第一章 帰還
マーガレットとともに黄昏の城を背にして一か月と少ししか経たないのに妙に懐かしく感じるものだ、とアルコンティアの背の上でローズは感慨に耽っていたが、
――やっと着いたな
鬱陶しそうにぼやくアルコンティアの言い様にローズは苦笑する。
ローズの感覚では、もう、と表現すべきだ。何しろブルトルマン帝国の帝都ブルートアイゼンを経ってまだ五日しか経っていないのだ。馬でも普通に進めば半月以上かかる道のりをわずか五日で来られたのはブルトルマン帝国軍の計らいで最速の飛竜を乗り継いで昼夜を問わずに飛んできたからだ。
だが、アルコンティアがぼやくのもわかる。アルコンティアの脚力ならばそれこそ一日あれば帰国できたのだから。遅い同行者に合わせて進むのが煩わしいのはわからなくもないが、それでは同行者を置き去りにしてしまう。
帝国領内では上空をほとんど休みなく飛んでいる面々を尻目にファーデンでシュテフィ、ファルカ姉妹らを尋ねるなど半ば観光しながら足並みを合わせてきたが、獣人の支配地域に足を踏み入れてからは野営予定地で獣人の襲撃に煩わされながらの待ち時間である。
本来なら現状もローズが単騎先行してしまっている状況なのだが、
「ここまでくれば待つ必要もないだろう」
当然だ、とばかりに首をブルリと振ると前脚で勢いよく地を蹴り、クレプスケールの甕城である門前街の城壁へと軽々と跳び乗る。
「准将ッ! ちゃんと門から入ってください!!」
着地とほぼ同時に飛んできた懐かしくも煩わしい叱責に思わずローズの眉間にシワが寄る。
「一月ぶりに会う上官をいきなり怒鳴りつけるのはお前くらいだろうな」
「上官なら怒鳴りつけられるようなことはなさらないでください」
軽口で返したローズにため息交じりに応じるのは麾下のヴァイオレット・ティリアン大佐だ。普段なら城壁の歩哨の指揮など大佐である彼女が直々に執ることはないが、今日に限っては大佐クラスが指揮をしていても何ら不思議ではない。
「すまない、以後気を付ける」
「そうしてください。それでお連れの方々は?」
「もうすぐ来る。何しろ地上から上空を飛ぶ飛竜に足並みを合わせるのは難しくてな。私はこのまま司令に報告にいくからここは任せる」
了解しました、と律儀に敬礼するヴァイオレットにローズが笑顔で応じたのと同時にアルコンティアが城壁を蹴って内側の門前街の大通りへと飛び降りた。
「少数での長期任務ご苦労だったな、ローズ」
真っ先に向かった司令官執務室で報告を聞き終えるとヴィクトールがローズを労う。
「マーガレットはどんな様子だった?」
「ちゃんと王女……いや、次期皇后としてしっかりと役目をこなしていたよ」
ブルートアイゼンに着いてすぐに宮廷に迎え入れられたマーガレットの姿をローズが最後に見たのは次期皇帝を決定するために選帝諸侯やブルトルマン帝国の政治、軍事の高官らが一同に会した席でのことだった。
「議場に列席した私をチラリとも見てくれなかったのが少し寂しかったくらいだ」
本来なら他国の将軍であるローズが同席できるような場ではなかったのだからいるとすら思わなかったのかもしれない。ローズが次期皇帝を決定する場に同席できたのはヴィクトールから受け取った書状によって大使としての役目を担ったからだ。
「あいつが次期皇后としての最初の役割をこなしたところで次はお前が将軍としての役割をこなさないとな」
「まるで私が将軍としての役割をこなしていないみたいな言い草だな」
癪に障るセリフにローズが眉根を寄せてヴィクトールを睨みつける。
「そう怖い顔するなよ。別にお前が将軍らしくないなんてつもりで言ったんじゃない。護衛任務を全うして、大使としての役目も果たしてくれたんだからな」
おどけた調子で両手を挙げてローズをなだめたヴィクトールだったが、続く言葉で口調をガラリと真剣なものに変えた。
「だが、将軍として任務以外にやらなきゃならんことがある。お前も王都に来るんだ」
私が? とローズが少し驚く。
「私はてっきりまた司令官代理を任されるものとばかり思っていたが……」
「それは今回はサングリエに任せる。今年の祭りにはお前が王都にいくことは半ば義務でもあるからな」
