第七章 王女の奔放
王都での会議にてマーガレットの輿入れとそのルートが決まってからの一か月、ローズたちは目まぐるしく働いた。何しろイースウェア公国の国境までの道のりの半分近くは獣人の支配地域と化している。獣人の分布を調べ、縄張りを把握して少しでも安全に進めるルートを調べ出さなくてはならなかった。
獣人は獣としての性が強く出ているとはいえ、人間としての性質も持ちあわせている。種族によっては人間と共存し、人間社会で暮らしたり、森の中で人間社会のような小さなコミューンを築いている種もある。ワーウルフやコボルトはどうかというと獣として群れを成す傾向にある種だが、人間的な生活よりもどちらかというと獣に近い生活を送る種だと言われていた。しかし、そもそも人間を襲うことが多い種であるため一所に定住すれば討伐部隊などに襲われるために定住できなかっただけではないかという考えもあった。
そこで、まずはヴィーヴル部隊によって空から一帯を調査を行った。黄昏の城の内側なら安全な生活を送れるルディア王国の国民はほとんど壁外で暮らす者はいない。そのため街道沿いも中間地点に宿場町が一つあるだけでそれ以外の町や村も元々数が少ないのだが、調査の結果それらの町や村にはすべて獣人が棲みついていることが判明した。
これは厄介なことだった。
特に問題なのが街道唯一の宿場町ガランスも獣人の手に堕ちていたということだ。黄昏の城から牙の城までは街道を進めば馬でおよそ一日だが、荷の量によっても変わるが馬車だと一日では少し厳しいし、徒歩ではもちろん無理だ。そのため中間地点あるここに替え馬を提供したり、安全な宿を提供する拠点として宿場町ができたわけだが、そこが獣人の手に堕ちているとなれば替え馬は望むべくもない。
さらに調査を進めた結果、町や村はほぼすべて獣人たちが蔓延っていること。町や村を占領できたのは一部の勝ち組とでもいうべき獣人だけらしいこと。村や町以外のところにもあぶれた小規模な群れが散在していることが判明した。
「ガランスだけでも軍を動員して獣人を掃討できればよかったんだが……」
出立前日、ルートや作戦などの最終確認をする会議でヴィクトールが口惜しそうに呻く。
「それは仕方ない。ただでさえ大義名分なしに軍を動かせば割る目立ちするからな」
「それはそうだが……何か手がなかったものか、とな」
そうはいっても妹を送り出すのに大したことが出来ずヴィクトールは悔しそうだ。
「とはいっても思いつく限りのことはやってみただろう?」
「演習と言う名目で軍を動かして討伐も試みましたが……」
「軍が撤退するとすぐに別の群が棲みついてしまいましたからね」
できることはした、と慰めるローズの後に続いてヴィクトールの副官の二人ルメートル大尉とドーバートン少佐が実例をあげる。ただでさえ人手不足の現在演習という名目では壁外に野営するわけにもいかないし、あまり繰り返すこともできない。
「色々と案はありましたが、実行不能だったり、効果がなかったりでしたからね」
ヴァイオレットの言う通り、他にも案はあった。しかし、軍を動かすような派手な行動はイースウェア公国に一連の行動が知られて警戒されてしまう恐れがあるので実行できず、その他の小細工はほとんど効果を得られなかった。
ちなみに、マーガレットの輿入れに関する護送作戦は護衛人員の人選をマーガレットの近衛隊隊長であるラフレーズ少佐が担当する以外と調査から各種手配に至るまですべて西方軍一部だけが担っていた。具体的にはローズとヴィクトールの息のかかった兵を中心に調査を行い、物資の調達や商業ギルドとの交渉などをサングリエ将軍が行っていた。その他作戦の詳細を知っているのはヴィクトールの麾下とローズ不在の間代理を任されるヴァイオレットだけだ。なにしろ、六百年来の仇敵であるイースウェア公国の領内を王女が通過するのだ。些細な情報漏洩も許されない。
「結局は何の工夫も無く街道を行くしかない、というわけだ」
