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ルディア戦記  作者: 足立葵
第三話「堕ちた鬱金の水仙」
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第九章 夜会

 ようやく仕事を終えてラフレーズ邸に戻ったのもつかの間、夜会の時間がすぐ目の前に迫っていた。そんな時間の無い状況下にもかかわらず、

「はあ~~……」

 姿見に映る自分の姿を見てスカーレットは深いため息をこぼす。

「どうなさいました? ため息など吐かれてはせっかくの美人が台無しですよ」

 着付けを手伝っていた侍女が深いため息を吐くスカーレットに気づかって優しい言葉をかけてくれるが、

「美人ねぇ~」

「?」

「なんでもない。気にしないで」

 侍女に他意などないことはわかっている。わかっているが、今のスカーレットにはその言葉が皮肉にしか聞こえなかった。

 スカーレットがドレスで公の場に出るのは実に久しぶりだった。

 この十年、公式の行事の際はいつもマーガレットの側で控えていた。ラフレーズ家としての付き合いは当主である母カマローサと当主補佐の姉ベルルージュが担っていたのでスカーレットにお鉢が回ってくることはなかった。だから、姿見の前に立つまではほんの少しワクワクしていた面もはあったのだが、

「はあ~~」

 もう一度姿見に視線を戻し、現実を見つめて、再びため息をこぼす。

 ドレスを着る段になって、普段軍服を着ているときはまったく気にならない自分の体型が気になってしまった。

「もっと絞って」

「もっと、ですか?」

 侍女が少し不安気に聞き返す。

「そうよ」

「ですが……」

「いいから! 思いっきりやって!!」

 指示して、できるだけ息を吐き、お腹を引っ込める。指示通り侍女がコルセットを一層きつく引きしぼる。

「ふっ……ぅぅう……」

「このくらいでしょうか?」

 苦しい思いをしても姿見に映る姿はたいして変わったようには思えない。

(私……十九よね?)

 思わず自分の年齢を自問してしまう。それほどにスカーレットの胸はまったく成長していない。ささやか、とか、つつましい、とかオブラートで包んだ表現すらできないほど。あの日からまったく成長していない。

 鏡に映る自分の姿を見つめながらコルセットのカップの上を真一文字に奔る傷跡をそっと指でなでる。

 あの日、ローズと一緒に踏み込んだ雪山で妖魔につけられた傷だ。自業自得の傷。

(この傷のせい……よね)

 家族の中でここまで胸が小さいのはスカーレットだけ。カマローサもベルルージュも人並みにはあるし、アンナマリアに至っては豊満としかいいようのない豊かなバストの持ち主だ。だから恐らく――というか間違いなくこの体型は血筋ではなくこの傷の所為だ。

「いつまで待たせる気?」

 少し苛立ったローズの声が扉の向こうから急き立てる。

 声を聞いた所為か、ふとローズの姿が思い浮かぶ。自分より頭一つ分は高い高身長。スラリと長い手足。小顔。そして何より、女らしく、かつ動きを妨げない程度の理想的なバスト。すべてのバランスが黄金比といって差しさわりない理想的な体型。

「もうすぐよ!」

 思い止まる暇もなく自分の体型と比較してしまったスカーレットの声に険がこもる。

 とはいえ、時間がないのは事実。コルセットを絞めてくびれを強調して女らしく見せようという努力も虚しいだけ。

 そう諦めて手早くドレスを着て、部屋出ると、

「………………………………」

 ドレス姿のスカーレットにローズが目を丸くして食い入るように見つめる。

「何よ」

「………いや、別に」

「何よ! 言いたいことがあるならハッキリいいなさい!!」

 直前に感じた劣等感のせいで被害妄想気味のスカーレットが噛みつく。

「いや……スカーレットもお嬢様なんだなって」

 ローズにとってお嬢様はマーガレットで、従者であるスカーレットにはそういう印象を抱いていなかった。何しろ屋敷では士官学校の制服や近衛騎士の軍服を着用していたし、外出時も動きやすさを重視してローズと同じような恰好(=男物)をしていることがほとんどだった。だから、ドレスアップした姿を見てはじめてスカーレットが名家のお嬢様なのだと実感し、若干の戸惑いさえ覚えていただけなのだが、

「子どもっぽいって言いたいの! 悪かったわね子どもっぽいドレスで!!」

 スカーレットの着ているドレスはベージュを基調としたノースリーブハイネックと同色のロンググローブで別に子どもっぽくなどない。むしろ露出を控えている分落ち着いた印象さえある。しかし、胸の傷を隠すために選べるデザインが限定されたというだけのスカーレットにとってはそれもコンプレックスの一部だった。

