第一章 三つ首の番犬要塞攻略戦 7
徐々に、しかし、確実に近づく喧騒は城塞内で戦うローズの耳にも聞こえていた。
「こちらの勝ちは目前だ。投降願おう、リスティッヒ元帥」
肩で息をしながらそれでもわずかに口元を綻ばせて宣告する。
混乱の渦中、数の不利を士気で補っている一瞬の優勢であることを自覚していたローズは敵将リスティッヒ元帥を探して奔走した。入り組む敵城を分散しながら敵将の探索したローズと麾下の二百の隊員。その中でローズがあたりを引いたのは単なる偶然だった。
そして、ようやく対峙したのだが、
「自分の立場がわかっていないようだな、女狼」
剣の腕がたつローズは敵城塞の最奥に攻め入る過程で多くの部下に先んじてしまった。結果、ローズはリスティッヒ元帥とその護衛十人に対して一人という難局に飛び込んでしまった。それでも、すでに室内、彼女の足元には四つの骸が横たわり、残すはリスティッヒ元帥本人と護衛合わせて七人。
「たった一人で我ら七人に勝てると思うのか?」
護衛の兵士二人がリスティッヒ元帥を隠すように肩を寄せて立ちはだかり、残る四人がローズを包囲するように取り囲む。
「最後まで足掻くならお相手しよう!」
四方を囲む敵に注意を払らいつつ挑発的に笑む。
わずかな金属音が左後方から聞こえた。
ダンスを踊るように軽やかなステップで身を翻しながら右横へと跳び背後から襲い来る敵を躱す。
それを待ち構えていた右前の敵が突撃してくる。
水平に迫る敵の切っ先を見据え、バックステップでわずかに間を取り、敵の力をいなしながら上へと弾く。返す刀で敵の喉笛を切り裂き、鮮血が迸る前にその場を飛び退き、流れる太刀筋で先ほど躱した敵の背を両断する。
息つく暇も与えまいと右後ろにいた敵が襲い来る。護衛の中でもっとも巨漢なその男はただ一人剣ではなく大戦斧を携えていた。
崩れた体勢では階段のときのように間合いの内側、台風の目に飛び込むことはできない。
男が唐竹を割るように大戦斧を叩きつける。
振り下ろされる巨大な斧をバックステップで躱したが、破壊された床の破片がローズの腹部をしたたかに叩き、鎧越しでも伝わった衝撃が肺の中の空気を全て叩きだす。
体勢を崩したローズに取り囲んでいた残る一人の護衛が斬りかかる。
呼吸もままならないまま俯く視界と衝撃で鳴る耳は敵の気配を捉えていなかったが、立ち止まることの危険を知る本能が「動け」と叫ぶ。
脚力だけで強引に壁の方へと跳んだ直後、眼前、一瞬前までローズがうずくまっていた虚空を敵の剣が切り裂き、石造りの床を咬む。
しかし、さすがは元帥直属の護衛は精鋭だ。大戦斧の巨漢の一撃でローズが体勢を崩したのを好機と捉えた残る二人の護衛が躍りかかる。
どうにか一息だけ肺に空気を送り込むと壁を足場にして水平に跳ぶ。身体を捻り、回転の力も加えた一突きが正確に二人の内一人のブレストプレートを貫通して心臓を貫く。余力でそのまま転がって距離をとり、ようやく荒く呼吸する。
「これで…………残り………四人……だな…まだ…やるか?」
徴発に応じるように大戦斧の巨漢が一歩踏み出す。
「待て」
リスティッヒ元帥が制止し、ローズに語りかける。
「投降しろ、女」
ローズを睥睨するリスティッヒ元帥の目には一切の暖かみはない。冷たいガラスのような目にあるのはこれ以上護衛を失うことに対する懸念だけだ。
