第十五章 五日目――懺悔と泣き落とし
泊まる予定だった宿が捕吏に踏み込まれたという状況では、寝ろ、と言ったところで寝られるわけがない。それでも恐怖と動揺で疲労している精神を休めておかなければいざというとき動けなくなるのでマーガレットとエバー、クーシェを四つあるベッドにそれぞれ押し込み、無理矢理休ませた。
残る一つを情報収集に走り回ってくれたマリに譲ったローズは一人窓際の壁に背を預け、剣を抱いたまま周囲に気を配りつつ短く浅い眠りを断続的に繰り返すという草食動物のような睡眠をとっていた。意識が夢すら見ない程度に眠りの水面へと浅く沈み、すぐに現実へと浮上することを幾度となく繰り返しながら夜を過ごした。
「何で……」
窓の外から入ってくる光が星明りの心許ない微かなものから安心感を与えてくれる朝日の力強いものへと変わりはじめ、徐々に室内の様子がはっきり見えるようになってきたころマーガレットがボソリと呟いた。
「何で……………………………何も…………………言わないの?」
「この状況で眠れなかったからといって小言を言う気はない」
明るくなってきて……いや、その前から気配でマーガレットがベッドで横になることさえ止めて二段ベッドの下段で毛布を巻きつけたままうずくまっていたことは気づいていたが、それを咎めるつもりはなかった。
「……そうじゃないわよ」
「なら……おはよう、を忘れているということ?」
マーガレットの言いたいことがわかっていながらあえて素知らぬフリをするのは、少し意地が悪い、と自覚しつつもあえてマーガレットの望む答えを返さなかった。
「なんで……責めないの?」
「何についてだ?」
「………………ミエルを……巻き込んだこと……」
「責任を感じて己を責めている者を責めたところで意味はない」
成熟した大人同士ならいざ知らず、子どもの頃から付き合いでケンカの一つもしない人間関係はイエスマンの主従か、ケンカをするのもバカバカしい程度の薄っぺらな関係かのどちらかしかない。ローズもマーガレットと今までに一度や二度ではない回数のケンカをしている。その都度マーガレットが謝ったり、ローズが折れたりして仲直りしてきた。そうした諍いを乗り越えているからこそお互いに親友と呼べる間柄になっている。
しかし、今回勝手にミエルを連れてきたことに関してローズがマーガレットを許すことはできない。
「馬車では……あんなに怒ってたクセに……」
「『責めないの?』などと口にする人間を責めることは重荷を下ろしてやることになるだけだ。そんなことをするくらいなら、しっかり後悔させたままの方がよほどいい罰になる」
「…………ゴメン」
王女の彼女が自らの非を認める機会もその相手もほとんどいない。そのため、マーガレットは謝罪するということに関してひどく不慣れだ。だが、不慣れだからこそたった一言だけでも彼女の後悔と罪悪感は伝わって来る。しかし、
「謝る相手はわたしじゃない」
ローズの辛辣な言葉に、そうだね、と弱々しく頷く。
そう。今回マーガレットが謝罪すべき相手も、彼女の罪を許すか許さないかを裁決するのもローズではない。ローズにはその権利がない。
「……私…………謝れるかな」
誰に、とは言わない。
だが、ミエルに、ということはローズには伝わった。
「………………………………」
にもかかわらず、ローズはただ黙ることしかできなかった。
食事に出ていて難を逃れたり、あるいは捕吏に踏み込まれたときに何とか逃げおおせたりして無事な仲間がいる可能性はある。しかし、仮に誰かが逃げられたとしても今のミエルを連れて逃げてくれるとは思えないし、試みてくれたとしても逃げられた可能性は皆無に等しい。
「……ローズはこうなる危険性を予期してた。だから、ミエルを連れて来るのに反対した……そうよね?」
「それだけが理由だと思っているならもう一、二発引っ叩くぞ」
マーガレットの罪はミエルを晒す必要のない危険に晒したことだけではない。そのことを理解せずに連れてきたならばあまりに浅薄にすぎる。
「……トラウマと鎧……でしょ」
ミエルが心を病んだ理由の一つがおそらく――いや、あの時の狂乱を見るに間違いなく獣人にある。ミエルが語れる状態ではないから推測になるが撤退の途中で獣人たちの襲撃を受けたに違いない。
