第四章 ラフレーズ家
馬車が王宮の門に差し掛かるころにはスカーレットの喉が枯れ始めてきた。
「あれが……」
「説明はいいから少し喉を休めろ。王宮の成り立ちくらいは知っている」
そう告げるとスカーレットは喉を摩りながら背もたれに体を預けて気を抜いた。
現在の王宮であるヴェリュミエール宮殿は別名『奇跡の王宮』ともいわれる。その所以が門前から貴族の屋敷が建ち並ぶ地区まで続く森といえるほど広大な前庭だ。
王宮がある場所は六百年前、初代国王がバーバリアスランと戦った地でバーバリアスランを退治した際、毒血が染み込んだ大地は不毛の地となってしまった、と言い伝えられている。言い伝えの真偽はともかく荒れ果てた荒野だったことは事実らしい。運悪くシェルーネ川も避けて通るような形になっていたこの地は長年に渡り見捨てられていたそうだ。
そこにおよそ三百年前の国王がルディア王国の誇る技術を結集してシェルーネ川から水を引いて人口の池を作り、木を植えて森を作った。妖魔に呪われた地を人間の力で――魔術さえも用いない純粋な技術力だけで再生したことによって当時薄れつつあった王家の威光を取り戻したらしい。
薄れつつあった、というのはただの時の流れに因るものだが、当時の国王が莫大な国費を費やしてまで威光の復活を目指した背景には直前にあった大規模な内乱が関係している。
国境防衛に従事する辺境伯が周辺の貴族たちと結託して王都に攻め上ってきたルディア史上最大の内乱。東地域のほぼ全域が敵に回った内乱は国土の三分の一が敵になったことを意味し、事実上ルディア王国を二分する内戦となった。
しかし、数年に及んだ戦いの末に反乱軍は鎮圧された。
国王は王家の威光を象徴する新王宮を建設。王の威光を貴族に見せつけ、同時に反乱の目を摘むために宮殿の敷地内に貴族騎士の屋敷を建設し、そこに住まうことを強制した。そのため、旧貴族騎士の本邸はすべてヴェリュミエール宮殿の敷地内にあり、宮殿は王族と貴族騎士だけが住まう貴人のための小さな都市のようになっている。
前庭(といっても森とよべる規模)を通り抜け、豪奢な内門をくぐるとすぐに貴族騎士の居住区。騎士や下級貴族の屋敷を抜け、中級貴族の屋敷も素通りしてそのまま最上位の貴族や傍系の王族などの屋敷が建ち並ぶ一角まで進んでようやく馬車が速度を落とす。
「スカーレット、着いたみたい」
少し優しく声をかけた理由は正面に座るスカーレットの瞼が下がり、トロンとまどろんでいたからだ。
「……ぇ? あっ、ああ着いたの」
「大丈夫?」
問うまでもなく疲れているに決まっている。
王都からマーガレットを連れてクレプスケールまでの十日ほどの旅路。その後護送任務で近衛騎士には慣れない野営。すぐ後にはダスクフォートで敵に捕らわれ、半月近くの虜囚生活。救出されてからもマーガレットに追いつくため、追いついてからは帝都まで送るための強行軍。帰国の途もブルトルマン帝国の帝都からルディア王国の王都まで辛い空の長旅。
緊張感が隠していた疲労が報告を終えて任務を正式に完了した今、顔を出したのだろう。
「ふぁい丈夫、ようやく任務終わって家に帰れると思ったらちょっと、ね」
小さな欠伸を噛み殺しながらスカーレットが答える。
「……その…………なんというか……すまない」
「別にローズが謝ることじゃないでしょ。でも、悪いけど帰ったら少し寝かせてね」
「私はかまわないが……」
口にするのが躊躇らわれた名前をスカーレットももちろん理解して「ああ」と呻く。
「ベル姉様が留守でありますように」
そのスカーレットの切実な願いは半分叶い、半分叶わなかった。
屋敷の扉の前で馬車を降りたローズたちが扉を開ける前に内側から開かれた扉から件の人物が姿を現したからだ。
「一月半ぶりに実の姉に会ってその顔はなんです、スカーレット?」
あまりのバッドタイミングに、ゲッ、という内心を顔に出さないためにはローズもかなりの努力が必要だった。寝ぼけ気味のスカーレットが内心を隠すのに失敗したのは無理もないだろう。
「申し訳ありません、姉上。少し疲れていたもので」
「貴女は疲れていると姉に会って嫌な顔をするのですか?」