「何しろこうあちこちに獣人たちが蔓延っていては縄張りの隙間を縫うように進むのは困難だからな」
「それだけ手間をかけても進んでも見つかればはぐれコボルトでもひっかけてしまえば元も子もありませんから」
当然だが道が整備されているか否かで馬車の速度は大きく左右される。行軍と物資輸送のルートとして長年整備されている街道ならば全力で駆けられるが、わずかな往来しかない田舎道では獣人から逃げられるほどの速度を出しづらい。無理をすれば馬車が転倒してしまうこともありえる。
「とはいえ、この状況下を突破しようというのにこの護衛団の規模では小さすぎるのではありませんか?」
「だが、ヴィオラ。そうはいってもこれ以上人員を増やせば目立ちすぎる」
富豪令嬢の外遊という体裁を採るため随行人員は三十名に絞られることになった。
内わけは、マーガレットの身の回りの世話をする女官五名。ラフレーズ少佐と近衛隊から選抜された麾下の精鋭合わせて二十名。西方の地理に通じた西方軍の偵察部隊から案内役(女性士官)が二名、最後にローズとその補佐として麾下のクーシェとエバーが同行することで決定した。
「ですが、今や牙の城ワーウルフの牙城と化しているのですよ!?」
訴える声は気丈なヴァイオレットに似つかわしくない怯えの混じったヒステリックなものだった。二か月前の撤退戦の折り、包囲網を突破する実戦部隊の指揮を執り、殿を務めたヴァイオレットだからこそワーウルフの大群がいかに恐ろしいものかは骨身に染みている。
「それはわかっている」
「でしたら一個大隊規模の護衛につけるべきではありませんか?」
「その程度では焼け石に水です」
食ってかかるヴァイオレットにルメートル大尉が冷静にダメ出しする。
「ヴィーヴル部隊による空中からの調査でわかっているだけでも現在牙の城には一個師団以上の大規模なワーウルフの群れが棲みついています。これを正面から突破するだけの戦力は今の西方軍にはありません」
「だが、護衛団のための囮にはなるでしょう?」
「冷静になれ、ヴィオラ。大隊程度では生贄にするのと変わらないし、それだけの規模で軍を動かして牙の城付近で戦闘すればイースウェアに気取られる」
二人からダメ出しされてさすがのヴァイオレットも反論の糸口なく押し黙る。
「逆に少数の部隊で密かに、速やかに脇をすり抜けたほうがよほど安全だ」
「ラズワルド准将の言う通りだろうな」
「そのために日数はかかるが安全性の高い旧道を選択したわけですしね」
ローズの意見をヴィクトールが指示し、ルメートル大尉が補足を加える。
ルディア王国からイースウェア公国の国境にある城塞交易都市夕闇の城に至るには二つの道がある。一つが牙の城から伸びる街道を行くルート。平時ならばこのルートはガランスで馬を替えれば二日、馬を替えずとも三日で済む。これが二か月前までは主流な旅路であったが、今では危険性が高い。
そこで今回選択するのは牙の城ができる前から使われている旧道。こちらは平時なら最短三日、普通に進めば四日でイースウェア公国に至れる。しかし、危険な崖路が続くエオルスバレーというプロクス山脈の谷間を抜ける難所を通るため最近では一部の上流階級の者がお忍びで外遊する場合を除いてあまり使われることはなくなっていた。
「今回の偽装名目を考えれば旧道の方が適していたからという理由もあるがな」
「その分危険な一夜を過ごさなければならないが、まあそれは我々がなんとかしよう」
ガランスで替え馬をできないとなるとこのルートは夕闇の城到着までに四日かかる。一日目はガランス近郊で、二日目は谷の崖路の入り口に築かれたささやかなキャンプ地で野宿することになる。このキャンプ地が比較的牙の城に近いため二日目の夜はワーウルフ縄張りで過ごさなければならないのだ。だが、そこさえ乗り越えてしまえば、エオルスバレーの中間にある同名の村で安全な宿がとれる。