妖魔や獣人には異種と交わり、変化を速めることでより力のある仔を生そうとする習性がある。もちろん交配である以上近縁種としか成立しないため、獣人が異種と交わろうとするとその対象は必然的に人間になる。強い子孫を残そうとする習性はメスも同様だが自分が仔を生すに相応しい強い相手を選ぶメスは捕らえることが出来る程度の人間の男を選ぶことはないが、子種を残すことに必死なオスは相手の強さを図ったりしない。
男の兵士は殺され、女は繁殖牝人として攫われたに違いない。ミエル一人が逃げ延びることができたのは彼女の魔法鎧の特性によるものだろう。
だが、ミエルの命と尊厳を護った魔法鎧もまた彼女の心を損なった要因だ。魔法鎧は魔法効果を発動し続けるために使用者の気力を喰う。ただでさえ、逃避行で心身ともに削られたミエルが獣人から逃げる間中単身恐怖と戦いながら魔法効果を絶やさぬように一睡もせずにいたとしたら精神にかかった負荷は計り知れない。
「それをわかっていて連れてきたのか?」
ミエルの状況を理解していたのに連れてきた。理解していなければいないで許せなかっただろうが、理解していてなお連れてきたということに別の怒りが込み上げて来る。
「だって……放っとけないよ」
「放っとくべきだったんだ。除隊されても時間を掛ければミエルは立ち直れたはずだ」
「ローズならわかってくれると思ったのに」
無感情な声で吐き捨てるように告げられた一言に一瞬怒りに血が沸騰しかけた。
「……ずっと……」
しかし、怒りに突き動かされるままにわずかに腰を浮かせたとき、やはり無感情な声でマーガレットがポツリと呟いた一言が沸騰石のようにローズの怒りが爆発するのを食い止めた。
「ずっと覚めない悪夢にうなされるような……あの状況がどれだけ辛いか」
「悪……夢?」
虚を突かれたローズの怒りが急速に冷め、平静に引き戻され、同時にマーガレットが口にしたその単語が妙に気になって繰り返した。しかし、一体何が気になっているのかはわからなかった。
「ミエルを見たときなんでかわからない……けどわかったの、十年前の私と同じなんだ、って。だから、見てられなかった。あの状態がどれだけ辛いか私は知ってるもの」
座り直して静かに続く言葉に耳を傾ける。
「ローズの言う通り時間を掛ければミエルは悪夢から覚めるかもしれない……けど友達が苦しんでるのを放っとけるわけないじゃない。これから行く先で友達を救い出せるって聞いたらなおさら。無理矢理連れてきたのは悪いと思った。でも、……あの時ローズが私したことと同じ荒療治だって、ミエルのためなんだって思って。ローズあの時のこと覚えてる?」
「ああ」
もう、十年も前のことなのにあのときのことは思い出そうとすれば鮮明に記憶の水面に浮かび上がる。
祖父は熊型妖魔の巣穴で氷づけにされて見つかった。庭番小屋でその報せを聞いた私はショックだったが、同時に心のどこかで覚悟もできていた。何しろ祖父がいなくなって丸二日以上が立ち、その間には妖魔を目の当たりにしていたのだ。あの氷の爪で凍らされたら火崗岩の防寒着でもひとたまりもないことは子どもの頭でもわかっていた。しばらく考えてから屋敷にいった。
『春まで庭番を続けさせてください』
春になったら街へ降りればいいと思った。ルディアでは十一歳まで職につけないが、大きな街ならばアクティース教の教会があり、そこには必ず併設されている慈孱院という窮民救済施設がある。一年間はそこで世話になればいい。しかし、雪解けを待たず雪道を街まで子どもの脚で進むのは無理だ。
『そんなこと。心配せずとも子どもを放り出したりしません。春になったら街まで連れていってあげます。それより夕食は済ませましたか?』
意識すれば空腹で腹がシクシク痛みを覚えるほどだった。半ば強引に執事に連れられて調理場でスープを振る舞わられた。私がスープの皿をカラにするのを待って執事が切り出した。
『秋に頼んだ話を覚えていますか?』
少し記憶を掘り起してから、
『お嬢様の話相手……ですか?』
私が覚えていたことに執事は満足げに頷いた。
『でも……私なんかじゃ……ラフレーズの方が……』
『いいえ、貴女の方が適任です。なぜなら、今の貴女はお嬢様の痛みと同じような痛みを味わったばかりなのですから』