ヴィクトールの発言の意味が理解できず、義務? とローズがオウム返しに尋ねる。
「建国記念祭には各国の王侯貴族や有力者を招いていることは知っているな?」
もちろん、とローズは首肯する。
何しろブルトルマン帝国の次期皇帝が指名される席に同席した理由こそ友好の証として十年ぶりにブルトルマン帝国の関係者を――次期皇帝を招くという役目のためだったのだから。
「西方はイースウェア以外ブルトルマン以北の国ばかりだから招いた国は少ないが、大陸中央部の諸国は大半招いている。たった四か月しか経ってなくとも東方にもマーナガルムの騒乱は伝わっている。当然、『戦場の青き薔薇』の話もな。救国の英雄、ユニコーンを駆る騎士、それだけの知名度のある存在は国の威信を示す意味でも参加してもらわなければならない」
仰々しい名前にローズが小さく呻くと、ヴィクトールが可笑しそうに笑う。
「まあ、国に飼われている犬としては飼い主の見栄張りの愛犬自慢に付き合うのも仕事の内と諦めるんだな」
明らかに反応を見て楽しんでいるヴィクトールをねめつけながらローズは観念した。
尾ひれがついて勝手に泳ぎ回る噂の真実はともかく、確かに英雄と呼ばれる将軍を各国の有力者が集まる場で紹介したいという考えは理解できた。むしろ、言われるまでそのことに思い至らなかったことが問題だ。自分がどれだけ政治というものに疎いのか、と改めてローズは痛感した。
「それにこれはお前にとっても中央や諸外国に人脈を築くいい機会だ」
「…………なるほど、中央はもちろんのこと地方の高官も多く集まる席は確かに国内外に人脈を築くチャンスだな」
そういうことだ、とすぐに理解したローズを見てヴィクトールが満足そうに笑う。
将官には王宮で開かれるパーティーへの参加権利があることはローズも知っていたし、人脈づくりも大切だとドゥムジョ教官にも忠告されたからいずれは参加するつもりであった。
しかし、西方軍は現在著しい人手不足である。そして、個人の問題としては任務とはいえ一月以上も編成したばかりの旅団を空けてしまった。おまけに王子としてヴィクトールが司令部を空けることが確実であった。
それら諸々の問題を鑑みて今年の参加は見送るつもりでいたのだが、
「………………どの道スカーレットの転属手続きも必要だったし、将軍をやっていくためには王都は避けられない道、ということか」
闘技会から救出したあとホイレーフェンへ向かう船の中で『助けられた恩もあるし、貴女の麾下に入ってあげる』とスカーレットは旅の前に伝えた申し出を受けてくれた。だが、彼女の軍籍はまだ中央軍にある。普通なら人事部へ書面を出せばいいのだが元々特殊な入隊をしているので出向く必要がある。
「まずはそのラフレーズ少佐の移動が最初の難関だな」
スカーレットを麾下に加えるということにさして驚いた様子も見せずヴィクトール可笑しさ五割、真面目さ五割といったふうな口調で告げた。まるでお手並み拝見といった感じだがまたしても意味が分からずローズの頭上に疑問符が浮かぶ。
「? どういう意味だ?」
「なんだ? ラフレーズ少佐からは何も聞いてないのか?」
「スカーレットからはお母上にこれを機に退役して縁談を受けるように言われている、とは聞いているが……」
「クククッ……クハハハハハハハハー……少し会わない内にラフレーズ少佐はずいぶんと食わせ者になったもんだな」
ヴィクトールの笑い方と言い様にまるで道化にでもされた気分になる。ローズはなんとか怒鳴りたい衝動を堪えて笑いの発作が治まるを辛抱強く待った。ヴィクトールの笑いがようやく止まったのは一分は経ってからだった。
「で? 何が問題なんだ?」
「ああ、ラフレーズ少佐に求婚しているのはジョアシャンだってことだな」
もうすぐ、とローズは言ったが、置いてけぼりにしたスカーレットたちとモルゲンュテルン元帥らがクレプスケールに到着したのは夕陽が地平線に半分近く沈んだころだった。昨夜の野営地がクレプスケールから見て牙の城とほとんど変わらない距離だったのだから少し考えればわかることだが、アルコンティアのおかげでスピード感覚が完全に常識とかけ離れてしまったローズはそのことを失念していた。
