第八章 本番
「なんでお前は西方に留まってるんだ?」
建国記念祭二日目の朝方、宮殿から王都へ向かって走る馬車の中で、向かいの席に座るヴィクトールに向かってローズが問う。
「ん? そりゃ知っての通り西方軍司令だからだ。お前と違って王都から西方に通うなんてできんからな」
「真面目の答えろ」
「別にふざけちゃいないさ」
いつも通りの軽口の応酬。そして、真面目なトーンに切り替え、
「最初はスタリアが、その次はマーガレットの様子が気になったから西方に残った。マーガレットが正気を取り戻したと知ったときには西方の士官学校に入学する手続きを終えていたからそのまま入学。必然的に配属も西方だったからそのままってだけだ」
「ウソをつくな」
「ずいぶん疑うじゃないか」
「当たり前だ。士官学校まではともかく、卒業時、昇進後の配属変更時、戻ろうと思えばいつでも王都に戻れただろ?」
「まあな」
「つまり戻る気がなかった。違うか?」
「ああ、その通りだ」
隠す気があるのか、ないのか、ヴィクトールはさらりと肯定した。
「なんでだ?」
「突然そんなことを聞く時点でお前はもう答えに辿りついてんだろ?」
まるでどういう理由でローズがこのことを疑問に思い、質問を投げかけたのか、全て知っているような口ぶり。
(昨日のアレクサンドル殿との会話の内容を知っている?)
思い返せばヴィクトールはブルトルマン帝国の内情や機密情報の一部などやたらと情報収集力に長けている。
(まさか……アレクサンドル殿の考え通り……)
と考えていたローズの心を読んだかのようにヴィクトールが笑い、
「別に難しい推測じゃないだろ? 昨日アレクに、席を譲ったのはオレだぞ? アイツが何のためにお前に近づいたか、どうしてそうする必要があるかくらいは知ってるしな」
と、もっともらしい種明かしをする。
「アイツに中央に来ないか、と誘われたんだろ?」
手札を知られ過ぎている、と観念してローズは息を吐いた。
「……ああ、遠回しに、だが」
「だが、お前はその不自然さにちゃんと気がついた」
「……ああ」
英雄ともてはやされる将軍を中央軍に転属させ、派閥に取り込む。
一見すると、その知名度を利用したイメージ戦略として利がありそうに見えるが、イメージ戦略の対象は主に一般市民。すでに、民間出身の官吏の抜擢、各種政策などで国民の支持を集めているアレクサンドルにとってはメリットと呼ぶほどのことではない。
対して、ローズを呼び寄せることはデメリットだらけだ。
まず、国防力の低下。
先の遠征で将兵の大半を失った西方軍の力は単純に数だけで見て十分の一以下。まともな指揮能力のある将校も、実戦経験のある下士官も激減している。それに加えてクロチェスターという防波堤を失い、最終防衛戦ともいえるクレプスケールが剥き出しの状況。そんな状況で、一旅団を任されている実戦経験のある将軍を現場から引き離すことは戦力低下以外のなにものでもない。
次に、貴族派という火種に油を注いでしまうということ。
民間出身の将軍。それも二十歳前の小娘。それだけでも貴族派の心象は悪いのに、スカーレットを引き抜いたことで彼らの画策を邪魔した形なっている。そんな将軍を派閥に加えれば貴族派を挑発するも同然。
他にも、これといった人脈も政治力もないローズは中央足手まといだということ。そんな足手まといを人気取りのためだけに呼び寄せるような愚策を行えば味方である官吏たちからも反感を買う恐れがある、などあげつらえばきりがない。
「で、疑問に思ったお前はアレクとの問答やスカーレットから聞いた情報を元にその理由を考えた、と」
「アレクサンドル殿の勢力が偏っていることくらい気がつく」