「いや、そういう意味じゃ……ただアナタがドレス着てるイメージがなかっただけで……」

「似合わないって言いたいわけ!?」

 完璧に被害妄想にとり憑かれたスカーレットの態度に、なんでこんなに刺々しいんだろう? と一層戸惑うローズ。今まで体型のことを気にしている素振りなどほとんど見せなかったスカーレットがコンプレックスから被害妄想にとり憑かれているなど想像できないのは無理からぬことだろう。

「とっとにかく時間が切迫してるんだ。さっさといくぞ」

 

 建国記念祭二日目から六日目の五日間にかけて開かれる夜会は立食パーティーの形式だ。各人自由に会場を動き回り、近隣各国から招いた賓客、軍政の高官、その他招待を受けた上流階級の者たちと情報交換、政治的交渉から私的な談話まで幅広い交流を行う。

 ローズが受付を終えて会場に入ると場内はすでに多くの招待客で溢れていた。

「お待たせ」

 一拍遅れて入場したスカーレットの声には先ほどまでの険のこもった刺々しさはない。いったいさっきまでの不機嫌はなんだったのだろう? と少し疑問に思ったがあえてそれには触れないでおく。

「…………ああ」

 短く答えるとローズはそれ以上何も言わないし、動こうともしない。

「何してるのよ?」

「…………いや」

「ガラにもなく緊張してるの? ローズらしくないわね。普通に誰かに話しかけるなり、適当に食べ歩きながら声かけられるの待ってるなりすればいいのよ」

 近衛騎士、名家のお嬢様としてこういった場になれているスカーレットはこともなげに言ってのける。しかし、不慣れどころではないローズにとってはまったく未知のステージ。声をかけるどころか、あの人混みに混ざることさえ場違いに思えてくる。

「私母様と合流しなきゃ。じゃあ、またあとでね」

 そういうとスカーレットはローズをおいてカマローサのところへ行ってしまった。

 一人取り残されたローズは数分ほど動けずにただ棒立ちしていた。しかし、そのまま終わるローズではない。

(ここが私にとっての本番なんだ!)

 人目がなければ自分の頬を張って気合いを入れていただろうが、心の内で己に喝を入れるだけに留めて、意を決して一番近いテーブルを囲む人垣へ足を踏み出した。

 

 カマローサと合流したスカーレットはそのままの足で会場から抜け出し、確保して置いた別室へと向かった。その部屋の前では二人の近衛騎士が見張りに立っている。

「ラフレーズ家ご当主とご令嬢がお見えになりました」

「通せ」

 近衛騎士の一人が取り次ぐとすぐに内側から許可が下り、扉が開かれる。

 明るい会場を抜け出してきたばかりだからだろうか、足を踏み入れた部屋がスカーレットには妙に薄暗く感じられた。実際の明るさは多少暗いが、実際の差以上にスカーレット自身の陰鬱とした気持ちが薄暗さを増しているのだろう。

「お時間を頂きありがとうございます、ジョアシャン様」

「前置きは結構、さっさと本題に入っていただきたい」

 丁寧に礼をとったカマローサのあいさつにジョアシャンではない別の声が非礼に答える。

「おや、これはこれはジラルディエール殿。なぜここにお出でで?」

「此度の縁談はジョアシャン様のご希望の下、我が家とそちらの元当主補佐が話を進めてきたもの。ならば我が家としても顛末を見届けぬわけにはいかぬ」

 薄暗い部屋の中でジョアシャン王子の隣りに座る老人が不遜な声で答える。

 恰幅のよい体格に豊かな白鬚を蓄えた姿。これで笑顔ならば絵に描いたような好々爺だろうが、薄闇の中で微かな光を受けて光る目には驕傲な輝きしかない。これがジラルディエール家の現当主グラシアン・ジラルディエール。

「つまり、見届け人としていらした、ということでよろしいのね?」

 凡人ならばそれだけで萎縮してしまいそうな高圧的な態度にも当主として二十年余り渡り合ってきたカマローサはまったく動じず、即座に斬り返した。

「おや? 意見もされては困ることでもあるのか?」

「いいえ、何も。ですが、縁談はあくまで両家と当人同士の問題。他家に口を差し挟まれるのは不愉快です」

「ラフレーズ家の当主ともあろう者が縁談をここまで進めてきた斡旋者の好意を踏みにじるばかりか、不愉快だと申されるか」

「当主の意向も仰がず押し進めてきて好意とは図々しい。ジラルディエール家当主ともあろう方がそのようなことが礼に適うとでもお思いで?」

「当主補佐が協力的だった以上ご当主も前向きだと愚考したにすぎん」

「では私の承諾があったならすでに成立していた、とはお考えにならなかったのですね?」

 睨み合う両者。ジラルディエール家当主もラフレーズ家当主も口調は至って穏やかで、言葉遣いも丁寧だが、端々に相手に対する敵意がにじみ出ていた。これが政治的に対立する者同士のあいさつのようなもの。