そして、執事からマーガレットが心を病んだ理由が友であり、婚約者でもある少年を亡くしたためと聞いて私は――
「あのときローズってばいきなり私を叩いたのよね」
「ああ」
子ども心に頭に来たのだ、ただ友を失っただけで半年以上も何もせずに塞ぎ込んでいるお嬢様に。塞ぎ込んでいられる幸せに甘えていることに。確かに辛いことだが、事故や病気などで近しい者を亡くす者はごまんといる。なのに、マーガレットはたった一人友を失っただけで半年も塞ぎ込んでいた。だから、マーガレットの部屋に入るなり一発引っ叩いた。
『家族や友だち、大切な人を亡くした人は大勢いる! アンタだけいつまでそうやってるつもりなのッ!!』
ほとんど叩かれたことなど無い王女は食らわせた一発と浴びせた怒声で少しだけ目が覚めたのだろう。久しぶりに声を出したためかすれるような声だったがそれでもしっかりと聞き取れる声で言い返してきた。
『アナタに……何がわかるの!? 大切な人を亡くした辛さの何がわかるのよ!?』
『わかるわよ! 私のお祖父ちゃんも今日死体が見つかった』
怯むことなく切り返した私の言葉にマーガレットは一度は反論の言葉を喉に詰まらせたが、
『でも……でも、アナタには大切な人を見捨てて生き延びたことがどれだけ苦しいかわからないでしょ?』
言い返せまい、というふうにマーガレットは暗く、歪んだ自虐的な笑みを浮かべた。しかし、私はその言葉に全く動じなかった。
『だから何!? 大切な人を犠牲にして生き延びたのにボーっとして無駄に過ごすんだ? それでその人が喜ぶの!?』
その言葉を聞いてマーガレットは視線を逸らした。それに構わず畳みかけて――
「あのとき、ローズが言ったじゃない『その人を見捨てたことが辛いんなら、その犠牲の分以上に生きて助ける側になればいい』って」
だから、と繋げたマーガレット声が涙で濁る。
「……だから、今度は私が二人を助ける番だって思ったのに……ミエルは捕まっちゃうし、ローズには辛い思いをさせちゃうし……てんでダメね、私」
「二人? 私も?」
思いがけない言葉につい反応してしまった。射し込む陽射しが明るくなるのと反比例して濃くなる窓下の影の中でわずかに視線を上げる。ミエルを助けるという意味は分かる。しかし、マーガレットが自分を助けるために何をしたのか理解できなかった。
「うん。だって信頼できる仲間がローズ一人でいなくて孤軍奮闘してたんでしょ?」
「なんでそのことを?」
「ミエルのお見舞いについて来てって頼んだとき兄上が『ラフレーズじゃダメなのか』なんていうから問い詰めて聞き出したの」
心の中で、アイツめ、とその兄上ことヴィクトールに二重の意味で舌打ちする。何しろヴィクトールはローズの置かれた状況を知っていながら、気まぐれで余計な仕事まで回したこともある。そのクセ自分のことを棚上げしてマーガレットに余計な気遣いをさせていたとは。
「何?」
「それに…………その……ローズって…………自分がスゴイんだって自覚してないじゃない? だから……周りにも自分と同じレベルを要求するクセがあるでしょ?」
マーガレットは慎重に選んだのだろうが、この言葉に両側の二段ベッドの上でエバーとクーシェが居心地悪そうに身じろぐ気配がして、同時にドゥムジョ教官の忠告が再生された。
『お前さんもほどほどにな』
あの鬼教官がそう告げた時、部隊の隊員たちは皆死屍累々の惨状だった。そして、あの扱きはサングリエ将軍の補佐が続いた間ほぼ毎日繰り返された。おそらく、知らない内にエバーやクーシェがローズの訓練が厳しすぎるとでも愚痴を溢していたのだろう。根性のある二人でそうならおそらく他の兵士たちの不平不満はもっと溜まっていたに違いない。
「前なら厳しくし過ぎなときはミエルがフォローしてたじゃない。なのにミエルがいないからローズの緩衝材になってくれる人がいないみたいだったから、早くミエルが復帰しないときっとローズの周り下も上も敵だらけになっちゃうんじゃないかって心配だったの」
上も、というからには中央の高官たちのローズに関する陰口でも聞いていたのだろう。ヴィクトールに「マーガレットの捌け口になってくれ」と頼まれておきながら、捌け口になるどころか要らぬ心配を抱かせていたのでは本末転倒もいいところだ。
「…………知らない内にずいぶん心配をかけたみたいね」
