第二章 後輩
帰国して一夜明けたこの日、ローズはクレプスケールの内街にある軍の図書館に来ていた。建国記念祭を間近に控えたこの時期はルディア王国中どこへ行ってもお祭り状態で賑やかなものだが、さすがに図書館の中は静かだ。そんな静かな図書館の片隅に陣取ってローズは目の前に本の砦を築いて読書にふけっていた。
ヴィクトールとモルゲンュテルン元帥ら、それにスカーレットは今朝早くに飛竜で王都へ向けて発ったが、アルコンティアのいるローズは急ぐ必要はない。何しろ飛竜を乗り継いでも数日を要する道のりもアルコンティアなら数時間で駆け抜けられるのだから、ヴィクトールたちが王都到着予定のその日に発ったとしても追い越すことも可能だ。
いるなら仕事をしろ、とヴァイオレットなら言いそうなものだが、一か月も留守にしていたのだ。仕事をやるといっても引き継ぎだけで一手間なのに、すぐにまた留守にするとなれば引き継ぐのもバカバカしい。
『お疲れでしょうから今日明日くらいはお休みになって下さってかまいません』
というヴァイオレットの優しさに甘んじたローズは朝スカーレットたちを見送り、長旅で疲れただろうアルコンティアに感謝の印にブラシをかけて労った後、こうして図書館に来て調べ物をしているのだ。
「姉様! 他にもそれらしい本持ってきましたぁー」
図書館ではお静かに、というルールを無視して人気のない図書館で大声をあげるエバーにため息を漏らし、注意と礼を両方言おうと顔をあげたが、
ベシャッ
という音がローズの視線がエバーの顔を捕らえるより早く耳に届いた。そちらを見ると、積み重ねた本を抱え、雑巾の仮面を被ったプラチナブロンドの少女の姿が目に映った。
「図書館ではお静かに願います」
静かにそう注意した声には聞き覚えがあった。さらに首を捻ると予想通りの人物が立っていたが、その名前をローズが口にする前に雑巾を投げつけられたエバーがキレた。両手で抱えていた本をドサドサと落として濡れた犬のようにブルブル頭を振って雑巾を吹き飛ばし、怒声を上げようとしたが、
「何すモガッ」
「お・し・ず・かに願います、ゴールド先輩。それともまだ十秒と経ってない注意をもう忘れたんですか?」
しかし、エバーの怒声が言い終わる前に雑巾を投げ飛ばした少女が今度ははたきをエバーの口に突っ込んで黙らせる。これがレイピアなら、と昔何度思ったことか。
「相変わらず図書館でだけは見事な腕ね、ノワ。剣術もそれくらいやってくれるといいんだけど。あと、私も謝るから許してあげて」
「お久しぶりです、ラズワルド先輩」
静かにそう答えながらローズに向き直るついでにはたきをエバーから引き抜き、ノワ・トレナールがぺこりと頭を下げる。
「ゴホ、ゲホ、エェッ、ゲエェッ! オエェッ!! アンタ……」
「静かにしないともう一度同じ目に遭わせますよ」
涙目でえづきながらどうにか呼吸を整え再び食ってかかろうとするエバーにノワが唾液に塗れたはたきを突きつけて脅す。
「表出なさい! 身の程を教えてやるから」
「止めなさい、エバー。今のは館内で大声出したアナタにも非があるんだから。ノワもやりすぎ、口頭で注意すれば済む話でしょ」
「でも、姉様!」
興奮して再び声を張り上げるエバーをローズが視線で、ノワがはたきを突きつけて黙らせる。
「~~~姉様、この運痴女のことご存知なんですか?」
「それはこっちのセリフです。ラズワルド先輩、なんでこのバカを連れて歩いてるんです。犬の代わりにしたって趣味が悪すぎます」
「誰が犬の代わりよッ!」
「エバー、いい加減しろ! ノワもいつからそんなに口が悪くなった?」
「先に人を運痴呼ばわりしたのはゴールド先輩です。それに質問の答えになってません」
ノワの毒舌と生意気な態度にエバーが怒りに震えるが、ローズの前だからか、それともはたきが怖いのか何も言い返さず黙って耐えている。
「ああ、どういう知り合いか、だったな。ノワは私が五年の時に演習で監督した一年生の一人だ、その縁でね。エバーは数か月前から私の旅団の隊員だ。今日は長期任務明けの休暇なのにわざわざ私の調べものに付き合ってくれてる」
前半をエバーに、後半をノワに向けてローズが答えると、エバーが得意そうに笑い、ノワが嫌そうに顔をしかめる。
「ええぇ~、ゴールド先輩が部隊でも先輩になるんですか?」
