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ルディア戦記  作者: 足立葵
第三話「堕ちた鬱金の水仙」
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第十章 狂瀾

 御前零時を告げる鐘が鳴ったのを境目に帰る者、スカーレットたちのように別室での密談に移る者が会場を後にし、少しずつ会場の人気が薄くなり始めていたときだった。

「我々を恫喝する気か!」

 いくばくかの恐怖が混じった怒声が会場に響き渡った。水を打ったように会場は静まり、場内のすべての視線が対峙する二組の集団に注がれる。

「恫喝? これは警告だ。貴様らが我が民から吸い上げたものを還元しないならば我が国は相応の対応をとると言っている」

「神を畏れぬ愚か者めッ!」

 いきりたつのは白地に銀糸の刺繍を施した豪奢なローブを身に纏う老人。背後には同系統の意匠のローブを纏う恰幅の良い中年男性と修道服に身を包む修道女。アクティース教の人間だ。それも刺繍や帽子から中年男性の方はルディア国内のアクティース教トップ総大司教。その総大司教が付き従うような位置に立っていることから老人の方はそれ以上――おそらくは枢機卿だろうことがわかる。

「神を畏れぬ……か」

 白装束の集団と対峙するのは黒を基調とした軍服を整然と着こなすモルゲンュテルン元帥とアッシュグレーのドレスに身を包む怜悧な美女、護衛のヒルデと呼ばれていた女武官。モルゲンュテルン元帥は失笑し、

「たしかに我々は貴様らのような臆病者とは違う。目先で大妖が暴れ出し、市民までが戦うために立ち上がった中、金づるどもと安全な教会に逃げ込んで震えていような臆病者とはな」

「自らの愚行で大妖を目覚めさせておいて何をぬかすッ!」

 両者が言い合っているのはマーナガルムの一件。あのとき戦線に近い街の教会が戦いへの協力を拒み、教会に結界を張って立てこもったことはローズもアルコンティアのケガの治療のために逗留したファーデンの街で聞いていた。もしかしたら、他の街でも同じようなことがあったのかもしれない。

「確かに同輩の蛮行が未曾有の危険を招いたことは事実。しかし、貴様らが大勢の民草を見捨てて保身に走ったことも厳然たる事実。それをどう釈明する?」

「田舎の一司祭が臆病風に吹かれたからといって私が釈明する必要があるとは思えんがな」

「一司祭? 笑わせるな帝都の総大司教の発した命令だったそうだぞ」

 モルゲンュテルン元帥の言及に枢機卿らしい老人が眉をひそめる。

「ほう? それは初耳だ。事実確認をしてそれが事実ならば謝罪するとしよう」

「謝罪? 口先だけの謝罪に何の意味がある」

「ならばどうしろと?」

「本心から詫びる気があるならばそれ相応の誠意を見せろ、と言っている」

「なるほど……当初の申し込みに戻るわけですな」

 枢機卿が目を細め、値踏みするようにモルゲンュテルン元帥を矯めつ眇めつ見分し、

「帝国の言い分はよくわかりました。しかし、次期皇帝たる貴方とは違い私は教皇の下、六人いる枢機卿の一人にすぎません。答えは本国に帰って……」

「逃げる気か? アクティース教の連中はどいつもこいつも姑息なヤツばかりだな」

「口を慎め、若造ッ!」

 モルゲンュテルン元帥の見え透いた挑発にわきに控えていた総大司教が喰いついた。

「魔術という人の心を蝕む術法を管理統制している我らの苦労がわかるまい! 力を振るうことしか知らぬ貴様のような輩に魔術の産物を与えてもよいものか吟味せねばならんのだ!!」