他に返す言葉もなく、深く息吐きながら告げたローズの言葉に、よかった、とマーガレットが破顔一笑する。
「何がよかったのよ?」
「ローズが許してくれて」
マーガレットの行動を勝手としか解釈せず、考えを浅薄と決めつけ、自分の未熟さを気づかってくれていた親友の優しさに気づけなかった。その上、その優しさを知ってなおも冷淡に接するのは恥ずべき行為だ。
もちろん、ミエルを連れきたことに関してマーガレットの考えを全面的に認める気はない。
しかし、心の内にあったわだかまりがほとんど消えていることも事実だった。
「許すなんて言った覚えないけど?」
だからと言って手に取るように心境の変化を読まれていることをすんなり認めるのは癪だったので言い返したが、
「ウソ。さっきと今で口調が全然違うじゃない」
憑き物が落ちたように屈託なく笑いながら切り返された。
「まったく……敵わないわね」
苦笑しながら、この優しい親友を敵の手に落とすなど絶対にさせない、と使命感に決意を上乗せして再度心に誓う。そして、そのためにはどうやって彼女を逃がすべきか、と考えを巡らせはじめたローズの思考の変化を読み取ったようにタイミングよくマーガレットが問う。
「何を考えてるの?」
鋭い、と内心で感心と同時に舌打ちをしつつ、
「もちろん、どうやってこの窮地を切り抜けるか、その一点よ」
「ウソ。どうやって私を逃がすか、を考えてるんでしょ?」
世継ぎとして帝王学をはじめ統治者としてのものの考え方を叩き込まれて育ったヴィクトールと違い、マーガレットは戦術的な考え方や政治的な考え方――誰かを犠牲にするような考えはしない。……いや、できない。そして、案の定マーガレットはその予測通りの言葉を口にした。
「ローズを犠牲にして私だけ逃げるなんて絶対イヤッ!」
「もう少し立場をわきまえてくれ。マーガレットを安全にブルトルマンに送り届ける。それが失敗しても最低限無事ルディアに帰す。それが任務だ」
あえて冷たく、突き放すような軍人然とした口調で告げる。
「それならローズも一緒でいいじゃない!」
「今私と共にいても危険が増すだけだ。昨日のマリの話をきいていただろう!?」
「ローズが手配されてるらしいってアレ?」
「ああ、そうだ」
昨夜、マリが走り回って集めてきてくれた情報によると一行の中で特に重要人物として捕吏が探しているのは「白い髪の女」ではなく、「青い髪の女戦士」ということらしい。理由は不明だが、ローズがルディア軍の現役の将校であるということがバレてそこから一行が身分を偽っていることが露見した可能性が高い。
「だが、幸い私以外は特徴らしい特徴もバレていないようだ。今なら……」
「絶対イヤッ!! 私のためにローズまで捕まるなんてダメ」
「何も捕まる必要はない囮になって敵の目を引くだけでいい」
そうすれば捕吏の目がローズに向いている間にマリの助けを借りることでマーガレットとエバー、クーシェだけなら脱出させることが十分に可能だ。
「そんなの同じよ! 一人で戦うなんて無茶よ」
「逆だ! 私一人なら一歩でも城壁の外に出ればアルの助けを借りて敵を引きつけた上で振り切れる」
「アタシもその作戦は反対だなあ」
二人の話声で目が覚めてしまったのかマリが会話に割って入ってきた。
「きっとローチ将軍は城門を閉めてローズたちを探すよ? 今は北門からの往来はほとんどないから結構な間北門は閉めておける。いくら敵の目がローズに集まってもたった四人……実質三人で城門破りなんてムリだよ」
一口に城塞都市といっても城門の数は街の成り立ちや街道の通り方、住民のニーズによって変わる。城門の数が多ければその分敵の注意も分散し突破できる可能性も高くなるが、残念ながら夕闇の城は国内に通じる南門と国外に通じる北門の二門しかない。
その上樹海のただ中にあり、前線でもあるこの街の城門はおそらく何らかの錬金鋼製。加えて結界まで張られていては例えアルコンティアの力を借りたとしても閉ざされた門を力尽くで突破することは難しい。
マリの懸念は当然だが、ローズは軽く笑みすら浮かべる。
「北は閉ざされるだろうが南はどうだ?」