アレクサンドルの勢力は大きい。利権を貪るだけの貪吏。職権を乱用する酷吏。そういった汚吏、奸吏を取り除き、廉吏を正当に評価し、能吏は出自を問わず厚遇することで市民のみならずまともな見識を持つ一部の旧貴族からも支持を得ている。
それに対して貴族派は旧貴族騎士の中でもとりわけ爵位や称号、それに付随する特権を失った一部の名家とそれに阿諛追従しおこぼれにあずかろうとする連中だけ。
こうしてみるとアレクサンドルの勢力が圧倒しているように見える。
しかし、貴族騎士の本来の役目が国防であったこと。アレクサンドルは文官で軍の人事には直接口を出せないこと。中央軍は手柄らしい手柄を立てる機会がほとんどないため上層部を貴族派に抑えられてしまっている現状では庶民出の者が自力で栄達することが難しいこと。その他複数の要因が重なり中央軍は貴族派の牙城になっている。
「まあ、そりゃそっか」
「で、話を戻すが……」
ヴィクトールの動機について詰め寄るつもりが話を逸らされかけていることに気がついてただちに修正する。
「……お前が西方に残った理由は、中央と違って武勲を立てやすい西方軍で早くに栄達するため、ということでいいんだな?」
王子と言えども何もせず出世できるわけではないし、そんなことをすれば庶民出身者からは反感を買うし、貴族派につけ込まれる要因になる。その点、オーリュトモス将軍の下、貴族派の影響も大きかったが、イースウェア公国という戦線に面しているため軍功を挙げることでのし上がることが可能だった西方軍は好都合だったわけだ。
「そんなとこだ。で、司令になった現状では戻るに戻れない」
「ウソを休み休みにしろ!」
あまりに白々しいヴィクトールのウソを一蹴する。
「進んで司令に就いておいて。大体、お前に欠片でも戻る気があればアレクサンドル殿が私を勧誘したりするはずないだろ!」
「バレたか」
「当たり前だ」
「いやあ、オレにも情で攻め、理で攻め、としつこくてなあ」
ヴィクトールがヤレヤレと肩を竦めてみせる。
「しかし、私程度にまで声をかけなければならないほどとは、アレクサンドル殿と東と折り合いの悪さはそれほどなのか?」
西方軍の実情はアレクサンドルも知っている。にもかかわらず人手不足の西方軍に声をかけなければならないのには理由がある。
ルディア王国の東は北にエルフの国ヴィドガルド、南に小国ながら膨大な信徒を擁するアクティース教国と国境を接している。このアクティース教国は立国の経緯、貿易摩擦、教義思想などの理由で以前から周辺各国とのいざこざが絶えなかったのだが、三年前から北のヴィドガルドと戦争状態。さらに昨年には北の戦線が長引いていることにつけ込んで南のエプーシャ、南東のラムルスタンにも宣戦布告された。
それらの援軍に駆り出されているのが東方軍なのだ。もともとルディア王国も高圧的な態度と足元を見た貿易で反感を持っている者が少なくないのだが、直接国境を接する東は特にその傾向が強い。白光石の唯一の産出国であることを盾に自国の軍の倍以上の援軍を強要し、事実上ルディア東方軍に戦争をさせている。そんなアクティース教国のやり口に東方軍の反感はいやおうなく高まっている。
それがアレクサンドルへの反感へと飛び火した理由は、三年前に立太子し、国政でその手腕を振るい始めていたアレクサンドルが圧力外交に押し切られた形になってしまったからだ。加えてアクティース教国に輿入れした第一王女ブルーエットが実の姉であることも情にほだされたという憶測を呼んでいるらしい。
「ああ、東とは特に酷い」
「ならなぜアレクサンドル殿に手を貸さない?」
