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ルディア戦記  作者: 足立葵
第二話「閨門の白い木春菊」
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第八章 出立前夜

 ヴィクトールと少し話して遅くなったローズが自分の執務室に戻るとクーシェとエバーがガチガチに固まりながらマーガレットの話相手をしているところだった。

「ローズ姉様!」

 ローズが戻ってきたことに真っ先に気がついたエバーが降り立った救いの神を呼ぶようにローズを呼んだが、王女の応対という緊張から解き放たれた安心感から司令部で使うべき「ラズワルド准将」ではなく、自宅で使う「ローズ姉様」で呼んでしまったことに気がついて慌てて口を覆う。

「ローズ……姉様?」

 ヴァイオレットでもいれば小言の一つ二つ三つ四つくらいはありそうなものだが、幸い今この場においてミスをしたと自覚しているエバーに小言を垂れる者はいなかった。代わりに、好奇の眼差しでマーガレットがローズを見つめる。

「ああ、この二人は先の戦乱で家財一式を失ってしまったから私の屋敷で同居しているの」

「なんでそれで姉様になるの?」

「自宅でまで准将だの閣下だのと堅苦しく呼ばれたくないからよ」

 なるほど、と納得したマーガレットはイタズラっぽい笑みを浮かべると、

「じゃあ私もマギー姉様でいいわよ」

 とエバーとクーシェに呼び方を指定するが、当の二人は王女をそんな馴れ馴れしい呼び方で呼ぶなど畏れ多いとブンブン首を振って遠慮している。

「あんまりからかわないであげてよ」

「あら? 二人も私の護衛に参加するんでしょ。だったら『姫様』や『王女様』なんて呼ばせるわけにはいかないでしょ?」

「なるほど……考えてなかったな」

 マーガレットの言葉にローズが納得してしまったのを見て王女を『マギー姉様』と呼ばされるのか、とエバーとクーシェの額に冷や汗が流れる。

「確かに誰に聞かれるとも限らないし、呼び方……できれば名前も誤魔化した方がいい……か? どう思う、ラフレーズ?」

 しかし、真剣に呼び方の問題について考えてしまったローズは二人の様子に気がつかず警護の専門家であるラフレーズ少佐に問いかけた。

「『王女』などと呼ぶのは愚行の極みですが、偽名までは必要ないかと。もちろんルグリフィスの名で宿をとるわけにもいきませんが、名前だけなら問題ないと思います」

「じゃあ、やっぱりマギー姉様で決ま……」

「ですがッ! そもそも護衛団の末席の二人に姫の名を頻繁に呼ばせるようなことはありません!! もし必要な場合でも偽装に合わせて『お嬢様』で通せばよいことです!」

 理屈の上でも的を得ていると言われてすかさず『マギー姉様』の呼称を定着させようとするマーガレットをラフレーズ少佐が声を張り上げて邪魔した。

「まったくスカーレットは融通が効かないんだから」

 マーガレットの鬱陶しげな声にラフレーズ少佐が眉間に皺を寄せたが、コンコン、とやたらと透るノックの音で頭に登りかけた血が一気に下がった。

「入れ」

「失礼します。お食事をお持ちしました」

 何故か食堂の給仕係ではなく、ヴィクトールの部屋にいるメイドが運んできた。

「だそうだ、ラフレーズ。空腹が満たされれば苛立ちも紛れる。食事にしよう」

 ローズに宥められたことが癪に障ったのか一瞬眉を吊り上げたが、先ほどの醜態をおもいだしたのか黙ってマーガレットの横に腰を下ろした。

 全員が座るのをまって手早く配膳し、メイドは退室した。

 配膳された食事は食堂で下士官たちの食べるものよりは豪華だが、それでも王族の食事とは比較にならない質素なものだが、

「久しぶりねえ、ここの食事」

 マーガレットの口から聞こえてきたのは不平ではなく純粋な懐古の言葉だった。

「そうね。もっとも士官学校のはこれより数段質素だったけどね」

 もちろん、ローズは毎日のように口にしているので軍の食事そのものは懐かしくなどないが、共有する思い出に浸るように頷いた。

「王女様は西方士官学校においでになったことがあるんですか?」

「ええ、ヴィクトール兄様が士官学校に通っている間、最初のころは私も郊外の邸宅で過ごしてたし、王都に呼び戻されてからもちょくちょく来てたから三年半前までこっちと王都を行き来して過ごしてたの。そのころよく遊びにいったのよ」

 失礼にならない程度に会話に入ってきたクーシェにマーガレットが事情を説明する。

「知りませんでした!」

「じゃあ、もしかしたら士官学校でニアミスしてたかもしれませんね」

 昨年まで士官学校に通っていたエバーとクーシェがどこかですれ違っていたかもしれない過去を思い出しながら驚く。

「でも私の姿は見てないと思うわよ」

「「なんでですか?」」

「マーガレットは人目につかずにどこでも忍び込めるし、どこへでも抜け出せるっていう泥棒みたいな特技を持ってるのよ」

「ちょっとローズ! 一国の王女を捕まえて泥棒はないでしょ!! せめて怪盗紳士……じゃなくって怪盗淑女って言ってよね」

「なんです、それ? どっちにしろ大差ないですよ、姫様」

 そのマーガレットの特技に散々手こずらされたラフレーズ少佐がため息交じりにツッコミを入れる。

「しかし、そうか……もう三年半も経つのね」

 その説明で「三年半」という時間の経過を示されてしみじみとローズが呟く。

「三年半を『もう』なんてローズおばあちゃんみたいよ」

「……失礼な」

 ローズにしてみれば軍に入隊し、牙の城(クロチェスター)に配属され、壁外の拠点で妖魔との戦いや攻め込んでくるブルトルマン帝国、イースウェア公国両軍との小競り合いに明け暮れ、忙しくもあっという間の三年半だったのだ。

