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ルディア戦記  作者: 足立葵
第四話「地を染める千草の花」
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ティリアン大佐の居場所

「おはようございます!」

 司令部の門のところで衛兵がかしこまったあいさつしてきた。

「おはよう」

 相手は一兵卒とはいえ、あいさつをされて返さないのは主義に反するので返事を返すが、相手は必要以上に恐縮してしまう。大佐という階級は軍では上の下であり一兵卒からみれば確かに高みではあるがこの態度は階級に萎縮しているだけではない。なぜなら、

「おはようございます」

「おはよう」

 背後で耳に馴染んだ声があいさつを交わすが、門番の声には私のときほどの萎縮は感じられない。今日の門番は萎縮の程度が軽いだけだが門番によっては嬉しそうに声のトーンが上がる者もいる。

 彼女も私と同様あまり愛想のいい方ではないが差が現れる。この態度の違いは彼女の若さと美しさ、それに高まる一方の名声によるところが大きいが、そういう不可抗力な要素からだけ生じているものでもない。

「おはよう、ヴィオラ」

 駆け足で追いついて来ると直属の上官であるラズワルド准将があいさつしてきた。

「おはようございます、准将。今朝は遅いですね」

 郊外に居を構えているにもかかわらずラズワルド准将はいつも司令部からほど近い街中に家を持つ私より先に出勤している。

「ああ、ちょっとやることがあってな」

 と、答える上官に並んで歩く上官にふと違和感を覚える。考えるまでもなく少し首を捻って周囲を見回すだけでその理由はわかった。いつも彼女に付き従っている副官(仮)の姿がないのだ。

「ゴールド少尉は一緒ではないのですか?」

「ああ、スカーレットに着替えと朝食を届けると言って先に出た」

「そうですか」

 相づちを打つ声に少し険が籠もってしまう。

 ラズワルド准将がわざわざ招聘して同僚になったラフレーズ少佐は士官学校を卒業せず、特例措置で近衛騎士に抜擢されたと聞いている。貴族騎士への特別待遇を今に残すような悪例である彼女を部隊に加えるのには正直反対だった。しかも、准将の友人だということも問題だ。友人を集めて周囲を固めているように見られては旅団としても、准将個人としても好ましくない。だから、彼女を部隊に招くと聞いたときにその旨を伝えた。

 すると、准将は、

『ヴィオラの意見はもっともだ。だが、私もお前も政治力は皆無だし、人脈もそれほど多くない。政治思考を持ち、中央にも伝手のあるスカーレットは西方では得難い人材だ』

 准将の言い分ももっともだった。

 貴族派からすれば庶民出身でありながら英雄と讃えられる准将はそれだけで目障りな存在であり、ヴィクトール司令と協力してオーリュトモス一派を放逐したことも加味すれば今後貴族派が背後の敵となることは明白。

 もっとも、ラフレーズ少佐を招くことで余計に貴族派に目をつけられることになるという話も聞いてすぐには納得できなかった。

『今回だけだ。今後は実力、人格を考慮して納得のいく人材だけにする』

 納得できずにいた私の思考を読んだ准将はそう付け加えた。

 そうまで言われてしまっては副隊長である私がこれ以上異を唱えるのも筋違いというもの。それ以上の反論はしなかったのだが、

「そう怒らないでくれ」

 私の声が険しくなったのを聞き止めてわずかに肩を落とし、

「私もスカーレットがあれほどとは…………正直予想外だった」

 辟易した口調で釈明する。

 本来、夜勤ならば着替えも朝食もいらない。歩哨など外部任務ならば夜食が供給されるし、事務ならば司令部の食堂で摂れば済む。着替えも前もってわかっていれば用意しておくものだ。それをわざわざゴールド少尉が届けなければならない理由は仕事の終わらなかったラフレーズ少佐に残業を命じたからだ。

 士官学校を出ていないラフレーズ少佐は本来学んでいるべき知識が欠けている。近衛騎士として実務経験があるので訓練や警邏の報告書は問題なくこなしていたのだが、輜重関係のように知識が必要な事務仕事に関しては現時点ではゴールド少尉の方が使い物になっている。

