第三章 王都
空を行く長旅は厳しい。
空を飛ぶ騎は馬のように乗っていること自体に体力を要するということはない。羽ばたきはするものの地を蹴り上下に突き上げてくる馬の背とは違い、飛行騎は一番近い例を挙げるなら穏やかな水面に浮かべた小舟に乗っているような感じでとても乗り心地がいい。
問題なのは時間と周りの環境だ。
馬旅とは違い度々地上に降りて休んでいては効率が悪いし、乗せている騎の方も疲れる。そこで空を行く長旅は上昇して風を掴み、一回の飛行でできるだけ長く飛ぶ。
上空は風も強いし、気温も低い。時として力を抜いたら吹き飛ばされてしまいそうな風の中を必死で騎にしがみついていなくてはならず鍛えた軍人でも相当な体力を要する。また、運よく風が穏やかだとしてもいつ強風が吹くかわからない状況でボートのような乗り心地が誘う眠気に耐えなくてはならない。
それでも通常の旅ならば六から八時間も飛べば妖魔といえど騎の方が休息を必要とするし、頃合いもいいので乗り手も宿をとる。しかし、事情により飛び続けることになれば加速度的に負担は増していく。
元々王侯貴族や大富豪しか所有できないこともあるが、そうした問題もあって空の長旅は余裕を見るのが普通だ。軍でさえも非常時以外には航空戦力の長距離移動には相応にゆとりをもつ。数日も休まず空を飛び続ければ例え騎が耐えられたとしても人の方が堪えられなくなる。
「大丈夫か?」
一日半の強行軍を終えて王都の守護する城壁塔の一つに降り立ったスカーレットの有様に先回りしたローズが心配そうに尋ねた。
「大丈夫じゃないわよ! 雨雲の中を突破なんて……」
答えたスカーレットは濡れ鼠としか表現しようのない酷い有様だ。
南北を大山脈に挟まれたルディア王国は国全体が巨大な盆地ともいえる。南の海から吹きつける湿気の高い海風はプロクス山脈を越えることで湿気を吹き飛ばされるが、そのせいで冷めにくい。
そして、温度を維持したままの南風は火崗岩の大産地であるプロクス山脈の熱気をたっぷりと蓄えて下降してくる。このためルディア王国の夏は途方もなく暑い。
しかし、空気が乾燥しているので大抵の地域では急な雨雲の発生など起こらない。だが、ルディア王国の北にそびえるクリュスタッロス山脈を水源とする河川が流れるグリフィンロワのような地域では夕立もめずらしくない。
説明が長くなったが、要はスカーレットは急発生した積乱雲に呑まれたわけだ。
「まあ、雷に打たれなかっただけ運が良かったと思うしかないな」
「笑いごとじゃないわよ」
気休めを口にしたローズにスカーレットが恨めし気な視線を向けて噛みつく。
それでもすぐにグリフィンロワに降り立てたスカーレットはまだマシだろう。濡れ鼠のままグリフィンロワを横断して王都より少し東にあるルディア王室の現在の居城というか宮殿まで飛ばなければならないヴィクトールとモルゲンュテルン元帥らはより悲惨だ。
「………………………………」
「何?」
「なんで私たちを追い越した貴女は濡れてないの?」
自分の不幸を他人も味わえばいい、などと思うのは愚かなこと。だが、それでも夜通し辛い空の旅をしてきたスカーレットがずぶ濡れで、たった数時間駆けてきただけのローズが何事もなかったのでは不満に思うのも無理はない。
「目の前に積乱雲が立ち込めているのが見えたら……迂回する当然だと思うけど?」
一応補足しておくと、迂回してなお最短距離を進んだスカーレットたちよりも早く王都に着いたのは、もちろんアルコンティアの脚力あってこそである。
「…………さっさと行きましょ、兵舎で着替えくらいさせてよね」
もちろん、そこまで急を要する用事ではないし、中央軍近衛騎士を率いる将軍にお目にかかるのに濡れ鼠を強要するつもりなどない。しかし、つもり云々以前にスカーレットから発せられている無言の圧力はローズでも否というには勇気がいるほどだった。
兵舎に寄ってスカーレットの着替えを済ませるためにもローズとスカーレットは揃ってグリフィンロワを貫くシェルーネ川の中州にそびえる旧王城ブランサブール城へ向かった。