「貴様も限界だろう?女にしてはよくやった。しかし、ここまでだ」
フッと嘲笑が自然とこぼれる。
「私一人に護衛を半数以上やられてよく言えるな。不利なのはそちらの方だろう?それに私一人が限界だとしても城内では仲間がお前を探しているし、全体の趨勢は決している。そちらこそ一軍の将として潔く投降されよ」
合意に至れなかった短いやり取りに落胆したリスティッヒ元帥が、殺れ、と一言命じると、手ぐすね引いて待っていた大戦斧の巨漢が今度は横一閃に大戦斧を薙ぐ。
剣で受け止めればへし折られるであろう重量級の一撃を体を沈めて躱す。
反動を利用して立ち上がりざまに斬り上げようとしたローズに側面から別の敵が斬りかかる。
躱す間のない連携攻撃に仕方なく剣で受けるが体重の軽いローズは打ち負けて吹き飛ばされるようにして後方へと下がり距離をとる。
止めとばかりに斬りかかってきた残る一人の大振りの一撃が振り下ろされる前に、横一閃に奔ったローズの剣が二の腕と首を両断する。
胴と足だけとなった男の身体の切断面から鮮血が噴水のように吹き出し、ローズに降りかかる。血飛沫さえかからないほどの疾風如き剣舞で知られるローズが血飛沫を浴びる、それだけで彼女の疲弊が知れた。
ここに来るまでにすでに第二の首を陥落させ、第一の首での乱戦を乗り越えて少なくない疲労がローズの身体に蓄積している。対して自陣で待ち構えていた敵兵の体力は万全だ。
いかにローズが強くとも選りすぐりの護衛兵士相手に限界は近い。しかし、そのことを自覚してもなお引くわけにはいかない。
「三度目、最終宣告だ。投降されよ、リスティッヒ元帥」
冷血の元帥閣下の瞳にわずかに感情の色が浮かぶ。恐れでも、怒りでも、もちろん喜びでもない。落胆と嘲笑だ。しかし、その感情の対象はローズではない。
「十人もいて女一人にこの様か……なんのための護衛か知れたものではないな」
残る二人の護衛が身を竦める。
「一つ伺いたい、この奇襲作戦の立案者はキミか?」
「時間稼ぎのつもりか?それならば付き合うつもりはない」
ローズが切っ先を上げ剣を構えると護衛二人も機敏に反応してリスティッヒ元帥の前へ移動し壁となる。
「時間稼ぎ?それはこの役立たずども八人が何とか果たしてくれた、命を賭して、だがね。この問いはキミへの慈悲だよ」
「慈悲?」
意味が分からず問い返す。城内の乱戦は五分、いや城外から味方が迫っていることを踏まえれば優勢と言える。そして、この場での優勢は間違いなくローズだ。
「そう。この意表を突き、かつ大胆な作戦を立案実行したのがキミならば殺してしまうのは惜しい。ぜひとも投降願いたいのでな。護衛としても参謀としてもこの役立たず共よりは余程いい働きをしてくれそうだからな」
「なぜ私が投降しなければならない?」
率直な疑問。しかし、リスティッヒ元帥は答える代わりにわずかに身を反らし、開かれた窓の外を示す。
そうして促されてはじめて気がついた。冷血の元帥の表情に焦りの色がないことを。この部屋にローズが斬り込んだとき彼の顔にはわずかながら確かにあった焦燥感が今はない。
開き直ったか?
十人いた護衛はすでに二人を残すのみとなり、決して優勢ではない。しかし、そんな諦めた表情ではない。むしろ勝ち誇ってさえいるように感じられた。
いったい何が?