「私は『まだ』三年半しか経ってないんだなあって思うわ」

 しかし、マーガレットは全く違ったらしい、少し声音が暗くなる。

「王都は退屈よ。王族が付き合いのあるのはみんな元貴族や富裕商人、官吏ばっかりで昼はお勉強と礼儀作法の練習、夜は社交界っていう名目のお見合いばっかりの同じような毎日の繰り返し。逃げ出せばうるさいお付きの近衛が連れ戻しに来るし……ローズが私の近衛になってくれたら少しはマシだったんだけどなぁ~」

 最後の一言を隣に座るラフレーズ少佐とローズへあてつけとして付け加える。

 元々山間部の小さな村で育ったローズが士官を志したのはマーガレットが「ローズが私の近衛騎士になって」と言ったことが発端なのだ。もっとも入学一年目で早くもヴィクトールとミエルの所為で護れない約束になってしまったのだが。こうして最後の最後に護衛団の隊長を務めることで辛うじて守れたとも言えなくはないが、後ろめたさから視線を逸らす。

 と、逸らした視線の先でラフレーズ少佐がローズを睨んでいた。マーガレットのこういう物言いが花園の守護者フローラルガルディエンヌとしてのラフレーズ少佐の誇りを傷つけ、使命感を逆撫でし、その結果、彼女の誇りが傲慢に、使命感が頑固さに変わり、事あるごとに比較されるローズへ向けられるのだが、マーガレット自身はそのことに気づいていない。

 しかし、ここでこれ以上マーガレットを愚痴らせるとせっかく気分転換も兼ねた食事が台無しになりそうだし、なにより明日から任務を共にするラフレーズ少佐の神経をこれ以上逆撫でするのも問題なので、

「貴女も大変ね、ラフレーズ」

 ラフレーズ少佐に同情してみせる。

「真面目に任務を遂行すればするほど主人から煙たがられてストレスのはけ口にされるなんて……それだけ心許されている証拠だろうけど…………私ではとても身が持たなかったわよ」

 聞き様によってはマーガレットとラフレーズ少佐両方を怒らせてしまいそうな言い草だが、前半のラフレーズ少佐への慰めとフォローを真摯に、最後の一言をマーガレットへ視線を向けながらからかい口調で告げることで両者の感情をうまく浮上させる。

「ちょっとそれ酷い! 私がいつスカーレットをストレス解消のはけ口にしたっていうの!?」

 マーガレットが、心許している、という点を否定しなかったことでラフレーズ少佐の眉間のしわが緩くなり、

「ええ、私以外では姫の舌鋒と奔放ぶりに三日と持たないでしょう」

「ちょっと、スカーレットまで……」

 少し、得意げに普段の仕返しをするラフレーズ少佐。マーガレットも普段やり込めている相手にまで反撃されて何も言い返せなくなってしまった。

「まったく私をなんだと思ってるのよ?」

「たまにはやりこめられるのもいい経験でしょ」

「…………………………………………」

 ムクれたマーガレットはフォークとナイフを投げ出し、背もたれに体を預けてしまった。

「怒らないでその退屈な王都の土産話でも聞かせてくれない?」

 それからお互いの三年半の間の出来事を語り合った。

 マーガレットの方は本人の申告の通り毎日礼儀作法や芸術の鑑賞、歌劇の観賞などが中心だったが、それ以外にも王宮を抜け出して市井に下りた話やそれを父王に咎められて七日七晩やり合ったという話などそれなりに退屈とは言えないものだった。

 むしろ、ローズの方が退屈な話だったかもしれない。何しろ前線に立つ軍人の日常はイコールで戦いだ。妖魔相手の戦闘など気持ちのいいものではないし、人相手の戦争ではなおのこと。

「へえ、刺激的な毎日ねえ」

 しかし、実際に血の臭いを嗅いだことのないマーガレットにとってはそれらも血生臭い話ではなく、刺激的な武勇伝に聞こえたらしい。あるいはこれこそ戦火に晒されたことのないルディア王国の国民の平和ボケの一面を代表した台詞なのかもしれない、とローズは思ったがここで注意すべきか否か一瞬考えてしまった。その間に、