グリフィンロワは都になる前は妖魔の棲む森だったらしい。
シェルーネ川の北岸にはバーバリアスランという鉄の強度を誇る鬣と毒の爪を持つ獅子の大妖魔が、南岸はティフォルニスという一度の羽ばたきで大風を起こすという巨大な鷲の怪鳥がそれぞれ支配していたそうだ。
共にAランク相当であろう二匹の妖魔を初代国王はグリフィンを駆って単騎で破ったという。その栄光を讃え、グリフィンと王というそのままの名をつけられた街は以来およそ六百年ルディア王国の王都として繁栄の中心となっている。
そして、その繁栄の讃える伝統が建国記念祭である。
「……凄いな、王都の祭は」
都を馬車で進みながらローズが田舎者丸出しの呆然とした表情で呟く。
正式な祭の開始は明日からだが、前日にもなればすでに賑わいは相当なものだ。はじめてクレプスケールの祭を見た時も驚いたものだが、王都の祭の華やかさはクレプスケールの比ではない。
「ああ、そういえばローズはこの時期王都に来るのはじめてだったわね。誘っても『行けない』って素っ気ない返事しか来なくってマーガレットが寂しがってたわねえ」
「……仕方ないだろ。王都まで馬でも一週間はかかるんだぞ?」
ローズが士官学校の三年の冬までマーガレットはクレプスケールの別邸に留まっていたが、新年を目前にして『いい加減して帰ってこい』と呼び戻されてしまった。そして、翌年の夏『王都に遊びに来て』とマーガレットが誘ってくれたものの、奨学生に旅費など捻出できるはずもなく諦めざるを得なかった。
「手紙だってマーガレットがいろいろ書いてたのに便箋一枚もなかったじゃない」
どうやらズブ濡れで虫の居所が悪いスカーレットはローズをいびって憂さ晴らしをするつもりらしい。
「最初の返事を受け取ったときの落ち込みようったら……」
そのときのことはローズも覚えている。いや、直に見たわけではないが、マーガレットのあまりの落胆ぶりにスカーレットが『もっとちゃんとした返事を寄こしなさい!』と激怒の言葉とともにマーガレットがどれほどガッカリしたかを詳細に綴って寄こしたのだ。
「……悪かったと思ってるからもういいでしょ。………それに手紙なんてはじめてで何書いていいかわからなかったんだ」
庶民は手紙を出すほど遠くに知人がいること自体そう多くはない。仕事で手紙をやりとりすることはあるが、それも子どもには縁遠いこと。私的な関係ならローズの父母は近くにはいなかったが、祖父母に預けられた当時は幼すぎて手紙を書くという発想すらなかった。
「だから……ついそれまでのすぐ会える感覚で簡単な返事だけで…………」
「大体、ローズは普段から舌足らずなのよ。いっつも最低限しか話さないし、ぶっきらぼうなんだもの。おまけに表情も乏しいし」
クールと表現すればその強さや凛々しさと相まって長所となるローズの表情も裏を返して乏しいと表現すると単なる短所へと早変わりする。
「言ってたら心配になってきた…………そんなんで大丈夫なんでしょうね!?」
「一応士官として恥じない礼節は学んでいる」
「学んでるって……まさか夜会やパーティーに出たことないの?」
ローズが祭を見るフリをして向い合せに座っているスカーレットから視線を逸らす。
「配属が最前線のクロチェスターだったからそもそも縁遠かったし、ドレイファス将軍もあまりそういう場での社交を重視しない方だったからな。希に出席することがあっても基本ベアトリスがついていったから……」
上流階級のパーティーに出席するのが初めて、というローズの言葉にスカーレットはしばし恐怖と驚愕に呆然としてから、
「………………くれぐれも失礼なことだけはしないでよね」
「もうすぐ上官になる相手を子どもみたいに言うな」
「自信ありみたいに言うけど私たちとは習慣を持つ他国の賓客もいらっしゃるのよ。挨拶一つとっても私たちの常識が相手の方に不快なこともあるってわかってるの?」
ギクリ
という軋みが聞こえてきそうなほど露骨にローズの表情が緊張に強張る。
