エバーの剣
「エバーに何を言った?」
ローズが鋭い目つきで睨み詰問する相手は、ヴァイオレットの用意した舞台で衆目の前で実力を示し、晴れて副官に着任したノワである。
「……本当のことを教えてあげただけですよ」
ローズに睨まれたノワは後ろめたいところがある者特有の、自分は間違っていない、という意図を込めたあいまいな答えを返した。
「答えになってないな。私は『何を言った?』と訊いたんだ。お前の言うところの『本当のこと』の具体的な内容聞いているんだ。私の目を見ろ、トレナール准尉ッ!」
威圧する鋭い眼光から逃れようと視線を逸らしたノワをローズが一喝する。ビクリと震え、身を竦ませるノワ。相当太い神経の持ち主であるノワだが、今回のローズの怒りは多少イラついて声を荒げるレベルではなかった。
「……あのとき……」
その威圧に堪えかねたノワが白状し始めた。
『アンタの思い上がり叩き潰してあげる』
デュクロ少尉との戦い直前のこともあってかエバーは凄みの効いた声で宣戦布告したが、ノワはそれをせせら笑った。
『へえ~先輩勝つ気なんですか? そんなことしたらラズワルド准将が困りますよ』
『は? 何言って……』
『わかってないんですか? ホントバカですねえ』
挑発的なノワの態度にエバーの眉間にさらに深いシワが刻まれる。
『だってこの人事問題で私の実力が証明されなければ准将には私情で劣等生を優遇したって将軍って烙印押されるんですよ? 私はてっきり先輩は准将の命令でサクラとして参加しているとばかり……』
ノワが、エバーの行動がローズの迷惑なってる、という事実を突きつける。
『なっ……そんなこと……』
犬猿の仲の後輩を抜擢したと聞いて、嫉妬と屈辱でエバーは、ローズはもちろんスカーレットやクーシェとさえここの所まともに話していなかった。そんな状況で、唯一旅団幹部でまともに会話したヴァイオレットは諌めるどころか知恵を貸し、抗議の後押しさえしてくれた。だから、エバーは自分の行動が何をしてしまっているかこのときまで気づけなかった。
そんなエバーの動揺を見て取りノワは『ああ、そうか』と芝居がかった口調でさらなる精神的ゆさぶりをかけた。
『先輩、使えないから准将に見切りをつけられたんですね』
ノワの手を握り潰さんばかりだったエバーの握力が抜け、小さく震える。
『先輩成績そこそこでしたし、当て馬にはちょうどいいですもんねえ。そう考えれば今回のこと筋が通りますよね。一新人の処遇くらいでこんな抗議なんて前例ありません。その異例の抗議をあの厳格そうなティリアン大佐がすんなりと受け入れるなんて……きっと最初からこういう形で白黒つけさせるつもりだったんですよ。どっちにしても、この程度のこと見抜けないで利用されるようなバカ准将は必要としないでしょうし』
先輩が私に勝てるはずがないですし、という一言はあえて口にしなかった。せっかく同様しているエバーの敵愾心に火をつけて立ち直らせてしまう可能性があると考えたからだ。
「………………余計なことを……」
髪をかきあげるような手つきで頭を抱え、呻く。
ノワとの対戦で惨敗した後、エバーは屋敷に帰って来なかった。クーシェに調べさせたところによると、クレプスケールの街に実家のある同期のところに転がり込んでいるらしい。合わせる顔がないのか、とも思ったが、ノワの話を鑑みれば、ノワ言葉を信じて「ローズが自分を見捨てた」と思っていてもおかしくはない。もしそうなら、ローズはもちろん、スカーレットやクーシェでさえ、自分を見捨てて利用した、と思っているかもしれない。
「申し訳ありません」
ノワの尋問に同席していたヴァイオレットが謝罪する。
「私がトレナール准尉とゴールド少尉の関係を考慮しないまま、不用意にゴールド少尉を利用した所為で准将にご迷惑を……」
しかし、ローズは頭の周りを飛ぶ蚊でも払うように手を振り、「お前が謝っても何もならない」と冷たく突き放す。
(ここでエバーの処遇はどうするべきか?)
ローズが自問する。
もし、エバーが自分を見切りをつけ、当て馬にしたと思い、恨んでいるならば、しこりを残すことになる。他所に飛ばしても後に禍の種になる危険がある。しかし、隊内で飼い殺すことになれば隊内の癌となる。
(それに、クーシェがどう思う?)
