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ルディア戦記  作者: 足立葵
第二話「閨門の白い木春菊」
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第十四章 後手

 ローズたちがいよいよイースウェア公国入りしようとしていたちょうどその日の朝、迎え入れる側、ブルトルマン帝国でも一つの動きがあった。

「閣下」

 南東方面軍の司令部にして前線である三つ首の番犬要塞ドライ・ハルス・ヴァハフントブルクに戻っていたリスティッヒ元帥が執務のため登城するや否や部下が報告に来た。

「どうした?」

「昨夜遅くエールリヒ長官の身柄が警察拘束されたとの報せが帝都から届きました」

 もたらされた報告にリスティッヒ元帥は軽いため息を溢したが、特に慌てた様子はなかった。エールリヒ長官の講和条約締結の妨害行動はリスティッヒ元帥にとっても望ましい面もあったが、別段協力関係にあったわけでもなく、彼の捕縛が直接自分に飛び火することはない。

 しかし、腑に落ちない点があった。

「罪状は?」

 エールリヒ長官の妨害行動はリスティッヒ元帥の知る限り国務省長官としての権限の範囲でツァールトリヒト元帥の妨害をするものだった。煩わしくとも違法ではないため捕らえられることはない。加えて三長官の一人である彼を捕縛するには相応の証拠と罪状が必要になる。

「それが……秘密漏示罪だそうです」

 部下が口にした罪状にさすがのリスティッヒ元帥も自分の耳を疑った。

「…………秘密漏示罪……?」

 秘密漏示罪読んで字のごとく秘密を明かしてはならない他者他国へと漏洩することである。

「はい、エールリヒ長官がこの度のルディアとの和平に関して他国に漏洩しようと画策した疑いがあるとのことでございます」

 今回の和平に関して賛否はあれどすでに国家同士の条約として内諾されている。加えて帝国の南方量戦線を硬直させていた三竦みの形を崩す極めて重要な役目もある。この情報を他国――特に三竦みの残る一角イースウェア公国――にでも漏らそうものならば下手をすれば国家反逆罪や私戦陰謀罪などの罪にも問われかねない。しかし、

「そのような罪状容易く証明できるものではないはずだが?」

 エールリヒ長官は外交を担う国務省の長。職務で他国に送る文書の中には当然極秘情報を記したものもある。中にはまことしやかな情報をブラフとして送ったり、真実を虚偽の如く偽ってあえて流したりというような駆け引きもあるだろう。漏洩を図ったことが事実でもそれを把握し、捕縛まで漕ぎつけるのは難しい。

「そのはず……ですが、さすがに帝都でのことですのでそれ以上のことは……ただ、エールリヒ長官逮捕は警察の捜査力によるものではなく、何者かによる告発、および証拠の提出があったとのことです」

 そんなことは聞かなくても想像がつく。その何者かは十中八九ツァールトリヒト元帥だ。何しろ和平条約に関しての全権を委任されているのだ。例えエールリヒ長官が極秘扱いで漏洩を図ったとしても怪しんだ部下などがいればまず間違いなくツァールトリヒト元帥の元に告発しにいく。

(それにしても……あの手緩い男が秘密漏示罪ような立証の難しい罪状で捕縛にまで踏み切るとはな)

 正直、侮っていた、とリスティッヒ元帥はツァールトリヒト元帥の評価を改めた。長年張り合っていたヴォルフ元帥やかつては指揮下にいたこともあるモルゲンュテルン元帥のことは良く知っていたが、一度も関わりを持ったことの無いツァールトリヒト元帥に関しては良く知らなかった。若くして元帥に登ってきた実績から政治手腕や戦略、戦術指揮能力が高いことは推していたが、同時に若さと生来の気性ゆえその手法は正道、王道に偏り、邪道、外道を行うことはないと思っていた。

(それがまさかここまで強引に裏切り者を粛清しに来るとは)

 反対派が趨勢を握っている現状で反感を買いやすい強硬策に出るメリットは薄い。ツァールトリヒト元帥の性格も考慮すれば強硬策に打って出ることはないと踏んでいた。おそらくエールリヒ長官も同じような侮りが綻びとなったのだろう。そう考えるとリスティッヒ元帥もわずかに焦りが芽生える。

(スタリア地域に派遣した部隊を呼び戻すべきか?)

