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ルディア戦記  作者: 足立葵
第二話「閨門の白い木春菊」
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第六章 スカーレット・ラフレーズ少佐

 ヴィクトールと使節団の一行が王都グリフィンロワに飛び立って十日が経過した。

 黄昏の城(クレプスケール)から王都グリフィンロワまでは馬の脚で七日から九日、人の足で十七日前後かかる。一行は飛竜で飛んでいったとはいえ、普通に進めば五日から七日、飛竜を酷使することを厭わなければもう少し短縮できるが帰路のことを考えればそれはない。

 まあ要するに、会談が始まるまでに一週間。すでに数日は議論しているはず。マーガレットの輿入れの件以外揉めるような点もなく、そのフォローをするためにヴィクトールが同行したことを考えれば決着を見て合意に至っていてもおかしくはない。

 もっともローズがいくら真面目でも四六時中そんなことを考えて生きているわけでない。サングリエ将軍が事務を引き受けてくれたおかげで久方ぶりに休暇をとることができたローズはアルコンティアを連れて街の外れにある馬具店を訪れていた。

 土を塗り固めて造った小山のような外観の店は全面土の竪穴式住居と言う表現がピッタリくるだろう。裏には馬具の試着試用のためにパドックも設けられている。

「邪魔するわよ、ヒポリュトス」

「いらっしゃい」

 入り口を潜るとすぐに待ち受けている階段――を降りる前に下から声が出迎えた。

「注文の品できてるよ、ローズ」

 半地下の一階からさらに下へと通じる階段から姿を現したのはローズの半分しかない小柄な老人。ヒポリュトスは工芸全般に優れた種族地の民(ノーム)の馬具師だ。ちなみにソピアー以外はファミリーネームという概念を持たない。

「いい出来ね。これならアルも満足してくれるでしょう」

 ヒポリュトスがカウンターの上に並べた注文の品々を見聞して告げる。

「してもらわにゃ困る! 頭絡も腹帯も鞍も全部センティコア(牛に似た妖魔)の皮で作った特注品だ!! それ以上の材料は中々手に入らんぞ」

 群れを追放され、ローズとともに来ることにしたアルコンティアだったが、馬と同列に貶められる、と鞍をつけることを頑として拒んだ。しかし、鞍なしの背に乗るのではローズも疲れるし、アルコンティアも背骨を痛める。散々時間をかけて説き伏せ、どうにか鞍をはじめとした馬具一式を着けることを承諾させた。

 が、そこからも問題だった。

 何しろ好みがうるさいのだ。やれ着け心地が悪いだの、やれ汚らわしい妖魔の素材は嫌だの、と散々にゴネた。

 結局、散々試したが鞍敷は風の民(シルフ)の作る最高級品風の綿(ネペレー)以外は受け付けなかったし、鞍や腹帯の素材にもうるさかった。馬や牛をはじめ普通の獣の皮は断固拒否し、妖魔でもそんじょそこらのものでは納得しなかった。さらにはハミを咥えるのを断固拒否するし、金具を嫌うし、で頭絡と鐙もヒポリュトスに特注した。

「どうだ、アル?」

 裏のパドックでとりあえず一式装着するところまでは嫌がらずに済んだ。

 ――……………………不愉快だが…………まあいいだろう

 言い様にイラッと来なくもないが、彼にしてみれば、馬と同列、という恥辱に堪えているのだからお互い我慢するところだ、と自分に言い聞かせて頷き返す。

「それはよかった」

「そんじゃ、お代を」

 ヒポリュトスが差し出している手にずっしりと重みのある革袋を渡す。市民一家族が優に数年暮らせる額が詰まった袋だ。つまり、それだけセンティコアの皮やネペレーは高価なのだ。

 本来なら、それほどの額を屋敷を買ったばかりのローズ一人で用意できるはずもない。この金はマーナガルムの一件で救国の英雄として讃えられ、国王から授かった褒美だ。

「帰りは試し乗りさせてくれないか?」

 これには久しぶりにローズを乗せて走ることに対する喜びを含んだ済んだ嘶きで答えた。

 金属を嫌うアルコンティアの注文でセンティコアの骨から削りだされた鐙に足を架け、鞍に上がる。鞍の分一段高くなり、さらにしっかりと背を伸ばすことで高くなった視界に感動を覚えながら手綱を握る。手綱といっても念じるだけで意思が疎通できるアルコンティア相手に手綱を打つ必要はない。実質的にローズが掴んで安心感を得るものが欲しかっただけだ。