樹海のただ中に孤立している夕闇の城は生産性が皆無だ。人の来ない北門は閉ざしておけても、食糧物資の搬入は必要だ。それに通常に比べれば少ないだろうがこの街に留まっている商人、旅人は相当数いる。南門はいつまでも閉めておけるものではない。
「南って…………まさかローズこのまま進ませる気なの?」
「リスク高すぎると思うよ?」
「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』というやつだ」
マリに向けた言葉だったがマーガレットがヒステリックに抗議する。
「虎穴!? 竜穴の間違いでしょッ!? 絶対無理よッ!!」
「ローチ将軍を虎とは……過大評価だな」
「言葉の絢よッ!! 茶化さないで!! ローズを囮にするってだけでも許容できないのに、子ども含めてたった四人で先に進め!? 冗談じゃないわ!!」
子どもというフレーズに反対のベッドで頭をあげていたマリが眉を吊り上げたが、マリがどれだけ腕が立つか知らないマーガレットにしてみれば致し方ないだろう。
「もちろん冗談じゃない。敵は私たちが撤退するか、この街に潜んでほとぼりが冷めるのを待つと考えるだろう。マリも言った通り北門は当分通れない。街に潜んでいても見つかるのは時間の問題だ。ならば敵の裏を掻いて先に進んだ方がよほど安全だ」
「なんでよ? じっとしてればいいじゃないこれだけ大きな街なのよ? 見つかりっこないわ。それに魔法で居場所がバレる心配もないんでしょ?」
マーガレットの視線を向けてマリが問いかけに答える。
「うん、平原とか森とか人気のないところならともかく人の大勢いる街中で特定の人物を魔法で探索するには相手の身体の一部がなきゃムリ」
「ホラ! 私たちの身体の一部なんて敵が持ってるわけないわ。ここでじっとほとぼりが冷めるのを待てば……」
「たしかに、私たちの誰も宿に腕や足を忘れてきてはいない。が、髪の一本まではそのかぎりではない」
望み通りの答えを得たマーガレットが勝ち誇ったように潜伏案を主張するが、それを遮り、マーガレットが目を逸らした危険性を言葉にして突きつける。
身体の一部、という触媒が髪の毛数本で足りるのかについては魔法が絶えて久しいルディア王国住人であるローズたちはもちろん傭兵ギルドのメンバーとして活動しているマリにも定かではない。今はまだマーガレットが一行の中にいることを知られていないようだが、捕まった仲間がいつまで口を鎖しておけるかわからない。もし知られれば宿にほとんど足を踏み入れていないローズとは違い、マーガレットの髪は馬車や宿の部屋から採集される危険がある。
「それに魔法で私たちの居所が割れる心配はないとしても、いつまでたっても私が捕まらないとなれば焦れてローラー作戦に出るだろう。宿を一軒一軒シラミ潰しに捜索されたらいくら宿の多いこの街でも見つかるのは時間の問題だ」
そう。わざわざ『青い髪の女戦士』を手配しているくらいなのだからどうあっても私だけはただでは逃げられない。もちろん、むざむざ捕まる気はない。しかし、戦って突破するせよ、何らかの策を講じるにせよ、危険を冒すならば我が身一つ。麾下であるエバー、クーシェも巻き込みたくはない。まして護衛対象であるマーガレットを巻き込むなど論外だ。
「さっきも言ったが私一人なら突破してアルと合流して逃げおおせることは十分可能だ。どうせその危険を冒すならば囮として有効に……」
淡々とした口調でエバーを論破しようとしたローズが言葉を切ったのは、突然マーガレットボロボロと泣き出したからだ。そればかりかマーガレットの突然の号泣にどうしたらいいかわからず狼狽しているローズに抱き縋った。
「お願い……止めて」
辛うじて絞りだされた声は抱きついていなければ聞こえないほど小さく震えていた。
「……マーガレット?」
「死んじゃうかもしれないんだよ」
「わかってないとでも思うの? 私はもちろん、ラフレーズも他のみんなもこの旅の危険性を理解して覚悟して臨んでたわ」
むせび泣くマーガレットの自分に比べて格段に華奢な肩に腕を回して抱きしめ、その白髪をやさしく手櫛で梳く。
「でも……だからって……」
「そうね。覚悟してたからって犠牲にしていいわけじないし、心を痛めるな、とは言わない。でも、それを気に病んで犠牲を無駄にしてはダメ。それは彼女たちに失礼よ」