「管理統制?」

 耳を疑う、という態度を芝居じみた過剰な口調と表情、手振りで現し、

「増長もここまで来ると滑稽だな。貴様らの教義では人は皆平等ではなかったのか?」

 教義を盾にとったモルゲンュテルン元帥の嘲弄に総大司教が言葉に詰まる。

「それとも貴様らは誰かに人の上に立ち、管理統制しろと任命されたのか? ならば誰が任命した? 光の神(エルオール)か? それとも教皇か?」

 一層芝居じみるモルゲンュテルン元帥の言い回し。それに同調し、後押しするように野次馬の嘲笑がさざめく。

(アクティースがどれだけ反感を買っているかわかるな)

 会場にいるのは六割がルディア王国の人間、アクティース教の宗教圏外である大陸中央諸国からの賓客が四割弱、残りがブルトルマン帝国の北に位置する数か国と南方から客人。だが、連鎖した嘲笑が大きく聞こえるせいか、会場全体がモルゲンュテルン元帥を支持しているような雰囲気になっていた。

「チッ、バカが余計なことを」

 そばで同じように騒動を眺めていたヴィクトールが忌々しげに呟いた。

「だからといって止めるわけにもいかないだろ?」

「ああ」

 両者の仲裁に入れる国は国力的にも、地理的にも、関係上もルディア王国以外にない。しかし、第三国ならまだしも、ルディア王国の人間が止めに入っていれば、野次馬の――特に中央諸国の反感を買ってしまう。

「若造がッ! 調子に乗りおって」

 弁舌で勝てないと見た総大司教がローブの袖から革張りの本――おそらく魔法書の類――を取り出した。

 国賓も参加する夜会に武器の持ち込みなど当然禁止。だが、国賓全員を身ぐるみはがして身体検査するわけにもいかない。そのため、剣のような目に見える武器以外は自己申告と特別の訓練を積んだ近衛騎士の目で調べている。この方法で暗器の類を含めて通常の武器を見落としたことはなかったそうだ。

 だが、魔術の行使のための魔具はその限りではない。形状が多彩で、しかも魔術の知識がなければ一見してそれとはわからないものが少なくないからだ。今回も仮に総大司教が何か持っていることに気がつき、チェックしていたとしても魔術知識の乏しい近衛騎士では持ち込みを止めることはできなかったのだろう。

 だが、そのリスクは主催者であるルディア国王も、参加者も全員が承知している。承知の上でなお、国王が安全を請け負い、招待客もそれを信用している。その信用の体現として、

 トン

 という静かな音が総大司教が呪文詠唱をはじめるより先に響き渡った。音の正体は彼の手にあった本。それが真っ二つに切断され、破片が床に落ちていた音だった。

「総大司教様をお連れして」

 いつも通りやんわりとした声でアンナマリアが部下に命じる。

「お見事」

「まあ、アンナならあのくらいは当然だな」

 ローズとヴィクトールの賛辞以外にもいくらか賞賛の声が上がる。

 殺傷力があるほどの魔術は詠唱の時間や挙動、発動の予兆などで察知できる。故に、近距離に限っては剣や体術の方に軍配が上がるのだ。だから、会場内では警備の近衛騎士たちが目を光らせ、少しでも怪しい者がいたら即座に対応するための訓練を積んでいる。これだけの騒ぎになり、衆目を集めている状態で間に合わないはずがない。