ヴィクトールに中央に戻る意思がないことよりもそのことがローズは疑問だった。
中央軍が貴族派の牙城といっても全員が貴族派なわけではない。中央軍で貴族派が占める割合は六割強と言うところらしい。約三割の中央軍幹部はヴィクトールを支持している。たいして、中央軍幹部でアレクサンドルの味方といえる者はラフレーズ将軍ら中立の者を含めても全体の一割に満たず、明確な味方はアンナマリアただ一人という惨状らしい。
なら庶民出身者が大半を占める東方軍は、と目を向けて見ても、東方軍も先の理由からアレクサンドルにはあまり好意的ではない。
要は、ヴィクトールの鶴の一声で状況を一変させることも可能ということ。
「お前がアレクサンドル殿に協力の姿勢を見せれば……」
「事はそう単純じゃない」
ヴィクトールが煩わしげに手を振ってローズの言葉を遮る。
「東の連中がオレを支持するのは単なる消去法だ。アクティース教国の言いなりの文官への反発。貴族派とは相容れない。そんな中、オレならもしかして、って希望的な支持だ。オレがアレクに協力姿勢を示したところで半数以上はオレを見限るだけだろう」
たしかに勝手な期待とはいえ期待に応えてくれない指導者を見限る者はいるだろう。
「それは……そうかもしれないな」
「それに軍に反感をもたれてるのはアイツの自業自得の面もある」
「ですが、それは……」
ヴィクトールの容赦のない口ぶりに今まで黙っていたスカーレットが思わず反駁しかけて、慌てて口を噤む。
「仕方のないことだ、って言いたいのか?」
「……すみません」
「オレとローズしかいないんだ。かしこまることはない」
恐縮するスカーレットに軽い口調でヴィクトールが告げる。
「近衛連中はアンナマリアの下でアレクよりの風潮があるし、実害がなかったからそう思うのも無理ないがな」
「実害……か」
つい最近まで現場の人間として悪態吐いていた覚えがあるローズにはその指すところが良く分かった。
貴族派の牙城を崩せない要因の一つに軍政(軍の会計や人事)を司る軍務省を貴族派に抑えられていることがあげられる。しかし、軍務省は職務の性質上文官も少なくない。アレクサンドルはここに目をつけた。息のかかった文官を送り込み、予算を削って貴族派に圧力をかけていった。
しかし、これが軍全体の反感を買った。
「たしかに予算削減ではずいぶんと迷惑したな」
「迷惑? でも、無駄を削っただけでしょ」
「その“無駄”の基準が違うんだよ」
「基準が違う?」
「例えば予算削減で軍に納入される酒の量が制限されたのは知ってる?」
「ええ、知ってるわよ」
度数の強い酒は傷の消毒に使う医療目的や飲料として納入されている。
「でも、制限されたのは飲用目的の分だけで医療用は認められているでしょ?」
何が問題なのか、スカーレットには理解できないらしい。その口調を聞いてローズとヴィクトールが思わず目を見合わせて苦笑する。
「何がおかしいの? だって職務中に飲酒する必要なんてほとんどないでしょ」
「それが温室育ちの中央軍の感覚だ」
「どういう意味?」
「西方や東方の任務の中には妖魔討伐や偵察で街に帰れないこともままあるからな。そういうとき、酒は兵士たちの数少ない息抜きなんだよ」
「でも、そんなの……」
「確かに数日の任務なら我慢させればいい。けど、この前の遠征みたいに何日も続く場合だと現地で略奪や暴行に走る兵も現われて規律と士気に影響することもある」
「…………」
ローズ、ヴィクトールの双方から中央軍とは違う現実を突きつけられてスカーレットが押し黙る。
「まあ、遠征なんてほとんどないんだし、無駄遣いなのは事実だけどな」