 それでも傍らで見ているだけのスカーレットに固唾を飲ませる迫力がある。

「ジョアシャン様かけてもよろしいでしょうか?」

 しばらく睨み合ってから、立ちっぱなしだったカマローサがジョアシャンに向き直る。

「あっ……ああ」

 完全にその場の空気に呑まれていたジョアシャンはそれ以上言葉にならず、手振りで椅子を勧めるのが精いっぱいだった。

「あらためまして、ジョアシャン様今宵はわざわざ時間をいただきありがとうございます」

 ようやく席に座ったカマローサが何事もなかったかのように礼儀正しくあいさつする。一方で、まだ呑まれたままのジョアシャンはただ頷くことしかできない。

(はあ…………まったく変わってないのね、ジョア)

 そのジョアシャンの様子にスカーレットが心の内で落胆の息を吐く。

 だからダメなのだ。彼が王位を望む本当の理由は知らない。しかし、おそらくヴィクトールとアレクサンドル、二人の兄王子に対する対抗意識からだと思う。そんな矮小な動機だったとしても、彼が自らの野心に見合うだけの器や実力を持っている人物だったなら、縁談を受けていたかもしれない。

 しかし、ジョアシャンにはそれだけの器がない。貴族派に祭り上げられ、焚きつけられているばかりで、連中を御することも、使うこともできないでいる。

 今のジョアシャンと同じ年齢のとき、アレクサンドルはすでに王子として自らを取り巻く大人たちを相手に立ち回っていた。ヴィクトールに至ってはゼロに近いところから派閥を築きはじめていた。

 だというのに、ジョアシャンは御するどころか、あいさつ程度で呑まれてしまっている。位負けもいいところだ。さらに情けないことにそんな己の状況を理解していないのか、抗おうという意思すら見て取れない。

 そんなことを思いながらジョアシャンを見ていたスカーレットの視線に気がついたジョアシャンが顔を赤らめて俯く。

(悪い子じゃないんだけどねえ)

 無意識に『悪い子』とスカーレットは心の中でつぶやいた。

 二人の兄王子と比べるまでもなくジョアシャンは王子として出来がいいとはいえない。そこに年下という要素もあって、幼い日に会ったときからスカーレットの中でのジョアシャンは出来の悪い弟に近い存在で、今もそれは変わらない。一人の男としては見たことなど無い。

 そんな当事者二人を他所にカマローサが本題に入る。

「すでにお耳に届いていることとは存じますが、ラフレーズ家は此度のジョアシャン様からのお申し出をお断りせざるを得ない状況となりました」

「断らざるを得ない?」

 怪訝そうにグラシアンが問う。

「ええ、その通りです」

「いかような理由がおありかぜひ伺いたいのだが?」

「もちろん、そのためにこうしてお時間を頂戴したのですからお話しますが……」

 一端、カマローサが言葉を切る。視線の先には両当主が本題を進めようとする中、俯いたまま反応を示さないジョアシャンがいる。

「ウォホン! ジョアシャン様本題に入ってよろしいですかな?」

「えっ……あ、ああ聞かせてくれ」

 恥の上塗りをしてしまったジョアシャンが一層顔を赤くしながらも、スカーレットの目の前でこれ以上失態を演じまいと必死に振る舞う。

「はい、ジョアシャン様。不出来な娘を妃に、というお申し出大変うれしく存じます。ですが、今のこの娘を妃に娶られることはジョアシャン様の名を穢すことになります」

「私の名を穢す?」

「ええ、この娘の最後の任務はご存知でしょうか?」

「姉上の護送だと聞いているが?」

「その通りでございます。ここから先はご存じないでしょうが、マーガレット様の護衛団はイースウェア公国を通過する際、正体が露見し、敵の襲撃を受けました。隊長を務められたラズワルド将軍と彼女の配下二名がマーガレット様を護り逃れましたが、娘をはじめ残りの護衛団員は敵軍に捕らわれました」

 カマローサの簡潔な説明を聞いてスカーレットは微妙な気分だった。

 ウソではないが、カマローサの言い方だと劇的な戦いの末にローズたちが何とかマーガレットを連れて逃げ延び、残る護衛団は足止めのために尊い犠牲になったように聞こえたのだ。