「そんないいものではありませんよ」

「ちょっと、エバー」

 短い間とはいえ同じく牙の城(クロチェスター)に配属されていたエバーがマーガレットの軽率な発言を嗜め、それが出過ぎたこと、と心配したクーシェが声を顰めて注意する。

「いえ…………私が軽率だったわ。ごめんなさい」

「そうだな、エバーの言う通りだ」

 素直に反省し、謝るマーガレットに向けてエバーが間違っていないことを告げ、念のためフォローに入る。

「戦争なんて所詮命の奪い合い、私の言い方では武勇伝のように聞こえたかもしれないが軍人の功績も詰まる所命を奪った結果だ……褒められたものじゃない」

 ローズが戦争というものの陰惨さを明言すべく付け加えたが、

「准将がそれをいっても説得力ゼロなのでは?」

 クーシェにツッコまれて、意味が分からず見つめ返す。

「そうよね。敵国の国民、牙の城(クロチェスター)の住民、駐留兵、何万人もの命を救って英雄って呼ばれてるローズが言っても説得力ないわね」

 解説してくれたのはクーシェでなく、マーガレットだ。さきほどやりこめられた仕返しとばかりに嫌味な風味を効かせてくる。

「それは尾ひれのついた噂が勝手に泳ぎ回ってるだけよ。誇張して過大評価されているだけで実際に私ができたことなどほとんどないもの」

「謙遜も過ぎれば嫌味よ、『戦場の青き薔薇』さん」

「ほら、それだ」

 しつこく嫌味な口調で責め立てるマーガレットに顔をしかめる。

「そういう大仰な呼び名で呼ぶから過大評価されるんだ」

「なら、何があったのか全部話してよ。私ぜひ、人伝じゃなく、ローズから直接聞いてみたいと思っていたのよ」

 マーガレットに要求されただけでも回避しようは無いのだが、さらに、

「私も聞きたいです!」

「私も!」

 とクーシェとエバー同調したことで完全に逃げ道を失ってしまった。

「何? 貴女たち同じ家で暮らしてて聞いてなかったの?」

 呆れ顔で問うマーガレットに硬さもだいぶとれてきたエバーが、准将はお忙しいですから、と答える。

「これはどうしても話してもらわないとね」

 多少時間はかかるが塞ぎ込んでいたというマーガレットの気が少しでも晴れるならヴィクトールも大目に見てくれるだろう、と観念して小さくため息を溢してからブルトルマン帝国遠征出立から三つ首の番犬要塞ドライ・ハルス・ヴァハフントブルク攻略戦での敗戦を経てマーナガルムを鎮めたところまでを(蜘蛛の森(シュピンネヴァルト)をどんな惨状で彷徨い歩いたか、という一点を除いて)隠さず語ってきかせた。

 

 時間が流れるのは速い。

 気分転換の昼食を終えて、再開された会議で最後の打ち合わせを済ませて一月近く司令部を離れる前にできる限りの仕事を片付けたときにはすでに夕刻だった。

「ローズゥ~仕事終わったあ?」

 軽いノックとともに返事も待たずにマーガレットが執務室に入ってきた。

「終わりはしないけど、残りはヴィオラとサングリエ将軍に任せることにして行きましょう」

 そもそもいつも毎日の執務でさえこなすのがやっと(正確には滞っている)の現状で先の分の執務など終わるはずがない。あくまでやれるところまでやって罪悪感を感じない程度の気休めの意味しかない。

「……でも……その……いいの?」

 しかし、執務机の上の書類の山脈を見て同行を求めたマーガレットの方が罪悪感を覚えてしまった。

 司令官代行の任が解け、サングリエ将軍のサポートが無くなってからおよそ一か月。壁外のルート探索など通常業務以外の仕事も抱えたローズの机の上は再び書類の山脈ができていた。

「この山脈を切り崩すのは数時間では無理だから構わない」

「ローズって何でもできるようなイメージがあったけど事務仕事は苦手なのね」

「一応弁明しておくと、得手不得手で言えば不得手なのは間違いないけど、滞らせてしまうほどではないのよ。単に人手が足りないだけ」

 軽く驚くマーガレットに憮然として返す。

「やっぱり、ミエルがいないと大変なんだね」

「ああ」

 短く返して目的地へ向けて歩き出す。

 マーガレットがローズに同行を求めてわざわざ出立前夜に行きたいと言った場所――正しくは会っておきたいと望んだ相手は現在軍病院に入院中のミエルだ。

 ローズの士官学校時代、ちょくちょく遊びに来ていたマーガレットは必然ローズと寮が同室だったミエルとも面識があり、ミエルとも友情を結んでいた。

 マーガレットにとってはおそらくこれが最後の機会になるし、ローズにとっても一か月近く見舞うことができなくなるのだから今日は確実に会っておきたい。

 隣接する軍病院までの短い道のりはあっという間で、すぐに病室までついた。いつも通り三回ノックしてから数秒返事があることを期待してドアの前で待つ……が、やはり返事はない。

「入るぞ」

 病室に入るとすぐにベットに横たわるミエルの姿が視界に飛び込んでくる。昼夜を問わず窓から射し込む白光石アルブマイトの白い光が肉が削げ落ち、痩せこけたミエルの姿をはっきりと照らし出す。