「でも、その“無駄”が役に立っていた側面があるのも事実なんだ。それに今まで当たり前だと思っていたものを取り上げられると、たとえそれが正しくても不満に感じる」
「………………」
説明に反論できないが、納得もできない様子のスカーレット。
しかし、今の彼女と兵士たちの不満は根本的には同じだ。立場、環境の違いからくるものの見方、考え方の違い。是非の基準の差違。それら小さな違いが軍という大人数の組織では不満、反感という明確な態度となって表れる。
「アレクサンドル殿にも非があるのはわかった。だが、だからといって見て見ぬフリをする気か?」
「必要ねえよ」
「必要ない? 座視して問題ないというのか?」
「座視はしてないだろ。これ以上の助けは必要ないってことだよ」
これ以上。まるですでにいくつか助け舟をだしているような口ぶり。
「まあ、いずれ国王になろうってんだ。いちいちオレの助けがなきゃ回らないんじゃ務まるはずがない」
そう冷たく突き放してから、
「それにアイツはバカじゃない。ちゃんと他の手も打ってるさ」
ヴィクトールの言葉の通り、ローズやヴィクトールを味方に付けることだけがアレクサンドルの策ではない。ヴェリュミエール宮殿の一角でアレクサンドルは他の一手を打っている最中だった。
「どうあっても停戦していただけませんか?」
「ええ」
会談の相手から返ってくる答えは素っ気ないものばかり。
アレクサンドルの向かいに優雅に腰かけるのは北東の隣国ヴィドガルドの女王ヘリガトレート。エルフらしい色白の肌と細い体つきが、背に垂らした長髪の放つまばゆい輝きと相まって神秘的な存在感を醸し出す女王。
しかし、その姿に見惚れているわけにはいかない。
「では、せめて訳だけでもお聞かせください」
「必要ありません」
取り付く島もない答えにアレクサンドルが密かに嘆息する。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「お願いします。貴国と戦っている兵の多くは我が国の兵です。私には彼らが何のために血を流すのか知る義務がある」
「誰がために血を流すかも知らぬ兵を哀れむなら兵を退けばよろしいでしょう」
静かだが、きっぱりとした拒絶に、
(退けるものならとっくに退いている!)
忍耐力を総動員し表情に表わさないようにしながら、心の底で怒鳴り返す。
アレクサンドルも、王妃も、軍幹部も、誰もがアクティース教国からの援軍要請を断ろうと考えていた。いくら唯一のアルブマイト産出国とはいってもその国がアクティース教国でなければならない理由はない。エプーシャだろうがラルムスタンだろうがアルブマイトを売ってくれさえすればいいのだ。極論、ルディア王国もアクティース教国に侵攻し、秘匿している採石場を押さえてもよかった。しかし、
『アクティース教国を見捨てることはまかりならん』
普段、国政にほとんど口を出さない国王がアクティース教国への援軍の件に限ってしゃしゃり出てきて、そう告げた。矢面に立たされ、東方軍に恨まれているアレクサンドルはいい面の皮だ。
一呼吸して心を落ち着かせて、
「我々とて不要な争いは望みません」
「私どももです」
「ですが、友好国が攻められているとなれば黙って見ているわけにもいきません。友を見捨てられないことはご理解いただけますでしょう?」
「友ですか」
ヘリガトレートが冷笑する。
「援軍を盾にして戦うような輩を友というのですか?」
アクティース教国は自軍を温存しているに等しいのだから盾という表現すら生ぬるい。
「確かに、兵たちからも不満の声が上がっているのが現実です」
「それならばなおのこと兵を退けばよろしでしょう」