「行こう」

 アルコンティアに乗り街を歩くと必然的に人目が集まる。

 黄昏の城(クレプスケール)の開口部は城壁の東西を半円型の城塞都市で護っている。人目を引くのは本意ではないが、城壁の外に出るまでは街はずれだろうとアルコンティアに全力を出させるわけにはいかない。

 もうすぐ街の入口に辿り着こうというときだった。

「准将!」

 今この街に将官自体それほど数はいない。迷うことなく振り返ると一人の青年士官が馬を駆って駆け寄ってくる。

「ちょうど、よかった。これからお宅に伺うところだったんです」

 そういって二巻の蝋づけされた書簡を差し出す。

「王都からの緊急召喚命令です。それとこちらは司令からです」

「グリフィンロワから? 私宛にか!?」

 書簡を受け取り、封が本物であることを確認する。グリフィンを象ったシーリングワックスは間違いなく王家の紋章。召喚命令もヴィクトールからの手紙も本物だ。蝋づけを壊して書簡を開き、内容を確認する。

「ご苦労だった。私は急ぎ王都へ向かう。こちらはサングリエ将軍に渡してくれ」

 目を通し、ヴィクトールからの手紙を青年士官に返してから意思でアルコンティアを促す。

 一度屋敷に戻り、身支度を整えてからすぐに王都へ向けて出立した。

 

「ご先祖さまが駆ったグリフィンも飛竜に数倍する速度だったって話だがユニコーンの早さってのはそれと比較しても桁違いだな」

 ヴィクトールが感嘆を通り越して呆れ顔で呟く。

 百里を超える王都までの道のりもユニコーンの脚力ならば駈足で三時間足らずの距離だ。他の移動手段が日単位であることを考えると呆れてしまうほどの速力である。

「ああ、一度アルに乗ると長距離の移動を馬に頼るのがバカバカしくなる」

 呆れ半分、感心半分で肩をすくめて答えてから、

「……それはともかく、なんで私が呼ばれた?」

 本題を問い質す。

 軍命である召喚命令には当然理由など書かれていなかったし、ヴィクトールの手紙にも「例の件でお前の意見を聞きたいので代行はサングリエに任せて至急来てくれ」としか書かれていなかった。

「お前の意見を聞くため、という理由では不満か?」

「一准将である私が意見を求められる立場にあるとは思えないし、その必要性も思い当たらないが?」

 ルディア王国軍は国王が元帥として君臨し、中央軍、東方軍、西方軍の各司令と軍務長官、軍令長官、軍需長官には通例として大将が任命される。現在人手不足の西方軍は少将のヴィクトールが司令を務めているが、これは彼の人望と王族の権威による特例だ。

 それら軍上層部や政府高官、議会の有力者を措いて一准将に意見を求めることを訝しむな、という方が無理というものだ。

「地位や階級だけがすべてではないだろう?」

「だが、それが基準として存在するのも事実だ。それを措いたとしても私に高度な政治的判断などできるとは思えないが?」

「政治面での話し合いはすでに決着がついている。講和条約は合意に至った。あとはマーガレットをブルトルマン帝国に送り届ければ正式に講和条約は締結され、ブルトルマン帝国と我が国は友好国となる」

「そう…………か」

 複雑なものが込み上げてくる。ツァールトリヒト元帥から条件を聞いた時から覚悟はしていたが改めて受諾されたと聞けばいい気はしない。

「だが、だったら一体何について私の意見を聞きたいというんだ?」

 普段のローズならこんな問いかけはしなかっただろう。しかし、今は動揺が思考を鈍らせていた。その気持ちを察してかヴィクトールも丁寧に答えた。

「ブルトルマン帝国と我が国の間の陸路は事実上閉じている。使節の派遣だけなら飛竜でいいだろうが、王族の輿入れともなれば荷も人も多くなる。とても飛竜で運べるものではない」

 飛竜は馬のようなものだが馬と違い空を飛ぶ飛竜には荷車を引かせるわけにはいかない。軍事物資を運ぶ際に数騎の飛竜で荷を運ぶこともあるが、地上での定期的な休息が不可欠だ。獣人の縄張りと化した地で安全な休息所などあるはずがない。