挨拶一つとってもマナーは多い。
例えば、ルディア王国では男性同士なら握手で済ませるが、男性と女性、あるいは女性同士では握手+軽いキスをする。貴人になると男性が女性の手を取ってキスをするという手間のかかった挨拶をする。自国でも相手、地域で差があるのに国境を跨げば当然大なり小なり違いは生じる。
「まあ、外交に慣れた方がほとんどだからそんなに心配はないと思うけど…………余計なことしないように手枷でも嵌めとく?」
「私は罪人か!? どこの世界に手枷してパーティーに出席する将軍がいる!?」
「貴女の前科を知ってれば不安にもなるわよ」
前科というのはローズとヴィクトールの出会いのことだ。
もちろんその件は無実の罪で事故と言うことで処理された。しかし、その後もマーガレットの兄ということが意識の垣根を低くし、本人も砕けた関係を望んだということがあってローズは王子であるヴィクトールにも容赦なく手を出すという悪い癖がある。
「細心の注意を払う……払います」
憮然としてローズがそう答えるとスカーレットが「よろしい」と頷いた。
そうしている間に馬車はシェルーネ川にかかる橋に差し掛かっていた。
ブランサブール城は中州そのものを城としており、島内に国政府、司法府など国のほぼすべての重要施設が含まれるルディア王国の中枢だ。王宮が王都外に移転してからも王都の中心にあるという実用性の高さから政治の中枢として機能し続けている。
また、政治だけでなく、軍事の中枢としても機能も高い。戦乱の時代から開拓された王都の発祥の地だけに要塞としての機能性も高く、中央軍司令部も王宮ではなくブランサブール城にある。
その城の端にある兵舎でスカーレットの身なりを整えてから任務の報告を行うために中央軍司令に面会した。
「……以上がマーガレット王女の護送任務に関する報告です」
書面にしたためた報告書を渡した上で口頭での報告を終える。
「ご苦労様でした、ラズワルド准将。よく少ない戦力で王女を護り、無事送り届けてくれました。ついでに娘を救っていただいたことに個人的にも感謝しています」
「いえ、お預かりした兵の大半を失ってしまい申し訳ありません。それに報告しましたようにラフレーズ少佐が王女を外出させるという判断が最悪の事態を避けた最大の功と言えます。その功労者を見殺しになどできるはずもありません」
形式張ったローズの回答にラフレーズ将軍は微笑を浮かべたが、すぐにその笑みを潜めると、報告にあった疑問点を問う。
「しかし、いくつか解せない点もあります。まず、なぜイースウェア軍は食事時などという中途半端な時間に宿に踏み込んだのか、ということです。ラズワルド准将、何か心当たりはありますか?」
通常、敵の拠点に踏み込む際には相手が集まり、かつもっとも油断している深夜や朝方などの時間帯を狙う。数で劣る側が奇襲を掛ける場合や急を要する場合なら別だが、イースウェア軍に対してローズたちはとるに足らない寡兵であったことは言うまでもない。同様に普通の外遊者に偽装して審査を受けていたローズたちを捕らえるのに夜を待てないほど急ぐ理由も思い浮かばない。
「いいえ」
「貴女はどうです、少佐」
同じくスカーレットが「いいえ」と答えるとラフレーズ将軍は口元に手を当てて少しの間黙考する。
「では、なぜ正体がバレたのか、ということに関しては?」
これにもローズとスカーレットは「いいえ」と答えるしかない。
「では、なぜ少佐が頼った商家さえたった二日で露見したか、については?」
宿に捕吏が踏み込んだときスカーレットは帰ってきたカルメルと入れ替わりに食事に出ていて一度は難を逃れたらしい。その後で、ローズとは別の非常手段として用意していたラフレーズ家ゆかりの商家に逃げ込んだが結局ローズたちが夕闇の城を脱出したその日に探り当てられ、捕らえられたということだ。
「それに関しては推測ですが、私が王女の安否を確かめるために動かしてもらった家人から怪しまれたと可能性があります」