到着したモルゲンュテルン元帥を諸将そろって出迎えにいったとき、もうすぐ、というローズの言葉を信じて待っていたヴァイオレットは眉間が限界まで狭まり、眉が一本に繋がって見えるほどご立腹だった。
が、スカーレットを見据えてほとんど他に視線を向けなかったローズはヴァイオレットの不機嫌には気がつかなかった。
「ようこそ、ルディア王国へ。お初にお目にかかります、モルゲンュテルン閣下。若輩ながらルディア王国軍西方軍司令の任を受けておりますヴィクトール・ルグリフィスです」
「丁寧なあいさつ痛み入ります。次期皇帝として帝国を代表して参りました、ブルトルマン帝国軍元帥アーダルベルト・モルゲンュテルンです」
ヴィクトールとモルゲンュテルン元帥が西方軍司令官と元帥にして次期皇帝として丁寧な挨拶を交わして手を握り合う。
「明日からはまた王都へ向けて数日急ぎ旅になります。せめて今夜は我が屋敷で旅の疲れを癒して下さい」
ヴィクトールに伴われてモルゲンュテルン元帥と付き人がその場を去ると多くの将官もそれに合わせて三々五々に散って行った。
「緊張したぁ~~~」
ローズとヴァイオレットら同じ部隊の顔ぶれだけになるとエバーはペタリと腰を抜かして座り込んでしまった。新米士官が王女の護衛任務に続いて他国の次期皇帝の案内という大役を課せられればプレッシャーは相当のものだったろう。エバーの情けなくも可愛げのある姿にヴァイオレットの眉も少し緩む。
「ご苦労様でした、ゴールド少尉。ソレイユ少尉も楽にしていいですよ」
ヴァイオレットの口からめずらしく叱責ではなく、労いの言葉を聞いてエバーとクーシェが軽く驚き、次いで聞き返す。
「少尉?」
「ええ、王女の護衛任務を果たしたのですから一階級の昇進くらい当然でしょう。正式な辞令は明日渡すことになりますが二人とも昇進しました」
「や……」
「やったぁーっ!」
とエバーとクーシェが手を取りあって喜び合う。
新米の二人にとってはクロチェスター撤退を生き延び駐留軍としての責務を果たしただけでも昇進に値するだろう、とローズは思う。しかし、今まで実戦が少なく、昇進の査定基準だけは厳しいルディア軍では生還しただけで昇進することはできなかった。
「それじゃ、お祝いに今日は私の奢りだ。ヴィオラ二人を連れて先にこの店に行ってくれ」
一足先に帰還して二人の昇進を知ったローズがお祝いのために予約したレストランの名前と通りを記したメモを差し出す。ヴァイオレットは少し言いたいことがありそうに眉をひそめたが、ローズが真剣な目をしているのを見ると不満を飲みこんでメモを受け取り、二人を引っ張ってその場を去った。
二人だけになりしばらくローズとスカーレットは睨み合いと見つめ合いの中間のような強い眼差しを交差させていた。
「ヴィクトールから聞いたぞ」
「ジョアのことね」
沈黙を破ってローズが追及するとスカーレットは誤魔化すことなく即座に認めた。
「なんで黙ってた?」
「言ったら何か変わった? ローズは信頼できる人手が欲しい。私は受け入れてくれる将軍を探していた。利害が一致している以上多少害が増えても結果は変わらなかったんじゃない?」
確かに人手は欲しかった。スカーレットはあらゆる意味で信頼できる人物で、しかも名家の生まれである彼女は中央とのコネから政治のやり方から社交、ローズに欠けている多くの物を持っている。替えの効かない人材だ、結果は同じだったかもしれない。しかし、
「だからと言って黙っていていい程度の小さな害じゃないだろ!」
第三王子ジョアシャンは貴族派が推している王子として西方軍でも知られている。その第三王子の求婚理由が王宮で影響力のあり、未だ貴族派に与していないラフレーズ家を取り込むためということくらい政治に疎いローズでもすぐにわかる。
「……そうね。これでジョアは当分ラフレーズ家を味方にできなくなった。お母様は私に婚姻を勧めたけどそれは私の年齢とベル姉様のことを考えればこそ。別にジョアに味方するつもりで勧めたわけじゃない」