「スタリア地域へ抜ける間道はダメか?」

「無理だな」

 ローズがブルトルマン帝国から戻った際に利用した記憶では獣人に襲われた記憶はなかった故の提案だったが、ヴィクトールはあっさり否定する。

「一人二人ならともかく大人数でいけば見つかるだろう」

 確かに同じ方面から落ち延びたミエルたちは彼女一人を除いて全滅したのだ。

「直通のルートが塞がっている……と考えるしかない……か」

「ああ、それで頭を突き合わせて色々なルートを検討中というわけだ」

「なるほど、それなら私も口を出せるだろうな」

「そういうことだ」

「で、どんな案が出ているんだ?」

「現状で挙げられているルートはまず東側からクリュスタッロス山脈の北側へ回りロワン族領を抜けるルート」

「バカな! それなら距離が短い分軍勢を費やしても直通した方がマシだ」

 巨人の血が混ざっていると言われるロワン族はクリュスタッロス山脈の北側に広大な領土を支配する一族だ。ひどく凶暴な話の通じない連中で、国家としての仕組みもロクに整っておらず、条約などを締結しても平然と破る。宣戦布告もなしに侵略行為を繰り返し、人も物も略奪する。連れ去られた女は慰み者に、男は労働力として家畜同然の扱いを受ける。

 ハッキリいって獣人と大差ないかそれ以上に悪辣な連中だ。

 しかも、ロワン族領は寒さの厳しく、広大だ。東西の幅はルディア王国に匹敵するかそれ以上、おまけに北から吹き付ける寒風のために常に冬のようだという。

「俺もそう思う。第二案がアクティース教国を通り、エプーシャへと出て、船でイースウェア公国の沿岸に沿ってブルトルマン帝国の南西へ出る海路案だ」

「……………………バカしかいないのか?」

「そういうなよ」

「アクティース教国がどういう国か知っているだろ? あの国を跨いで大陸中央部へと出られるわけがないだろう!?」

 アクティース教国はビアンチエ大陸西方と中央部の境目に陣取り、物流も人の流れも一手に支配する国だ。そうした立地上流通の要所なわけだがそんなところに国家が陣取れば当然関税をかけ、流通を支配独占しようとする。そのため周辺各国との関係は悪く、しかも、エプーシャの国土を一部奪い取る形で建国したという歴史もあってエプーシャとは犬猿の仲だ。国土の狭いアクティース教国を食糧面で支えているといっても過言ではないルディア王国の王族の通過をエプーシャが見逃すとは思えない。

「バカげた案であることは事実だが話し合いで解決できる可能性がある分、ロワン族領を通るより現実的な案だと言えるさ」

「エプーシャが通過を認めるとは思えない」

「それはやってみなければわからないさ」

「もし認めてもその後の船旅で妖魔に襲われないという保証がどこにある?」

 陸路でなら妖魔が活性化する夜には安全な街に宿をとれるし、仮に山野で妖魔に襲われても逃げることはできる。しかし、海上では安全な場所など無い。夜毎妖魔のリスクが付きまとう。