ベルルージュはスカーレットとちょうど十歳違いのはずだが、辛酸を舐めてきたせいか年齢より少し老けて、親子にも見える。実際に軍務で家を空けることの多かった母カマローサに代わりスカーレットの面倒を見てきたのはベルルージュだったそうだ。
母代りの姉。そこに、ヴァイオレットと同じような厳格な雰囲気があっては事情がなくとも顔を合わせたくはない。まして、今は姉が廃嫡される原因となるという後ろめたさもあるのだから気まずさは筆舌に尽くし難いものがある。
「申し訳ありません」
「気をつけなさい。ジョアシャン王子の妃ともなれば次期王妃になる可能性もあるのです。多少の疲れで表情を崩しては国の恥になります」
もっとも触れて欲しくない話題に真っ先に触れ、しかもそれを確定事項のようにいうのでローズもスカーレットも表情が強張ってしまう。
しかし、幸いベルルージュはスカーレットに返答を求めることはなく、ローズへ視線を移した。猛禽のような鋭い目だけを向けて睥睨するベルルージュ。鋭い視線をローズの頭から品定めするように下ろし、襟元の階級章を見止めた瞬間、体を向けて礼をとる。
「お見苦しいところをお見せし申し訳ありません。失礼ですが、貴女がラズワルド准将でしょうか?」
「えっ、ええ」
ローズのことをスカーレットの部下だとでも思っていたのだろう。一瞬前までの値踏みするような態度から一点してていねいな挨拶には戸惑いすら覚えるほどだ。
「ご当主からこの時期の王都では宿を探すのは大変だから、とお招きいただきまして」
「そうですか。『戦場の青き薔薇』を屋敷にお迎えすることができて光栄です。残念ながら私は所用で出かけなければなりませんが、ご自宅と思ってごゆるりとお休みください」
直前の無礼と紙一重の態度の所為でうやうやしい挨拶が慇懃無礼にしか思えないが、だからといって礼を欠くわけにもいかず、
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
と、ていねいに答える。
ローズたちを乗せていた馬車が出ていき、入れ替わりに入ってきたラフレーズ家の馬車に乗り込んでベルルージュは外出した。
「どうせ出かけるならなんで私たちが来る前に出かけてくれればよかったのに」
一層疲労感を漂わせながらスカーレットがぼやいた。
「この部屋でいいわよね」
帰宅早々にベルルージュと鉢合わせてぐったりと疲れながらもスカーレットが自ら案内してくれたのは彼女の部屋の隣にある空き部屋だった。
「もちろん十分だ」
元々軍の安宿に泊まるつもりだったローズには上等過ぎる部屋に文句などあるはずもない。
「自由に使ってくれていいから。私夜まで寝るけど、わからないことや困ったことあったら誰か捕まえて聞いて」
すでに疲労からくる眠気に負けつつあったスカーレットは気づいていなかったが、そのとき開け放したままの扉から急ぎ足で近づいてくる足音が聞こえてきた。そして、スカーレットが振り返り自室に戻ろうとしたとき足音の主は戸口に姿を見せるなり、
「スカーレット! お帰り!!」
と叫んで、飛びつく……というより包み込むようにスカーレットをしっかりと抱きしめた。
「アっアンナ姉様!? なぜここに……」
「貴女が帰ってきたら知らせるように門番や家人に言い含めておいたの。心配したのよ、イースウェアで捕まったんですって? ケガとかない?」
問いかけながら落ち着きなく、スカーレットの頭や身体を勝手に調べていく。
「だ、大丈夫です……くくすぐったいから止めてください。客人も見てるんですよ! 第一どこからその話を聞いたんですか?」
スカーレットが捕まっていたことまで知らせているのは西方軍司令のヴィクトールと中央軍司令のカマローサの二人だけのはず。しかも、カマローサに詳細を報告したのはつい先ほどのことだ。ヴェリュミエール宮殿で警備警護の指揮を執っていたはずのアンナマリアが知るには早すぎる。
「アレクサンドル様が東方のお客様をお迎えにクレプスケールまで行ったときにヴィクトール様から聞いた情報を教えてくださったの。ラズワルド准将が助けてくださったところまで聞いてなかったら心配で仕事が手に着かないところだったわよぉ。ホントに心配したんだから」