「一日目ガランス近辺ではユニコーンの気配を恐れてコボルトたちが寄ってこないというのは間違いないんだな?」
報告した事実を確認するヴィクトールの問いかけにローズが頷く。
「報告書にも書いたが、少なくともここ一月の間に三回、壁外で夜を越したが襲われることはなかった」
空中からの偵察で獣人たちが村や町を中心に散在しているとわかってから安全なルートを模索するために何度か地上部隊で壁外調査をした。他の調査隊は負傷者どころか全滅した隊まであったが、ローズの部隊は終ぞ襲われることはなかった。
「ただ襲われなかったのはガランス近郊まで、だ。そこから先ワーウルフの縄張りでは直接私たちを襲うものこそいなかったが、周りの隊員を襲ってきた狡猾なヤツらがいた」
「やはり山場は二日目か」
「逆にいえばそこさえ凌げれば何とかなりそうだということだな」
「しかし、近衛騎士の連中は対妖魔・獣人戦の経験などほとんどないのでしょう?」
「ああ」
「大丈夫なのですか? せめて数日この街に留まり獣人戦闘の経験を積んでから出立した方がいいのではないでしょうか?」
「それは俺も懸念していたんだが……どう思う、ローズ?」
「それはラフレーズ少佐たちの意見を聞いてみるしかないだろうが……」
意見が割れた状況を見て、ヴィクトールが実際に警護団の指揮を執るローズの意見を求める。
「が……何だ?」
語尾を濁したローズにヴィクトールが怪訝そうに問う。
「情報漏洩のリスクを考えればさっさと出立するに越したことはないだろう」
イースウェア公国の入国審査などにどれほどの日数がかかるかわからないため具体的な到着予定はブルトルマン帝国側には伝えていないので数日ならば訓練に当てることはできる。しかし、それをすればこの街でマーガレットの輿入れの件が噂として流れ出す危険がある。
「いずれにしてもマーガレットたちの到着待ちか……確か」
ローズの答えを聞いて納得し、マーガレットたちの到着予定を確認する意味でルメートル大尉に視線を送る。
「今日の夕刻にはこちらに着くと連……」
すみやかに答えようとしたルメートル大尉の声は、バーン、と開け放たれたドアの音に遮られ、飛び込んできた人影に続ける必要を失った。
「ローズ! 久しぶり!」
真っ白に色の抜け落ちた白髪を振り乱し、ローズに抱き着いてきた少し小柄な淑女を驚きながらもしっかりと抱き留める。
「マーガレット!?」
名前を呼んだ快活な声、抱き着いて胸元から見上げてくる双眸。見紛うはずもないルディア王国第二王女マーガレット・ルグリフィスに間違いない。
「おまっ…どうやって……?」
ローズが問いたかった疑問をヴィクトールが口にする。
「あら、兄上」
拗ねた口調でヴィクトールがいたことに気がつかなかったとでもいう風な反応を示し、
「可愛い妹が訪ねてきたというのに迎えの一人も寄こしてくださらないものですから勝手に上がらせていただきましたわ」
やや棘を含めての答えはまるでその辺の屋敷で主が出迎えてくれなかったようなごく軽い言いようだ。だが、ここは軍司令部。出迎えなどなくとも門番は常駐しているし、軍服を着ていない者を勝手に闊歩させたりはしない。
しかし、マーガレット王女とは思えない逃亡潜入の技術の前には勝手知ったる西方司令部の――それも今は人手不足で薄い警備など何の役にも立たなかったらしい。
が、それ以前にルメートル大尉が答えかけたが、マーガレットたちの到着予定は夕刻のはず、今は昼を回ったところでまだ数時間は彼女が現れるはずはない。
「じゃなくて、どうしてこんなに早く着いたんだ!?」
「もちろん、久しぶりにローズに会えるから待ちきれなくて飛んできたのよ」
「ラフレーズたちはどうした!?」
「スカーレットたちなら今頃職務怠慢のツケを払っているころだと思いますわ」
要するに明け方にでも勝手に馬を拝借して前の町から一人で駆けてきたのだろう。朝マーガレットの泊まった部屋を開けたらもぬけの殻になっていて慌てふためくラフレーズ少佐ら近衛騎士たちの姿が目に浮かぶようだ。