「あんな体たらくだと知っていたら納得などしませんでした」

「少し時間をやってくれ。知識がないだけでできないわけじゃないんだ」

 そういってラフレーズ少佐を庇う准将からは少し鼻につく臭いが漂ってくる。

「しかし、上官にまで迷惑をかけているのでは問題です」

「…………同居人としてフォローし合うのは当然だろう」

 返答までの間は先ほど『ちょっとやること』と濁した用事が何だったのか見抜かれた気まずさ故だろう。

 准将から漂ってきた鼻をつく臭いは肉食の獣特有のもの。准将の乗騎であるユニコーンが何を食べるのかは知らないが少なくともこれまで准将にそのような臭いがついていたことはない。だとするとラフレーズ少佐が帰れなかったため、彼女の乗騎の世話を准将がして出勤が遅くなったことは容易に想像がつく。

「一方的に助けているように見受けられますが?」

「前貸しだ。それに仕事のことならヴィオラの方こそ人選はどうなっている?」

 旅団は五つの大隊と工兵部隊、輜重部隊、衛生部隊などの後方部隊で構成されている。大隊は二、三大隊を束ねて連隊とすることもあるし、後方部隊は他の旅団と合同で当たるような大規模作戦などでは合同で再編されることもあるので絶対ではないが、基本的には旅団長、副旅団長を含む五人の大隊長と各部隊長それに参謀など十人前後で旅団の幹部が構成される。

 先のイースウェア軍侵攻までは二人で話し合い、一時の人手不足と引き換えに慎重に人選する方針でいたため各部隊には代理権限までしか与えず正式な任命はしていなかった。しかし、その結果、先の戦いで旅団が本来の戦力を発揮できず必要以上に血が流れてしまった。そのことを省みて人選を急ぐことにした。

 私は准将に大隊長の一人と輜重部隊長、衛生部隊長の人選を一任されている。

「大隊長と衛生部隊長は決まりました。本人の意思確認も済ませましたので、あとは一週間ほどで移動できるはずです」

「輜重部隊は? 今一番急ぎなのはそっちだろう」

「ええ、それなんですが……やはり彼女を任命したいと思います」

「いいのか?」

 こちらを振り向いて問う准将の表情にはた目にわかるような表情変化は見られないが、准将に近い者(私も最近ようやくわかるようになってきた)にはその驚きがよくわかる。

 まあ、准将が驚くのも無理はない。初夏に准将が彼女を推薦したとき却下したのは他ならない私なのだ。

「私もあまり気が進みません。しかし、一定以上の役職に就いておらず、かつ能力が高い者となると限られますし、その中で信用できる人間となると一層限られてしまいます」

 輜重部隊は武器食糧の管理運搬を担う部隊――いわば旅団の命綱である。輜重部隊長が計算を誤れば遠征先で兵が飢えたり、武器が枯渇する危険がある。

「ええ、外聞を考えれば彼女は論外ですが、准将もおっしゃっていた通り彼女の能力が高いことも人格面も問題ありません。輜重部隊長の任命は急務ですし、この際外聞の方は覚悟していただくしかないかと」

「どうせ妥協するならもっと早くに妥協してもらいたかったな」

「准将の方の人選はお済みなのですか?」

 皮肉の籠もった一言を右から左へ聞き流して問いかける。

「ああ、何とか間に合った」

 と、准将が答えたところで、

「スマン、会議の前に司令と話しておきたいことがあるんだ」

 そう言って准将は司令の執務室がある方へと歩き去っていった。

 

「おはよう」

「あっおはようございます」

 ラズワルド准将の言葉通り先に来ていたゴールド少尉はあいさつを返すが泊まり込みで仕事をしていたはずのラフレーズ少佐の声はない。

 姿を探して室内を見回すと部屋の隅のソファーで寝ていた。その姿を確認してから少佐の執務机に歩み寄り、卓上を埋め尽くす書類を確認する。だいぶ進んではいるが、それでも最低限すら終わっていない。

「あっ、しょ少佐は先ほどまで仕事をされていたのですが、てて徹夜では午前の仕事に差し障るから、と私が仮眠を勧めて……その」

 ゴールド少尉がドモリながらラフレーズ少佐を弁護する。

 ゴールド少尉たちも私と話すときはいつも必要以上に萎縮する。副団長と新米士官の差違はあるが、すでに同じ旅団に配属されて半年が経過している。しかも、彼女らは准将が目をかけているため執務室への出入りしていたのだからいい加減慣れてもよさそうなものだが一向に慣れる気配がない。

「ならアナタが責任を持って五分前には起こしなさい。それと彼女が仮眠を摂って遅れた分彼女の仕事を手伝うように。いいですね?」

「ハ、ハイ」

 