「ご心配をおかけして……も、申し訳ありません」
目尻に涙を浮かべているアンナマリアの姿を見て、別に悪いわけでもないのにスカーレットが心底申し訳なさそうに謝る。
「いいのよ、無事でよかったわ」
そう答えて視線をローズへと移す。
「ラズワルド准将、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。近衛騎士団団長を拝命しておりますアンナマリア・ラフレーズと申します。この度は妹を助けてくださりありがとうございます」
「いっいえ、そんな……お顔をあげてください」
直前に慇懃無礼としか言いようのないベルルージュの挨拶を目にしたせいもあるのだろうが、アンナマリアの心の籠もった謝辞が面映ゆい。
「ところで、アンナ姉様よろしいのですか? 今は近衛騎士は大忙しなのに……」
「大丈夫よ、ちゃんとアレクサンドル様のご許可を頂いてるから。それに一応伝令っていうお役目もあるしね」
「伝令……ですか」
本来、伝令など佐官がやることではない。まして、近衛騎士を束ねる大佐がそのような雑務を命じられるはずはないから、あくまで言い訳のための名目に過ぎないのだろう。
とローズが他人事のように考えていると、
「ラズワルド准将に勅命を二つ、伝言を一つ預かって参りました」
「はっ」
勅命、という単語に反射的にローズが姿勢を正して耳を傾ける。
「そんなに固くならなくても平気ですよ。勅命といっても『明日のパレードにユニコーンを伴って参加するように』という……まあ雑事ですから」
要約すると、政治パフォーマンスとして呼び物になれ、ということだ。
王と王妃も参加するパレードへの参加はある程度覚悟していたし、アルコンティアを連れて来い、と命令される可能性もあるとは思っていた。しかし、気位の高いユニコーンを見世物そのものであるパレードに参加させるなどできないし、できたとしてもさせたくない。例え勅命でも、どうにかしてこの件に関しては断った方がいいだろう。
どうしたものか、と瞬時に思案をはじめたローズにアンナマリアが苦笑気味に付け加える。
「で、ヴィクトール様からの伝言です。『ユニコーンの件、無理なら口添えしてやるから今すぐに王宮に来い』だそうです。良い上官をお持ちですね」
確かに口添えしてくれるヴィクトールは部下のことをよく考えているいい上官だ。しかし、素直に認めるのはなんとなく癪なので話を逸らす。
「それでもう一つの勅命というのは?」
「こちらは勅命……だけどどっちかっていうと大公妃様の希望かしら。『明日の剣術大会開会式で最初の剣舞で大公妃様の相手を務めるように』とのことです」
「剣……舞ですか」
「ローズ、貴女たしか剣舞……」
「ああ、履修してない」
実用性のない剣舞は士官学校では選択科目だ。それでも王のお膝元である中央の士官学校では剣舞を履修する学生も少なくないが、前線である西方の士官学校では旧貴族の子弟が単位稼ぎに選択する程度だった。
「アルのことで勅命を断る以上剣舞の方まではどうにもできないだろうな」
「あら~困ったわね。練習するなら道具はいくらでも用意させるけど……相手はねえ」
各国から賓客を招いている建国記念祭の間王宮の警備は厳戒態勢で、近衛騎士も、王宮警護旅団も共に暇な者などいない。
「はあ、わかったわよ。今晩私が付き合えばいいんでしょ」
「すまん」
スカーレットは少しでも体力を回復するために自室へ戻り、ローズは息つく間もなくアンナマリアに伴われて王宮へ登城することになった。
パレード参加の件はヴィクトールの口添えもあってなんとか角を立たせることなく、王にアルコンティアの参加は諦めてもらうことに成功した。
しかし、やはり、というか、当然、というか剣舞の方は断れるはずもなく、大公妃の相手を務めることになった。まあ、もともとヴィクトールの言葉を借りれば『愛犬自慢に付き合うのも仕事の内』と覚悟していたのだから仕方ない。任務だと思って諦めるしかない。
もちろん、諦めるとは言っても大衆の前で大恥をかかないための準備は必要だが。
「じゃあ、食後に剣舞の練習しなきゃならないのね」
「疲れてるのに付き合わせて悪い」