「イースウェア公国まではエプーシャの商人たちが定期的に行き来しているんだ。そりゃ、リスクはあるだろうが、陸路より少し危険なくらい、というのが提案者の言だ」

「だとしても、そこから先、イースウェアの領海をぐるっと一周するんだぞ?」

「そうだな。そこからは夜毎港に停泊したとしても費やす日数を考えれば天候不順の危険もあるからな」

「そんな危険を冒すよりは見栄を張らずに物資と人をできるだけ絞って飛竜で空路からブルトルマン帝国へ直接運ぶべきだ」

 今回の条約締結の相手国なのだから交渉の必要はないはずだ。

「そこで体面を捨てられないのが王族の哀しいところでな」

「バカげている」

「まあ、娘の輿入れにそれ相応の見栄を張りたいってのは愛情の現われだとも言える」

「マーガレットを思うなら見栄よりも命のことを気にかけるべきだ」

「ああ、俺もそう思う。だから一応問い合わせてみた」

「だったらその返事待ちだな。それができれば一番だ」

「いや、待つ必要はない」

 なんとなく答えは予想できたが、それでも反射的に表情だけでヴィクトールに続きを促す。

「先ほどブルトルマン帝国の方から、飛竜の大群で到来するような真似は慎んでもらいたい、という旨の返信が届いた」

「理由は?」

「まだ妖魔の騒乱冷めやらぬ国土に飛竜の大群で来訪されてはいたずらに国民の不安が掻き立てたられることになるため、だそうだ」

「こちらが条約を反故にして奇襲をかけるとでも?」

「条約が正式に締結される前には何があってもおかしくないからな」

 苦笑するヴィクトールに唖然としてしまう。

 これから友好関係を築こうという出足に協力の姿勢を見せるどころか、まるでこちらが攻撃を仕掛けるかのような言い様はルディア王国を侮辱しているとしか思えない。

「そんなことを言われて何故笑っていられる?」

「いちいち腹を立てるようなことではあるまい」

「そもそも南東部の住民たちは和平に賛成のはずだ。事前に公示すれば問題不安を掻き立てるはずなどないだろう!?」

 確かに、せっかく和平がなるまであと一歩というところまで漕ぎつけたのにこの程度で腹を立ててご破算にするのは愚かしいが、かといってヴィクトールの態度は寛容に過ぎるように思われた。

 そんなローズの釈然としない心境を表情から読み取ったのだろう、ヴィクトールがサラリと付け加える。

「向こうも一枚岩ではない、というだけのことだ」

「…………リスティッヒ……か?」

 言葉の応酬の中でいつものキレを取り戻してきたローズの言葉にヴィクトールが頷く。

「ああ、帝国南東部は彼の統括地域だ。この返答に自らの失態を顕著にする講和条約締結を阻止しようという彼の意図が含まれていてもおかしくはない」

「なら少数の飛竜部隊でという手段も当然……」

「止めた方がいいだろうな。ツァールトリヒト元帥も同じ意見だ」

 少数で情勢不安の地を渡るとなればいくらでも事故は起こりうる。そのような状況下では獣人の襲撃はもちろんのこと、未だ鎮静化を見ない下級妖魔の騒乱、それらの対処に追われ軍が人手不足になっている隙を突いて湧いて出る野盗の襲撃、事故に見せかけた妨害の手段はいくらでもある。

「マーガレットの輿入れを阻めば条約締結を阻止できる。そう考えてリスティッヒのヤツが妨害に動いているといことか」

「ただ阻むだけに留まらないかもしれないぞ」

「どういう意味だ?」

「もし、我々が挑発的な返答に怒り条約締結がご破算になっても彼に損はない。それにもし少数で来訪してくればマーガレットを捕らえるということも考えられる」

「だが、そんなことをしてもヤツ自身が追い込まれるだけだろう?」

 条約締結まであと一歩の段階まで来て独断でそのようなことをすれば条約がご破算になるだけでは済まない。ルディア王は騙されたと判じて中央軍を動員し、緊急徴兵をしてでも即時開戦という決断をするかもしれない。乗り気ではないとはいえブルトルマン皇帝とてリスティッヒ元帥の行動を支持するとは限らないはずだ。

「ああ、ヤツ自身の手でならな。だが、野盗郎党のしわざにみせかけたら?」

「そうか! 和平推進派のツァールトリヒト元帥の責任問題になる」

「ああ、リスティッヒを追いつめるための和平が一転してツァールトリヒト元帥を窮地に追い込むだろう。その上で賊から王女を助け出した、という手柄としても利用できる。しかも、捕らえている間にマーガレットを洗脳でもすれば?」

「自分を伴侶として指名させることでさらに有利に運べる」

 皇帝は『聖伐』賛成派のリスティッヒ元帥を後継者に指名したいと思っている、とツァールトリヒト元帥は言っていた。先の失態で脱落目前とはいえ未だ候補者である元帥の地位にある以上、マーガレットが指名すれば皇帝も好機と考えて再考する、と期待して行動を起こすかもしれない。

「ああ、仮に別の誰かが皇帝になった場合暗殺などの手段に及ぶカードにもなるという一石三鳥の策になるわけだ」

「しかし、そうなると可能なルートなんて無いんじゃないか?」

 北回りは論外。南回りの海路案は解決すべき問題が多く危険性も高い。直通ルートは狡猾なリスティッヒ元帥の罠が待ち構えている危険がある。すでに可能なルートなど無いように思われたが、