「はぁ!? 何ってんの、アンタみたいな運痴が卒業できるわけないでしょ!? っていうか卒業したってウチの旅団に配属されるとは限んないし」
確かに通常なら誰がどこに配属されるかはわからない。まして、人手不足で来年の徴兵で新たな旅団を編成するのは間違いないからローズ麾下の第二旅団に来る可能性はゼロに近いのだが、
「ゴールド先輩はホントにバカですね。部隊を率いる各将軍には士官学校の卒業生を指名して自分の部隊に配属させることができるの知らないんですか?」
「バカはアンタよ、姉様がアンタなんか指名するはずないでしょ!!」
「ご心配なく、もうラズワルド先輩からは指名をいただいてます」
ウソですよね!? とエバーが驚きと否定してくれという願いを込めた視線で問うが、
「ああ、本当だ」
エバーがこの世の終わり、とでもいうようなオーバーリアクションでショックを表わす。
旅団以上の部隊を率いる将軍には親族以外ならば自分の傘下に入る士官を選ぶ権限がある。もとは、元貴族の子弟がお互いに指名することで出世を容易にし、派閥を大きくするために作った悪習なのだが、一刻も早く、一人でも多く信頼できる有能な部下が欲しいローズとしては悪習と知っても活用しない手はなかった。しかし、
「ノワ、エバーも言ってたけどアナタちゃんと卒業できるんでしょうね?」
「え……ええっ……まあ……なんとか…………頑張ります」
歯切れ悪く答えるノワを見て立ち直ったエバーが、ザマーミロ、と表情だけで嘲笑う。
しかし、ノワはエバーには見向きもしないで話題を逸らすためにエバーの落とした本を拾い始めた。
「でも、ラズワルド先輩が図書館に何の御用なんですか? ……ってあれ? 『ルディアの歴史』、『七族の大遠征』、『神聖ディシギイロース帝国の崩壊の真実』、『ルディアのすべて』なんですこれ? 全部歴史の本じゃないですか?」
一般開放もしているし、隣接する士官学校の学生が勉強に使うことも多いが、この図書館は軍の図書館だ。奥には閲覧制限のある資料もある。将官ともなれば執務に必要な資料がここにしかないこともあるので何か重要な書類を調べに来たとでも思ったのだろう。
「ああ、ちょっと気になることがあるんで歴史の勉強……というか調べ物をな」
先日、スカーレットを助けるために飛び込んだ闘技会での戦いで剣を交えた魔女の少女はローズにこう言い放った。
『お前たちさえいなければ師匠が隷属の首輪を広める必要も、こんなに苦しむ必要もなかったんだッ!!』
まるで奴隷制度をルディア王国の所為で作らざるを得なかったかのような言い様。それだけなら敵国に対する敵意を植え付けるために教育したとも取れるが、直後に彼女の師であり、奴隷制度を支える張本人であるゴールズワージーが言った。
『歴史を築くのはその時代に生きた者すべてだが、記すのはごく一部の者、というくらいじゃ。ニコラの言ったことが気になるなら自分の目と耳で調べるといい』
前半だけならゴールズワージーの言葉は自分たちが敵意を植え付けた少女に対する慙愧の言葉とも解釈できる。しかし、『気になるなら自分の目と耳で調べるといい』という言葉はルディア王国の側にも何か隠された事実があるように聞こえてならなかった。
それが気になって仕方なかったので歴史書の中でもできるだけマイナーで、書庫で埃を被っている類のものを引っ張り出して読み比べようと考えたのだ。
「……輩、先輩?」
「ああ、済まない。なあ、ノワ『歴史を築くのはその時代に生きた者すべてだが、記すのはごく一部の者』という言葉を聞いてどう思う?」
「えっ? そうですね、まあ勝者が自分に都合のいいように脚色して敗者を悪しざまに書いたり、都合の悪い事実を書かなかったりするっていう意味だと思いますけど」
「やはり、聞こえるか」
ルディア王国の歴史は初代国王がグリフィンを従え、争い合う小国をまとめて大王国の礎を築いた華々しいものから始まる。ローズ自身も経験しているが英雄の伝説など尾ひれがつき、美化されるもの。ましてや建国の祖ともなれば埋もれてしまった、あるいは意図して埋めた事実の一つ二つあることは当然だろう。
しかし、埋もれた真実をどうやって探りあってたらいいのか? 歴史の専門家ではないローズには皆目見当がつかない。