一時間と少しという中途半端なタイミングで起こされたスカーレットはまだ寝ぼけまなこで、寝る前よりもむしろ疲労感が露骨に表に出ている。
「別にいいわよ。それに今日は消化の悪い夕食になりそうだから、運動でもしなきゃ寝られそうにないし、ね!」
憂うつそうにつぶやき、両手で頬を叩いて目を覚ます。
「それよりローズなんで貴女軍服のままなの?」
「あいにく名家の夕食会に列席できるような私服は持ち合わせていない」
並んで歩くスカーレットも私服ではあるが、それは貴人の私服。庶民のローズの私服では比べものにならないし、そもそも持参している服は女物ですらないから会食のような半公式の場に着て出るのは躊躇われる。
「夜会用のドレスでいいじゃない」
「ドレス?」
「ちょっと待ちなさい! まさか夜会用のドレス持ってきてないの!?」
「なんでドレスがいる? 軍人なら公の場は軍服だろう」
スカーレットの問いにローズが真顔で返すと、スカーレットは頭痛を堪えるように額に手を当てて蹲ってしまう。
「何かマズい……のか?」
「問題はありませんよ。ただ基本的に女性は皆さんドレスで参加するというだけの話です」
恐る恐る聞いた質問にスカーレットに代わってちょうど合流したアンナマリアが答えてくれたが、
「それはそうですけど……でも姉様、軍服で参加した女性なんて見たことありませんよ」
「そう……なんですか?」
「そういえばそうね。まあ、母様含めても女性将軍自体ほとんどいませんし、未婚の若い方ともなると一人二人ですから」
既婚者ならパーティーの類には伴侶やそれに類する者を同伴するもので、パートナーがいれば当然相手に合わせた服装を選ぶ。
女将軍自体両手の数で足りる程度しかいない上に、将軍ともなれば出世の過程ですでに結婚している者がほとんどだ。未婚で通る年齢で将軍なるような者はほぼ名家の出なのでまず間違いなく許嫁いる。つまり、パートナーがいるのが普通というわけだ。
「まあ、私は独り身ですから……」
「何言ってんの! 貴女の無愛想で軍服着てたらみんな逃げてくわよ!! ローズだけなら半日あればクレプスケールまで往復できるのよね!? とってきなさい」
「あー……往復はできる。……けど、そもそも持ってないんだけど」
何を、とは言う必要はないだろう。そもそも庶民にとってドレスコードを要求されるような場自体が限られるし、そういう場に出ることがあっても軍服で済んでしまう生活を送っていればドレスなど仕立てるはずがない。まして、私服に男物の服を持ってくる女が趣味でそんな服を持っているなど期待するだけ愚かというものだ。
「……………………ローズ貴女ねえ」
「まあまあ、事前にわかっただけでもよかったじゃない。明日にでも仕立屋を呼んで大急ぎで仕立ててもらえばいいでしょ。初日の夜は観賞会だけで夜会はないんだから」
社交界の常識、庶民の非常識についてスカーレットが説教を始める前にアンナマリアが仲裁に入り、
「それよりスカーレット、今は目の前の問題に専念なさい」
続いてそれまでのやんわりとした口調から一変。戦場に臨むときに似た宣告を突きつけ、頭を抱えていたスカーレットに直面している問題を思い出させる。
三人が食堂に入るとテーブルにはすでにラフレーズ一族の主だった者たちが着席していた。
これからラフレーズ一族の主だった者たちが集まっての夕食会。中央軍が大忙しのこの時期に当主カマローサをはじめ中央軍の要職に着いている者も多い一族を集めることにはもちろんそれなりの意味がある。軍政の高官らにとっては政争の場でもある建国記念祭を前に一族の意思統一するためだ。
ラフレーズ家も一枚岩ではない。本家だけ見ても中立を貫きたい当主カマローサ。自分が当主に着くために貴族派と親密な関係を築いてきた長女ベルルージュ。第二王子付きでもあることから貴族派とは対立的な次女アンナマリア、と別れている。本家だけでもこの有様なのだ。地方に地盤を持つ分家や縁戚関係で繋がる門閥の旧貴族にはそれぞれの思惑がある。そのため当主が事前に一族としての方針を示すことである程度の統率を計るらしい。
(……ウッソ)
声を上げることはなかったが押し殺した呻き声にスカーレットの驚愕が現れている。
(どうした?)