「――――――――ッ」

「………………」

 ローズの後からついてきたマーガレットが一拍遅れてミエルの姿を見とめて息を飲むが、ミエルの表情には変化一つない。

 相変わらずの様子に話しかけることに躊躇いを覚えるが、今日は沈黙しているわけにはいかない。プレッシャーで粘つく唾液を飲みこみ、意を決して口を開く。

「ミエル、今日は私以外にも見舞い客が来てくれたぞ」

「ミエル、久しぶりね。元気そう……とは言えないけど最後に会えてよかったわ」

 身を反らし、マーガレットがミエルの視界に入るようにすると、多少ぎこちなくマーガレットが話しかける。

「私ね……嫁ぐことが決まったの。明日の早朝にはルディアを発つから貴女に会えるのはこれが最後になるかもしれないの」

「…………………………」

 相変わらずミエルに反応はない。

 しかし、独白するように。心の膿を吐き出すように。マーガレットは語り続ける。

「できれば結婚なんてしたくはなかった……もちろん王族として覚悟はしてたけど。ブルーエット姉上のように身を挺して母国の安泰のために努めるのが王族の女子として役割だもの……でも、ヘンドリックを想って十年も見合い話も縁組みも断り続けてきた代償かしら……私の嫁ぎ先、よりによってブルトルマン帝国なのよ…………しかも、おそらく相手はモルゲンュテルン元帥だろうって…………皮肉が効きすぎてて笑っちゃったわ。神様が本当にいるならきっとすごく性格悪いんだろうなって思わない? だって、モルゲンュテルン元帥はヘンドリックの仇そのものなのよ? その上、誰も反対してくれなかったの。父上もヴィクトール兄上もアレクサンドル兄上も誰もよ? もちろん、最初に聞いたときは私『絶対に嫌』って拒否したわ。でも、ダメだった……私一人が何言っても誰も聞いてくれなかった。『国の安寧のため』ってたった一言だけ。なんでだと思う? 私がどんなに嫌かみんな知ってるのに……どうせ婚姻って言ったって子どもを産む必要なんてない、ただの人質なのになんで私なのよ? シャーレイだってリリーだっているのに……一番ブルトルマン帝国のことが嫌いな私をなんでわざわざ……ヴィクトール兄上は私のこときっと庇ってくれると思った。だって兄上とヘンドリックは親友だったのよ! それのに…………ヴィクトール兄上ならきっとシャーレイやリリーに替えることだってできたわ。いいえ、それどころか時間さえかければきっと代替条件で講和を締結することだってできたはずなのよ。なのに…………なのに……ヴィクトール兄上も講和条約をすみやかに締結することを優先して………………私を見捨てたのよ」

 一度『嫁ぐ』という言葉を自分の口から発したからだろう、堰を切ったようにマーガレットの抑え込んでいた感情が言葉となって噴き出した。

 聞いているほうが辛くなるような悲嘆の叫びは必ずしも真実ではない。

 ヴィクトールは決してマーガレットを見捨てたわけではないし、いかに彼とて相手の講和条件を変えさせることなどできるはずがなかった。そんなことができるならもっと早くに、八万以上の将兵を犠牲にする前に和平への道があっただろう。

 しかし、今のマーガレットの心情はそういう理屈ではない。

 ただただ嫌なのだ。

 そう言ってしまうと我が儘にしか聞こえないが、これを我が儘と謗ることができる者などいないだろう。

 溜まっていた嘆きのマグマを噴き出してマーガレットは俯いてしまった。

 その横顔に雫が流れ、滴り落ちる。

 しばらく、沈黙した病室でマーガレットが落ち着きを取り戻すのをまってから、

「私はマーガレットを送ってくる。お転婆お姫様をラフレーズだけに任せておくのは心許ないからな。一月ほど顔を出せなくなる。帰ったらまた来るよ」

 面会時間はまだあるが、マーガレットの気を晴らしてやらなければならないし、明日からの旅の準備もしなければならないので病室を後にする。

「准将、少しよろしいですか?」

 病室を出たところを待ち構えていたように廊下に立っていた軍医が声をかけてきた。

「立ち聞きとは趣味がいいとはいえませんよ、軍医」

「申し訳ない。ですが、悪意があったわけではありません。夕方の検診に来たら貴女方の話声が聞こえたものですから」

 確かにここは病院で軍医が回診していることに不思議はないが、

「今の会話は他言無用に願います。できれば軍医自身の記憶からも消していただきたい」

「わかりました。しかし、忘れる前に一つ言わせていただきたい」

 なんですか、と警戒を強めて問う。

 いくらマーガレットの悲嘆の声に気をとられていたとはいえ、近づいてくる者がいないか、警戒は怠っていなかった。それなのに軍医は扉の前にいた。どうしても違和感は拭えないし、また、拭うべきではない。

「エロー中尉は戦場でのストレスで精神に深い傷を負ったのでしょう。フラッシュバックや悪夢に苛まれるなど今でも心の傷は癒えていません。少しずつ快方に向かってはいますが、このままでは除隊は避けられないでしょう」

 ルディア王国軍の軍規では視力を失った者、軍務に堪えられない重傷重病を負った者、半年以上軍務につけない、あるいはつかなかった者、軍法国法に違反した者は除隊となる。復帰のめどが立たないミエルがこのままでは除隊される可能性が高いのはわかっていた。