「イースウェア公国領の北部を横断してヴォルフ元帥の管轄するブルトルマン帝国南西領へといくルートがあるだろ」

「………………………………正気か?」

 イースウェア公国はアクティース教の糾弾排斥する魔法使いや魔女を匿っていることから長年に渡りルディア王国とは対立している。たった十年の敵対関係でしかないブルトルマン帝国と比して仇敵といえるし、国境を接する敵国であるルディア王国とブルトルマン帝国が手を結ぼうとしているとなれば邪魔をしたいと思って然るべきだ。

「ロワン族領を横断したり、イースウェア沿岸をグルッと海路で進むよりは安全で現実的だ。ローズも知っての通り、あの国は一枚岩というには程遠いからな」

 これは否定しようがない。

 イースウェア公国は前身である神聖ディシギイロース帝国に任じられた四人の公爵と三人の伯爵、五人の子爵、七人の男爵がアクティース教による魔術排斥運動に抵抗するために連合を組んだ国なのだ。形式上盟主たる公爵が国主となっているが実際には各領地は自治制で自由な自治が敷かれている。

「しかし、六百年来の怨恨があるんだぞ?」

「もちろん『王族が通ります』なんて言ったら間違いなく襲撃されるだろうな」

「つまり、非公式に通り抜ける……ってことか?」

 ローズの問いにヴィクトールがイタズラっぽい笑みを浮かべる。

「ああ、マーガレットを連れた本体はどこかの富豪令嬢の外遊ってことにする。嫁入り道具や持参品なら損害覚悟で海路からエプーシャ周りの海路から分散して送ればいい」

「護衛はどうするんだ?」

 本来王族の輿入れともなれば権威を示すために相応の人出があって然るべきだ。軍の行軍に匹敵するような行列になることもある。ルディア王国は安定した大国であるから本来なら千人単位――一万を超える行列を作ってもおかしくはない。

 王族の見栄はさておいても護衛面でも問題がある。獣人に占領されたルディア王国西部の地を突破するにはそれなりの軍事力がいる。国境付近でそんな不自然な軍事行動をとればイースウェア公国に気づかれ、入国後に敵軍の妨害や捕縛の危険が出てくる。王女世話係など非戦闘員も相応数いる集団の護衛を民間の富豪令嬢の外遊程度の人員で賄えるはずもない。

「世話係などを極力排して最低限の人員で進むしかないだろうな。恐らく数十名……三桁に登っては目立ちすぎる」

「お前らしくもない。それで本当に事足りるとでも思っているのか?」

 少人数に絞り進めばイースウェア公国に正体が露見する危険は減る。しかし、獣人の縄張りを突破できるかどうか危うい。それに、万が一正体が露見すれば確実に捕らえられる。兎に獅子が寝ている間に目の前を歩いて通れと言っているようなものだ。

「そこでようやくお前を呼んだ理由に繋がる。その前に一応確認しておきたい、お前がマーガレットを乗せてユニコーンで一気にブルトルマン帝国まで連れていくって手が使えないか?」

 確かにできればどの案よりも理想的だ。

 アルコンティアの脚ならば全力を出せばブルトルマン帝国まで一日あれば事足りる。帝国の安全な都市までマーガレットだけを運びさえすれば、後は護衛を順次送り込み、現地で準備を整えればいいが、

「無理だ」

 アルコンティアはローズ以外を背に乗せることを良しとしない。邪心の無かった少女でさえ騎乗することを拒否したのだ。国家の思惑などで乗せるとは思えない。

「聞いてみてくれてもいいんじゃないか?」

「アルは私のことも『乗せてやっている』んだ。鞍をつけることを許容したばかりで虫の居所も悪い。今気にそぐわないことを強要すれば私の元を去るだろう。アルがいなければ次善策すら実行できなくなるぞ?」

 七割り方本当だが、最後の一言はヴィクトールに諦めさせるためのハッタリだ。アルコンティアに嫌な任務を無理強いさせないために少し大げさに言って脅かしておく。

「お見通しか……」

「ここまで話せばバカでもわかる」

 ユニコーンのランクはB。だが、それは食性が肉食ではなく、能動的に人を襲わないためでその能力はAランク相当。主クラスと遜色ない実力を秘めている。アルコンティアはまだ若く、未熟かもしれないが、それでも、少なく見積もって一騎当五千の実力はある。つまり、数の不足を質で補おうというわけだ。

「なら話が早い。お前に護衛団の指揮を執ってもらいたい」

「軍命ならば従うまでだ。それにマーガレットは親友だからな。私個人としても参加するのはやぶさかではないが……」

 ヴィクトールの良く言えば臨機応変、悪く言えば規律や配属を無視した無茶な任命にローズは引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。