その推測を裏付けるように下士官が慌てて駈け込んで来た。
「もっ申し上げます! ただいまラフレーズと名乗る者が司令に火急の用件で目通りを願いたいと訪ねてきております」
どうやらマーガレットの逃亡に慣れているラフレーズ少佐は無意味に探し回ることはせず、すぐにマーガレットの後を追ってきたらしい。しかし、富豪令嬢の外遊という偽装のために軍服を着ていないために勝手に司令部に入ることができず目通りを願ったわけだ。
「そうか。私の知人だ、構わないからここへ通せ」
嘆息混じりにヴィクトールが許可すると下士官は慌ててラフレーズ少佐を呼びに戻った。
「もう来ちゃったのか」
「そりゃラフレーズはマーガレットの逃亡に慣れてるからな」
チッ、と舌打ちでもしそうな口調で呟くマーガレットに呆れてローズが返す。
十年もの長い間マーガレットの近衛を務めているラフレーズ少佐の任務は外敵からマーガレットを護ることよりも逃亡術を駆使して勝手に王宮や屋敷を抜け出すマーガレットを連れ戻すことの方が多かったのだ。そんな彼女にしてみれば姿を消したマーガレットがどこへ向かうか推測するなど朝飯前だろう。
「出てくる前に部屋を荒らして襲われたように偽装しておくべきだったかしら」
「それは大事になりすぎるから止めてくれ」
などと言っている間に荒い足音が近づいて来て、再びドアが開け放たれた。
瞬間、マーガレットの姿を見とめて入室してきた人物が――不機嫌なときのヴァイオレットとまったく同じ動きで――眉を吊り上げた。先導してきた下士官が扉を閉め、足音が聞こえない程度まで歩き去ってから、
「姫ッ! 今後このようなマネはお止めください!」
ラフレーズ少佐は持ち前の緋色の髪がまるで怒りの炎と錯覚を覚えるほどに、文字通り烈火のごとく怒ってようやくのことで追いついた主を怒鳴りつける。
が、当の本人であるマーガレットは説教を全く気にした様子がない。そればかりか、
「抜け出したことにさえ気がつかないなんて弛みすぎなんじゃない、スカーレット?」
受け流すどころか開き直って反撃に出るマーガレット。
ラフレーズ少佐も普段より人員が少ない分、外敵の警戒に手いっぱいでマーガレットの見張りまで手が回らなかったのだろうが、怒りと悔しさから歯噛みしている。
「お前なあ~」
「そんなことよりお腹が空いてしまいましたわ、兄上。私朝食も食べていませんもの。お昼にしていただけませんか?」
あまりのマーガレットの態度に呆れて二の句が継げないヴィクトールに構わず、マーガレットが昼食を要求する。
「朝食を摂られなかったのは姫の勝手ではありませんか!」
マーガレットの勝手ぶりにラフレーズ少佐の怒りが再燃する。
「いい罰です! 夕食まで我慢なさいませ!!」
まるで子どもを叱る母親のように顔を真っ赤にして告げたが、
グルルルルルルルル
と、直後に音がなった。一瞬の後にこれ以上赤くなりようがないほど赤かったラフレーズ少佐の顔が怒りとは別の要因で火を噴いた。
ほとんどタイムラグなしに着いたことから推測していたが、マーガレットの脱走を知ったラフレーズ少佐はすぐさま馬に飛び乗って彼女を追ってきたはず――つまり、彼女もまた朝食抜きで駆けてきたのだ。その上、声を張り上げて怒鳴れば腹も減ろう。しかし、ご飯抜きの罰を言い渡した瞬間に自分の腹の虫が鳴ったのでは立つ瀬がない。
滑稽な状況にマーガレットが腹を抱えて爆笑する。
二人の問答を眺めながらローズはその光景に既視感を、友人の言動に違和感を覚えていた。既視感の理由は思い出すと耳が熱くなるのを自覚しているので記憶の奥底に封印し直して違和感の方に思考を傾ける。
マーガレットは確かに奔放な性格だった。しかし、限度はわきまえていたはずだ。明日には出立というこの時にこんなことを仕出かすような度を越したマネをしたのは不思議だった。
(それに少し幼児退行というか、言動が暴走気味というか……)