それ以外にも「なぜスカーレットだけが囮として使われたのか?」をはじめとしていくつかラフレーズ将軍は質問を続けた。
「どの答えも憶測でしかありませんが、これ以上は考えても答えはでないでしょうね。わかりました。商家には軍とラフレーズ家からも補償しておきましょう」
ラフレーズ将軍の言葉に覚悟していた叱責を免れてスカーレットが小さく息を吐く。軍務である以上軍から何らかの補償があるのは当然だが、大切な伝手の一つを潰してしまったことに変わりはない。
そして、そのまま深く息を吸うと、ラフレーズ将軍が退室を許可する前にスカーレットが決然として口を開いた。
「報告を終えましたところで将軍に、ではなく、ラフレーズ家当主に聞いていただきたい話があるのですがよろしいでしょうか?」
中央軍王都駐留師団および王宮警護旅団を束ねるラフレーズ将軍にではなく、ラフレーズ家の当主としてカマローサ・ラフレーズに対する話。スカーレットの言葉の意味を素早く理解したラフレーズ将軍は一度頷くと副官を退室させた。
「職務中に当主としての私に、というだけの話なのですね?」
「はい。私は今申し込まれている縁談を断わり、ラズワルド准将のお誘いを受けて西方軍へ転属したいと考えています」
ラフレーズ将軍の――いやラフレーズ家当主カマローサの目が武人としての輝きから、権勢家としての輝きへと変わり、ローズへと移る。
「ラズワルド准将、建て前の口上は結構です。本音を聞かせて頂きたい。ラフレーズ家としても決して軽くない縁談を断らせてまでこの娘が貴女に必要なのですか?」
「はい」
一瞬、権勢家としてのカマローサの敵意や殺意とはまったく別種の気合いに気圧されそうになったが、なんとか気圧されることなくローズは毅然と答えた。
「何の後ろ盾もない庶民出の若輩者である私が将軍としてやっていく上で、国の中枢近くで育ち、旧貴族たちの考え方を知り、政治的な思考をできるスカーレットは得難い人材です。それに何より多くの戦友を失った私にとって信頼できる仲間は一人でも多く必要です」
答え終えた後も数十秒カマローサは視線でローズの言葉が本音かを計り、ローズは視線でそれを示した。
そして、本心であると納得すると視線を切り、瞼を閉じたまま背もたれに体を預けて司令部の天井をふり仰いだ。しばらくして、ようやく顔を下ろすとスカーレットに向けて問いかける。
「スカーレット、貴女はその決断の意味するところをわかっているのですね?」
「もちろんです、母上」
「ラズワルド准将に誘われたからではないのですね? 貴女自身に縁談を断ってまで軍人であり続けたい理由があるのですか?」
「あります」
「どんな理由ですか?」
「私が騎士としてまだ半人前だからです。志半ばで退役するわけにはまいりません」
スカーレットが志の詳細をはぐらかして答えたことにカマローサはやや不満げに眉をひそめたが、その言葉に嘘がないことを見抜いてか、あるいは知っていたのか、問い詰めることなくあきらめの息を吐く。
「いいでしょう。縁談を断る件、西方軍転属の件ともに了解しました。ラズワルド准将、不出来な娘ですが、よろしくお願いします」
「ありがとうございます」
「少し、娘と話したいので外してください」
カマローサの頼みを聞いてローズが礼をとって回れ右をして退室しようとしたところに背後から声がかかる。
「ああ、ラズワルド准将。宿はお決まり?」
「軍の宿舎か系列の宿に泊まろうかと思っております」
ローズの答えに、どうしようもない、というふうに母娘がそろって苦笑する。
「今の時期の王都は民間の宿はもちろん、軍、政府関係もどこもいっぱいですよ」
「軍の施設もですか?」
カマローサの――というより王都の事情を知る者からの言葉にローズがオウム返し気味に問い返す。
「各国の要人をお招きして警備を強化している時期です。王都駐留の師団以外からも人を集めていますし、家族や友人を呼んでいる兵もおりますから軍関係の施設はいっぱいです。政府の方も似たようなものです。いくら将官の権限でも前夜では空き室を作るのは無理ですよ」