今回のことは浅慮な行動にエバーが悪い。しかし、人の心は理屈だけで割り切れるものではない。ローズを慕っている親友が無情に転属させられたり、あるいは隊に残っても冷遇されたりしたらいい思いはしないだろう。もしかしたらクーシェにも不信を抱かせてしまうかもしれない。
そして、それはクーシェ限ったことではない。今まで目をかけていた部下でも平気で切り捨てるようなそぶりを見せることは大きな傷となる。
(いや……違う………………そうじゃない)
悪い方にばかり考えていては事態は好転しない。拗れた関係に対して切り捨てるような対処療法で考えるのではなく、関係修復という前向きな方向で考えるべきだ。もしエバーが今回のことを後悔し、合わせる顔がない、と思っているなら。あるいは疑念を抱いていてもまだローズを信じてくれるならばその余地がある。早い内に関係を修復し、今まで通りにした方がエバーにとっても、ローズにとってもためになる。
意識して思考を前に向けてさらに少し考えてから、
「スカーレット、クーシェを連れて来て。少し相談に乗って欲しいことがある」
自分の部下に関する問題なので同席していたスカーレットにそう告げるとスカーレットは一度退室してクーシェを呼びに行った。
「さて、トレナール准尉」
再びローズの視線に射抜かれてノワが姿勢を正す。
「私は君を見誤っていた。君はもっと思慮深い人間だと思っていたが、今回君の発言が隊内に要らぬ不和もたらした。そのことは自覚しているな?」
有無を言わせぬ問いにノワが消え入るように小さく「はい」と答えた。
「君の副官任命を尚早や不当だという声にも一理あったわけだ。これを踏まえ君の配属は副官から副官補佐に変更、さらに半年間減給とする」
「あの……准将」
ノワが何か言おうとしたが、ローズに睨まれて「何でもありません」とそのまま俯いた。
クロチェスター奪還作戦まで日がない西方軍は作戦のための準備や演習に追われ、はっきりいって休む暇など無い。しかし、その日ローズは無理矢理休暇をとっていた。そのツケはヴァイオレットが負わされているわけだが、今回は独断でエバーを利用したヴァイオレットにも非があるので有無を言わせなかった。
「疲れたか?」
無理矢理捻出した休日にローズはエバーを連れて出かけていた。出かけるといってもクレプスケールの街中ではない。すでに街を出て半日歩き通しだった。エバーも軍人であるから、半日の徒歩の旅くらいでは音を上げるはずはない。ローズが声をかけたのは、会話の糸口になれば、という思いもあってのことだった。
「いえ、大丈夫です。このくらい」
気まずそうに少し視線を逸らしたままエバーが答える。これでも朝無理矢理クーシェに連れて来させたときの逃げ出したそうなふうから見れば随分とマシだった。
それからさらに少し歩いたところで二人は昼食休憩をとった。
「あの……姉様、私たちどこへ向かってるんですか?」
あの日――ノワの副官抜擢について屋敷で噛みついてきたとき以来はじめてエバーから口を開いた。
「もう少しだ。つけばわかる」
しかし、こういうときの、もう少し、は数ある言葉の中でも信用できない言葉の最たるものだ。結局目的地に着いたのは空がほんのり茜色に染まり始めたころだった。
最初にエバーが気がついた変化は臭い。土の臭い、枯れ葉の香り、水の匂いそれらとはまったく違う匂いがエバーの鼻を衝いた。
(鉄の臭い……?)
「見えてきたな」
エバーが臭いの正体に気づたのと同時にローズが呟いた。
数歩先を歩くローズの目には目的地が見えるらしい。しかし、数歩後ろというだけではなくローズと比べると頭一つ分以上小さく、しかもそろそろ疲れが足に来ていたエバーの視界はほとんど足元の地面に占められていた。
そこから歩くことさらに一時間弱。ようやく目的地と思しき場所に着いた。
目的地は閑地にポツンと一軒だけ立つ古い水車小屋だった。全体的に黒ずんだ古めかしい小屋で、遠目には無人に見えた。しかし、中から響いてくる金属を叩く音と側に近づくと小屋の外まで漏れてくる熱気が人の存在を示す。
「シルディゴス殿いらっしゃいますか?」
「………………」
その戸口から小屋の主の名を呼ぶが応答はない。そればかりか外から呼びかけるローズの声を意図的に遮るように金属を叩く音が間隔を狭めて打ち鳴らされる。
「………………えーっと……」
あからさまに無視している雰囲気にエバーが恐る恐るローズを振り仰ぐとローズもなんとも表現し難い微妙な表情をしている。強いて言うなら会いたくないが会わざるを得ないそんな表情だ。
それからさらに小一時間。ローズは根気強く戸口からシルディゴスを呼んだが一向に応えてくれる兆しはない。冬の短い日も沈み、辺りは一気に暗くなった。
「寒っ!」
エバーが肩を抱き身震いする。風も出てきて一気に寒さが増してきた。外套も着ているし、それなりに厚着しているが、それでもこの季節野宿するには心許ない装備だ。