「心の傷に関して普通の療法では劇的な回復は望めません」

「普通の療法では……ということ魔法療法ですか?」

 ローズの問いかけに軍医が頷く。

 普通の療法と魔法療法は根本的に異なる。

 普通の療法は例えば裂傷を負ったとして、傷を消毒し、縫合し、傷口を塞ぐなど、あくまで患者の治癒力を助け、治癒力で治るように手助けするものである。樹海に生えている薬草には治癒を促進するような劇的な効能を持つものもあるが基本的には根底に患者の治癒力があることは変わらない。

 一方、魔法療法は患者の治癒力を問題としない。例えば戦いで腕を斬り落とされて失ったとしよう。普通の療法ではいくら高価な薬草を用いようとも人間の腕は生えてはこない。しかし、魔法療法ではそれが可能になる。この世の事象、万物の流転を捻じ曲げてあるべき姿、起こるべき結果を変えてしまう魔法の力なのだ。つまり、生えてこないという事実を捻じ曲げ、腕を生やすことが可能となる。

「しかし、魔法療法を行える魔術師は国内にはアクティース教の司祭しかいませんから事実上頼ることはできないと考えていいでしょうし、お勧めもできません」

 魔法は少なくともビアンチエ大陸西方ではアクティース教によって排斥されてしまっている。残っている魔法はアクティース教の管理する魔術師が伝えるものか、アクティース教を認めない大陸中部以東の国家に生き残っているもの、それと排斥を逃れた魔女、魔法使いが集まるイースウェア公国の魔法のいずれかのみである。

 しかし、ルディア王国から大陸中央部へ抜けるには南東に位置するアクティース教国か、北東に位置するエルフの国ヴィドガルドを抜けるしかない。しかし、アクティース教国は西方と中部の交流を阻害しているし、ヴィドガルドはアクティース教国との不仲故にルディア王国とも仲が悪く、現在では戦争状態にあり通過できるような状態ではない。

 故に、魔法治療はルディア王国内ではアクティース教の独占状態なのだが、これが法外に高い。ちょっとした治療でも他国に比べて豊かなルディア王国の国民の数年分の生活費に相当する額を要求される。難しい治療となればどれだけかかるか定かでない。

 その上、教義で許された術式しか行えないためイースウェア公国の魔女、魔法使いと比べ効果がないと言われている。

 だから、魔法治療を受けようと考える国民は多少危険な旅をしてでも敵国であるイースウェア公国を訪れて治療を受けるのが一般的だし、両国もそれを黙認している。今回の旅も外遊という体裁をとって怪しまれないのはこうした要因によるものだ。

「つまり、軍医はミエルを軍務に復帰させるためには今回の外遊にミエルを連れていって治療を受けさせるしかない、と?」

「お恥ずかしい話ですが……」

「案を聞かせていただいたことは感謝します。しかし、そんなことはできません」

「ローズッ!?」

 マーガレットの目にはローズの即答が考慮もせずにバッサリ切り捨てたように映ったのだろう、袖を引っ張って小さく叫ぶ。

「気持ちはわかるが、今回の旅はただでさえ人手がギリギリ――いいえ、護衛はギリギリどころか不足といえる。そこに戦闘要員にならないどころかまともに動けないミエルを抱えるわけにはいかない」

「でも…………」

「軍医もくれぐれもこの話は他言無用でお願いします。では」

 言い募ろうとするマーガレットの手を引き軍医に念を押して病院を後にする。

「ねえ……本当にミエルを同行させられないの?」

「気持ちはわかるが……ミエルの容体があれではな」

「ミエルに何があったか……わからないの?」

「ああ、手がかり一つない」

 ローズがアルコンティアとともに帰国するために通ったルートは旧スタリア領を通る東回りのルート、つまり、ミエルたちと同じ道を通ったはずなのだ。もちろん単騎で街道沿いに進んだローズと集団で逃亡するために森や川を進んだミエルたちとでは完全に同じとは言い切れないが、それでもローズは痕跡を探しながら進んだ。

「どこを通ってどうやって帰国したのか、ミエルが救助された地点からおおよその見当はつく。しかし、そこで何があったのかはわからないんだ」

「……ローズ」

「何?」

「私ミエルを同行させてもらえるように兄上に頼んでみるわ」

「無駄だ、マーガレット」

「なんで!? ローズはミエルがあのままでいいの!?」

 親友を見捨てるような発言を抑揚もなく繰り返すローズにマーガレットが語気を荒げて噛みつく。

「親友なんでしょッ!? 助けたいと思わないの!?」

「思うさ!」

「だったら……」

「だけどッ!!」

 語彙を強めて、なおも言葉を重ねようとするマーガレットを遮る。

「ミエルはあのままでも時間さえあれば回復することができる! 軍務につけなくとも日常生活には戻れるだろう。だが、この旅に同行させればマーガレットの身が危なくなる。ミエルだって友だちを危険に晒してまで軍にしがみつこうとは思わない」

 それに、と言いかけてもう一つの理由を言うことを躊躇い、思い留まる。それはこれから獣人たちの跋扈する山野を駆け抜けるマーガレットに要らぬ恐怖心を与えることになる、と考えたからなのだが、結果としてここでその理由を伝えなかったことでマーガレットを納得させることに失敗したばかりか、要らぬ危険を抱え込むことに繋がってしまう。