ラフレーズ家の現当主カマローサは中立を貫いている。年齢差に目を瞑って長女のベルルージュを妃に迎えるという手もある。しかし、“騎士堕ち”の彼女は妃に相応しくない。第二王子付きのアンナマリアは論外。現状ラフレーズ家を味方に付けるためにはベルルージュを当主に据えるか、スカーレットを妃に迎え、婚姻という繋がりを得るかの二択しかなかったのだ。
「でも、だからこそ最初に言わなかったのよ、ローズ」
「何?」
「貴女を計っていたのよ。名家ラフレーズ家の当主であるお母様が勧めるような婚姻よ? 少し考えれば王子とまではいわなくても相手が大物である可能性は気づくし、そうでなければ将軍として渡り合っていくには足りない。旅が終わるまでにそのことに気づかなければ少なくとも今の貴女に私を受け入れるだけの力がないことになる」
スカーレットの厳しい言葉にグッと言葉を飲む。
確かに気付くことさえできないようではジョアシャン王子を妨害してスカーレットを受け入れることはできない。受け入れてもすぐにローズの方が貴族派に潰されることになる。
「私にアナタを受け入れるだけの政治力がないと思うならなぜ私の申し出を受けたの?」
隠していた理由についてはぐうの音も出ないほどに論破されたが、ならばこそ政治力無しの烙印を押した相手の麾下に加わると言った理由がわからない。
「貴女の幸運? 強運? それに巻き込まれたからかしら」
「? どういう……」
「まあ、ジョア関してだけは私が直接立ち回ってあげる。貴族派全体に関しても助けてあげるけど貴女も精進してよね。さあ、話が済んだなら行きましょ。早く追いつかないと三人ともお腹空かせて待ってるわよ?」
ローズには真似できない女らしい色気を含んだ調子でそう告げるとローズの問いは無視してヴァイオレットたちが消えた方へ向けてさっさと歩きだした。
一方、モルゲンュテルン元帥らブルトルマン帝国の一行を屋敷に迎えたヴィクトールは一足早く戦いの火蓋を切っていた。
「まさか、閣下自らお越しになるとは思いませんでしたよ」
会食を進めながら世間話程度の軽い調子で切りだした。
「おや? ラズワルド准将から聞いた話では建国記念祭に招かれたのは次期皇帝だったはずですが?」
「もちろんです。ですが、指名されたばかりでご多忙でしょう? 代理に他の元帥か高官の方がお越しになるとばかり予想しておりました」
お互い丁寧だ。王族と次期皇帝と言うことを考えれば慇懃尾籠ということもないだろう。しかし、向かい合う二人の丁寧さはどこか刺々しい。
「たしかに多忙です。ですが、私を無理に排斥することで利を得る者は少ない。陛下もご健在ですし、ブランケンハイム宰相ら内政官がおりますれば障りはありません」
同席しているのはヴィクトールの副官二人とモルゲンュテルン元帥、その護衛を兼ねるブルトルマン帝国の代表五人だけ。モルゲンュテルン元帥の答えで完結してしまった会話を無理につなげようとする者はいない。
すべてのコース料理を終えたところでようやくヴィクトールが再び口を開いた。
「いかがでしたか? 御口に合いましたか?」
「素晴らしかったです。旅の疲れが吹き飛びました」
「それはよかった。ツァールトリヒト殿の感嘆ぶりが記憶にあるものですから、お気に召さなかったのではないか、と正直不安だったのです」
「彼は少年のように正直ですから、ね。しかし、彼でなくとも我が国の人間……いいえ、西方の人間なら誰もがルディアの繁栄ぶりには驚くでしょう。私どもの反応が乏しかったのは単に旅の疲れでしょう」
「では、すぐに寝室へ案内させます」
そう言われてしまえばそれ以上引き留めるほどの話のタネもないヴィクトールにはそう答える以外に選択肢はなかった。
「どう思う?」
例のメイドにモルゲンュテルン元帥らを案内させ、残った副官二人にヴィクトールが問う。
「ツァールトリヒト殿とは真逆の印象です。会話の応酬から相手の手の内を引き出しそうと試みる彼に対してモルゲンュテルン元帥はガッチリとガードを固め、全く隙がありません。斬り込む隙も無い代わりにあちらからも斬り込めない」
ルメートル大尉がそう答えるとドーバートン少佐も頷く。
「私もそう思います。ただ、ツァールトリヒト殿は和平交渉をスムーズに進めるために少しでも早くカードを切る必要があったのに対してモルゲンュテルン殿は表向き急ぐ理由なく、王都を見据えてカードを温存しているだけ、とも」