「何をする、無礼者! 私は……」

 両脇から近衛騎士に拘束され、連行されかけて総大司教がもがき、わめくが、

「総大司教様」

 それを普段の穏やかな声からは想像もつかないほど冷たいアンナマリアの声が遮った。

「ここは平和的に話し合いをするための場、その場に魔具を持ち込んだばかりか、魔術の行使をなさろうとした以上どなたであろうと退場願います」

 アンナマリアが目くばせで再度連れ出すように命じ、総大司教を拘束した二人の近衛騎士が頷いて、連行していく。

 その光景を見送りながら枢機卿が慇懃な声音で抗議する。

「困りますな、騎士団長殿。仮にも彼は貴国における我が国の」

「猊下」

 しかし、その抗議を遮り、

「総大司教の処罰はルディア王国の法、ならびに宮廷の慣例、規則に則って厳正に決めさせていただきます。例え親交国の代表と言えど口出し無用に願います」

 数秒前、総大司教に宣告したときよりもさらに冷たい声でアンナマリアは一切の抗議を拒絶した。

「貴女に行っても無駄なようですな」

「誰に言っても無駄です」

 暗に国王へ直訴すると仄めかした枢機卿を新たな声が否定した。

「これはこれはアレクサンドル殿」

「ルディアは貴国の属国ではない。例え陛下に直訴なさろうと太子として裁決に口を差し挟ませはしません」

 アレクサンドルの言葉に枢機卿が不快感を露わにする。

 現国王は政治にあまり積極的ではなく、アクティース教国にとっては扱いやすい王だった。しかし、立太子以後アレクサンドルが実質的に国政を取り仕切るようになってからそれが変わりつつあるらしい。そこにきての、内政干渉はさせない、という宣告。各国からの客人を前にしてのそれはアクティース教国にとっても軽いことではない。

「危険な橋じゃないか?」

「ああ」

 ローズの問いにヴィクトールが重々しく答える。

 浅からぬ縁あるアクティース教国を突き放すような発言はアレクサンドルにとって諸刃の剣。東方軍やアクティース教に反感を持つ者の指示は増すだろう。しかし、同時に国内外に少なからぬ影響力を持つアクティース教を敵に回すことになる。

「だだでさえ、微妙な問題だってのに、誰かの描いた絵だとしたらなお悪いな」

 そう呟いたヴィクトールの視線の先にはこの騒動の火付け役であるモルゲンュテルン元帥。その表情に特に変化は見られない。しかし、直前までの芝居じみた過剰表現と纏う雰囲気を考慮に入れると嵌められたという気がしてならなかった。

 しかし、だからといって確信があるわけでもない。とりあえずできることといったら、両者の口論のはじまりについて情報を集めることくらいのもの。人気の減っていく会場で当初の目的に新たな課題を加えて歩き回りながらローズのはじめての夜会は幕を閉じた。

 

 ローズが波乱含みの夜を過ごしてからおよそ八時間後。朝をむかえ、三日目の祭りが始まり、クレプスケールの街の一角で、

「いいなぁ~姉様」

 オープンテラスで朝食のパン・オ・ショコラとヨーグルトを目の前にほおづえをついたエバーがローズを羨み、ため息をついた。

「朝からうっとうしいから止めてよ。食欲なくなるでしょ」

 向かいの席で同じく朝食を摂っていたクーシェが文句を言う。

 エバーがもともと王都やパーティーなどへのあこがれを抱いていることは長い付き合いで知っている。たしか、ローズに助けられる前は中央軍に転属したいとも言っていた。だが、ローズが王都に発ってからずっとこの調子では文句の一つも言いたくなる。

「アンタの食欲はなくなるくらいでちょうどいいのよ」

 親友の不平に軽口で返す。

「うっさいなー。ちょっとくらい多く食べてるからって」

「どこがちょっとよ?」

 今クーシェの前に並んでいる朝食はエバーと同じパン・オ・ショコラとヨーグルト。だが、それは最後のワンセット。これの前にクロワッサンやバゲットサンド、巨大サンドイッチなどすでに十人分くらいの量を平らげている。

「もう、私に絡まないでよ! そんなに行きたかったならアンタも王都について行けばよかったじゃない」

 すぐに王都にいく、ということを知らされたときにエバーが素直に行きたそうな反応を示したらローズは『じゃあ、スカーレットと一緒に行くか?』と言ってくれた。しかし、エバーはその誘いを自分で断わったのだ。