「自分は相部屋でも構いませんので……」
相部屋でも安部屋でもいいならば将官の権限なら軍関係の施設には確実に泊まれる。もともと数か月前まで相部屋生活をしていたローズはそれでもかまわないと考えていた。
「ですけど、それですと王宮に入るのに手間ですよ。我が屋敷にお泊まりになって下さいな」
確かに王宮までの距離を考えると王都の宿といちいち往復するのはかなりの手間になる。それを考えると申し出は嬉しいが、
「遠慮はなさらないでください。娘を助けて頂いたお礼もしたいことですし、ぜひ」
葛藤しかけたところを見抜かれて即座に追い討ちをかけられては断りようがない。
「…………ではお言葉に甘えてお世話になります」
そう答えて今度こそローズは退室した。
中央軍司令室の分厚い扉が静かに閉まるのを確認してからカマローサがスカーレットに告げる。
「スカーレット、王族の方ではないとはいえ主と仰ぐなら誠心誠意尽くしなさい。教えられること、助けになれることを黙ったままというのは不誠実ですよ」
「ジョアのことならちゃんと……」
「そうではありません。ラズワルド准将のあの様子から察するにこれから彼女が抱えることになる問題を教えていないのではないですか?」
「…………はい」
確かに、友人というと少し違う気もするが、これまでの関係もあってローズに対して主としての認識がまだ薄いことはスカーレット自身自覚していたが、
「ですが、それはローズが見抜くべきことでは?」
「主と定めたなら計るような真似はおよしなさい」
反駁気味に問い返したスカーレットを静かだが、有無を言わせぬ強い口調で窘める。
「ちょうど建国記念祭に合わせて一族も集まっています。この意味はわかりますね?」
「………………………………はい」
「私はラフレーズ家の当主として、貴女たちの母親として、ラズワルド准将とはまったく縁のない第三者として容赦するつもりはありません」
「…………わかりました」
ローズは司令官執務室の前の廊下を少し進んだところでスカーレットを待っていた。スカーレットと目が合うと何も言わず、着いてこい、とでもいうように先を歩き出し、スカーレットも黙ってそれに従った。
「ラフレーズ家当主は私に何を見せるつもりだ?」
馬車に乗り込み、他人の耳目の懸念が無くなったところでようやくローズが口を開いた。
「そのままよ。貴女に六百年にわたって政治軍事の中枢で生き延びてきたラフレーズ家を見せるということよ」
そう答えながら、ふとあることに気づく。
ローズにラフレーズ家滞在を勧めるということは政争の一端を見せるということ。ラフレーズ家当主として「容赦するつもりはない」といいながら、娘を預ける将軍に、あるいはスカーレット自身に贈り物とも言える機会を与えている。母親の愛と厳しさを一度に感じてスカーレットが苦笑する。
スカーレットが勝手に自己完結して苦笑している様子を見てローズが怪訝に眉をひそめる。
「つまり、今夜ラフレーズ家の名家としての一面を見せるということか?」
「ええ、そう。もっと具体的に言えば母様は今夜次期当主にアンナ姉様を指名して、同時にベル姉様を廃嫡するでしょうね」
実の姉が廃される、と平然と告げたスカーレットに対してローズの方が動揺する。
「ベルルージュ殿が!? アナタではなくて?」
王族との縁談を断るというこの上ない失礼な行為をさせてしまう以上、もしかしたらスカーレットが家を追い出されるかも知れない、とローズは考えていた。しかし、スカーレットではなくこのタイミングでベルルージュの方が廃される意味がローズにはわからない。
「ローズもベル姉様のことは覚えているわね?」
「あの光景はなかなか忘れられないな」
直接のかかわりは無いに等しい。スカーレットやヴィクトール、マーガレットから伝え聞いただけでどんな人物かもよく知らない。姿を見たことさえ数える程度。しかも、最後に姿を見たのは七年前、士官学校二年生の時のことだ。しかし、そのときの光景は今でも鮮明に思い出すことができる。