 二十分ほどして就業時間になっても准将は執務室に来なかった。おそらく、司令との話が長引いてそのまま会議に向かったのだろう。

 その三人だけの淋しい執務室に沈黙が下りる。

 別に准将がいても会話に花が咲く、というわけでもないのだが、准将がいればただの沈黙で済むところが三人だけだと気まずい沈黙になってしまう。だいたい私は場を和ませるようなタイプではない。そこにラフレーズ少佐は徹夜明けで苛立ち気味の上、先日の丸刈り事件以来私に悪感情を抱いている。

 しかし、自分自身の性はもちろん、逆恨みの悪感情など気にかける私ではない。

 むしろ、気になって仕方ないのは、そんな良好とは言い難い関係の上官二人と同じ部屋に取り残されて戸惑っているのが明らかなゴールド少尉の方。視界の隅でオドオドされては落ち着かない。かといって、ちゃんと仕事をしているから叱るわけにもいかない。

 大分時間が経ち、いい加減一言言おうかと思ったとき、

「あっあの喉渇きませんか? 私お茶入れてきますけど」

 わずかに早くゴールド少尉方が忍耐の限界に達して沈黙を破った。

「えっええ、頂くわ」

「フゥ……私も頂きます」

「ついでに私の分も頼む」

 私たち二人に加えてちょうど会議を終えて戻ってきたラズワルド准将が自分の分も頼む。

「はい」

 当然少尉は二つ返事で了承してそのまま駆けていく。

 まだ一年目の新米士官だが仕事もしっかりとこなしているし、気くばりもできる。副官としての役割は十分こなしていると思うが、

「准将、このままでよろしいんですか?」

 ゴールド少尉の足音が十分に遠退いてから、その姿の消えた方を視線で示しつつ問う。

「よろしくはないな」

「でしたらお早めに対処されるべきかと」

「わかっている、あと数日だ。それよりもヴィオラ」

 心なしかラズワルド准将の口調が重い。

「はい」

「今日の会議で第三、第四旅団を編成することが正式に決まった」

 次の徴兵までは二旅団で持たせようというのが西方軍の方針だった。獣人の対処だけなら二旅団あれば事足りるし、追加徴兵は色々と問題があるので避けられるなら避ける方がいい。

 しかし、それはイースウェア軍が獣人の縄張りを越えられないが大前提だった。その前提が崩れた今、悠長に二旅団だけしのぐべきではないという意見が多数を占めることは容易に想像できた。

「やはり、そうなりましたか」

 第三、第四旅団を編成するとなれば当然部隊長を務められる人員の取り合いになる。准将が部隊長の選任を急いだ理由の一つでもある。

「ああ、それで第三旅団長にはヴィクトールが自分の旅団の副団長を推薦した」

「!? よく……通りましたね」

「ウッソ……よく通ったわね」

 私だけでなくラフレーズ少佐も驚きに声を上げる。

「フッ……そこまで驚かれるとは、あの人の評判の悪さも相当なものだな」

 そんな私たちのリアクションに准将が苦笑を浮かべる。

「それもそうですが……よく現状で司令の息のかかった人物を据えることができましたね」

 二重の驚きのもう一重が思わず口を吐く。

 司令の人望、政治手腕を知っている者ならば、多少問題のある人物でも司令の息のかかった人物が旅団長に据えられることはけっして驚くようなことではなかった。しかし、それも一か月前までならの話だ。

 数年をかけた堅実な再建計画はヴィクトール司令が提案し、司令の主導で進められた方針だった。しかし、その結果、建国以来初めて黄昏の城(クレプスケール)を突破され、国土国民に甚大な被害をもたらしてしまった。そこを司令に排斥されていた貴族派が勢力を巻き返す目的で糾弾。さらには司令を中央に呼び戻し太子として擁立したいと考えている中央の軍幹部らが同調し、司令の解任問題にまで発展してしまった。何とか解任は免れたものの発言力の低下は否めない。そんな現状で同じ陣営である私たちでさえ驚きを隠せないような人物を新たな第三旅団団長に据えたのだ。

「まあ、色々な意味で賛否はあったが……多少強引でもヘタに中央軍の息のかかったヤツらや貴族派の連中に就かれるよりはよほどマシだからな」

「確かにあの男の能力は間違いなく本物だと思いますが……」

「もう決まったことだからその話は一旦終えてくれ。本題はここからなんだ」

 准将が口調を改め、

「さすがにヴィクトールも現状で第四旅団まで手駒で埋めることはできなかった。だが、だからと言って第四旅団長に貴族派や中央の息のかかった者が送り込まれるのは好ましくない。今日の会議では結局決まらず、各々が候補者を推薦することで保留となった。それでヴィオラ、お前を第四旅団長に推薦してくれ、とヴィクトールから打診があった」

「私を……ですか?」

 何の意味があるのだろう?