(三大家も来てるのよ)
遠縁だがラフレーズ家も三大家とのつながりがある、と馬車での講義で教わっていた。家名を重んじ、婚姻の相手も限られる名家はどの家すべて親戚のようなもの。まして、貴族三大家ともなれば匹敵する家門は限られる。スカーレットが驚いている理由は本来招かれるほど近しい間柄ではないということだろう。
(おそらくベル姉上が呼んだのでしょうね。ジラルディエールとオーリュトモスは貴族派をけん引する存在だから)
絶えることのないアンナマリアの笑顔もそれまでの優しい面差しからどこか空寒いものへと変わっている。対して遠くの席に座っているため見えないはずのベルルージュの表情はなぜか勝ち誇った笑みを浮かべているように見えた。
(でも、なんでペルルリオンまで?)
(三大家筆頭でも我が家が貴族派につくかどうかとなれば状況確認は怠れないわよ)
囁き合う二人の会話を耳に留めながら馬車でスカーレットに教わった貴族派の勢力図を思い出す。
オーリュトモス家は当主シヤン・オーリュトモスが西方司令を務めていたことからも分かる通り西方に地盤を持つ大貴族。対してジラルディエール家は北方に地盤を持つ大貴族。この二つの家が競い合うようにして貴族復権派をけん引しているらしい。
できれば重要人物だけでも顔と家名を聞いてから席につきたいところだったが、あまり入り口付近で突っ立っているわけにもいかない。ローズは末席に、アンナマリアとスカーレットはベルルージュの向かいにある二つの空席にそれぞれ分かれる。
すでに隣り同士で情報交換を兼ねた世間話が行われていたが、三人がテーブルに近づくといったん会話が止んだ。大半の視線は本家の二人を追って上座の方へと向いたが、末席近くの者はローズを捉えて隣近所で囁き合う。
「どうぞ」
ローズが席に近づくと隣りの席の青年がすかさず立ち上がり、ローズの椅子を引いてくれた。「あ、ありがとうございます」
一礼して席に座る。
「いやあ、麗しいお嬢さんたちから離れた席でガッカリしてたんですが、こんな美しい方が隣りにきてくださるなんて幸運です」
「ど、どうも」
こういうときにどういうセリフを返していいのかサッパリわからず、それ以上の返事ができなかった。しかし、青年は特に気にしたふうもなく、構わず会話を続ける。
「ボクもラフレーズ家とはあんまり縁がなくて、実は今日も招かれたんじゃなくて押しかけたたんです。だけど、やっぱり内々の会だから押しかけた側としては話しかけづらくて、ちょっと退屈してたんですよ」
ラフレーズ家内々の集まりに「押しかける」ことができる。つまりはラフレーズ家も無下に断れない家の者ということだ。
そうローズが推察したことを察したように青年の笑みに業物を見た剣士のような真剣さが過ぎる。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。ダミアン・ペルルリオンです。お見知りおきを」
「こちらこそ、挨拶が遅れました。西方軍で将軍を務めておりますローズ・ラズワルドです」
まさか三大家筆頭の家に連なる者が末席にいるとは思わず、少なからず動揺したものの、それでもきちんと挨拶を返すことはできた。
「噂は聞いてます。お会いできて光栄です、ラズワルド将軍」
「こちらこそ、国内屈指の名家ペルルリオン家の方と同席できて光栄です」
ローズの正体がわかって周辺からざわざわと囁き合う声がさざ波のように拡がり、いくつかの視線が二人に注がれる。正体がわかれば次に来る話題はお決まりの先のマーナガルムの騒乱の話を求められるだろう、と身構えたが、誰かがそれを口にする前に当主カマローサが入ってきたことで水を打ったような静寂が食堂に広がった。
「さて、今年も大切な季節がやってきました」
席につくなりカマローサが厳かに告げる。
「近衛騎士、王宮警護の部隊に属する者はもちろん、それ以外の者にとっても気を抜けない一週間です。色々と伝えるべきこともあります。それぞれにも積もる話もあるとは思いますが、まずは食事にしましょう」
スカーレットの言った通り消化に悪い会食となった。
ダミアンは『戦場の青き薔薇』の話を尋ねて来なかったが、向かいの席の男(わずかに残った髪が赤毛であることからおそらくラフレーズ家の傍流の者)に尋ねられてウンザリしている話を繰り返す。
