しかし、それだけでもない。声質や纏うオーラ――この人物に付いて行けば助かる、勝てる、という希望や信頼を与えられる唯一無二の要素が求められる。

 ローズが先頭を切る騎馬隊とは打って変って、歩兵隊はぎこちなかった。動きは鈍く、まるで油を注し忘れたからくりのようで、ともすれば軋みさえ聞こえてきそうなほどだった。演習だから多少なりとも踏み止まっていられたが、第一旅団の突撃の前にあえなく粉砕された。

 

 演習終了後、二つの旅団は――クレプスケールのすぐそばではあるが――長城の外側に築いた野営地に帰投していた。野営に必要な手順の実戦もさることながら、少しでも獣人の恐怖に兵を慣れさせることが目的である。

「「はぁ~」」

 その野営地の一角、第二旅団歩兵隊の女性士官の集まった天幕は暗い雰囲気に包まれていた。

「本部天幕に戻るのが憂鬱だわ」

 ため息に続いてスカーレットが愚痴をこぼす。

「まったくです」

 すぐそばで鎧を外していたマチルドが鬱々と同意する。

 ローズとヴァイオレットが指揮する騎兵隊は――まあ、及第点の仕上がりになっているが、二人の指揮する歩兵隊は今日の演習でもとても及第点とは言い難かった。

 もっとも、それも無理からぬことではあるのだ。ルディア軍の徴兵システムでは新兵は歩兵に回され、騎兵や竜騎兵には二年目以降の兵が回される。これは馬や飛竜の扱いを覚えるまでに時間を要するためであるのだが、歩兵隊は事実上新兵の寄せ集め状態でたった一か月足らずで実戦に堪えうるまでに鍛えろという方が無茶な話である。

「で、でもホラ昨日よりはマシだったじゃないですか」

 同じ天幕で装備を外していたエバーがフォローするが、

「そりゃ総崩れよりは悪くなりようがないわよ」

 今のスカーレットには大した慰めにならない。

 昨日の演習では突進してくる第一旅団に対してほとんど持ち堪えることができず、一部の兵が背を向けて逃げ出し、連鎖的に崩壊した。実戦だったら全滅必死の醜態だった。

「申し訳ありません」

「少佐の所為じゃないわよ」

 先に逃走者を出して崩壊の口火を切ってしまったマチルドが謝罪した。

 

 長く居たくはない重苦しい空気にエバーとクーシェは装備を外し終えるとすぐに天幕を出て自分たちの小隊へと戻る。

「ねえ、モンゴメリー少佐はともかくスカーレットさんまでなんか暗くない?」

「ロー姉と大佐から随分言われてるからじゃない?」

「そうなの?」

「うん、新兵の割合はウチも第一旅団も変わんないのに実際は差が出てるでしょ?」

「……だね、悔しいけど」

 第二旅団と第一旅団との間には明確な差が生じている。第三旅団に半数の兵を持っていかれた第一旅団も内実は内実は似たり寄ったりのはず――少なくとも新兵の割合は同じ。だが、実際には差が生じている。考えられる要因は――、

「で、その理由が指揮官にあるって大佐は思ってるんだってさ」

「でもそんなのしょうがないじゃない!」

 無意識にエバーの声のトーンが跳ね上がる。

 半数近くを第三旅団に割いたとは言っても第一旅団は数年前から次の世代を育てていた――育てていたらしい、とエバーでも聞き知っていた。対して、第二旅団は直前まで最低限の人員で回し、今も上の人手はギリギリの状態で、スカーレットもマチルドも着任から半年と経っていない。比較する方が酷だ。

「まあ、そうなんだけど……ホラ、大佐とスカーレットさんあんまり仲良くないし、スカーレットさんも……ね」

 未だにヴァイオレットとスカーレットの間には溝がある。堅物のヴァイオレットは特例特別扱いの塊のようなスカーレットに対して含むものがあるらしい。スカーレットもスカーレットで旅団長のローズに対しても物怖じせずものを言うのに、ヴァイオレット相手には全く反論できず萎縮してしまっている。それにスカーレットに対しては隊内からも余所者に対する反感や抵抗感のようなものがまだあり、指揮に影響している。

「姉様もそう思ってるの?」

「わかんない。最近家でしか顔合わせないし、スカーレットさんいる前じゃ聞けない……っていうかここ最近ならアンタの方がロー姉と話す時間あったでしょ!?」

 クーシェが言っているのはエバーの剣を依頼にいった日のことだ。

「……まあ……時間はあったけど……そんなこと知らなかったし……知ってても聞けるわけないじゃん」

「まあ、ロー姉は要求する水準がハンパじゃないから……」

 的を射たクーシェの言葉に「ああ」とエバーが納得する。

 夏前。まだローズが練兵に顔を出していたころ、訓練後は体力を搾り尽くされた兵たちの屍で訓練場が死屍累々の惨状になっていたことを思い出したのだ。

「そっか……そーいえばそうだったね……それじゃモンゴメリー少佐はキツイよね」

 エバーの曖昧な言葉に「だね」とクーシェが肯定する。

 エバーとクーシェの――いや、誰の目から見てもマチルド・モンゴメリー少佐は良くも悪くも平凡な人物だ。士官学校の成績はほぼ真ん中。取り立てて得意科目もなく、苦手科目もない。性格は真面目だが、ヴァイオレットのように正道を貫こうとして左遷されるような頑固さはない。もちろん、ルクレティアやスカーレットのような出自に関するしがらみもない。しかし、平凡ではローズの要求に応えるのは厳しい。