 

 さて、王族の屋敷に一般の富豪令嬢が寝泊まりしたのでは目立つ。国内とはいえできるかぎり目立つマネは避けた方がいいことは言うまでもない。なのでマーガレットたち一行はローズの屋敷に泊まることになった。

「ユニコーン見せてくれるんでしょ、楽しみ」

 マーガレットは直前のミエルの件で少しの間だんまりを決め込んでいたものの、滅多にお目にかかることのできないユニコーンを拝めるとあってすぐに気持ちを上向かせた。

「『見せる』んじゃなくて『会わせる』な。見世物扱いしたら馬の百倍以上の脚で蹴られるぞ」

「こっわ~い」

 おどけた調子でいうマーガレットを見て機嫌が直ったとこっそり安堵の息を吐く。

 門を潜り、手入れの行き届いていない庭を通って館の裏へと回ると白馬に似た優雅な姿が木陰で休んでいた。

「アル、友人を連れてきた」

 呼びかけを待っていたように瞼を上げ、長い首を持ち上げる。

 ――ソイツがローズの言っていた王女か?

「ああ、こちらがルディア王国の第二王女マーガレット。マーガレットこっちがアルコンティアだ」

「綺麗な毛並みねえ」

 マーガレットが感嘆を漏らすのも無理はない。初夏の日は長いとはいえ、すでに空は薄暗がりで空の青色が深みを増して群青色に近くなっている。薄ぐら闇の中で白光石アルブマイトの光を受けて白く輝くアルコンティアは幻想的といえる。

「こんな綺麗な仔に乗れるなんて……羨ましい……」

 ――人間のクセによくわかってるじゃないか。それに比べてローズは……

「言っておくが、私だってはじめてアルの姿を見たときは感動したぞ」

 ――初めて聞いたな

「直後に殺されかけて、その後は戦い通しでいつ言うんだ?」

 と一人と一頭の軽口の応酬にマーガレットがクツクツと笑う。

「ねえ、触ってもいいかしら」

 マーガレットの認識ではあくまでローズが主であるためローズを振り返りながら問うが、ローズとアルコンティアの関係は主従ではないので、

「と、聞いているがどうだ?」

 そのままアルコンティアへと問いをバトンタッチする。

 ――かまわない

 本人の同意を得てマーガレットが恐る恐る手を伸ばす。指先が首筋に触れ、熱いものにでも触れたように一瞬で離し、一拍置いて再び触れる。

「柔らかい……」

 アルコンティアが嫌がらないとわかってマーガレットの撫でる範囲が広がるのを一歩離れたところから眺めていると、

「お嬢様! 姉様!」

「なんだ?」

 帰ってきたところを見ていたのだろうか、エバーが屋敷から駆けてきてマーガレットとローズを呼ぶ。

「夕食の支度が出来ています。食堂へどうぞ」

「わかった、今行く」

 普段は食事の支度は三人が交代でやっているが、今日はマーガレットが泊まっているため、ヴィクトールの屋敷から料理人が出向して料理を、例のメイドが屋敷の掃除や配膳、ベッドメイキングなど身の回りの世話をしてくれている。

 さて、ここで問題なのが食事のとり方だ。

 食事のとり方、といっても作法ではない。マーガレット付きの女官たちは当然彼女と食事を同席するなど畏れ多くてできないし、長年マーガレット専属の近衛として使えているラフレーズ少佐は場合によっては食事をともにするくらいの柔軟性は持ち合わせているが、他の近衛隊の面々はそこまで砕けた関係ではない。

 マーガレットが友だちと呼び、今日この場ではホストでもあるローズはともかく、クーシェとエバーの二人は席を並べられる立場ではない。二人もそれを自覚して自室で食事を摂ろうとしたが、

「食事は大勢の方が楽しいでしょ」

 というマーガレットの一言で同席することになった。

 結果、食堂のテーブルには家主であるローズ、主賓であるヴィクトールとマーガレット、近衛隊隊長であるラフレーズ少佐とクーシェ、エバーの六人が並ぶことになった。

 クーシェとエバーの居心地の悪さは哀れみを覚えるほどだ。

 何しろ食堂に入る際には近衛隊の隊員たちから、新米士官の分際で王族と食事を共にするなど図々しいにもほどがある、という軽蔑と嫉妬が綯い交ぜになった視線を嫌というほど浴びせられてしまった。彼女たち自身もそれを自覚している上、王子であり、西方軍司令官でもあるヴィクトールの隣に座ってガチガチに緊張してしまっている。何を食べているのかわかっているかも怪しいほどだ。

「そんなに緊張することはない」

 そんな二人を見かねて二品目の前菜が下げられたところでラフレーズ少佐が声をかけた。

「お二方ともこういう場で作法にこだわるような方じゃない。司令部の食堂のような下品で騒がしいのはマズいがそこまで緊張するようなことはない」

「……ですが」

「そうおっしゃられても……」

 因みに席順はヴィクトールと両サイドにエバーとクーシェ、マーガレットの両サイドにローズとラフレーズ少佐である。

「ウチの連中のことなら気にするな。アイツらの頭が硬すぎるんだ。明日からは野宿もあるし、町で宿をとれば不自然にならないように交替で食事をする必要もあるだろう。そうなれば食事を同席することくらい当然のことだ」