 マーナガルム覚醒の余波で騒がしい妖魔に対する備えと各地に軍が散ったことで悪化した治安の回復を名目に数少ない聖伐賛成派やルディア王国に対して恨みがあるなど今回の和平に反感を持つ兵だけで構成した部隊を派遣していた。

(………………いや、野盗郎党の類は野放しにしているが、買収したわけではない。妖魔討伐に消極的な姿勢も寡兵を理由に街の安全を第一に考えた堅実な策で通る。文句の一つ二つは言えてもそれを理由に更迭や配置換えは要求できまい)

 エールリヒ長官を落とした以上、次にツァールトリヒト元帥が狙ってくる――いや、すでに狙われているはずだ。その推測の元、現状の指揮につけ込まれる隙がないか、今後つけ込まれないためにはどう行動すべきか、リスティッヒ元帥の頭脳が目まぐるしく計算する。

(ならば全権大使としてルディア王国との連携のために配置換えを望んで来るか? ……いや、ツァールトリヒトはヴラドニアとの停戦協定と軍港建造の承諾を得たばかり。いくらなんでも素地も固まらぬ内では配置換えは望むまい)

「それともう一つ報告が……」

「何か!?」

 思考を遮られてわずかに苛立ちを帯びた声で聞き返す。

「今朝早くに当地のバルシュミーデ辺境伯が帝都へ向けて発たれました。また、各地の選帝侯諸侯も次々と帝都に向けて発っているとのことです」

「なっ……」

 帝位禅譲制という独自の統治者選定システムを持つブルトルマン帝国において通常次期皇帝は現皇帝の指名によって選ばれる。しかし、必ずしも皇帝の選択が正しいとは限らない。佞臣、奸臣がうまく取り入ることもあれば子はなくとも血縁者に帝位を継承させようとすることもある。また、後継者を選ぶ前に身罷ることもあり得る。そうした場合に備え、各地の地方政治を担う貴族の中から帝国への貢献、家柄、仁賢さなどを考慮して先代皇帝から選帝に関して意見を述べ、場合によっては皇帝の選択を覆す権利を与えられた選帝侯がいる。

(やら……れた……)

 現皇帝は健在。現状ではまだ後継者も指名していない。その状況で各地の選帝侯が集う理由など一つしかない。

(私を排する気か!!)

 せっかく手に入れた南東部の領地を大幅に減じ、南東方面軍の多くを戦死させ、傾国の危機を作ったリスティッヒ元帥から帝位継承権を剥奪すべきだという声はあった。しかし、危機は去ったこと、スタリア王国陥落など数多の功績があることなどを理由に皇帝は首を縦に振らなかった。しかし、選帝侯を招集しての会議の結果を持ってすれば皇帝が反対しようともリスティッヒ元帥から継承権を剥奪できる。

 立ち上がり、足早に執務室を後にする。

「どちらへ?」

「帝都へ向かう。選帝諸侯にお会いしなければならん」

 

「うまい手を思いついたものだな、ツァールトリヒト」

 同日、昼。帝都ブルートアイゼンにある中央司令部の廊下を歩いていたツァールトリヒト元帥は背後から呼び留められた。覇気に満ちた強気な声音の主に対していつも通りの微笑を浮かべて振り返る。

「これはモルゲンュテルン殿お久しぶりです。いつ帝都へ?」

 つき先ほどだ、と答え、ツカツカと歩み寄る。

「選帝侯は通常皇帝が後継者を選んだ後、その適性に異議を唱えるか、皇帝が後継者を指名せずに身罷った際に代理で選定するのみ。そうでなくば後継者候補が選帝諸侯を抱き込んでの覇権争いになりかねんからだ」

 歩み寄りながらツァールトリヒト元帥の打った手を解説していくモルゲンュテルン元帥。その口元は賞賛の微笑を湛えているが、目は決闘しているかのごとく鋭い眼光を放っている。

「ここまで誰もリスティッヒの継承権剥奪を唱えなかったのは陛下が過去の功績を鑑みて首を縦に振らなかったこともあるが、何より誰もが事実上ありえないと思っていた。仮に陛下がヤツ指名したとしてもその段で選帝侯が異議を唱えるだろうし、唱えなくば誰かが動かせばいい。しかし、貴公はその決断を今迫った」

「ええ、これ以上リスティッヒ殿が次期皇帝候補に名を連ねることは百害あって一利なしです。現に彼がスタリア地域に派遣した部隊は和平反対派や聖伐賛成派で占められ、各都市の防衛はしていますが、街道の妖魔鎮圧などは消極的。彼も継承の野望が潰えれば愚かな妨害行為を止め、民のために堅実な指揮を執るでしょう。それに彼というライオンがいなくなればエールリヒ長官ように皮をかぶるロバも現われなくなる。何しろついには和平のことを他国に流そうとしたそうですからこの辺で大々的に処罰しておかねば悪影響を及ぼします」

 なるほど、とモルゲンュテルン元帥が笑む。ツァールトリヒト元帥が聖伐反対派の頭目ならばリスティッヒ元帥は聖伐賛成派の筆頭。旗頭を倒せば積極的に和平の妨害に打って出ようとする愚か者はまずいない。