「あの一件で王都に帰ってしまったベル姉様を待っていたのが近衛騎士からの追放だったことくらいは聞いてるでしょう。近衛騎士が追放されるとどうなるかも前に話したわよね?」
スカーレットの確認にローズが頷く。
後宮に立ち入れる、王族の側にあっても帯剣できるなど数々の――それこそ将軍ですら許されないような特権を持つ近衛騎士が追放されることは大変不名誉なことだ。騎士が称号であった時代は打ち首にされる方がマシというほどだったそうだ。そして、現在のルディア軍でも近衛騎士の追放は事実上、軍からの追放と同義だ。
「近衛騎士から追放されることは不名誉この上ないわ。もともと家名や名誉を重んじる性格だったベル姉様には一層辛かったでしょうね。軍を追われて、縁談も全部取り下げられて…………それでも母様はベル姉様を廃さなかった」
王子たちと歳の離れていたベルルージュが公妾として召し上げられる可能性は低く、長女ということもあって跡継ぎとして有力だった、ということはローズも聞いていた。
「母様としてはベル姉様に追い討ちをかけるような真似をできなかったんでしょうね。だけど、姉様にとってはそれが最後のプライドの拠り所になったの。以来、姉様は家督を継ぐことに最後の希望を繋ぐみたいに力を注いできた」
話しの雲行きが怪しくなってきた。何しろ軍で業績を上げることも、婚姻による姻戚関係も望めない以上できることは限られる。
「まさか…………ベルルージュ殿は貴族派か?」
憂鬱な面持ちで問うローズにスカーレットが頷く。
「そ。軍を追われ、縁談のなくなった姉様が当主に座る相応しいと示すには商いか政しかないからね。商売なんてしたことの無い姉様が選んだのは政の道だったってわけ。強い発言力を持つラフレーズ家の直系、しかも長子が追放されて政治方面で人脈を欲して飛び回れば貴族派がほっとくはずがないでしょ」
「しかし、ラフレーズ家は中立の家柄じゃなかった?」
「ええ、王族の盾となるべき近衛騎士の家系としてラフレーズ家は公妾を輩出したときを除いて基本的に継承争いには関わらずにきた。そのラフレーズ家の考えからすると微妙なところだけど母様はベル姉様の暗躍に目を瞑ってきた。縁談も私が断わり続けてたから実害はなかったしね。でも、マーガレットの輿入れ話が持ち上がって母様は決断を余儀なくされた」
スカーレットは特例措置で士官学校を経ずに近衛騎士抜擢されたため、引き受け先がなければ軍を辞めざるを得ない。まして、王子の妃ともなれば軍務など続けられるはずがない。
「母様はベル姉様を追い詰めたくなくて私に婚姻を勧めた。でも、私が縁談を断ることを決意した以上ラフレーズ家は継承争いには与するわけにはいかない。つまり、貴族派と親密になり継承争いの渦中にラフレーズ家を引き込みかねないベル姉様を当主候補として留めておくわけにはいかなくなったの」
「……家のために家族でも切って捨てる、というわけか」
「そう。だから、ベル姉様は貴女を敵視するわよ、ローズ。母様が貴女を屋敷に招いたのはベル姉様が敵になるってことを正しく認識させるためって意味もあるわ」
「廃嫡される原因となれば恨まれても当然……か。最初から敵を作ってしまうとはな」
一度諦めの息を吐くとローズは覚悟を決めた。
もともとヴィクトールに近しい庶民出のローズが貴族派に快く思われているはずもない。貴族派の大物であるオーリュトモス親子の失態を糧にするように英雄になった経緯もある。その上、今回のスカーレットの引き抜きで貴族派がラフレーズ家を取り込もうとするのを妨害する形になればどのみち敵対せざるを得ないのは明白だ。
避けて通れないなら少しでも備えなくてはならない。
「……付け焼刃でもないよりはいい。スカーレット、貴族の力関係や派閥などできる限りでいい、教えてくれ」
そこから王宮に着くまでの間馬車の中でスカーレット教官による旧貴族の主だった名前や派閥、力関係などに関する講義が行われた。