厳しい現実をやさしく諭すローズの言葉にマーガレットは何も言わない。おそらく葛藤しているのだろう。肩を掴むマーガレットの指に心内の葛藤を伝えるように力が加わる。
「それに偶然だけどラフレーズの寛大な判断が貴女を護ったんだもの。きっと今頃牢の中で胸張ってふんぞり返ってるわよ」
気休めの冗談だが首元でむせび泣くマーガレットの泣き声にクスリと笑いが混じる。
「ミエルの件は擁護してあげられない。……けど、責任があるのは私も同じよ」
「ローズも……?」
「そもそもミエルがあんな風になってしまったのは二か月前私が立てた作戦の所為だもの。それに私が最後まで撤退を指揮していれば結果は違ったかもしれない」
「でも、それは……」
仕方のなかったこと、とでも擁護しようとしてくれたマーガレットの優しさ。少し聞きたい衝動に駆られる慰めの言葉だったが、今は向き合わなければならない現実を言葉にするために、それに、と語調を強めて遮り、
「手配の様子から見て我々が民間人でないとバレたのは私の所為である可能性が高い」
マーガレットが埋めていた顔をあげ、まさか、というふうな目つきで見つめてくる。
「もしかして……責任感じてるの?」
「…………」
「自分の所為でみんなが捕まったかもしれないから? だから、自分が捕まっても私を逃がすことで責任取ろうってそう考えてるのッ!?」
マーガレットの声が先ほどまでの弱々しい泣き声から怒気をはらんだヒステリックなものへと変わり激しく詰問する。
「可能性だけで責任を感じて自己犠牲を選択する気はないわ」
自分のミスという可能性は十分にありうる。しかし、ミスではないかもしれない。『戦場の青き薔薇』の噂はイースウェア公国にも流れているらしい。少数で危険地帯を乗り越えてルディアからやってきた不可思議な一団。その指揮官が青い髪だった憶測で動いただけという可能性も高い。
「だったら……」
「さっきも言ったでしょ。敵も私だけは見逃してくれない」
今度は逆にマーガレットを抱き寄せてワザとお互いの視界に互いの顔が入らないようにして勘のいい親友に表情を読まれないように小細工を弄する。
「後で必ず追いつく。だから、マリたちと脱出して目の前の危険から逃げて」
「……………………ローズが……命懸けで私を護ろうとしてくれてるのはわかった」
説得に成功した、と思ったのも束の間、
「だけど、囮になるなんて全然私のためじゃない。十年前はヘンドリック、昨日はミエルとスカーレット、近衛のみんな。その上ローズまで犠牲にするなんて耐えられない!! 私の最後のわがままだから……もう他のわがまま言わないから……勝手な行動もとらないから……だからお願い、私を一人にしないでッ! 私のために犠牲になるようなことしないで一緒に来て、ローズ!!」
別に「一人」という言葉はエバーとクーシェを軽視しているのではなく、不安の表れだろう。この精神状態でマーガレットを三人に託して逃がしたとしても不安が残る。せめてラフレーズがいれば無理やりにでも納得させられたが、エバーとクーシェの二人では納得していないマーガレットを引きずってこの先を進むのは無理だ、と無理矢理納得する。
「わかったわよ」
ため息を吐き、苦微笑を浮かべ、マーガレットの背を撫でながら優しく白旗をあげる。
「まさか……同性に泣き落とされるとは思わなかったわ」
マーガレットの嗚咽が治まるまでの間抱き合ったまま、背を撫で続けた。
ようやくマーガレットの嗚咽が治まり、伏せていた視線をあげると、マリにエバー、それにクーシェまでが二人に見入って――いや、魅入っていた、というべきか。何しろ恍惚とした表情でエバーに至っては顔を真っ赤にしているのだから。
何やら気恥ずかしくなり、コホン! と咳払で強引にその場の空気を変えようと試みる。
「さて、マーガレットの自称最後のわがままを聞き入れるとなれば別の作戦を考えなければならないわけだが――いつまで惚けてるつもりだ!?」
咳払いは全く効果をはっきせず、つい声を荒げてしまった。
「えっ? あ……いやあ、絵になるなあ、と思って……つい」
「ホント……私……姉様だったら抱かれてもいいかも……」
「まったく、何をバカなことを言ってるんだ」
場違いにものんきなことを言うマリとエバー(クーシェは顔を引っ込めただけだった)に嘆息するしかなかった。