「それでエールリヒに漏示の濡れ衣を着せたわけか」

「濡れ衣ではなく事実だそうです。それと私が追及したわけでも追い落としたわけでもありません。勝手にボロをだして捕まったんです」

 ツァールトリヒト元帥の言葉にモルゲンュテルン元帥がわずかに眉をひそめる。

「貴公ではない?」

「ええ、私も彼の動向は見張っていたのですが如何せん国務省は私に対して非協力的でして……危うく後手に回って大事に至るところでした」

 ほう、と相槌を打って考え込むモルゲンュテルン元帥に「よろしくお願いします」礼を取り、ツァールトリヒト元帥は再び歩き出した。

「よろしいのですか?」

 廊下の角を曲がったところでツァールトリヒト元帥を待っていた副官が問う。

「懸念を一つ潰せたというのに心配性ですね」

「当然です。エールリヒには危うく出し抜かれるところだったんですよ!?」

 寿命が縮んだと言わんばかりの部下の勢いに押されることもなく、そうですね、と柔らかく答える。

「さすがに昨日の一報を聞いたときは肝を冷やしましたし、情報が漏洩していないことが確認できるまでは冷や汗が止まりませんでしたよ」

 普段は無条件に信頼できるほどにツァールトリヒト元帥に心酔している副官もこの時ばかりは笑顔を絶やさないで肝を冷やしたなどというツァールトリヒト元帥の言葉にうさん臭そうに眉をひそめた。

「疑ってますね?」

「肝を冷やしたにしては余裕そうですから」

 拗ねたように答えた副官に「過ぎたことですから」と笑顔で答える。

「ですが、こちらはこれからの問題です。……本当によろしいのですか?」

「言ったでしょう? 賽は投げられたら祈るだけですが、人は信用することが大切だ、と。こちらが疑ってかかれば信用を崩すようなものです。味方を信じ、敵を信じ、己が最善を尽くしてなおどうにもならないならそれは諦めるしかありません」

「敵も……ですか?」

 意外な言葉に副官が首を傾げる。

「ええ、敵がどういう人間か、どの程度の人間かを知っていれば次にどういう行動に出るか一定の信用がおけます。さあ、先手を取り続けるためにまだまだやらねばならないことがあります。当分は休みなしを覚悟してください」

 

 一方、モルゲンュテルン元帥は不快げに眉を寄せたまましばし立ち尽くしていた。

(ツァールトリヒトではない。……ならば誰が?)

 国務省の官吏たちがツァールトリヒト元帥に対して非協力的だった理由が単に長官の意向よるものならば良心ある官吏が証拠をそろえて警察に訴え出た可能性はある。

(だが、国務省の官吏の非協力姿勢は国務省の頭を超えて非武力による外交交渉を行うツァールトリヒトによるところもある。ならばいくらエールリヒが愚鈍な男でもこの件に関してはツァールトリヒトに反感を持つ者で固めて動いていたはず……)

 もちろん単なる妨害程度ならば加担できても国家の体勢に影響しかねない漏示にまで協力できないと裏切る――いや、表替える者も出てくるだろう。だが、

(別の可能性があることも頭の隅に留めておかねばな)

 密告者に関する思考がひと段落するとモルゲンュテルン元帥は自分の執務室へ向けて歩き出し、その思考を先ほどの会話から得られたもう一つの情報へと傾けた。

 

 ――危うく後手に回って大事に至るところでした

 

 ツァールトリヒト元帥が口にした何気ない一言。

 もちろん、単に和平条約の件が他国に知られることを“大事”と表現しただけかもしれない。

(しかし、そうでなかったら?)

 北方諸国にとってはブルトルマン帝国を介してのルディア王国からの食糧の流通が公認されるという利点がある反面、ブルトルマン帝国が兵糧の心配なく侵攻を行えるようになる危険が高まる。とはいえ、明確な害ではなく可能性の一つにすぎないし、小国諸国では大した妨害もできない。

(すると……関係があり、なおかつ妨害できうる位置にある国――イースウェア公国か)

 ブルトルマン帝国とルディア王国が手を取ることでもっとも危険に晒される両国共通の敵。加えてルディア王国からマーガレット姫一行がブルトルマン帝国に入るためにはどうしてもイースウェア公国の国境も近い牙の城(クロチェスター)近くを通ることになる。

(しかし、その程度ならばルディア王国も先刻承知のことのはず……“大事”というからにはもっと別の何かが……)

 ブルトルマン帝国南東は反対派の頭目リスティッヒ元帥の担当地域。さらには飛竜の大部隊による来訪を拒否されている。少数、ないしは陸路で獣人の牙城と化した牙の城(クロチェスター)近郊を抜けて、リスティッヒ元帥の統治地域に踏み入るのは危険すぎる。今のルディア王国西方軍は大敗戦の直後で人手がない。それらすべてを加味すれば一つの可能性が浮かび上がる。

(王女の一行はイースウェアを超えて来る!?)

 わずかに驚愕が顔に現われ、一拍置いて賞賛と嘲弄の入り混じる笑いが零れる。

「なるほど、今回の選帝侯召集はリスティッヒを排し、反対派の権勢を削ぐと同時に注意を引く一石二鳥でもあったわけか。良い手だ。そうと知らなければ手の打ちようがない」

 先達として上からのツァールトリヒト元帥の策謀家としての腕を高く評価した上で、だが、と心の中で付け加える。

(会話の端に解れた糸を晒してしまうとは……まだまだ甘い)

 嘲りながらも推測が真実であった場合に備えてどう行動するかに思考を傾けた瞬間、モルゲンュテルン元帥の眉間に皺が寄った。

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