「今の彼らの態度は問題ですが、長い年月をかけて築いてきた関係上、見放すわけにはいかないことをご理解いただきたい」
「長年……ですか」
ヘリガトレートが、何を言っているのか、というふうに呟く。
このことに関しては理解し合えないだろう。千年生きる者もいるエルフにとって六百年は一人分の寿命でしかない。だが、ヘリガトレートは理解しようと試みているらしく、物憂げに目線を下げて考え込む。
「ですが、いかに長年の関係があるとはいえ、アクティース教国に非があるならば話は別です」
その間を利用して再び、今度はもう少し譲歩して理由を聞きだそうと試みる。
「もし、そうならば兵に命を賭して戦えとは命じられません。すぐにでも兵を退き、場合によっては物資の提供も断つこともやぶさかではありません」
アレクサンドルの言葉にヘリガトレートの眉がわずかに動いた。
「本当ですか?」
「本当です。ですから、理由だけでもお聞かせください」
ヘリガトレートが左右に控える相談役の老人たちへ振り返るが、相談役の一人はキッパリと首を振り反対を示す。しかし、もう一人は曖昧な反応。
「少し相談させていただきたいのですが?」
「どうぞ」
声が聞こえない程度の距離をとり、ヘリガトレートと相談役の老人たちが相談を始める。
(どうにか餌に喰いつかせることができたな)
アクティース教国と戦争状態にある三国の内、ヴィドガルドを会談相手に選んだのには当然理由がある。
エプーシャはアクティース教国立国の経緯、ラルムスタンは貿易摩擦という明確な理由があるため停戦を持ちかけても実現の見込みが薄い。
だが、ヴィドガルドにはアクティース教国と揉める理由がない。ヴィドガルド――というよりエルフはヘリガトレートの態度そのままの存在だ。自分たちのことに他人を関わらせず、他人事には関わらない。自分たちの考えを決して他人には明かさず、他人の言を聞き入れることもしない。閉鎖的な自主独往。独立独歩。
しかし、唯我独尊ではない。
だから、ヴィドガルドが戦端を切ったのには相応の大義名分があるはずなのだ。それが彼ら独自の価値観からくるものでなく、第三国も納得させられるようなものならば、多少の反対を押し切ってでも援軍を打ち切ることができる。
否、打ち切ってみせる。
そうすれば――アレクサンドルがアクティース教国に対して断固とした態度を採れば東方軍を懐柔する糸口になる。
(揺れているな)
相談するということは彼女らの大義は侵略戦争のプロパガンダのような国内向けのちゃちなものではない。問題はそれが彼女らの価値観だけ、なのか、第三国をも納得させ得るものなのか、ということ。
何分ほど彼女らは相談していただろう。祈るような気持ちで待っていたアレクサンドルにとっては十分に長い相談のあとヘリガトレートはようやく戻ってきた。
「申し訳ありません」
ようやくヘリガトレートの口から出た言葉に落胆しかけたが、
「貴国の意思はわかりましたが、私の一存ですべてをあかすわけには参りません。本国の長老たちとも相談する時間を頂きたい」
可能性の残る言葉にホッと息を吐く。
「もちろんです」
アレクサンドルがヘリガトレートと会談しているころ、問題のアクティース教国はまた一つ余計な反感を買っていた。
「ダメです。連中、取り次ごうともしません」
黒塗りの馬車に戻るなり、陰気な声で部下の一人が告げた。
「フン。まあ、いい」
特に落胆することもなく、モルゲンュテルン元帥は応じる。彼が手振りで指示を出すと車が滑るように走り出す。
黒塗りの高級馬車が止まっていたのはブランサブール城とは別の中州に荘厳な姿でたたずむアルカンジュ大聖堂の前。モルゲンュテルン元帥が直々に足を運んだのは記念祭に招かれているアクティース教の枢機卿と会うためだったのだが――、