 

 御前会議でヴィクトールが自身の腹案としてイースウェア公国横断案を提示したときは国王をはじめ誰もが躊躇った。獣人の縄張りを踏破してさらに敵国の領内を進むことに比べれば、ブルトルマン帝国南東領へ直行したほうがいい、とリスティッヒ元帥の策を読み切れない者やそうした推測を邪推だと判断する者が反対した。その上、そんな難題を民間人に偽装した少数で実行するとなれば無謀としか思えないから当然だ。

 しかし、リスティッヒ元帥が戦争継続派であることをツァールトリヒト元帥が説いたことで南東領への直行案は沈黙した。

 その上で、街道沿いにイースウェア公国を密かに通過するだけならば大した戦力は要らない。街ごとに宿をとっていけば妖魔のリスクは最小限で済むし、正体がバレなければ護衛は最小限で済む。万が一、ルディア王族であることが露見しても一騎当万の『戦場の青き薔薇』がいれば問題ない、とヴィクトールが力説したことで王も諸将諸官も頷いた。

 しかし、予想の通り納得できない人物が一人いた。

「なぜ、西方軍のラズワルド准将が護衛団の指揮を執るのですかッ!?」

 ルートの是非ではなく、人選の問題についての抗議だ。

「輿入れのための護衛団ならばマーガレット姫の近衛隊隊長である私が指揮を執るのが筋ではありませんか!?」

 中央軍司令部にある西方軍司令官の執務室で声高にヴィクトールに食ってかかっているのは予想の通りの人物。つまり、マーガレットの近衛隊隊長ラフレーズ少佐だ。

「少数精鋭、短期間で踏破するための戦力としてラズワルド准将の力が必要なことが理解できないわけではないだろう?」

「それはわかります! しかし、なぜ准将が指揮をなさるのですかッ!?」

 彼女は決して花園の守護者フローラルガルディエンヌであることを鼻にかけているような権威主義者ではない。しかし、自分の仕事に誇りを持っている者としては最後の任務を余所者に奪われるなど堪えがたい屈辱だろう。

「階級の上下というだけでは納得できないか?」

「階級はわかりますが、警護任務に関して素人同然の准将より私の方が指揮官としては適していると思われます」

 確かに一理ある。

 ローズは軍人としての防衛任務などは経験があるが要人の護送に際してどこを警戒すればいいのか、特に街中ではどこに危険が潜んでいるのか、については門外漢だ。

「街中や王宮ならそうだろうな」

「でしたら私が……」

「しかし、妖魔獣人の犇めく街道をいくとなれば、前線指揮を通して妖魔や獣人の討伐経験豊富なラズワルド准将の知識が適している」

「日程を考えれば妖魔の危機よりイースウェアでの正体露見や野盗の襲撃のリスクを恐れるべきではありませんか!? 街や街道の何処で、何に気をつければいいか、そうした襲撃者に対する警戒なら私の方が適しているはずです!」

 ヴィクトールの正論にラフレーズ少佐も正論で返す。任務の性質上の適正は一長一短で、このまま言い争っても決着はつかないだろう。それにローズに対する個人的な感情は措いたとしても、ラフレーズ少佐は最後の任務と言うこともあって固執しているところがある。

 一向に引く様子を見せないラフレーズ少佐の説得を試みるよりは階級の上下など気にせず彼女に指揮官を任せた方が精神的にも実質的にもいい気がしていたのだが、

「とにかく! ラズワルド准将が護衛団の指揮を執る、これは決定事項だ!!」

 語調を強めて議論の打ち切りを告げ、

「人選は少佐に一任するから近衛隊の中から実力のある者を選んでくれッ!!」

 さすがのラフレーズ少佐もそれ以上食い下がることはできなかった。唇を真一文字に結んで言いたいことを堪えながら敬礼すると足どり荒く退室していった。

「なぜ、そこまで強行に私を護衛団の団長に推す必要があるんだ?」

 足どり荒く出ていったラフレーズ少佐の背を見送ってからヴィクトールに問う。

 そこまで階級にこだわらない普段のヴィクトールを知る者としては、ここまで強硬に――護衛団として共闘する仲間に精神的なしこりを残してまで門外漢であるローズを指揮官に推す姿は違和感を覚えるものだった。