「シルディゴス殿! この寒空の下、女を締め出して凍え死にさせるきですか!?」
「しつこいぞ! 大体お前さんがそのくらいでくたばるようなタマかっ! 妖魔の真ん前に放り出しても妖魔の方が逃げ出すような女だろうがッ!」
はじめて金槌の音が途切れて返ってきた声は完全な拒絶だった。しかし、
「私の部下も一緒なんです!」
ローズがシルディゴスの情に訴える(脅したともいう)と中から大型犬の唸り声のような「ウゥ~」という唸り声が聞こえてきた。シルディゴスが懊悩しているのだ。やがてドスドスと重く荒い足音が戸口に近づいて来たかと思うとガラッと戸を開かれた。
「一晩だけだ。朝には帰れ! いいな!?」
そう怒鳴ったのはエバーと同じ――いや、エバーより小さいくらいの背丈しかないドワーフの男だった。しかし、ガッシリとした筋肉質の身体が身長以上の存在感を醸し出している。逞しい身体つきの中で少し出た腹だけが中年の年波を表している。黒々とした太い眉と針金のような固そうなモジャモジャのクセっ毛がいかにも頑固そうな男だ。
「一晩あれば十分です」
(うわぁ、十分って……一晩の間に説得する気だ)
シルディゴスもエバーと同じくローズの意図に気がついていたのだろう。ただでさえ気難しそうな顔を一掃しかめるが渋々二人を中に招き入れた。
水車小屋の中は作業場だった。金床や幾種ものハンマー、ひょっとこなどさまざまな道具が炉の赤々とした光に照らされている。
「シルディゴス殿、依頼したいのはこの娘の剣です」
「お前さんの依頼は受けんと言ったはずじゃ」
「いいえ、アナタは『もう二度とお前の剣は鍛えん』と言いました」
「……フンッ…………………………屁理屈を…………おい小娘、お前も軍人か?」
シルディゴスがローズからエバーへ視線を移して問う。
「そうですけど……それが何か?」
小娘、という言い草にムッとした表情でエバーが肯定し、質問の意味を聞き返すが、シルディゴスはそれには答えず、フンッと鼻を鳴らして奥の部屋に入って行った。
「感じ悪っ! なんなんですか、あの人?」
シルディゴスの態度に腹を立てたおかげでここしばらくの気まずさを忘れたエバーが以前のように尋ねた。
「シルディゴス殿は王国でも一、二を争う凄腕の刀鍛冶なんだ。その腕を買われて昔は騎士の剣を専門に鍛えていたそうだ。スカーレットやヴィクトールの剣も彼が鍛えたものだ」
「へえ、そんなにスゴイ人なんですか」
「ああ、剣は貴族騎士の命。彼はその命を鍛えることに誇りを持っていたらしい。……だが、貴族騎士制度が廃止され、徴兵制が採用されると剣はただの武器に成り下がった――成り下がったと彼は思ったらしい。だから、今では近衛騎士とごく一部の貴族騎士の血筋の者の剣しか鍛えない」
「アレ? でも、さっき姉様『もう二度と』って言ってましたよね? 姉様の剣もあの人が鍛えたんですか?」
エバーの問いにローズは何故か微笑みを浮かべただけで、答えようとはしない。
「私何か変なこと言いましたか?」
「いや、エバーの『姉様』を久々に聞いて……ついな」
「あっ……」
以前と同じように口をきいてしまったことに気がついてエバーが俯く。
「エバーが構わないなら今まで通りでいい。今回のことは私も悪かった」
「そんな! 姉様は悪くなんて……私がトレナールに……嫉妬して……バカやって……」
エバーの言葉の後半は嗚咽に呑まれて言葉にならなかった。嗚咽が静まるまで背中をさすってやり、落ち着いたところで続きを話し始める。
「ああ、そうだな。だが、私も悪かった。いたずらにエバーの神経を逆撫でしてしまったし、ヴィオラの勝手にも気づかなかった。すまなかった」
「いいえ、私こそ暴走しちゃって…………すみませんでした」
「ノワが何を言ったのかも本人から聞いた」
ノワの名前を聞いて、彼女が言った内容を思い出してエバーの表情に不安の影が差す。
「あ……あの…………姉様は……」
「あの一件はヴィオラの独断だ。ノワの言ったことも憶測だ。不安にさせたな。だから……その償いというか……エバーを信頼している証に剣を、と思ってここに来たんだが」
「もしかして……スカーレットさんの提案ですか?」
「わかるのか?」
「だって姉様っぽくないですもん。信頼の証に剣をなんて」
騎士の叙任式では主が任命する騎士に剣を贈る。スカーレットはそれに倣って剣をエバーに信頼の証として剣を贈れと提案したのだ。エバーならきっと喜ぶから、と。
「私は物で懐柔するみたいで気が進まなかったんだがな……クーシェも賛成したから……エバーのことはクーシェが一番わかっているからな」
「じゃあ、私は姉様の騎士ですね!」
「そのためには今晩の内にシルディゴス殿を口説かないとな」
頑張ります! とエバーがガッツポーズして意気込んだ。