「帝国の次期皇帝を門前払いなど非礼にもほどがありますッ!」
語気を荒げるのはモルゲンュテルン元帥の護衛で唯一の女であるヒルデガルト。
「気にするな。連中の非礼は今に始まったことではない」
ブルトルマン帝国もアクティース教の影響下にある国なので大きな街には教会があるし、帝都には大聖堂もある。当然、帝国内のアクティース教関係者を束ねる総大司教や管区司教もいるが、自分たちが支配者であるような態度でまったく取り合わない。
「まったく傲慢な連中です」
別の護衛が吐きすてる。
ブルトルマン帝国ではアクティース教への信仰は二極化している。魔女魔法使いを排斥し、西方諸国における魔法技術をほぼ独占しているアクティース教にすがるように熱心な信者とその存在を疎ましく思っている者。彼――いや、彼らは後者だ。
「連中の傲慢も今に終わる――いや、終わらせてやる」
モルゲンュテルン元帥が静かだが、覇気の籠もった声で告げると、三人の護衛が笑みを浮かべて頷く。この大将について来て正解だった、という信頼の証の笑み。
空振りに終わる者もいる中、すぐそばのブランサブール城ではカマローサが朝から幾人かとの会談を済ませ、ようやく一息ついたところだった。
「ふう……年かしらね」
息つき、肩を揉む。
当主を継いで二十年あまり。将軍職についたのも同じ頃。だから、当主と将軍の二つの役目を並行して担うことには慣れていたはず……だが、ここ最近は当主の仕事の多くをベルルージュに任せていたからことさら負担が大きく感じる。
本来なら次期当主としてアンナマリアに手伝わせるべきなのだが、指名したのはつい一昨日のこと。近衛騎士団長である彼女が急に時間をとれるはずもなく、カマローサが数年ぶりに二役を全て担うはめになってしまった。
コトリと目の前にお茶が出される。
「お疲れ様です」
近衛騎士は王族の側に控える者として気配りができなければ務まらない。だから、近衛騎士団長時代からのこの副官はとてもよく気が回る。
「ありがとう」
礼を言って紅茶を飲む。
「将軍にはまだまだ頑張って頂かねば困りますから」
「この老骨にまだ鞭打つ気?」
老骨。そう表現しても何らおかしくない年齢だ。
カマローサの母である先代が当主を退いたのも五十になったころだった。ベルルージュがあんなことにならなければとうの昔に譲って、将軍職に専念していただろう。その将軍職にしてもそろそろ後進に譲りたいのだが、政局がそれを許してはくれない。
「それであのバカ娘の消息はつかめましたか?」
アンナマリアを当主に指名した一昨日の晩。ひとしきりカマローサに抗議し、ローズに悪態吐いてからベルルージュは姿を消してしまった。そのときは一族の誰かの元に身を寄せたのだろう、と気に留めなかったのだが、昨日一日家人に調べさせても行方がしれなかった。最悪の事態が脳裏を過ぎり、公私混同だとは自覚していたが捜索を命じたのだ。
「はい。ベルルージュ殿はどうやらサド家に身を寄せているようです」
なるほど、とカマローサは納得し、同時にそんなことにも思い至らなかったことで、自分がどれだけ冷静さを欠いているか自覚した。
当主補佐という立場を失ったベルルージュが他家を頼るはずがない、と他家の可能性を考えもしなかった。しかし、サド家なら話は別だ。ラフレーズ家と血の繋がりは無いに等しいが、サド家の新当主エレオノールとベルルージュとは幼なじみだ。スカーレットに反抗され、カマローサに見放され、アンナマリアに党首の座を奪われ、と肉親から袋叩きの同然の目にあったベルルージュが頼れるのはある意味では彼女しかいない。