「だってさー飛竜でぶっ通しの強行軍なんてあれ以上はムリだよ」

 ブルトルマン帝国からの帰路も飛竜での強行軍だった。その前も長旅で、せっかく一息ついたところで再び無理する気力も体力もなかった。

「だったら潔くあきらめる」

「あきらめらんないよ! だって、王都だよ! パーティーだよ!? 行ってみたくない? 憧れるでしょ?」

「王都はともかくパーティーには参加できないと思うけど」

「でも王都には行けるじゃない。私一度でいいから大観覧車に乗ってみたいんだよね」

 大観覧車とは風力と水力で回る巨大遊具だ。元は王宮で使われている揚水装置の試作品で、風力と水力を組み合わせて常に一定の速さで回るようにしたというルディア王国最大にしてもっとも有名なからくり装置だ。

「行けたとしても仕事でそんなの乗ってる暇ないって。今ごろロー姉きっと会議や打ち合わせに飛び回って大変だと思うよ」

 クーシェの予想通りローズたちは今日も西方軍再建のための根回しに奔走していた。

「パーティーだってアンタが想像するような優雅なもんじゃないって。旧貴族の連中みたいなのや他の国の偉い人が集まってんだよ? 楽しいどころか、きっと気苦労とストレスで胃に穴が開くって」

 ローズの胃がその程度で穴の開くようなデリケートなものかはさておき、こちらもエバーの夢想よりクーシェの予想の方が現実に近いといえるだろう。

「クーシェ夢なさすぎ~~~」

「エバーが夢見過ぎなの」

 

 二人がそんなやりとりをしているころ、西方軍司令部では一つの小さな、それでいてこの状況下ではゆゆしき事件が起きていた。

「これとこの書類にサインをお願いします」

 司令官代行サングリエ将軍に書類を差し出しながらヴァイオレットが告げる。サングリエ将軍は受け取り、書類の中身に目を通していく。

「? これはどういう意味ですか、大佐?」

 書類に視線を落としたままサングリエ将軍が首を傾げて問う。

 真面目で知られるヴァイオレットにあるまじき誤字脱字の多さで読みづらいことこの上ない。さらには書かれている内容も支離滅裂で全く用をなさないのだ。

 しかし、ヴァイオレットは答えない。

「? ティリアン大佐どうかなさいましたか?」

 訝しんでサングリエ将軍が顔を上げ再度問う。

「……は? いえ……別に」

「そうですか? 顔色が優れないようですが……」

 あまりヴァイオレットのことを知らないサングリエ将軍の目から見ても彼女の顔色は疲労の色が濃い。それに心なしか体がふらついているような気がする。

「大じょ……」

 大丈夫です、という言葉は声にはならず、ヴァイオレットはフラリとよろけてサングリエ将軍の執務机にすがるようにして崩れ落ちた。

「ティリアン大佐!? ティリアン大佐! 誰か来てくれ」

 隣室に控えていた副官を呼び、ヴァイオレットを医務室へと運ばせた。三十分ほどして医務室から上がってきた報告は、

「過労……ですか」

「はい、相当無理をされていらっしゃったようですな。そこにこの暑さでやられてしまったようです」

 無理もない。今の西方軍は人手不足で、どこもかしこも最低限の人員で回している現状なのだ。しかも、ローズがいない一か月強の間、執務を代行し、第二旅団の練兵を行い、と休みなく働いていた。

「それで容体は?」

「命に別状はありません。数日間安静にしていれば回復するでしょう」

「わかりました」

 手振りで報告を終えた医務官を退室させる。

「困りましたな、ティリアン大佐がいらっしゃらないのでは有事の際、第二旅団があてにできません」

 もちろん、司令官代行としてサングリエ将軍には西方軍の全指揮権が与えられているが、権力が与えられても実が無ければ意味がない。実際に第二旅団の鍛えてきたヴァイオレットやローズなしでは命令に即応できない。

「まあ、ラズワルド准将が戻られるまであと五日足らずです。そのくらい何とかなるでしょう」

 

 一方、ローズとヴィクトールは、クレプスケールの戦力がさらに低下していることなど知る由もなく、この日も昨日と同様に奔走して一日を終えた。

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