 はぁ、と曖昧な返事を返す。近衛隊から浴びせられた視線は頭が固いというより「小娘の分際で王子と夕食を共にするですってぇ!」という嫉妬だと感じていた二人は全面的には同意できなかった。

 しかし、そんな二人の困った姿がマーガレットのイタズラ心を擽った。

「それに私お風呂好きだからどこかの町でお風呂に入れば誰かお風呂にもついてきてもらわなきゃならないしね」

 王女から、裸の付き合い、を仄めかされて二人の表情が更なる緊張で凍りつく。

「そういえばローズ、この屋敷にもお風呂ある?」

 二人の視線が「無いと言ってください!」と懇願してくるが、嘘をつくのは性分じゃないし、どうせマーガレットが屋敷の探索でもすればバレることだ。

「ああ、あるぞ」

 二人から声にならない悲鳴が伝わってくる。

「王宮のとは比べ物にならないだろうが、裏の丘から水を引いている立派なのがある。大枚はたいて屋敷を買ってよかったと思える程度には快適だ」

「それはいいわね。食事が終わったら一緒に入りましょ」

 マーガレットがウィンクまでして宣告し、二人は完全に逃げ道を失った。

 二人には悪いと思うが、塞ぎ込んでいたというマーガレットの気を少しでも晴らすためなら生贄の一人や二人は仕方ない。

(別にとって食われるわけじゃないしな)

「ずいぶん部下を虐めるじゃないか」

 そんなことを考えていたローズに顔を近づけラフレーズ少佐が囁く。

「別に虐めてはいない。お前の言う通りマーガレットに慣れるのも任務には必要だし、それでマーガレットの気持ちが浮上するなら悪いことはない。むしろお前の部下たちはなんで同席しないんだ?」

「普段は王宮務めなんでね。少しばかり頭が硬いのは仕方ないでしょ」

 先ほどエバーとクーシェに気を張るなと言ったことといい、やはりヴァイオレットと違い堅苦しいだけでなく、鷹揚さも持ち合わせているな、と改めて感じてドゥムジョ教官の話を思い出した。

「ラフレーズ」

「何?」

「話がある。食事が終わったら私の部屋に来てくれないか?」

 ローズの真剣な面持ちを見てラフレーズ少佐も、わかった、と頷く。

 その後も暴走気味のマーガレットのハイテンションにエバーとクーシェが弄られ、時折それがローズやラフレーズ少佐にも飛び火したりもしながらも夕食はつつがなく終了した。

「ローズ、スカーレット、二人は入らないの? みんなで一緒に入りましょうよ」

「ああ、少し話をしたら行くよ、先に入っていてくれ」

 食後、ヴィクトールに病院での出来事を伝えてから、自室へと向かう。

「呼びつけておいて待たせるとはいい度胸ね、ラズワルド」

「すまない、少しヴィクトールに伝えておくことがあってな」

「それで? 用件は何?」

「…………ラフレーズ……いや、スカーレット」

 ローズが合えて呼び方を変えたことにラフレーズ少佐が目を見開く。ローズが軍の関係者をファミリーネームではなく、ファーストネームで呼ぶのは麾下か同部隊の者だけだと知っている。旅団を預かる将官となった今となってはヴィクトール以外は麾下の者限定だ。

「マーガレットの輿入れが済んだら私の麾下に入らないか?」

 予想外だったのだろう、呆気にとられてしばらく開いた口を閉じることもせず呆けていた。

「本気…………で言ってる……のよね?」

「本気だ」

 マジマジと見つめてくるラフレーズ少佐の視線を正面から受けとめて即答する。

花園の守護者フローラルガルディエンヌの選抜条件は厳しい。本来なら王女が輿入れしたからと言って即座に首になるようなことはないが、十年前、特例措置でマーガレットの専属近衛になったお前はマーガレットの輿入れと同時にその任を解かれることになっている」

「ええ」

「私は今一人でも多く信用できる仲間が欲しい。これまで三年でできた仲間はほとんどが先の敗戦で失ってしまった。今直属の部下で信用できるのはエバーとクーシェの二人とヴィオラ、彼女を介してその麾下の数名くらいなんだ」

「人望が足りないんじゃない、英雄さん」

「否定はできない。だが、たった三年やそこらで将官に相応しいほどの人脈を築くなどできるはずがないことくらい中央にいたお前ならわかるだろう?」

 皮肉で返した答えを真顔で返されてラフレーズ少佐が呑まれる。

「それに士官学校を出ていない貴女は拾ってくれる将官でもいなければ軍を辞めるしかない。軍に留まろうと思うならお互いに悪くない話だと思うけど……」

 諸手をあげて喜ばれるとまでは思っていなかったが予想より反応が乏しい。ラフレーズ少佐の性格ならば軍を辞めることはないと思って切り出したのだが、

「もしかして、これを機に軍を辞めるつもりだった?」

「まさか」

「じゃあ、すでに他から声がかかってるの?」

 少し間をおいて、いいえ、と答えが返ってくる。

「私に辞めるつもりはない……けど、お母様はこれを機に軍を辞めて今申し込まれている縁談を受けろと言っているの。おかげで中央軍で拾ってくれる将軍を探してたんだけどみんな断られちゃって……だから正直嬉しい申し出だわ」