「そう……ですか」
安堵と落胆が入り混じった天気雨ような複雑な感情が胸を覆う。
「まだ後悔されているのですか?」
心情が顔に出ていたのだろう、副官が気づかわしげに声をかける。
「しても無駄だということはわかっていますよ」
七年前。ベルルージュが近衛騎士から除名されたとき、カマローサは一度だけ、思わず、
『あのとき私がもっと慎重に考えていれば』
と、漏らした。その悔悟の言葉をこの副官は律儀に覚えているらしい。
あのとき、とは十四年前。ベルルージュが中央軍に入隊し、近衛騎士見習いとなったときのこと。
ラフレーズ家の娘は後に近衛騎士として仕える王子と幼少期から親交を持つようにしているが、ベルルージュはそれができなかった。だから、国王や王妃、大公妃のどちらか、あるいは年齢の近い第一王女ブルーエット、いくつも選択肢があった。だが、当時深く考えもせずに『長女だから第一王子に』とベルルージュをヴィクトール付きにしてしまったのは他ならぬカマローサだった。
(私がもう少しあの子の性格を考えられたら……)
ベルルージュが幼いとき、カマローサは自分自身が近衛騎士として必死な時期だった。その所為でベルルージュにはアンナマリアやスカーレットのようには接してやれなかった。だから、ベルルージュの性格を見誤ってしまった。
『ベルをヴィクトール様付きに? まあ、今の近衛騎士団長は貴女ですからねぇ』
先代の不承不承といった口調が今でもカマローサの耳にこびりついて離れない。
「あの子の性格を考えられたならヴィクトール様と合わないことはわかったでしょう」
そうすれば反りが合わないことは容易に想像できたはず。だが、できなかった。配属後もヴィクトールとベルルージュが合わないらしいことは伝え聞いていた。しかし、配置換えをしなかった。
その結果が除名。
その罪悪感もあったから、ほとぼりが冷めたころに当主を譲るつもりでベルルージュに当主補佐を任せた。しかし、ベルルージュはこともあろうに貴族派と親密になってしまった。
「それで、いかがいたしますか?」
副官の声で悔恨に沈んでいたカマローサが我に返る。
「放っておいてかまいません」
「よろしいのですか?」
「今のところ家出娘が親友の家に転がり込んだというだけの話です。騒ぎ立てる必要はありません」
そう告げると、カマローサは空になったティーカップをソーサーに戻し、次の客人が来るまでの間に将軍としての執務を進めるべく書類に向かった。
カマローサが短い休息を終えて仕事に戻ったころ同じ城内では到着したばかりのローズとヴィクトールは手分けして軍幹部らとの顔合わせ、根回しをはじめていた。
「はじめまして、ラズワルド将軍。お会いできて光栄ですよ」
「はじめまして、エパルニュ次官。さっそく、本題に入りましょう」
あいさつもそこそこに本題に入る。
「これがこちらで作った見積りです」
「拝見させていただきます」
事務的な口調でエパルニュ次官が答え、差し出した書類を受け取る。彼の注意が書類に向いた瞬間、ドスッ、と横からローズの脇腹に肘鉄が突き刺さった。
(何するんだ!?)
副官兼秘書として横に座るスカーレットに囁く。
(私が昨日言ったこと忘れたの?)
何のことだろう、と考え、ローズが答えにあたりをつけたのと同時にスカーレットが答えを囁く。
(愛想よ! 愛想!! なのに何? その無愛想の手本みたいな顔)
(…………)
しつこいようだが、そんなつもりはないし、言われてできるならとっくにやっている。なので今は目の前のことの集中すべく黙殺する。
(ちょっと、聞いてんの!? ローズ!)