「それならなぜご息女はここにいらっしゃるのかな?」

「ご存知の通り娘はマーガレット様の腹心の近衛でした。娘の安否に心痛めていたマーガレット様を慮り、ラズワルド将軍が奴隷都市サーヴァケットで闘技会殺されかけた娘を救出してくださったのです」

「それはわかったが、それと私の求婚を断わることがどう繋がる!?」

「ジョアシャン様、現在アレクサンドル様には男児なく、ヴィクトール様には妻もおりません。つまり、将来的にはジョアシャン様か貴方様のお子が王位に就く可能性も十分にございます。その妃に一度敵国の手に堕ち、奴隷として扱われた者がふさわしくないことはご理解いただけますでしょう?」

 駄々っ子をたしなめるように優しく告げる。

 マーガレット護送任務の過程でこの逃げ口上が成立したからスカーレットはローズの申し出を受けたのだ。面子を重んじるルディア王国において敵国の捕虜となっただけでも体裁が悪い。まして、奴隷として見世物にされてた者が王子の妃に相応しいはずがない。

「………………………………」

「その話、証拠は?」

 何も言えず沈黙するジョアシャンの代わりにグラシアンが切り返す。

「私が虚偽を申しているとでも?」

「そうはいわん。だが、ご息女はこの縁談に乗り気ではなかった。その上、聞くところによるとラズワルド将軍とは以前から交流のある友人だとか?」

 チラリとグラシアンの目がスカーレットに向く。ウソを言っても始まらないので渋々頷き肯定を示す。

「だとすれば、ご息女とラズワルド将軍が口裏を合わせた可能性も否定できまい? 二人が口裏を合わせた虚偽ではないという証拠を見せて頂きたい」

「大勢の近衛が犠牲になったという事実だけでは不満だと?」

「何がしかのトラブルがあった証拠にはなろう。だが、この話で肝要なのはご息女がイースウェアの手に堕ちていたか否かという点だ」

 背筋に冷汗が流れるのをスカーレットは感じていた。

 まったくの予想外だった。たしかにそういう邪推が成り立つことを見落としていたのはスカーレットの落ち度。しかし、そもそもそこまでして王子からの求婚という光栄な申し出を断わるという発想がなかった。この辺りはスカーレットもまだまだ若い。老獪なグラシアンの清濁併せ飲む思考には及ばない。

(……どう…………したら)

 隣りに座るカマローサに救いの手を求めて流れそうになる視線を前に固定しながら、必死に思考の歯車を回す。

(何か……何か証拠は!?)

 だが、動揺を隠しながら必死に思考を巡らせるスカーレットとは違い、カマローサは平静を保ったまま余裕を持って切り返した。

「残念ながら護衛団の被害以外の証拠はありません」

 あっさりと証拠はないと言ってのける。

「ほう? では、ラフレーズ殿は何故その話を信じ、決断なさった?」

「戦場での出来事に関しては帰還した兵士の言を信ずるより他にないでしょう」

「では当事者二人の発言を盲信したと?」

「盲信とは口がお悪い。それより他に判断材料がないというだけのこと。それにジラルディエール殿。仮に、わが娘がそのような姑息な輩だったとして、そのような者が王子の妃に相応しいと思われますか?」

「…………」

 ジラルディエール家当主は答えず、黙って豊かなあご髭を扱く。

「ジョアシャン様、娘が虚偽を申しているとしてそのような輩を妻にと望まれますか?」

 否定すればスカーレットを娶ることは叶わず、肯定すれば本人の目の前で相手を嘘つきと貶めることになる。

「…………いや」

 良くも悪くも純朴で、一途なジョアシャンが肯定するはずがなかった。

「……それに……私はスカーレットがウソを申すような者ではない……と知っている」

そう言い添えるとグラシアンの視線を恐れるようにわずかに顔を背けてジョアシャンは黙り込んだ。名目上とはいえ、トップであるジョアシャンがカマローサとスカーレットの申告を信じると言った以上、この会談の結果は決まった。

「ジラルディエール殿、まだ何か言いたいことがおありですか?」

 カマローサの言外の勝利宣言にグラシアンはただ沈黙を持って答えた。

 

 スカーレットがジョアシャンとの縁談の件について一応の決着をつけていたころ、パーティー会場ではローズが四苦八苦しながらもなんとか交流を進めていた。

 ローズは引っ込み思案なわけではない。しかし、スカーレットにもさんざん注意されたように愛想に乏しく、口数も少ないローズは自分から会話を振るのは得手ではない。だが、今年に限っては時の人であるローズは待っていても声がかかった。二、三人と話したあとはある程度勝手がわかるし、そこから輪が広がる。