チラリと視線をヴィクトールへ向けると同様の違和感をヴィクトールも感じているらしく、単純な呆れとは異なる少し複雑な眼差しでマーガレットを見つめている。
しかし、他の面々はマーガレットの言動に違和感を感じとれるほど親しくはない。マーガレットに笑われ羞恥心と怒りで主を睨むラフレーズ少佐を気遣うようにサングリエ将軍が救いの手を差し伸べた。
「まあ、明日から長旅になるのですから今日はしっかりと食べて英気を養ってもらわなければなりません。ちょうど会議の頃合いもいいですから一度休憩にしましょう」
しかし、サングリエ将軍の救いの手をラフレーズ少佐が掴むより早くマーガレットが、決まりね、とパンと手を叩き、すぐさまローズの手を引く。
「じゃあ食堂行きましょ、ローズ」
「ちょっ……ま……」
「待て、マーガレット。食堂なんていって兵士たちにこのお前の出立が知られたら情報漏洩に繋がりかねん。食事は運ばせるからここにいろ」
「いやよッ! せっかく……」
「マーガレット!」
言い返そうとするマーガレットにヴィクトールがめずらしくわずかだが声を荒げる。普段抑制の効いている兄が声を荒げたことにさすがにマーガレットも口を噤む。
室内に気まずい空気が流れた。
「なら、私の部屋にしよう」
何とか友人と上官の兄妹げんかを避けようとローズが提案する。
「ヴィオラ、マーガレットを私の部屋へ案内してくれ。それとソレイユ准尉とゴールド准尉を呼んで五人分配膳の手配を」
「はっ」
ヴァイオレットが敬礼し、マーガレットとラフレーズ少佐を誘って退室する。マーガレットも何も言い募ることもなく大人しく二人に従った。三人が退室したのに続いてサングリエ将軍も退室し、ヴィクトールの副官二人も目線で退室を指示され出ていった。
「フゥ――――――――……………………」
ローズ以外の全員が退室するとめずらしくヴィクトールが演技ではない本物の、それも深いため息を溢す。
「お疲れのようだな」
「ああ、まさか直前のここに来てあんな真似するとは…………まあ、マーガレットのヤツ落ち込んでる姿をお前に見せたくないんだろうな」
「……やっぱり空元気か」
ああ、とヴィクトールが短く肯定する。マーガレットに感じた違和感から予測していたことではあったが、実の兄であるヴィクトールの口から肯定されると予測が否定しようのない事実へと変わる。
「この婚姻が決まってからずっと塞ぎ込んでたらしいからな。ラフレーズもその辺に油断してたんだろうな」
苦渋に満ちた口調で愚痴るヴィクトール。第一王子として育った彼は常に他人の眼に晒されて育ってきたし、それを踏まえて行動するように教育されてきた。その彼が他人に感情を見せることなど滅多にない。それだけ彼も辛いのだろう。
「無理もない。嫁ぐ先がブルトルマン帝国で一番の夫の候補がモルゲンュテルンではな」
「それもあるが……何よりオヤジや俺に売られたと思ってるんだろう」
「そんなっ!」
否定の声を上げたローズの言葉を手振りで止める。
「ある意味事実だ。オヤジも国王として政略結婚は平和外交の一手段という通常通りの決断を下したし、俺もそれを止めなかった……いや、むしろ後押しさえした」
国王については条約締結の場に居合わせなかったローズには知りようもないが、少なくともヴィクトールに関しては弁護したい、と思った。しかし、実際問題としてどんな言葉で言い繕えばいいのか思い浮かばない。
ツァールトリヒト元帥との会談の席でもヴィクトールは激昂したローズを止めた。それ自体は外交の責任を担う司令官、王族として当然のことだ。しかし、思い返してもローズが頭を冷やした後も拒絶や否定の言葉を聞いた覚えがなかった。
「幼児の恋とはいえマーガレットはヘンドリックを愛していた……」
何も言い返せずローズが黙っているとヴィクトールが再び口を開いた。