ローズの建っている場所からでは遠くに聳える城壁の上端が見えるだけで直下の戦況など視えない。耳を澄ましても戦乱の咆哮は大きくは変わっていない。そればかりか音源はかなり近づいている。間もなく正面から味方が押し寄せ――
しかし、見落としていた事象に気がついた。
一条の煙が城壁の向こう、ルディア軍の野営地の辺りから立ち上っている。そして、その根元には巨大な黒い影とそれに比すれば小さな黒い影が蠢いている。
一瞬、ローズは巨大な黒い影は妖魔で小さな影は野営地にいる同朋だと思った。しかし、この距離で人間個人を肉眼で捉えられるはずがない。大小両方が妖魔なのだと気づいて歯噛みする。
「何をした?」
噛み締めた歯の隙間から漏らすように小さく問う。それと思って聞けば城外から聞こえる喧騒が勝ち鬨から叫喚に変わっていることにも気づける。
「気づいているのではないか?」
何をやったのかはわかっている。妖魔をけしかけてルディア軍の後背を突かせたのだ。しかし、その方法がわからない。
「伏兵の類は近隣にはなかったはずだ」
「南西の森にはオルトロスやガルム、ジェヴォーダンなどの獰猛な妖魔が群生している。森の西側から火をつければ奴らの大半は東へと逃げる。それは必然怒り狂って目の前の人間に襲いかかるだろう」
「貴様正気か!?そんなことをすれば……」
妖魔の力は人間をはるかに超える。
森に火を放てば主たるAクラス以上の妖魔――主の怒りを買うことになる。Aクラスで台風や竜巻、S級以上の妖魔に至っては火山の噴火や地震などの天災と変わらない、あるいはそのものと言える被害をもたらす。
リスティッヒ元帥はローズの奇襲作戦を意表を突くと表現したがリスティッヒ元帥の策はそれ以上だ。樹海に火を放つなど禁忌としか言いようのない蛮行だ。
「さよう。南岸一帯は数か月……あるいは数年、安住の地など無いほどに荒れるだろうな。だが、貴様らを駆逐するには好都合だ」
冷たく言い放つ眼前の男に寒気すら覚える。民のことをまるで気にかけないような言いぐさは統治者として問題などというレベルではない。
ブルトルマン帝国、イースウェア公国、ルディア王国の隣接する一帯は長年に渡り国境の曖昧な土地だったが故に城壁に護られた城塞都市はほとんどない。無い小さな村や町は大した自衛策など持ち合わせていない。そんなところに猛り狂った妖魔の群れが雪崩を打って襲いかかれば瞬く間に全滅するだろう。
「貴様まだ何か企んでいるな」
不敵に笑うリスティッヒ元帥に問いかける。
確かに、ルディア軍は撃退され、これから敵の領地を妖魔に苛まれて撤退する必要がる。しかし、ルディア軍を追い払うだけにしては代価があまりにも大きすぎる。
「さあな、これから捕虜となる貴様には関係の無いことだ。心配するな、この奇襲を成功させ我々を危地へ追い込んだ貴様の手腕ならばわが軍でも厚く遇されるだろう」
「悪いがそのつもりは毛頭ない!」
言うやいなや、身を翻して部屋を飛び出した。
「待てッ!」
「やめろ」
護衛の一人が叫び、ローズを追撃しようと試みたが、リスティッヒ元帥がそれを制止する。
「お前たちではあの女には勝てん」
いつも通りの事務的口調でいう元帥だったがその内心は穏やかではなかった。
ローズにはここで残り二人の護衛を斬り捨て、リスティッヒ元帥の首を獲るという選択肢もあった。そうすれば、元帥の首を獲ったことを高らかと宣言してブルトルマン軍の士気は折り、逆にルディア軍の士気は立ち直らせて、第一の首を落として妖魔に備えるという手段が採れた可能性もゼロではない。
あの女騎士がその可能性を考慮できなかったとは思えない。
「せっかく見逃してくれるというのだ。ここはご厚意に感謝して拾った命を大切にしようではないか」
どれだけ才があろうと、あれだけのやりとりで自らの計画を看破できるはずがない。それに、女騎士の危険性は肌で感じ取り、頭脳で理解していたが実力でねじ伏せるにはあまりに駒が少ない。ポーン二つとキング一つでクィーンを獲ることはできない。
あえて、キングを獲らずに撤退を選択したクィーンは敵で溢れかえる城内を逆走しながら、無事に戦い続ける味方に撤退の指示を出し、手こずっている味方にはすみやかに撤退すべく加勢する。ミエルの指揮する部隊が敵の足止めしている場所まで戻るのにそれほど長くはかからなかった。
不幸中の幸いで城内には外の情勢の変化が伝播していなかった。風前の灯火の拮抗が崩れる前にローズが戻り秩序ある撤退を指示する。
「ミエル撤退だ、すみやかに第二の首まで退くんだ」
何があったのか、と問いた気な視線を向けてきたが、ローズの表情に浮かぶ焦りに質問を呑みこんで黙って撤退を指示する。
撤退するからと言って背を見せて駆け出すわけにはいかない。敵をつけ上がらせないために、すみやかに、それでいてゆっくりと寄せては返す波のように一進一退を繰り返しながら、進より、退を大きくして退く。じわじわと引き潮のように退いていることを悟らせずに第二の首へと続く橋へと向かう。