ようやくその話題を終えて質問攻めからは解放されると、今度は、誰が次期当主に指名されるか、という議論が流れ込んで来る。
まず、スカーレットとジョアシャン王子の縁談話を知っている者がそれを口にすると、やはり貴族派と親密なベルルージュが次期当主になるのでは、という推測が飛ぶ。しかし、ベルルージュが当主になれば貴族派に加担することになってしまう。それはラフレーズ家としてどうなのか、という意見があがる。
すると今度はアレクサンドルに近しいアンナマリアか、という意見が出る。しかし、文官寄りで旧貴族騎士と対立しているアレクサンドルに武門の家柄であるラフレーズ家がつくことに不安の声も少なくない。
そして、姉二人が話題になれば当然末娘であるスカーレットについても言及される。
「では、スカーレットはどうだ? 特例措置でもう近衛騎士は退任するが、立派に勤め上げたんだ。ラフレーズ家の当主としてはベルルージュより相応しいと思うが」
「せっかくきているジョアシャン様との縁談を断ってまでスカーレットを当主に据える必要はないだろ! そんなことをすれば貴族派と対立することになりかねん」
「いや、むしろジョアシャン様ともアレクサンドル様とも一定の距離をおくためにはスカーレットを当主に据えるのが一番では?」
「しかし、スカーレットではまだ若すぎるだろう」
「そこは一族の誰かが補佐に着けばいい」
「その通り、第一カマローサ殿もご健在なのだから次期当主として教育すれば済む話だ」
「いや、中立を貫くためにはむしろ当主を指名せずにおいたほうが……」
「バカな! スカーレットに縁組みの話がきていることを忘れたか!? すでに決断を迫られていることは明白だ」
という議論が当主席から離れた末席では紛糾していた。
部外者なので参加せずに傍聴している中でぼんやりとわかってきたのは中央ではヴィクトールはもはや王位継承者として期待されていないということ。当然といえば当然だ。立太子もせず、妻子も持たず、十年前からほとんど西方に留まっているヴィクトールは中央から見れば隠者同然の存在だ。
しかし、ごくわずかではあるが一部には先の大敗北でオーリュトモス家の地盤を切り崩したヴィクトールの手腕を見て、西方で力を蓄えている、と考えている者もいるようだ。ダミアンもその一人だった。
「やれやれ、まったく見る目の無い者が多いですね」
議論に熱中している隣席者が聞いていないことを確信しているのだろう。逆隣りに座るローズにだけ聞き取れる程度の声で呟く。
「貴族派につくか、アレクサンドル様につくか、はたまた中立を保つか、はラフレーズ家だけでなく、ルディアにとっても歴史を進めるか、後退させるかの分水嶺になる重要な決断だと思いますが?」
「そうですね。確かに重要な決断です。しかし、彼らは決断を下すにあたって重要なことを見落としている。彼らが何を見落としているかお気づきですか?」
「重要なこと……ですか?」
いくつか気になったこともあったがあえて何も思い当たることがないように振る舞い、考える素振りする。
「そうですね……まずはヴィクトールのことを軽視していることは気になりました」
「やはり、直属の上官が無視されるのは面白くないですか?」
探りを入れる……というよりは単純にからかうように問いかけてきた。
「私個人の感情ではなく彼が無能ではないことは良く知ってますので」
「そうですか。まあ、それも答えの一部です」
「では正解は何なのですか?」
「う~~~ん、正解は……やっぱり言いません」
「答え合わせは無し、ですか」
「いいえ、いずれまた。その時までに正解を考えておいてください」
そういって答えをはぐらかすとダミアンはそれ以降まともに話にとりあわなかった。
会食を終えて食器がすべて下げられるといつの間にか雑談は止み、一族皆がカマローサの話を聞く体制が整っていた。
「今宵、私から皆に伝えることは三つ。まず、一つ目は皆も気にしているラフレーズ家次期当主についてです」
幾人かが息を飲む音が聞こえてきた気がするほどの静寂の中カマローサ告げる。
「私はラフレーズ家次期当主にアンナマリアを指名します」