「階級の上下もそうだが彼女はお前に含むところがあるだろう?」

「多少意識されていることは否定できないが……」

「戦力の要であるお前を侮った指揮をされてはお前を護衛団に加える意味がなくなる」

「それはそうだろうが、ラフレーズ少佐にとっては近衛騎士として最後の任務なんだ。少しくらいそこを考慮してやっても……」

「近衛騎士ならば我を張らず主を護ることを第一に考えて然るべきだ」

「らしくない言い様だな」

「それに通常の戦力とはまったく別ものであるお前たちを加えて警護体制を敷くにはお前が指揮するのが一番だ」

「それはそうだが……」

 たしかに、アルコンティアの力が数千の兵に勝るとはいえ一騎である以上できることとできないことがある。数千の弱兵が一騎当千の強兵よりも役に立つ場合があることは少なくない。兵力の不足を質で補うにはアルコンティアの力の性質を理解した指揮が必要なことは事実。多少違和感は残るものの、納得できなくもない説明に頷いてローズも部屋を後にした。


 女騎士二人が相次いで退室した室内にはヴィクトールが一人取り残された。

「よかったので?」

 ヴィクトール以外誰も居ないはずの室内で彼に呼びかける声がした。

「ああ」

 そして、姿なき声に動じることなくヴィクトールが重々しく頷く。

「ローズの王族に対する忠誠心を皆に――特にオヤジに示しておかなければならないからな」

「上位の妖魔を従えることの意味、ですか」

「ああ。ウチのご先祖様、ルディア王国を建国した初代国王は一兵士がグリフィンを従えたことで成り上がったからな」

「グリフィンはAランクですがユニコーンはBランクです」

「わかっているだろう、それはあくまで人間にとっての脅威の度合いだ」

「………………………………」

「力ではユニコーンもグリフィンと遜色ない。しかも、同様に妖魔の中でも気高き存在だ。つまり、ローズがユニコーンを従えたことはご先祖様に匹敵する偉業と言える」

 誰か他人が力を持つとそれを意味なく恐れる者が必ず現れる。そして、奪われるもの、失うものの多い者――権力者ほど過敏に反応するものだ。

 すでに、軍部、政府の中にはローズを野放しにしておくと簒奪を企むかもしれない、国家を転覆するかもしれない、などと意味もない流言飛語を飛ばす輩がちらほら現われている。大半はただの小心の輩だが、何割かは他人が力を持つことを妬み、蹴落とそうと企む輩がいることも事実だ。

 そして、自身の手駒すら揃わないローズにはそうした陰謀に対することができるだけの権力や人脈などの闘争の力はない。

「ローズに権力闘争を演じるだけの力がまだないなら形で、態度で無実無害を示させればいい。ついでに国外に出している間に実際に何か画策しているヤツを潰せるしな」

 本来なら蹴落とそうと企む輩を全て潰しておきたいところだが、全て自分がやってしまっては後々ローズのためにならない。最低限黙らせねばならない輩だけを潰してあとは彼女自身に叩かせなければ意味がない。

「それはそうですが……彼女に真意を伝えなくてよろしかったので?」

 過保護では、とは言わない。これが老害・猾吏の蔓延る宮廷、軍部にヴィクトールの味方を増やすために必要なことだと理解している。

「俺が背後で助けたって知ればローズに甘えを作りかねない」

「彼女の性格を見ますにその心配は無用かと」

 まあな、と頷く。

 ローズの性格を考えれば誰かに甘えるという心配は薄い。そのくらいのことはヴィクトールにもわかっている。

 しかし、気に病むことはあるかもしれないし、薄いとはいえ可能性はゼロではない。親友のミエルは病床、ジルをはじめ戦友のほとんどを失ったローズの精神は弱っているかもしれない。女を籠絡するときは弱っているところを、というのはそうしたときに人という生き物は頼れる相手を求めるからだ。

 ヴィクトールはローズとは戦友として対等な関係でいたいと思っているし、そうなって欲しいと望んでいる。

 市井の出であるローズにいきなり政戦両略を求めることは間違っている。しかし、戦術指揮能力の高いローズなら時間さえあれば必ず政の面でも十分な力を発揮できるようになる、とヴィクトールは信じていた。