「では、またいずれ」

「ええ、貴重なお話ありがとうございます」

 七人目の相手との会話を終えて、相手を見送る。

 最初はマーナガルムの件について語ってくれという者から始まり、西方軍現状を知りたい者、ブルトルマン帝国、イースウェア公国の情報を欲する中央諸国の者、軍にコネを作りたい商人、など少しずつ会話の幅も相手の層も広がっていった。

「ふう」

 一息吐いたところでローズは自分が軽く酔っていることを自覚した。好きではないが、それなりに強いローズがこの程度の酒量で酔ったのは緊張もさることながら出会いのあいさつでかんぱいばかりしていたせいだろう。

(……少し離れるか)

 ちょうど話しかけられる気配も、話しかけられそうな相手もいないので人の輪から外れて少し離れた壁際に軽食を持って移動する。

「こうしてみるとたしかに美しいんだがな……」

 一歩離れたところから人混みを見て正直な感想が口を吐く。

 色とりどりのドレス、礼服。豪華なシャンデリアの灯り。所々に飾られた彫刻やガラス細工、絵画、その他工芸品、美術品の数々。芸術方面に明るい国王の裁量は、芸術に疎いローズの目からみても、派手すぎず、それでいて華やいだ見事な空間を演出している。

 しかし、その華やいだ空間で語り合う人々は美しく着飾った外見とは裏腹に欲望、敵意、警戒、など薄暗い何かを腹の中に持っている。混ざっているだけで自分も穢れてしまった気になるほどだ。

「エバーが見たら落胆するだろうな」

 ローズの王都行きにエバーが目を輝かせて羨んでいたことを思い出して苦笑していると、

「オイオイ、壁の花か?」

 よく知った声が横から失礼千万な言葉を投げかけてきた。

「あいにく何とかそうならずに済んだ。少し酔ったので酔い覚ましと軽く何かを食べたくて離れているだけだ」

「そうか、そりゃ何より」

 疲労の色濃い口調で答えながらローズの持っている皿から勝手にカナッペを盗るとヒョイと口に運ぶ。

「お前は妙に疲れているみたいだな」

「ああ、見合い。縁談。妻を娶れっていうジジイどもの説教。迫って来る女どもの四面楚歌でな。ロクに政治的な話もできない」

 ウンザリとしているのが伝わってくる口調だ。

「ああ、私も縁談を持ちかけられたな」

 もともと社交界というのは若い男女にとっては出会いの場としての役割もある。その上、建国祭の間の夜会は政略結婚も話題の一つ。だから、王子にもかかわらず未婚で、特定の相手もいないヴィクトールにこの手の話題が殺到するのは至極当然の流れだった。

「お前に?」

「なんだその疑いの目は? 政略目的なんだから私がどうだとか以前の問題だろ」

「いや、そうじゃなくてまだ立ち位置の曖昧なお前にすり寄るヤツが意外だっただけだ。どんなヤツから声かけられたんだ?」

「ああ、そういうことか。商業ギルドの幹部とあとは中央軍の高官が一人だ」

「商人の方はまあ軍へのコネづくりだろうな。軍の高官ってのは?」

「聞き覚えのある旧貴族ではなかったな」

 そう答えるとヴィクトールが渋面を作る。

「なら、中央の非貴族派の誰かだろうな。オレに縁談を持ちかけた連中が……」

 言いかけて何か思案するようにローズを眺め、

「ちょうどいい。お互いのためだ、虫除けに付き合え」

 縁談の類が煩わしくないといったらウソになる。たしかに、男女が一緒にいればその手の話題を持ちかけられる率は減るだろうが、

「あいにく私のほうは虫除けが必要なほど煩わされていない。それに軍服を着ている私を連れてもただの上官と部下にしか見られないだろう」

 さすがに一晩で王宮のパーティーに参加するようなドレスを仕立てるのは無理があったらしく、今日は軍服で参加していた。

「一応、女なんだからいいんだよ。それにドレス姿のお前なんてキショク悪いもん連れて歩きたくねーよ」

「きしょっ……」

 ローズ自身別にドレスが似合うとは思っていないし、着たいとも思っていない。しかし、似合わないならともかく、気色悪い、という言い様には怒りを覚える。それも実物を笑われるならまだしも、見もせずに、だ。

 正直、今日は軍服で何事もなくスムーズに進んでいたし、仕立て上がるのが四日目か五日目あたりになるらしいので着る気は失せていたのだが、

(その言葉あとで絶対に公開させてやる)

 言われたまま泣き寝入りでは女が廃る。怒りに燃えながら密かに宣告した。

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