「でもさ、それだけじゃ二人の雰囲気ちょっと暗すぎなかった?」

「そう? ま、私たちがスカーレットさんやモンゴメリー少佐の心配しても仕方ないし、私たちは自分の仕事するだけ。じゃね」

 割り切ったようにそう告げるとクーシェは自分の隊のいる方へと少し歩を速めて離れていった。対してエバーは腑に落ちないふうで首を傾げながらゆっくりと歩いて行った。

 

「もう少ししっかりしてくれ」

 疲労感漂う重い口調でローズがスカーレットとマチルドに告げた。

「歩兵の方は新兵主体で大変なのはわかる。だが、第一旅団も状況は似たようなものだがもっと足並みが揃っている。歩兵連れなら本格的な戦いが予想されるガランスまで三日はかかる。その間に少しでも改善に努めてくれ」

 二人が「了解しました」と応じるのをみてローズが退出させる。

「相変わらずのスパルタンぶりですね、准将」

 副官補佐――といっても補佐すべき副官がいないので事実上副官であるノワが差し出口を叩く。

「難題なのはわかっているが仕方ない。少しでも指揮の質は部隊の被害を左右する。質が良ければそれだけ多くの兵を活かすことに繋がる」

「この作戦も被害を減らすため、ですか?」

 線や丸が書きこまれたクロチェスター周辺の地図。その上にはプランの駒が載せられている。先行偵察の報告を元にローズが練っている最中の作戦の草案を読み取っての発言だ。

「言いたいことはわかってる。非効率的だと言うんだろう?」

 地図に書き込んだ報告とその上の駒を睨みながら訊く。

「それで……お前はどう思う?」

「妥当な作戦だと思います。ですが……どこまでいけるか……そもそもヴィクトール司令はともかく長官は納得されないのではないですか?」

 その点はローズも懸念していた。ヴィクトールをアレクサンドルへの対抗馬に推そうというブルダリアス長官の思惑を考えればこの策を承諾させるのは難しいのではないか、と。

「失礼します。准将、ゴールド少尉です」

 その時、エバーの声が天幕の外から聞こえてきた。入室を許可すると天幕の入り口の布を手で避けてエバーが入ってきた。その目の前にノワが立塞がった。

「何しに来たんですか、ゴールド少尉?」

「それは准将に直接伝えます。トレナール准尉こそ副官補佐として取り次ぎの仕事もしないで何をしてるんですか?」

 睨み合い視線で火花を散らす二人。

「二人ともいい加減にしろ。ノワ副官補佐にした理由を学習しないなら減給を延長するぞ。エバーも用件がなら戻りなさい」

「すみません、准将」

「すみませんでした。それで……あの……二人でお話したいことがあるんですが……」

「どうしてもか?」

 はい、というエバーの答えと真剣な目にくだらない内容ではないと判断したローズが手でノワに退出するよう指示する。准将! と抗議するノワをローズが目で制し、二人になった室内でエバーはようやく本題を切り出そうとしたが、

「あの……姉様は…………その……」

「エバー、言いたいことがあるならはっきりしてくれない?」

 ローズも疲れているのか、エバーの歯切れの悪さに苛立ったよう口を挟む。

「すみません……あの……姉様。姉様はユルレモントで歩兵隊に大損害を出してしまったことを引きずってませんか?」

 意表を突かれた問いにローズは目を見開いて硬直した。

「なぜ……そう思う?」

「スカーレットさんとモンゴメリー少佐がピリピリっていか……ナーバスっていうか……普段とは違う雰囲気で……歩兵隊のことで上から言われて気にしてるって話を聞いて……で、姉様があの戦いのあとうなされてたの思い出して……もしかしたら……と」

 言い難そうに尻すぼまりになっていったエバーの声が途切れて一拍おいてから、ローズは一度大きく深呼吸し、答えた。

「うなされた……夢に見たことはあったが……まさか聞かれていたとはな」

「すみません」

「別にいい。一緒の家で暮らしてるんだし、エバーの前で仮眠を摂ったことも一度や二度じゃない。聞きたくなくても聞こえてしまっただろうからな。確かにあの失策を教訓として今度は歩兵隊に損害を出さないような作戦を考えているのは事実だ」

 教訓、と声になるか、ならないかの声でエバーが復唱する。

「スカーレットとマチルドに多少厳しい要求をしているのも事実だ。それがどうかしたのか?」

「いえ……モンゴメリー少佐はよく知らないのでわらないんですが、スカーレットさんの雰囲気がそれだけにしてはちょっと……」

「本当にエバーはよく見ているな。スカーレットのことなら心配するな。アイツにとって指揮官としての実質的な初陣だから気負っているんだろう。アイツのことだから何とかしてくれる。マチルドの方は少し気をく……」

 と言いかけてふと以前のことを思い出した。

 ローズの上官だったドレイファス将軍は作戦の前には必ず部隊の幹部を集めて――時には一般兵も参加自由にして――決起会だの、壮行会だのと称した食事会(飲み会)を行っていた。

(ふむ……ルクレティアとスカーレットといったよく知った顔ぶれが多いせいで気にしてなかったが……考えてみればヴィオラともゆっくり話したことはないし、直下を除けば中隊長クラスすらほとんど話してないな)

 別に将軍が麾下の中隊長クラスを全員と親密である必要はない。しかし、話してみなければわからないことはある。

(新士官やそれ以外にも見所のあるヤツがいるかもしれない)

 そう、先日のノワの人事に関する騒動がなければデュクロ少尉の力を知るのはもっと後になっていただろう。他にも練兵では気づかなかったようなこともわかるかもしれない。

「エバー、明日……はさすがに無理か、明後日の晩に決起会をやるぞ」


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