「なら、私の麾下に入ってくれ、スカーレット」

「……………………考えておくわ」

 どのようなポジションが用意されているのかなどと聞かない。しかし、そのことが決して偽りやその場しのぎではなく真剣に考えてくれているのだと彼女の性格を知っているローズには伝わってきた。

「用件がそれだけなら浴場に行きましょ。あの二人だけじゃやりたい放題、姫のおもちゃにされちゃいそうだもの」

 そうね、と苦笑して応じ、二人揃ってマーガレットたちの待つ浴場へと向かったが、

「遅かったわね、待ってたのよ」

「二人はどうした?」

 浴場にいたのはマーガレット一人、エバーとクーシェの姿は見えなかった。まさか湯の中に隠れているということもないだろう。

「逃げられちゃった……ちょっとからかい過ぎたかしら?」

「まあ、これだけ揉まれれば二人も一緒に旅する過程で変に緊張してミスをするようなことも無くなるだろう」

「二人も性格の悪い上官をもったものね。そういうことだと天罰が下るわよ?」

「からかった張本人に言われるのは釈然としないな」

 軽口の応酬を交わしながら体を洗う。

「久しぶりね、三人でお風呂入るの何年ぶりかしら」

「八年……いえ、九年ぶりですね」

「そんなに経ってないだろう? 私が士官学校入ってからだってたまに休暇のときに別邸に招かれて一緒に入ってたじゃない」

「お前が士官学校に入ってからはエローのバカも加わっただろう」

 発言したのがローズかマーガレットだったらミエルのことを思い出して空気が重くなるところだが、ミエルとわだかまりのあるスカーレットがファミリーネームの方で恨みを込めて呼んだためにそうはならなかった。

「スカーレットったらまだミエルと仲直りしてないの?」

「できるわけないでしょう!?」

 呆れたように呟くマーガレットにスカーレットが噛みつくように返す。

「あのバカ全く反省してないんですよ!?」

「でも、ローズはもっと酷い目にあってたわよね?」

「私も別に許した覚えはないな。だいたいミエルの仕出かしたことは大半がイタズラでは済まないレベルだからな」

 ミエルは良く言えば男女分け隔てなく、悪く言えば性に関して間違った認識と思考の持ち主で思春期の少年少女が寝泊まりする士官学校の宿舎を舞台に数々の事件を巻き起こした。それがマイナス評価となり、実技座学ともに次席を争う(主席はダントツでローズだった)ほどだったのに素行の一点で落第スレスレになるほどだったのだ。

「エバーとクーシェに聞いたら今でも西方軍士官学校の語り草になってるらしいわよ」

「ミエルのおかげで宿舎の風紀が乱れて教官たちの見張りが厳しくなったのは事実だな」

「そっちもだけど、兄上とローズの夜の一幕。有名らしいわよ」

「アレは大騒ぎでしたね。屋敷にいた私たちの耳にも翌朝には情報が来るくらいに」

 マーガレットがローズとヴィクトールの出会いの事件について言及し、スカーレットが可笑しそうに笑う。

「そっちは他人事だから笑ってられるが、私は肝をつぶしたぞ? 何しろあの一件で軍人への道が断たれるどころか良くて監獄生活、悪くすれば極刑だったんだからな」

「あの一件の所為でローズが花園の守護者フローラルガルディエンヌに入れなくなっちゃったのよね。そう考えると私もミエルの被害者なのよね」

 むう、と今さら腹を立てたわけではないだろうが唸るマーガレット。

 しばし会話が途切れ、その間に泡を洗い流し、立ち上がったそのときだった。

 ガチャリ

 扉が開かれ、何故かヴィクトールが浴場に入ってきた。

「なっ……」

 普通の女子ならば(羞恥か驚喜かはともかく)悲鳴をあげるべきところだろうが、ローズは即座に片手で胸を隠し、使い終えたばかりのブラシを握り、投げ放った。普段のヴィクトールならば軽く躱すだろうが、さすがに油断していたのだろう、ブラシは見事にヴィクトールの顔面にヒットし、倒れた彼はそのまま勝手にしまった扉の向こうに消えた。

「アラ~~兄上、可哀想」

 一片の憐れみもない白々しい口調でヴィクトールを呼んだ犯人が誰なのかは判明した。

「なぜ、ヴィクトールまで?」

「ルディアで入る最後のお風呂だもの。一緒に入っておこうと思って」

 ちなみに旧貴族の間で風呂が社交の場であったため今でもルディア王国の上流階級には風呂は社交の場として認識されており、こうした浴場は男女で混浴することもある。

 が、そもそも上流階級ではないローズは自宅の風呂に男が入ってくるとは露程も思わず咄嗟に手が出たわけだ。

「王族とわかってても容赦なく攻撃するのではどのみち花園の守護者フローラルガルディエンヌの適性試験を通ることはなかったでしょうね」

 ラフレーズ少佐に淡々とツッコまれてローズはただ黙り込むしかなかった。

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