「……だから、この十年間国内外問わず縁組みの話を一切拒否していた。王女としてルディア王国に骨を埋める気だったのかもしれない。それをよりによって最悪の相手との縁組みを強制されたんだ。マーガレットの髪の話は知っているだろ?」
ヴィクトールの問いに頷く。
ルディア王国では有名な話だ、知らない者などいないだろう。
マーガレットの髪は九歳まで、より正確にはスタリア王国滅亡と王族の処刑の報せを聞くまではヴィクトールのものより少し薄い輝きのある茶髪――ブロンズ色だったそうだ。しかし、スタリア王族処刑の話を聞いたその日、衝撃のあまり明るいブロンズの髪は色が抜け落ち真っ白になってしまったという。
「スタリア王国から帰国した俺たちの耳にブルトルマン帝国侵攻の報せが入ったのはちょうどこの街から一つ先の街まで戻ったときだった。俺たちはすぐに取って返した。もちろん黄昏の城より外へ出るなんて出来なかったが、それでもそうせずにはいられなかった。マーガレットはスタリア王族捕縛と処刑の報が届くまで二か月近く蒼白な顔しかしなかった。……そして、報せを聞いて髪まで白くなっちまった」
話には聞いていたことだが、傍らで見ていた当事者の口から聞かされると胸を締め付けられる思いがする。
「それを知っているお前がなぜ止めなかった」
責めているわけではない。
ただ、ヴィクトールはその機会を与えるためにあえて今愚痴を溢しているような気がしたし、会話の流れからも、そう問いかけて欲しいのではないか、と感じた。
「妹一人の犠牲で数万の軍人の命と平和をを購えるというなら差し出すさ」
ブルトルマン帝国の軍事力は強大だ。ルディア王国が専守防衛に徹していれば国境を守りきることはできるだろう。しかし、決して犠牲が出ないわけではない。数万は言い過ぎでも数百数千の犠牲は出る。それを回避するために王族はある意味で個人としての人権をないがしろにされてでも国民を護る義務がある。それはわかるが、
「しかし、お前も言っていた通りシャーレイ姫でもよかったんじゃないか?」
自分の発言が酷く身勝手なものだと自覚しながらも言わずにはいられなかった。
「そうだな……何しろブルトルマン帝国との政略結婚ってのは他国のそれ以上に人質の意味合いが強い……いや、そのものと言ってもいい。実際には年齢なんて特に気にする必要はない」
「だったら……なぜ?」
「ローズ……お前にとってマーガレットは友人でシャーレイはただの王女だろうが、俺にとってはどっちも妹なんだよ」
哀しい声で返された答えにローズは口を噤んだ。
「これがまともな婚姻なら何が何でもシャーレイに代わってもらった……けど、シャーレイにマーガレットより六年も親の愛情を受ける時間短く人質に行けとは俺には言えない。マーガレットが辛いのはわかってる………………たぶん本人以外では俺が一番辛い」
せめて相手の年齢がシャーレイの方が近かったら。
せめて名指しされたのがマーガレットでなくシャーレイだったなら。
この二か月ヴィクトールはあったかもしれない可能性をどれだけ望んだか。
そうだったなら間違いなくマーガレットを送り出したりしなかった。
しかし、マーガレットを指名されてしまえばシャーレイ代わりに人質に行ってくれなどとは言えない。年齢が近く、ヘンドリックとの思い出を共有するマーガレットに対する可愛さはある。しかし、それを理由に下の妹を代わりに差し出すこともまたできない。
「………………………………すまない」
「いや、いい。むしろ言えてよかった」
心なしかヴィクトールの声が涙声になっているような気がした。
「だから、ローズこれは上官としてではなく、マーガレットの……お前の友人の兄として頼む。できるだけマーガレットの捌け口になってやってくれ。たぶんお前がマーガレットの最後の心の拠り所だ」
ヴィクトールの兄としての頼みにローズは黙って頷いた。
しかし、マーガレットに待ち受ける運命は単なる人質などという生温いものではないということをこのときはまだ聡明な二人でさえ知る由もなかった。