「? どうかなさいましたか?」
一通り書類に目を通し、顔を上げたエパルニュ次官が二人のやりとりに気がついて、訝しげに問う。
「いえ、なんでもありません。お気になさらず」
耳元で囁いていたときの苛立った声とはうって変ってお上品な態度で答えるスカーレットに呆れと感心を同時に覚えつつ、エパルニュ次官に本題を尋ねる。
「それでどうでしょうか?」
「はっきりもしあげてこれほどの額を通すのは無理です」
「でしょうね」
悩むそぶりも見せず即答されたが、それは予想済み。なにしろ渡した見積りに記された額はざっと西方軍の通常予算五年分になる。
敗戦後の戦力回復のために西方軍には課題が山積している。
その一つが物資の問題だ。ブルトルマン帝国への遠征のために西方軍が備蓄、あるいは購入した物資はその大半が陥落したクロチェスターに運び込まれていた。決死の脱出の中で大量の物資まで運び出す余裕がなかったことはいうまでもない。すべて、とはいわずともある程度補給しなければ――、
「ですが、通らなければ西方軍は回りません」
当面、本来の使命である専守防衛に努めればいいのだから食糧の方はとりあえずなんとかなる。問題なのは武器防具、とりわけ長城の上から攻撃するために必須の武器――、
「矢だけは最低でも補給しなければ兵士の数が少ない現状では城壁にとりつかれたらすぐに突破されてしまいます」
何十万本という矢を遠征のためにクロチェスターに移送してしまっていた。そのため、がクレプスケールには現在最低限しか備蓄がない。もし、今大軍が攻めてきたらたちどころに矢がつき、敵兵が城壁にとりつくことを許してしまうことになるだろう。そうなれば寡兵では守り切れない。
「それは……そうでしょうが、仮に私が予算を通すことを認めたとしても……内政官らが許可反対するでしょうな」
「流通の問題、ですね」
「生産も問題です。軍需省の鍛冶だけでは到底足りません」
つまり、西方軍の物質的回復は不可能ということだが、
「よかった」
エパルニュ次官の見解にローズは満足気にそう告げた。
「よかった?」
「ええ、次官もそうお考えなら我々の用意した計画に賛同いただけるでしょう」
そう言って一枚の書類を差し出す。
「…………なるほど、おもしろい案です」
受け取った書類に目を通したエパルニュ次官が感心する。
「単純に十分な数の矢を西方軍に回すとなれば中央軍も相当に反発するでしょう。ですが、譲り受ける分を最低限に留め、残りをいつでも輸送できる形を採るに留めるならば彼らの反発も抑えられるでしょう?」
「ええ。これなら国庫にかかる負担は最低限で済みます」
「ではこの方向で協力していただけますか?」
「ええ、もちろん。協力させていただきます」
ローズがエパルニュ次官の協力を取り付けているころ、別働していたヴィクトールはやはり兵站部門の総責任者であるカニャール中将を攻めたてていた。
「ヴィクトール様、これはいくらなんでも……」
「いくらなんでも……なんだ?」
いつになく、高圧的な態度で詰め寄るヴィクトール。
「これほどを持っていかれては中央軍の翼が……」
「各街で守備についている中央軍と東方軍どちらに飛竜が必要だ?」
防衛に必要な戦力の一つ飛竜。通常、各軍に二旅団五千が配備されているが、遠征とマーナガルムの足止めでその大半を失い、今西方軍の飛竜部隊は千に満たない。
「そっそれは……」
「サッサと答えろ」
「……せ…………西方軍です」
果実や種子から油を搾り出すように、ヴィクトールに気圧されたカニャール中将がしぶしぶ答える。
「ならば、中央軍の飛竜一旅団二千五百を西方軍に渡してもらおう」
食糧ならルディア王国は豊富にある。武器防具、あるいはその原材料は(金銭的負担は別として)買い付ければ済む。
しかし、飛竜はそうはいかない。飛竜の供給源は竜使いの民だけで、彼らが供給する頭数には限りがる。だから、当座、必要な航空戦力を確保するためにはどうしても中央軍からむしり取るしかない。
「で、ですが私の一存でそのようなことは……」
「もちろん、今ここで書類にサインしろとは言わん。次の会議で我々が提出する西方軍再建計画に協力しろ、と言っているに過ぎん」
今にも承諾しそうだったが、彼にも立場というものがある。カニャール中将が協力を承諾したのはそれから十分近くも色々な問答(という名の恫喝)を行った末のことだった。
もっとも、そのことを予想していたからこその役割分担だった。ローズではこうはいかなかっただろう。個人の資質ではない。最初から舐めてかかられては押し切ることはできない。だから、ローズには理詰めで話を進められる中立派、アレクサンドル配下の文官らを担当させ、ヴィクトールが貴族派の古だぬきを相手取るという分担をした。
ヴェリュミエール宮殿へ戻らなければならないギリギリまでローズとヴィクトールは同じような根回しに駆けずり回り、建国記念祭二日目を終えた。