「それよりブルトルマンとの和平の件、マーガレットが通る件ともにイースウェアに知られないように尽力しろ」

「こちらから漏れるようなヘマは致しませんが、ブルトルマン側から流される可能性につきましては如何ともし難いものが……」

 ツァールトリヒト元帥の言を全面的に信じるならばリスティッヒ元帥以外は和平に賛成、つまり、イースウェア公国にわざわざ情報を流したりはしないはずだ。

 しかし、一人の人間が全ての情報を網羅できるわけではない。事実、ヴィクトールの集めていた情報とツァールトリヒト元帥の話とはいくつか小さな食い違いがある。それはどちらの情報が間違っているのか、あるいは両方とも正しいのかもしれないし、はたまた両方とも間違っているのかもしれない。

「少なくとも流す危険のあるヤツらは張っておけ」

「もちろんですとも」

 返答を聞いて相手の姿の無い独り言のような会話は終わった。


 一方、宮廷を出たローズは王都にあるとある大きな建物の前に立っていた。

「ここ……か?」

 呟きとともに視線を上げ、夕暮れ時で影になって見辛い看板を確認する。表通りに面し、宮廷の兵士や街の住人にも確認したから間違いはない。それでも呟きが疑問形になってしまった理由は予想に反してみすぼらしい建物だったからだ。

 しかし、周囲を見渡しても間違い様がない。偽りの看板を掲げて表通りに店を構えていられるほどグリフィンロワの治安維持はいい加減ではあるまい、と考えて古ぼけた両開きの扉を押し開けた。

 店内に人気は少ない。

 郎党の溜まり場……というほど荒んではいないが思い浮かべていたのに比べてずいぶん活気がなく、テーブルやカウンターに腰かける者も皆どこか覇気がない。

「いらっしゃい。何にする?」

 時刻は夕暮れ。少し早いがそれでも酒を飲むのにおかしい時間でもないし、こういう時は一杯注文するのがマナーというものだ。

「地物の白を」

 酒に詳しくないローズは何の気なしにワインを注文した。わずかに琥珀色に染まった透明な液体を入れたグラスが目の前に置かれるのを待ってから本題を切り出す。

「仕事を頼みたい」

 そういって封筒をカウンターに置く。

「……お客さん、ウチを利用するのははじめてだね?」

 ため息でも吐きたそうな顔で問う店主を見返して、ああ、と頷く。

 一見の客を拒否するようなことはないだろうが、信用が低い場合前金を要求されるくらいのことはある。その可能性を考慮してヴィクトールから支度金としていくらか引っ張ってあるから問題はないのだが、

「それならワイン以外の酒を注文して欲しかったんだがね」

 店主のこの返しには頭上に疑問符が浮かぶ。仕事の依頼に来た客は注文する酒の種類でも決まっているのだろうか? と推測したのだが答えは違った。

「国内品を注文されたんじゃウチとしては儲けが少ない。できるならビールかウィスキーでも注文してくれりゃ嬉しいんだがね」

 ブドウという食料としての価値の低い作物をわざわざ育成して、発酵させるワインは農地と生活にゆとりあるルディア王国以外の地域ではあまりお目にかかれない。他国では穀物やさして手間のかからない果実などから酒を造るのが一般的で例えばビールはブルトルマン地域、ウィスキーはイースウェア公国の代表的な酒だ。

「…………私は一応軍人なんだが?」

 輸入品には税がかかる。それなのに国内産以外を注文してくれた方が儲けがある、ということは平均的な値段で提供しても利潤が多いということ。つまり、関税のかかっていない密輸品ということなのだ。

 しかし、店主はおどけた顔でシラを切った。

「何、仲間が『土産』を持ってきてくれるだけさ」

 個人が数本持ち込む分までは税がかからない――制度の隙間を突いた堂々たる密輸、抜け道のような気もするがローズにそれを取り調べる気はない。

「まあ、それは私の仕事ではないから聞かなかったことにしておこう。それより依頼の件なんだが?」

 今日ここに来たのは先にも言った通り仕事の依頼なのだ。店主が差し出された封筒を開き、仕事の内容を確認する。

「構わない。日付もまだ余裕があるし、今から連絡すれば十分に間に合うだろう。はじめての客は基本的に半額前金払いでもらうことになってんだが?」

 言われるままにローズが革袋を差し出すと、店主がそれを受け取り、中身を確認し頷く。

「ではその日付までに支度を整えてくれ」

 そう告げるとグラスを傾けて一息にワインを飲み干し、店を後にした。

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