「逃げるが勝ちという言葉のいい例だな。今日はまったく収穫なしでこちらの負けだ」
ヴィクトールにはそれが不気味でもあった。
ヴィクトールは今までのモルゲンュテルン元帥の戦いから彼を専守防衛で相手の隙をうかがう護りの人ではなく、攻撃が最大の防御という原理の攻めの人と予測していた。それが閉じた貝ように口を噤んで動きを見せない。まるで自分の知らない搦め手から攻められているのにそれに気がついていないようで気味が悪かった。
「どう思う?」
わずかな時間をおいて寝室に案内されたモルゲンュテルン元帥も同じように部下に問いかけていた。
「ほとんど会話らしい会話もできなかったので判断材料が少ないですが……無理に攻めず、それでも、さりげなくツァールトリヒトを引き合いに出すことで閣下のプライドを擽り、会話に引きずり出そうという話術。政治力――少なくとも交渉術は確かなものと思われます」
「お前もそう思うか、シュトラウス」
苦笑気味にモルゲンュテルン元帥が問うとシュトラウスと呼ばれた男が首肯する。今回ついてきた五人の中で唯一剣の腕前ではなく、舌鋒と知略の人間であるシュトラウスの政治的な判断力と人を見る目を信頼しているモルゲンュテルン元帥は重々しく頷く。
「腕の方も相当立つと思います」
代わって五人の中で唯一の女が評価する。
「ほう、ヒルデが認めることも希だな、勝てそうか?」
「一対一でも三割ほどかと」
この評価にわずかにモルゲンュテルン元帥が顔をしかめる。
ヒルデと呼ばれた女はローズとさほど変わらない年齢だろう。鋭くも美しい目鼻立ちはそれだけで印象的だが、何より独特のグラデーションを奏でる美しい髪が目を惹く。絹糸のような銀髪が先に行くにしたがって赤みを帯びた輝きへと変わるその髪は血塗られた刃を思わせる。
「お前が?」
はい、とヒルデと呼ばれた女性は頷く。
モルゲンュテルン元帥の驚きはそれだけ彼女の腕に信頼を置いていることの証でもある。何しろ、モルゲンュテルン元帥麾下で随一の腕の持ち主だ。ブルトルマン軍全体でも彼女が自分より強いと評するのはヴォルフ元帥ただ一人。ルディア王国までの道中でもローズを見て「一対一なら七割方自分が勝つ」と言った。
「別に暗殺など企てる気はないが、それにしても付け入る隙のない男だな」
部下たちの手前表情には現さないが、平静を装った仮面の下でモルゲンュテルン元帥は苦虫を噛み潰していた。
(ツァールトリヒトといい、あの王子といい厄介なヤツが多い)
先の帝位継承を巡る政争ではツァールトリヒト元帥にいいように使われた。最終的に帝位を継承したのはモルゲンュテルン元帥だが、イースウェア公国とのつながりという弱みを握っているにも関わらず、ツァールトリヒト元帥はそれを使おうともしなかった。モルゲンュテルン元帥にしてみれば譲られたとしか思えない。
ヴィクトールに関しても十年前リスティッヒ元帥の手から逃がしてやった王子。愚かな遠征を阻止できなかった程度の力しかない若造の将軍としか思っていなかった。しかし、先にあいさつ口上を述べたヴィクトールは西方軍司令という肩書しか口にしなかった。
思い過ごし、考え過ぎなのかもしれない。しかしモルゲンュテルン元帥には「お前に助けられた王子でも、力無き一将軍でもない」と宣言されているように思えてならかった。武勇の第一王子と評されるヴィクトールでこれでは政治の第二王子と評されるアレクサンドルはなお御し難いだろう。
「アーダルベルト様?」
ヒルデが気づかうように呼ぶ声でモルゲンュテルン元帥は我に返った。
「第一王子が厄介な男であることはわかったが、ヤツ一人でルディアのすべてを掌握しているわけではない。むしろ、強敵難敵がいるとわかればやりがいがあるというものだ。そうであろう?」
モルゲンュテルン元帥の鼓舞に五人の従者が頷く。
「私が帝位に着くことで我らの構想は大きく前進する。そして、ルディアの方から更なる前進の機を与えてくれた。天は我に味方している。王都でさらなる前進をするためにも皆今日のところは休んで英気を養ってくれ」