 それが率直な感想だ。私自身は司令とはほとんどつながりがないが、上官であるラズワルド准将と司令が親しいことは周知の事実。ならば、准将の麾下で副団長を務めている私も傍から見れば司令の手駒の部類に入るはず。

「それって意味ないんじゃない?」

 同様の疑問を感じた少佐が率直に問う。

「ヴィクトールの直接の配下ではなく、推挙するのも別人、というただの言い訳のようのものだな。意味がないと言えばないが……それでも候補者の中に味方がいれば可能性は残る。その程度の可能性しかないが……どうする、ヴィオラ?」

 准将のサファイアのような瞳が一直線に私を捉える。

「どうするも何も推薦するのは准将では?」

「本人に旅団長を務める意思がないのに推薦しても意味がない。それに可能性が極めて低いとはいえ、お前の夢が叶うかもしれないんだ。勝手に決めるのは不誠実だろう」

「それはどうも」

 律儀というか、バカ正直というか。どこまでも実直な准将に苦笑して応じてから。

「では、お断わりします」

「えっ? いいんですか?」

 ちょうどお盆にお茶の入ったカップを四つ乗せて戻ってきたゴールド少尉が疑問の声を上げた。准将も、少佐も私が断った理由を理解して何も言わなかったが、少尉にはまだ理解できなかったらしい。

「あっすいません」

「構いませんよ」

 春からの付き合いで私が前線勤務の部隊長を望んでいたことも、オーリュトモスの不興を買って左遷されたことも知っているゴールド少尉ならば驚くのも当然かもしれない。なぜならば慣例として旅団長になればよほどの失態を演じるか、本人の意思で退くか以外には移動することはなくなるからだ。

「私も旅団長が能力だけで通用するものなら喜んで飛びつきますが、個人の能力が高くとも難しいものだということはこの半年近く准将の補佐をしていて痛感していますから」

 少尉からカップを受け取りながら理由を説明する。

「耳が痛いな」

「別に嫌味のつもりはありません。何しろ人手が足りませんでしたから。ですが第二旅団でさえようやく各部隊長が決まりこれからなのです。子飼いの部下がいるならばともかく、今の私では務まりませんから」

 何度かの左遷で色々な部署を回り、得難い経験もできたが、特定の部署に長居できなかったため同僚や部下とのつながりが薄い。信用できる有能な人材となればなおのこと。そんな状況で旅団長につけたとしてもラズワルド准将の二の舞い――いや、貴族派や中央の連中の思惑がぶつかっている状況を鑑みれば、ヤツらの息のかかった者たちが部下として送り込まれ、椅子だけの傀儡にされかねない。

 ならば、当初の予定通り准将と二人三脚を続けて、信用できる者を確保しておき、来年以降の徴兵で人員が増えて各旅団を師団に拡大するときに備えて力を貯めていけばいい。准将もそのために各部隊長の人事も二人で分担して決めることにしたのだ。

「ではヴィクトールには悪いが、第二旅団からは推薦なしとさせてもらうか」

 そう告げた准将の肩周りから力が抜けほんの少し下がった。おそらく今私に離れられては困るが、伝えないわけにもいかないと考えていて、答えを聞いて安堵したのだろう。頼られるのは悪くない。むしろ心地いい。

(良いものですね、こういう感覚は)

 新築の家に住み慣れてきた感覚に近いだろうか。左遷された先では仕事はあるが、居場所はなかった。しかし、今は第二旅団が着実に居場所になりつつある。そんな心地良さに浸り、身体の力を抜いて背もたれに体を預け、カップを口に近づけたとき。

「チッ」

 舌打ちの音が水を刺した。不快感を全開にしてそちらを睨みつける。

「ち、違うわよ! お茶が熱かっただけ!! ホント、ホントだって!!」

 私だけではなくラズワルド准将やゴールド少尉からまで冷たい視線を浴びてラフレーズ少佐が慌てて弁明する。

 ラフレーズ少佐と打ち解けるにはまだ時間がかかりそうだ。


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