「何を考えてるのかお話してくださったら知恵を貸せますけど……」
「そうだな、ノワが入隊してまだ解決してなかったら相談に乗ってもらうことにする」
ローズがそう答えるとノワはガックリと項垂れ「がんばります」と答えた。
図書館の一般開放時間終了まで歴史書を読みあさったローズとその手伝いをして半日を潰してしまったエバー、トラブルの時には居合わせなかったが同じく手伝いをしてくれたクーシェ、それに司書の当番を終えたノワも加えた四人で夕方の街を歩いていた。
「一日付き合わせちゃって悪かったわね」
「ひへ、ほうへひょうは……ング……午前は辞令受取りに司令部に顔出さなきゃでしたし、ハグ……ほへにほんはにほごっへもはっへまふひ」
答えたクーシェの滑舌が前半と後半で悪いのは歩きながら買った巨大バゲットサンドを頬張ったからだ。まるでリスのように頬を膨らませていることを考えれば、むしろここまで発音できたことの方が驚きかもしれない。
「ふぁんへふは?」
「それ……食べきれるか?」
クーシェの両手には現在進行形で短くなっているもの以外にもう一つ巨大バゲットサンドがあり、さらにハムやチーズなどの軽食系クレープ各種にフライドポテトなど揚げ物各種と道すがら見つけた屋台の食べ物が大量に抱えられている。
「ふぉんくふぁいへんはいへふ(こんくらい前菜です)」
何を言ったのかわからなかったがとりあえずローズが「そうか」と頷くとクーシェはまたバゲットサンドを齧りはじめた。
四人で歩いているはずなのにクーシェしか答えない理由は言うまでもない。
「ところでエバーとノワはどういう仲なの?」
もう、止めるのもバカらしいので放置しているのだがローズたちの少し後ろで二人は今もいがみ合っている。
「ング……あぁ~四、五年の合同演習で一緒の陣営だったんですよ。エバーが私たちの方の指揮官だったんですけど、トレナールがエバーの指揮にいろいろ意見してケンカになっちゃってもう滅茶苦茶。それでも結局エバーの指揮で動いたんですけど、エバーも冷静さを欠いてましたし、あの子の小隊がミスしたこともあって大敗北。『ワザとだ!』ってもうエバーがカンカンに怒っちゃって」
なるほど、と頷きながら少しローズは頭を痛めた。
エバーには今後は小隊を任せて少しずつ出世の機会を与え、いずれは大隊を任せるつもりでいた。状況判断力のあるエバーの資質は隊長向きだと思っていたからだ。しかし、部下の進言を受け入れられないというのは部隊を率いる者にとっては致命的。護衛任務でもマリにやたらと突っかかっていたし、年齢や階級が下の者を見下すようなら早めに注意して改めさせなければならない。
「他にもそういうことはあった?」
できるだけ何気ない調子で尋ねる。
「う~~~ん、そうですねえ。演習で先輩に真っ向から意見する後輩も少ないですし、演習自体けっこうマニュアルっていうかパターン決まってますから他にはなかったかなぁ」
(……クーシェは自分のことを肉体派だと考えてる所為か積極的に意見を言わないけどちゃんと見てるし、考え方も論理立てていて悪くない)
そう考えて、ふとクーシェに自分を、エバーにミエルを重ねてみると、自分の考えは逆のようにも思えた。
(クーシェに隊長を任せてエバーを補佐に着けた方がいい? う~ん、でもそれにはクーシェにまずリーダーシップを持ってもらわなきゃ……でも、任せてみれば身に付く、か?)
やって覚えることもある、とは思う。しかし、
(でも、エバーと二人でいるとクーシェは押しが弱いというか、エバーに譲る傾向があるからな……)
少し悩んでから、別の角度でもう一つクーシェに問いかける。
「アナタはノワをどう思ってるの?」
「ふぇ? ……ゴクン、そうですねえ。私基本エバーと一緒ですし、そうするとアレ何で」
っといって後ろを少し振り返る。視線の先には今も歩きながらくだらない口ゲンカを続けているエバーとノワがいる。
「私的には別に……まあ、フツーかな?」
そうか、とローズが頷くとクーシェは二本目のバゲットサンドを齧り始める。
(ノワが入ることを前提にするならやはりクーシェか……いや、しかし、スカーレットが来てくれれば多少ゆとりもできるだろうし、最初から決めつけないでいろいろ試すか)
とりあえずそう結論付けてローズもクレープを頬張った。




